自然の契約――移植と対価①
十年前まだ七歳だった私は、アビスによって目の前で両親を殺された。地面には血の海が広がり、アビスは美味しそうに両親の血肉を食らいながら血をすすっている。
あるアビスが右手を鋭い爪へと変形させると、死んでいる両親の体に向かって右手を差し込む。グリグリと右手を動かしていると、体の中で何かを見つけたのか、ニヤリと笑ったアビスは体の中から何かを取り出した。
アビスが体の中から取り出したそれは、白い宝石みたいなもので、宝石の周りには金色の光が一周するように飛んでいる。アビスは変形させた右手を元に戻すと、それを大口をあけてゴクリと飲み込んだ。
その光景に私はわけが分からず、恐怖のあまり逃げ出す事が出来ないでいた。そのせいである一匹のアビスに見つかり、これから自分も両親のように殺されるんだと思った時、突然アビスの体を鋭い刃が貫いた。
「ぎゃはぁはぁぁあああ!!」
左胸を貫かれたアビスは、そのまま白い砂と貸して消えてしまい、アビスが立っていた場所に白い砂が山を作る。
「っ! おい、生存者が居るぞ!」
「ひっ!」
私は恐怖で体を震わせながら、口をパクパクとさせて頭を左右に振った。アビスが目の前で消える光景が脳裏に焼き付いて消えなかった私は、これから自分も同じ目に合うのだと思った。
そのせいで頭の中が酷く混乱し、何を見ても恐怖の対象でしかなかった。
「だ、大丈夫だ! そんなに怯えるなって」
そう言って金髪の男性は優しい手付きで、私の震える肩に手を置いた。
「っ!」
恐怖が頂点に達した私は、そのまま気絶してしまった。
「お、おい大丈夫か!」
「ユ……ス。ど……た」
「あ、……の子……だけど」
消えゆく意識の中で、誰かが何かを話していたのを覚えている。でも怖かった私はそれを思い出すのが怖くて、記憶に蓋をしめた。自分の心にも、そして……声にも。
☆ ☆ ☆
目を覚ました時、私はトラックの荷台に乗せられていた。
「……っ」
ここはどこ? そう思って左右に目を配ると、周りには自分と同い年くらいの子たちが、膝を抱えて座り込んでいた。荷台の周りには逃げられないように鉄格子が付けられ、まるで私たちの扱いが動物みたいに思えた。
一体何が起こっているのか分からなかった私は、すぐ近くにあった木箱の後ろに身を小さくして隠れた。他の子たち同様に膝を抱えて顔を埋めた時、突然声を掛けられた。
「あっ! やっと起きたんだね。ねぇ、大丈夫?」
「っ!」
声を掛けられた私は、恐る恐る頭を上げて少年の姿を瞳に映した。風に揺れる金髪に、優しく細められる緑色の瞳。とても可愛らしい顔立ち。
「僕の名前はアース。君の名前は?」
「……っ」
私は彼に自分の名前を名乗ろうとした。しかし声が出ない事に気がついた私は涙を浮かべた。そんな私を見てアースは慌てると、ズボンのポケットからハンカチを取り出して、それを私に差し出してきた。
「な、泣かないで! 大丈夫だよ、僕は君の味方だから」
「…………」
差し出されたハンカチをじっと凝視してから、私は少し薄汚れたハンカチを受け取った。すると彼はポケットから手帳を取り出すと、それをペンと一緒に私へと差し出す。
「良かったらこれに名前を書いて教えて。字はかけるよね?」
「……っ」
彼の問いかけに私は頭を左右に振った。当然、彼は私の反応に目を見張った。
七歳になる普通の子なら字の読み書きが出来て当然だ。でも私にはそれが出来なかった。
私の家は貧乏で、学校に行けるお金を払う事が難しかった。本だって一冊も家になかったし、両親は共働きで夜遅くまで帰って来なくて、私に字を教えてくれる人なんて誰もいなかった。
だから字は書けないし読むことなんてもっと出来ない。だから自分の名前を伝える手段がなかった。
「う〜ん……じゃあ、こうしよう!」
アースは何かを思いついたのか、手帳に字を綴った。その光景をじっと見ていた時、彼は字を書き終えたのか、手帳に綴った文面を私に見せてくれた。
「この中から選んで。仮の名前になっちゃうけど、君の本当の名前は話せるようになった時に聞くよ」
「……っ」
私はアースの顔と目の前に掲げられた手帳を交互にみた。そして彼が考えてくれた三つの名前の中で、私は真ん中に書かれていた名前に指をさした。
「そっか、やっぱり君もこの名前が一番良いと思ったんだね」
彼は手帳のページを一枚破ると、今度は私が決めた名前を大きな字で綴ってくれた。
「これはね『アリア・グレイシス』って読むんだよ」
アリア・グレイシス――その名前を彼に教えて貰った時、なぜか胸の辺りが温かくなった気がした。
アリア……アリア……アリア――
そう何度も自分の名前を心中で呟いた時、自然と笑顔が浮かんだ。
「あっ! やっと笑ってくれたねアリア」
アースはなぜか嬉しそうに笑顔を浮かべると、何度もうんうんと頷いていた。どうしてこの人は、自分の事のように笑ってくれるんだろう? そう不思議に思っていたけど、どうしてだか彼の笑顔を見ていたら私も笑っていた。
