13 晩餐 中
アウレリオは「あ、」と構わず話を続ける。
「もしかして、迎えに脅されたりしたのか? 手荒な真似は禁じていたんだが」
「いえっ、そんな、ことは」
「その辺りをわきまえられるよう、ルカかニコラに行かせようかと思っていたのに、タイミングが悪くてさ。結局テオドロに行かせたんだが、あいつどうだった?」
ディーナはワイングラスを揺らして自分を落ち着かせようとした。わきまえてルカなのか?とは思っても黙っておく。
「どうって、普通だったわ。……喧嘩が強いのね」
我ながら妙なコメントとは思ったが、アウレリオは「そうか」と細めた目でディーナを見るだけだ。
その視線が、いつの間にか手元に移っていることに気が付いた一瞬後。
「――食事の作法は、ちゃんと覚えてるんだな」
その言葉に、ディーナの体に緊張が走った。グラスが小さな音を立ててテーブルに着地する。
ラウラの目がディーナに向き、それからアウレリオにも向いた。
「……もちろん。毎日繰り返したお作法だもの」
「それもそうだけど。でもよかった」
よかった、と言われて背筋を冷たい汗が伝う。
おかしなことは何も言っていないはずだ。実際に十歳まで、ディーナは“作法”を徹底的に教え込まれたし、宿屋でもテオドロに真剣な顔で言い含められたのだ。
『フェルレッティの当主は幼い頃から、食事に毒を盛られて過ごすんだ』
真顔になって固まったディーナに、テオドロは表情を変えないまま『ただし』と付け加えた。
『毒同士で互いの効果を打ち消し合うものが必ずテーブルに出されている。だから食べる順番さえ正しければ、毒は体に回る前に別の毒によって中和される。逆に一つでも口に入れる順を間違えれば、死ぬ。解毒薬入りの料理はない。あくまで、食べ方でしか毒を打ち消せないように計算されてるんだ』
だから食前酒からデザートまで、水も含めて、順番を決して間違えないで。テオドロはそう続けた。
ディーナも食事の作法がいやに厳しかったのはよく覚えていた。
その理由も。
『もともとは毒に耐性をつけさせるための習慣だったのと同時に、同じメニューを食べる客人だけを狙う暗殺方法だったんだろう。昔は宴会でも大皿から取り分けて食べてたわけだから、同じ皿から盛られたものを食べているフェルレッティ家にターゲットは油断するし、後から料理に毒が盛られていたとも思われない』
話しながら、テオドロは紙に料理名や食材名と毒の名前を並べて書き、そして料理同士を矢印で結んでいく。
『アウレリオは、あなたが本物かどうかを見極めるのに、おそらくこの“順番”を知っているかどうかを試してくる。失敗したら正体がバレるうえ、解毒のためにもすぐに屋敷から逃げないといけなくなるから、くれぐれも忘れないでくれ』
正体がバレたら殺される、とは言わないのは、守ると誓ったからだろう。
(よかった、っていうのは、やっぱり毒が仕込まれてるからよね)
そう思うと、カトラリーに手を伸ばすのが怖くなる。ラウラとメニューが違うのは毒の有無によるものだと、確信してしまった。
いや、大丈夫だ。古い記憶だけなら不安も残るが、テオドロが改めてちゃんと教えてくれた。
ディーナは、震えそうな手で無理やりフォークを口元に近づけた。
苦笑が聞こえてきたのは、そのときだ。
「そんなに怖がらなくても、今日の料理には何も入れさせてないけど」
「……え?」
「せっかく探しだした妹に、危ないものを食べさせるわけないじゃないか。ラウラのメニューは、彼女の好き嫌いを反映してるだけ。いい年してわがままなんだから」
言われたことの真意を測りかねて、ディーナは固まった。アウレリオは不機嫌そうに眉を寄せた愛人の方をいたずらっぽく見て肩を竦めている。
ディーナからすれば、本物の妹だと確信されているのも、その妹との対面を心底望んでいたかのような物言いをされるのも解せない。会ったことはないはずだし、そもそもディーナをこの屋敷から放逐したのは目の前の男の意図したものではないのか。
よほどわかりやすい表情をしていたのか、アウレリオは後者の疑念にはすぐに答えを示した。
「ディーナはきっと、私のことをとても恐ろしい人間だと思ってるんだろうね」
立ち上がったアウレリオが、フォークを手にしたままのディーナへと歩み寄る。
「でも私は、君がここからいなくなるまで、静かな郊外で貴族教育も何も受けずにひっそり暮らしてた、ただの少年だった。父の名前も、むろん妹がいるなんてこともここに連れてこられるまで知らなかったし、もちろん妹を追い出したり、ましてや殺したりするよう指示などしてない。むしろ君に手を下した実行犯を罰したくらいだ」
アウレリオの手がディーナの髪を梳く。その手で、硬直したディーナの手から流れるようにフォークを取り上げ、口に運び損ねていた肉のひとかけらを自分の口に入れた。
『肉料理を口に入れたら、必ずワインを二口以上飲むこと。肉の後に水は絶対に飲まないで、毒が広がるから』
記憶の中のテオドロが話し終えるより早く、アウレリオは同じくディーナの前に置かれていた水のグラスを手に取った。止める間もなく、口元で傾けられて、喉仏が上下する。
「だ、だめっ!!」
ディーナはとっさに腰を浮かせて、ワインのグラスを手に取った。相手の口元へと持ち上げようとした動きを、手首を掴まれて阻まれる。
「だめっこれを飲んで」
「座って」
「ソースの毒が回る前に、ワインを飲んで!!」
「座れ。行儀が悪いぞ」
強い言葉と同時に冷ややかな一瞥を受け、ひゅっと息が詰まる。
そのすきにアウレリオはディーナの手からグラスも取り上げ、音もたてずテーブルへ戻した。空いたその手がディーナの肩に触れる。
押さえつけるというほどの力も込められていなかったが、ディーナは呆然としながら、操られるように腰を下ろした。
そのまま、二人は声もなく見つめ合い。
「ほら、大丈夫だろう?」
呼吸を忘れて青ざめていたディーナの前で、アウレリオは目を細めて口角を吊り上げた。
――本当に、何も入っていない?
震えを隠しきることもできないまま、ディーナはテーブルに並んだ皿とグラスを順々に見比べた。
「アウレリオ、今一番行儀が悪いのはあなたよ」
ラウラの冷たい声に、アウレリオが「はいはい」と席へ戻る。その様子からも、とても毒を飲んだとは思えなかった。