自然の契約――移植と対価②
大人によって連れてこられた私は、恐る恐る暗闇の中を進んだ。左右前後を見ても広がっているのは闇一色の世界。いったいここに何があるの? ふとそう思った時、突然体から力が抜けた。
「……えっ?」
どうして? 体からいきなり力が抜けたの? 私は体に力を入れて立ち上がろうとする。でもいくら力を入れても、体は言うことを聞いてくれない。
「な、なんで……!?」
嫌な汗が額に浮かんだ。こんな真っ暗な闇の世界で、体が言うことを聞いてくれず、もしかしたらこのままずっと一人きりなんじゃないかって思った。
「や、……やだ!」
怖くなった私は両手で顔を覆った。体を小さく丸めて、恐怖で体を震わせて居た時、顔を覆っていた両手の隙間から微かな光が入ってきた。
「……っ?」
その事に気がついた私は顔から両手を離し、ゆっくりと顔を上げた。そして目を見張らせた。
目の前に存在したもの。それは青緑色の光を放った大きな結晶体だった。
さっきまで闇一色の世界が広がっていたのに、結晶体から放たれる温かい青緑色の光によって、辺りが徐々に明るくなって行く。
その光景を私は目を瞬かせながらじっと見ていた。すると自然と体に力が入ると、今度は立ち上がる事が出来た。
そして次の瞬間――
「かはっ!」
今度は私の体を青白い光が貫いた。そのせいで目の前が一瞬暗くなり、視界が大きく歪んだ。ドクドクと体の中に何かが流れ込んでくる。胸の辺りが熱くなってくる。
「はぁ……はぁ…………はぁ!」
結晶体から私へと放たれた光線は徐々に細くなってくると、ぷつりと糸が切れるように途絶えた。
その瞬間、体の中に何かが出来上がるのが分かった。でもそれが一体何なのかは分からない。でも確かに私は感じた。胸のした辺り――『心『と呼ばれる物が存在している器のなかに、ずっしりと思い何かがあった。
「あ……あつい……!」
体は発熱を起こしていた。それはいきなり体の中に異物を与えられた事による衝動なのか、それともその異物を排除しようとしている本能によるものなのか。
私はアースに助けを求めるように、扉に向かって手を伸ばした。
「……アース」
小さく彼の名前を呟いた時、一瞬だけ声が聞こえた。
『ではお前の対価をいただこう』
対価? 対価って一体なに? 何を言っているの?
『これよりお前は――SEEDだ』
その声を最後に聞いた私は意識を手放した。体から熱が引いていくのを感じ、体内にある異物が徐々に馴染んでくるのを感じながら、私の意識は闇の中へと誘われた。
☆ ☆ ☆
「っ!」
そこで私は目を覚ました。
「……夢?」
私は体を起き上がらせて、部屋のあちこちへと目を配った。そして自分が今居る場所が自室だと分かると、そっと胸を撫でおろした。
どうしてあの時の夢を今思い出したの? あんな……十年前の事を……。私がSEEDになった日の事を。
私はさっきの夢を振り払うために頭を左右に振る。しかしそれで気持ちが晴れるわけじゃない。きっと今日はもう眠る事は難しいと思う。
そう思いながら隣りへと目を向ける。
「あれ?」
隣りにあるベッドの中は空っぽだった。いつもだったらそのベッドには彼が居るはずだ。もう夜中の三時を回っているって言うのに、ジュースはどこへ行ったのだろう?
私はベッドの下にしまっておいたスリッパを引っ張りだし、それを履いて部屋から出た。入口近くの机の上に置いてあったランプを掴んで明かりをつける。
こ時間帯だとサテラちゃんたちはぐっすりと眠っている。だから起こさないように、なるべく足音を立てないように、階段を下りて一階の談話室へと向かった。
すると談話室の扉が薄っすらと開いていて、中の明かりが漏れている。
「まさかまだ起きているの?」
首を小さく傾げ、談話室の扉の前に立った。薄っすらと開かれた隙間から部屋の中を見ると、ジュースがソフアに座っている姿が見えた。
彼の姿を確認出来てホッとした私は、扉近くの机の上にランプを置いた。そして気づかれないように扉をゆっくりと開け、忍び足でジュースへと近づいていく。
ジューシは読書をしているのか、どうやら私が来ている事には気づいていないようだった。それならちょっとおどかしてみるのはどうだろう? 何てちょっとした悪戯心が芽生える。
普段驚いたジュースの姿なんて滅多に見る事は出来ないから、ちょっとおどかしてその顔を拝むのも面白そう。そう思って一歩前に踏み出した時、ジュースは読んでいた本をパタリを閉じた。
「っ!」
読んでいた本を机の上に置いた彼は、掛けていた眼鏡を取ると冷たい目で私を見てきた。
「アリア……こんな時間にお前は何をしているんだ?」
「えっ、えっと…………お、お散歩かな?」
「そんなわけないだろ」
彼は私の発言を一刀両断した。もちろん私だって無理のある言い訳だって思った。でもそんな直ぐに斬り捨てる事はないと思う。
「じゃあ、そういうジュースは何をしているんですか? 目が覚めて隣を見たら居なかったので、少し心配しました」
私は頬を膨らませて彼の隣りへと座った。
そんな私の姿を横目で見ている彼は、机の上に置いてあったティーポットを持って立ち上がった。
「眠れないようなら、紅茶でも淹れますか?」
「えっ? ……ううん、大丈夫ですよ」
「そうですか?」