さっきまで体が恐怖で支配されていたはずなのに、いつの間にかその恐怖もどこかへと行ってしまっていた。アースのおかげだと思い、感謝を言葉に出来ない事をもどかしいと感じながら、いつか必ず彼に『ありがとう』と告げようと、心に決めたのだった。
☆ ☆ ☆
「おい、ガキ共。とっとと入れ!」
トラックの荷台に乗せられた私たちは、大人たちによってある施設へと連れて来られた。
施設の中は研究施設の跡になっていて、長く使われていなかったのか、壁のひび割れたところから木の根がはみ出ている。
私はアースに手を握ってもらいながら、彼の後ろに隠れるようにして身を縮こませていた。
「いいか、よく話を聞けよ。今からお前たちには、『自然の契約』を受けてもらう」
「自然の契約?」
その言葉にこの場に居た子たち全員が首を傾げた。
「まあ、そんなに深く考えることはねぇ。お前たちはただ、じっとして居ればそれで良いんだ」
と、大人の男性が面倒くさそうに言うと、子供たちの顔写真が映った名簿リストへと目を通す。
「んじゃ……まず、お前からだ」
男性が手を伸ばした子供は、私とアースの直ぐ目の前に居た男の子だった。
「や、やだ! 怖い、怖いよ!!」
男の子は泣き叫びながら、男性の手を振り払おうとする。そんな男の子に苛ついたのか、男性は男の子の首根っこを掴むと、そのまま置くの部屋へと放りなげた。奥の部屋に待機していた大人がその子をキャッチすると、男の子を連れて奥へと消えて行った。
その光景をアースは表情を歪めながら見つめていた。そして直ぐに奥に連れて行かれた男の子の泣き叫ぶ声が部屋の中を反響した。
「っ!」
その声はただ泣き叫んでいる声じゃなかった。声から苦痛と恐怖の感情を感じた私は、怖くなって両耳を塞いだ。他の子達も怯えるように頭を抱えたり、泣き始めたり、怒りを露わにする子たちが居た。
でもアースだけは、じっとその声に耳を傾けたまま、男の子が連れて行かれた先を見つめていた。
「……?」
アースの顔を見上げた時、奥の部屋に連れて行かれた男の子が、別の大人に抱き抱えられて戻って来た。
「かっ……はっ……はっ…………」
「っ!」
大人に抱えられて出てきた男の子は、白目を向きながらぐったりとして泡を吹いていた。
「じゃあ、次行くぞ〜」
と、男性は次に近くに居た私と同い年くらいの女の子の腕を掴んだ。
「い、いやっ!」
嫌がる女の子を無理やり別の大人に託した男性は、次々と適当に子供を選んで奥へと連れて行かせる。そして奥の部屋から帰って来た全員は必ず、白目を向いて泡を吹いているか、失神して戻って来るかのどちらかだった。
「じゃあ……次はお前だな」
「っ!」
男性と目があった私は顔を青くした。今度は私が連れて行かれる! そう思った時、私は周りで倒れている子たちに目を配り、自分もこうなるのではないかと思った。
怖い、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!
男性の手が私へと伸ばされた時、その手をアースが払い除けた。
「おじさん、この子は僕の後で良いかな?」
「なんだ、自分から先に行くってのか? 珍しいガキも居たもんだな」
男性はそう言って鼻で笑うと、持っていた名簿リストに赤い丸印をつける。
「お望み通り行って来いよ。もし無事に戻って来たらそん時は褒めてやる」
アースは男性の言葉を無視して私の手を放すと立ち上がった。
「……っ」
アースを呼び止めたかった。行かないで、側に居てほしいと言いたかった。でも声を出せない私はそれすら伝える事が出来ない。それが悔しくて、悲しくて、辛くて――
「大丈夫だよ、アリア」
アースは最後に私の方へ振り向くと軽く笑みを浮かべた。
「僕は大丈夫だよ、アリア。だから待ってて」
「……」
アース……。
心中で彼の名前を呼んだ時、彼は男性によって奥へと連れて行かれた。
☆ ☆ ☆
それから数十分後にアースは無事に戻ってきた。他の子たちと違って、アースだけ長い時間戻って来なかったから、彼の姿を見た私は思わず涙をこぼしながら駆け寄った。
「ほら、アリア。僕は平気だって言ったでしょ?」
「……っ」
その言葉に小さく頷いた時、男性はアースから私を引き離した。
「おい、クソガキ。約束通り次はこいつだ」
体が震えた。そうだ、アースが戻って来たから、今度は私の番なんだ。
私は奥に見える暗闇へと目を向ける。そしてその奥から嫌な気配を感じ取った私は、今直ぐこの場から逃げたい衝動に狩られた。でも怖くて体を動かす事が出来ない。逃げたいのに、逃げ出す事が出来ない。
「アリア!」
「っ!」
その時、アースがギュッと私の手を握ってくれた。
「大丈夫。大丈夫だから、アリア」
「…………」
彼の『大丈夫だよ』と言う言葉が私に中で響きわたった。大丈夫……大丈夫――アースと同じく、私は自分にそう言い聞かせた。
そして覚悟を決めて、私は大人に連れられて奥の部屋へと入っていった。