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1 真夜中の子羊

魔法なしですがご都合毒薬が多々出ます。ゆるふわ設定です。


「……祭壇のろうそく、消してない気がする」


 同室のシスターはそれきりすこやかに寝息を立て始めたので、ディーナが代わりに飛び起きた。





「消してない気がする、で、なんで寝ちゃうのエヴァったら! 火事になったらどうするの!」


 雨の降る中、女子修道院と教会をつなぐ小道を、ひとり駆け抜ける。手には小さなカンテラ、長い赤毛にかぶったガウン。足元が水たまりに浸からないよう、気をつけながら。


 せわしない足取りに、夜の闇への恐れはない。昼間の暑さを洗い流す強い雨が降っていても、道は短く、慣れ親しんだものだった。


 ぷりぷり怒りながらも片付け当番の修道女をたたき起こさなかったのは、古株でありながら十九歳と名乗るディーナの方がまだ見習いだからだ。この国では、二十歳前の女は修道の誓いをたてられない。


 手早く教会の通用口の鍵を開けて礼拝堂に入ると、ディーナはガウンを肩に落として周囲に視線を巡らせた。


 しんと、闇が広がる空間。雨が打ち付ける音と、古い屋根から漏れてたらいに落ちる雫の音が、規則正しく響く。

 祭壇も含めて、見る限り、手元以外に光源はない。シスター・エヴァの思い過ごしだったようだ。

 無駄足だったことに安堵し、ディーナはきびすを返そうとした。


 ――のを、小さな物音が止めた。


(……今、ガチャ、っていった?)


 振り返って、通用口とは逆の、外へとつながる正面扉を見つめる。夜間は鍵をかけているはずのそこから、錠が回る音がした。


 鍵を開くということは、神父か、それとも他のシスターか。

 でもそれなら、ディーナがしたように裏口を使うのが常だ。

 そもそも神父館の老神父をはじめ、こんな時間はみな寝静まっている。ディーナの次に若い、エヴァのように。

 少なくとも、無断で表の扉を開けるような人間にこころあたりはなかった。


 誰。

 背筋に冷たいものが走る。

 ディーナはカンテラの火を消し祭壇の裏に隠れた。


 程なくして古い蝶番が軋み、雨音がはっきり聞こえてくる。また扉が閉じるまでの間に、細く開いた隙間から人影が身を滑り込ませてくるのを、身を潜めたディーナは信じられない気持ちで見ていた。


 心臓の音がばくばくと耳の奥で騒ぐ。


 ――コツコツ。コツコツ。


(こっちにくる)


 ディーナは手探りで靴を脱いだ。靴音でこちらの存在がバレることに思い当たったからだ。

 息をひそめ、音を立てず、来訪者へ意識を集中する。


 コツコツ、……コツ、……コツ。


(……ふらふらしてる?)


 靴音はところどころ乱れている。とはいえ、客人は迷いなく自分が隠れている祭壇へと向かって来ていた。靴を握る手がじっとりと汗に濡れる。


 やがて音が止まった。祭壇を挟んで、ディーナの目の前で立ち止まったのだ。

 足元を見る限り、男だ。闇に慣れた目で、そう確信する。

 盗人だろうか。街の端の、小さな教会をわざわざ狙うなんて、警備の薄さをあてにしていたのか。

 侮られたことは悔しいが、見つかって殺されるかもしれないと思えばその場で固まることしかできなかった。


 はやく出ていって。

 この教会に、金目のものはほとんどない。暗いけど、見ればわかるでしょう。

 そう、靴ごと手を組んで祈るように目を閉じたとき。


「夜分にすみません」


 はっきりと、自分に向けられた男の声。


 凍りついたと思った心臓は、一瞬後に大きく拍動した。

 バレてる。


「……神の家に、なんのご用ですか」


 意を決して答えたディーナの声が、礼拝堂で反響する。昔の癖か、恐怖ですくんでいるはずなのに、そうと感じさせない落ち着いた声が出た。

 

 雨の音が遠ざかりはじめていた。夜闇に、雫がたらいを打つ音と、来訪者の返事が響く。

 男の声もまた、不思議なくらい穏やかだった。


「どうか、ここで祈りを捧げていくことを、お許しいただきたい。……長くは、とどまりませんから」


 話すうちに、男の声はひどくかすれ、息遣いが荒くなっていく。

 恐怖をおして祭壇越しに覗くと、男はゆっくりと床に膝をつき、俯いた。両手が、身体の前で組まれていくのがかすかに見える。


 こんな時間に? そう、ディーナが訝しんだとき。


 男は、そのまま床に倒れ伏し、ディーナは飛び上がって驚いた。


「ちょっと!」


 駆け寄り、抱き起こした体は濡れていて、重い。

 そして、血の匂いがした。


「怪我してるんですか!? 気をしっかり、今薬を――」


 その瞬間、ディーナの視界が回った。どん、と大きな、短い音。

 気が付くと、ディーナは礼拝堂の床の上に仰向けに引き倒され、男に馬乗りになられて口元を手で覆われていた。


 罠だ。


 背筋が凍ったときにはもう、口の中に小さな粒が転がり込んでいた。男は口をおさえた手に小瓶を持ち、ディーナの口に中の錠剤を押し込んだのだ。


「怖がらないでシスター、少し眠るだけだ」

      

 いつの間にか、雨が止んでいた。

 雲間から差し込んだ月の光が、薔薇窓を通って男を照らす。


 美しい男だった。

 けれど見下ろす目は冷たく、濡れた髪は光を遮る暗い色だった。

 そして、タイがほどけてシャツのボタンが外れ、あらわになった首筋には小さなコイン大の入れ墨。


 ディーナの喉が飲み込むように動き、震えるまぶたが閉じてゆく。

 それを見届けると、男の口角が安堵したように緩んだ。

 男の体がディーナの上からしりぞく。そのまま、脱力した修道女見習いの体を、緩慢な動作でベンチの上へと運び、横たえ。


 それから、崩れるように床に倒れた。

 



 雲が月を隠す。闇が、何事もなかったかのように再び礼拝堂を包み込む。

 倒れた男が浅い呼吸で目を閉じる。



 

 

 二分後、ディーナは音もなく、むくっと起き上がった。


 

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