2
――おそらく一時間後
クソッ……眠れん。
俺はベッドの上で悶々としていた。疲れと空腹で眠気がこない。
あー、しまった。美和から何か食べ物分けて貰えばよかったんだよな。
……が、後の祭りだ。今更そう言いに行くのもマズかろう。もう寝てるだろうし。
むぅ……、空腹すぎて頭が回らんかったな。何てこった。
仕方ない、近所のコンビニまで買いに行くとするか。
俺はまた着替えると、庭に出た。
うーむ。やっぱし寒いぜ。正直、戻りたい。
とはいえ、今更引き返しても仕方がない。敷地を出てコンビニへと向かおうと……
……ン? 何やら妙な音がする。
この方向は……まさかな。確か“アレ”のゴミ袋を置いた方だ。
ヲイ。まだ中で蠢いてやがるのか?
……イヤな予感がする。仕方ねェ。行ってみるか。
念のため、懐中電灯を手にし、足音を忍ばせて進む。
そして庭先の生け垣の隙間から様子を窺った。
と……、
いた。“何か”がゴミ袋を漁ってやがる。
チッ、野良猫か何かか? マズったな。ゴミ袋は二重にしておいたんだけど臭いか何かは漏れてたか? 正直、部屋の中に置いておくにはあまりに不気味なんで外に出しちまったが、物置にでも入れておけばよかったか。
仕方ねェ。とりあえず追っ払うか。
あの南極うどん(仮)が世に放たれるとマズい。それに、もし野良猫なんかがアレ食ったらどうなるか分かったモンじゃないしな。そのせいで床下なんかで死なれても困る。
俺は懐中電灯のスイッチを入れ、ゴミ袋を照らす。
と、ゴミ袋の脇に、小さく丸っこい、茶色い生物がうずくまっているのが見えた。
「……タヌキ、か?」
何でこんなところにそんなのがいるんだ?
にしても、小さいな。母親とはぐれた子ダヌキか?
……ああ、コイツも食い物がないのか。だから、ゴミを漁ろうと……
わかるよ。空腹は辛い。でも、ソイツだけは止めといた方がいい。
俺はさらにゴミ袋とタヌキに近づく。
……ン? 逃げないな。どういうコトだ?
見ると、袋の中に首を突っ込んだまま動かない。
……まさか、食中毒でそのまま?
オイオイ、いくらナンでも……
「……!」
と、その尾がピクリと動いた。
もしかして一心不乱に食べていただけか? そんなに腹が減っていたのか……それとも美味いのか。
う……む。どのみち手遅れか。どうしたモンか。
……いや、ここで見ていても仕方がない。
このまま放置すればどんな被害が出るかわからん。
俺は覚悟を決めてゴミ袋に歩み寄る。
そして恐る恐る覗き込むと……不意に“タヌキ”が顔を上げた。
そして、目があう。血走った目。明らかに異常だ。
ヤバい、か。……!
次の瞬間、
「ヴォッフ!」
「ッ!」
そいつは俺に飛びかかって来た。
「うおっ⁉︎」
咄嵯に身を捻って避けると、そいつも身を翻して着地。そして猛然と突進して来る。
クッ……ソッ!
二度、三度、四度。俺は何とか必死に回避するが、相手は素早い。
気がつけば、左下腕に深い傷。いつの間に⁉︎
マズ、い。このままじゃあ……。
だけど、どうする? 逃げたところで……
そして、逡巡する間もなく……その牙が俺を捕らえようとした。
「ヤバい!」
俺は身構え……
が、その直後、
「ヴッヴォ⁉︎」
“タヌキ”の悲鳴。
そして、目の前で宙に舞う、半ば砕けたビール瓶。
な……何だ⁉︎
「陽介ちゃん! ……大丈夫?」
「美和姉⁉︎」
飛び退き、声の方へと視線を向ける。
母屋の縁側。そこには、美和の姿があった。その左手には、ビール瓶がもう一つ。ガッツリ呑んでやがったのか。
……いや、まてや。そもそも、そんなモン投げつけたらアカンやろ……。
俺は内心頭を抱えた。
いや、人外相手なら問題なしか?