ジュースはそう言ってティーポットを机の上に戻すと、隣にゆっくりと座り直した。そんな彼の姿をじっと見ていると、今度は彼と目があった。
「……」
「……」
そしてお互いに見つめ合ったまま無言の時間が流れ始める。
こうしてじっくりとジュースの顔を見ると、本当に整った容姿をしていると思う。ジュース本人は知らないと思うけど、SEED内では密かに彼の『ファンクラブ』と呼ばれる物があるらしい。なんでも彼の事を好きな女の子たちが作ったクラブらしいけど、一体どんなクラブなのかは知らない。
「ねぇ、ジュース」
「何ですか?」
彼はじっと私の顔を見つめたまま言う。さすがにこうもじっと見つめられると恥ずかしいんだけど……。
「そ、そんなに見られると恥ずかしいです……」
「あっ…………つい」
「つ、ついってどういうこと?」
彼の言葉に私は首を傾げる。つい、なんて言われてしまったらその理由が気になるのは当然だ。ついずっと見てしまっていたって事はもしかして――
「まさか……私の髪どこか変ですか!?」
「…………はっ?」
ジュースはぽかんとして目を瞬かせた。しかし私はそんな彼の姿が目に映らず、慌てて自分の髪を手櫛で解かした。
さっきまで寝ていたから、髪に変な癖が付いていたのかもしれない。ジュースはそういうこと言ってくれる人じゃないから、視線で伝えようとしてくれたんだ。そう解釈した私は、ある程度手櫛で肩先まである蒼色の髪を整える。
そんな私の横でジュースが半ば呆れながら、額に手を当てていたとも知らずに。
☆ ☆ ☆
「えっ! ジュースも眠れないんですか?」
「…………寝れるわけないだろ?」
髪を手櫛で解かしていた私の姿を見兼ねたのか、ジュースは奥の部屋から櫛を取ってきてくれると、優しい手付きで髪を解かし始めてくれた。
「どうして眠れないのですか?」
「それは……」
彼は話したくないのか、黙り込むと手だけ動かして髪を解かし続ける。
「そういうアリアはどうして起きてきたんだ? いつもだったらこの時間帯は寝ているだろ」
「あっ……それが、ちょっと嫌な夢を見ちゃって」
「夢?」
彼は首を傾げながら櫛を机の上に置くと、今度は髪の癖を取るスプレーへと手を伸ばす。
「私が……SEEDになった日のこと」
「っ!」
スプレーを取りかけた彼は驚くと、指先が掠れたスプレーはそのまま床を転がった。
転がっていくスプレーを見送ったジュースが、拳に力を込めると私へと向き直った。
「まさか今日の会議の話が原因ですか?」
「……多分」
多分じゃない。絶対にそれが原因だって内心では分かっていた。そうでなくちゃ、あの時の事を夢で見るなんておかしい。だってあの記憶は……思い出したくもない。
「ねぇ、ジュースは知ってる? 自分が何を対価として奪われたのかを」
「…………さあ、分かりませんね」
ジュースは床に転がったスプレーを回収すると、机の上にそっと置いた。
「一体何を対価として奪われたのかなんて、今の俺にとってはどうでも良いことだ。そう思ってしまうくらい、きっと取られた物は自分にとって大事な物じゃないってことだろうからな」
「そっか……」
私たちは種結晶を移植された時に、それぞれある物を対価として奪われているらしい。しかしそれが一体何なのか自分たちは知らない。
対価として奪われる物は人によって違う。記憶、感情、心――対価として支払ったそれは、永遠に戻って来る事はない。だからジュースのように誰も気にしたりしていない。
私だってそうだった。自分が一体何を対価として奪われたのか、考えたことなんてなかった。でも……あの夢を見る度に、心のどこかでは思ってしまう。対価として奪われたそれは、自分にとってどういう物だったのかって。そしてそれはどこへ消えてしまったのか。
「アリア。あまり考えるな。お前の体に障る」
「ジュース……。ありがとうございます。そうやってジュースはいつも、私のこと気にしてくれますよね」
私の言葉にジュースは目を細めた直後、いきなり私の手首を掴むとぐっと体を自分の方へと引き寄せた。
「え……?」
目を瞬かせた時、ジュースの顔が目の前にあった。彼の深緑色の瞳の中に、驚いた表情を浮かべた私の姿がある。その瞳にじっと見つめられた時、先に口を開いたのはジュースだった。
「当たり前ですよ。だって俺は、あなたを守るのが使命なんですから」
「……っ」
彼は真っ直ぐな顔でそう告げた。『あなたを守るのが使命なんですから』――その言葉を聞いて、私は表情を曇らせる。
「私は……あなたに守ってもらう資格なんてありません。そんな事して、あなたまで居なくなってしまったら……私は!」
「約束したからな」
「っ!」
ジュースは手首から手を離すと、私の髪に付いているヘアカフスを指先でそっとなぞった。
「俺は絶対に約束を破らない。例えこの身が滅びて朽ち果てようとも、俺は必ずお前の側に居る。そしてお前を守る」
「ジュース……」
涙が溢れた。彼の気持ちが嬉しいからじゃない。彼を縛っている事に涙が出てしまったんだ。ジュースはずっと、あの時から約束を守り続けてくれている。それが彼にとって大事な約束であったとしても、私にとってそれは辛い物だった。
こんな気持になってしまうのなら、あの時持っていかれた対価が『感情』だったら良かったのに……。