などと考えていると、庭に降りた美和が心配そうに駆け寄ってきた。
そして俺の手を引いて立たせてると、グイッっと俺を抱き寄せ優しく頭を撫でてくれる。
あ……コレ、マジで安心するわ……。
……いやいや、そんなコトで騙されてはイカン。つか、酒臭ェ。
「ま〜た呑んでるのかよ。でも、ありがと」
「どーいたしまして。でも、アレ何?」
ヲイ。
「アンタが培養したうどんを野良タヌキが貪り食った結果がアレだよ! どーすりゃいいんだ⁉︎」
俺は慌てて美和を引き剥がすと、指差す。
「えっ? あの……」
その先を見、なぜか惚けたような顔をする美和。
「あの子? あそこにいるのは、あたしと陽ちゃんの娘だよ?」
「ンな訳あるかい! ……へ?」
先刻の“それ”を見ると、“タヌキ”が変貌しつつあった。立ち上がり、手足が伸び……そして体毛が消失していく。そして鼻面が引っ込み……。まるで、一歳くらいのヒトの子供の様に。
……どうなってやがる?
「あ〜、カワイイねぇ。おいで、おいで~」
一方、美和は両手を広げてその“子供”を呼び寄せる。
……へ?
「いやちょっと待て」
俺は慌ててその腕を掴み、それを止めた。
「え〜、ちょっと何よ〜。育児に協力しない父親ってサイテーよね」
「ヲイ……」
洗脳されてやがる。俺が“アレ”の父親ってか。ヤツには精神を操る事ができるのか?
いや……美和がただの酔っ払いなだけかも知れんが。
「ちょっと待った。つか何で俺たちの子供設定なんだよ。そもそも産んだ覚えあるのかよ。どの病院で、いつの事だ? 母子手帳とかあんのかよ」
「えっと……アレ?」
俺の言葉に、頭を抱えてへたり込む美和。
「でも、クリスマスとか……バレンタイン? 確かその辺で陽ちゃんと何かあったよね? ……多分」
「何もねーよ」
これは確信を持って言える。少なくともここ二年間、美和はクリスマスやバレンタインに俺や他の男とのそういう接触自体がなかったのは確かだ。
……その時は俺がひたすら愚痴を聞いていただけだしな〜。
何でも研究室の新人二人が付き合ってたとか、その後に結婚しただとか……
おかげで合コンにも行けなかったぜ。チクショーメ!
……それはともかく。
「だから、ソイツを……」
『ママー!』
美和の懐に飛び込む“ヤツ”。
そして美和は“ヤツ”を抱きとめる。まるで我が子の様に。
いやちょっと待てや。
「美和姉、待て!」
俺は両者を引き離そうとし……
「⁉︎」
ヤツの身体から“白くて細長い何か”が生えていた。
コレはあの“物体X”!
“子供”の身体を突き破ったのか? いや……違う。身体の一部が変形している?
……どちらにせよ、アレに取り込まれたら異形と化してしまうのか。
何としてでも美和を救い出さねば。
「おい、美和姉!」
声をかけるが、反応はない。虚な顔で、変わり果てた“ヤツ”に包み込まれていく。
……仕方ねェ。
彼女の肩に手をかけ、引き剥がそうとする。
だが、その手をうどんが絡みとった。
クソッ、俺も巻き添えか。助けを呼ぶべきか? ……とりあえず警察でいいんかな?
ポケットのスマホに手を伸ばし……
「チッ!」
その手までも巻きつかれた。
意外とコシ……じゃねぇ、力が強い。
このっ……グゥ……ッ、ダメか。引き剥がせん。そうする間にも、さらに纏わり付かれる。
チッ……どうやら脱出は難しいようだ。
それでも足掻き続けるが、身体中がうどんに絡めとられていく。
何とも……ならないのか。
父さん、母さん、もしダメだったらごめん。伯父さんと伯母さん、美和を助けられなくて申し訳ない。
……そう思った直後、
『〜〜ッ!』
悲鳴じみた“声”。“ヤツ”が大きくその身を震わせた。
何だ?
その直後、
「ふへッ? 何コレ? 一体どうなってるの?」
美和が素っ頓狂な声を上げた。
何だ? 正気に戻ったのか?
「美和姉! 大丈夫か?」
「だだだッ、大丈夫じゃないって! ななッ、何でこんなのに絡みつかれてるの⁉︎」
う……む。操られてた時の記憶はないか。
まぁ、いい。
美和が正気に戻った原因は何だ?
幾らか締め付けが緩んだので、幾らかは身体を動かす事ができる。
何とか視線をめぐらし……
……おっ?
どうやらうどん触手は美和の腹のあたりを避けている様だ。
もしかしたら、そこに“何か”ある。
……よし。
迷っているヒマはない。そのあたりに手を突っ込み、まさぐる。
「え? ちょっ、あっ……待って! そんなトコ触んないで!」
「あっ、ゴメン。ケド、今はそんな場合じゃねーんだよ」
美和の抗弁。
……健康な成人男子としては少々刺激もあったが今は、無視だ!
そして……