もしかして私、悪役令嬢に転生したんですか?
初投稿となります。
設定ゆるゆるですが楽しんでいただければ幸いです。
ゴスッ!
「ヴッ……!」
どさっ。
仕事帰り。考え事をしながら夜道を歩いていた私は、誰かに後頭部を殴られ、女らしからぬ声をあげてアスファルトに倒れ込んだ。
どのくらいそうしていただろう。周囲の明るさに気づき目を開ける。
朝か。よかった、死んでなくて。
硬く冷たいアスファルトから離れるため、身を起こそうとした。が、
硬、く……ない……!?
黒い地面を確かめようと目を向けると、そこは道ではなく、幾何学模様のふかふかの絨毯だった。
「あっれー……?」
見渡す限りふかふか。地平線か。
「おや、お嬢様にしては珍しいですね。ステップを、ふ、フッ、踏み間違えた上、転、ブフッ……失礼。」
わけがわからず呆気に取られていると、頭上から男性の声が響く。
笑いを買った恥ずかしさに耐えきれず、思わず私はそいつに向かって叫んでいた。
「う、うるさいわねアルバート!怒るわよ!」
待って、アルバートって誰?私今無意識にこのイケメンから差し伸べられた手を取って立ち上がっちゃったけど、え?そうよ、アルバートは私の執事よ。数年前から公爵家に来て、時々ムカつくけど、なんとなく気が合うのよね……って、あれ?さっきまですごく遠くでヴァイオリン弾いてなかった?……じゃなくて!どうして私はこのイケメンと知り合いなの?いや執事って何?待って脳みそが追いついてない!
「セシリアお嬢様!支えきれず転ばせてしまい、あの…本当に申し訳ございませんでした!」
練習相手の男がなにか喚いているけど、うっさい、今はお前の相手をしている場合じゃない。っていうかなんでこんな下手くそな男と踊らなきゃいけないのよ!はぁ。もうなんでもいいからモブ男は黙って帰れ。
整理しよう。
私はセシリア・モルターナ。モルターナ公爵家の長女で、この国の王子の婚約者。今は来月のデビュタントのために、なんでもできる執事のアルバートの演奏のもと新曲のダンスを練習中。
うん、間違ってない。
待って待っておかしい。間違ってはいないのだけれど、なにが「私はセシリア・モルターナだ」だ。私は昨日の夜まで会社員として仕事をしていて、殴られて、気がついたらここに……
記憶がゴミ箱をひっくり返したみたいにぐちゃぐちゃだ。
「少し休ませて頂戴。」
頭を抱えながら、ホール端の椅子に座る。
「お嬢様?」
頭でも打たれましたか?とアルバートの淡いブルーの瞳が私の顔を覗き込んでくる。
「いいえ、なんともないわ。」
うん、殴られたと思ったけど後頭部も痛くはない。ふかふかの絨毯のおかげで体も何ともないし、あ、ちょっと足を捻ったかもしれない。
アルバートは私に異常がないか確認しようとしている様子だが、このくらいは大丈夫だってば。
そんなことより、だ。
夜道でくたばっていた記憶と、ダンスの練習をしていた記憶が同じ時系列で流れていたのだから訳がわからない。
何なら、取締役として商談を纏めていた記憶と、王子妃となるための教育を受けていた記憶も入り混じっている。
取締役をしていた頃の私は、主にゲーム開発に力を入れていた。中でもヒットしたのは『平民なのにプリンセスってどういうこと?』という、文字通り、平民出身の女の子が王子の妃になるという、そこらにありがちなストーリー。もちろん他の貴族とのルートもあって、ハーレム展開なのはお察しだろう。
ありふれたゆるゆる設定ながら支持された理由は、数多くのブライダル衣装を手掛ける有名なドレス会社とタイアップしていたからだ。芸能人が着用した雑誌の特集が組まれたし、コスプレイヤーの影響もあり、若いカップルを中心に広まっていったのである。
よくやったぞ、乙ゲー事業部。
ちなみに私はノータッチである。上がってきた企画に目を通したり、飲み屋で知り合ったドレス会社の社長や、同級生である雑誌の編集長に声をかけたぐらいしかしていない。
もちろんゲームもプレイしていないので、キャラクターの容姿はパッケージの王子と平民少女をぼんやり覚えているくらいだし、「王子が令嬢との婚約を破棄して学園で知り合った平民少女のヒロインと恋に落ちる」という、ある程度のシナリオしか知らないのである。
こんなポンコツな私でよく取締役が務まったものだ。有能な右腕のおかげか。彼とは良いパートナーだった。それは私生活においても。
大学時代、居酒屋でバイトしてた時に出会って、彼の注文に「はい喜んでー」ってテンプレの返しをしたらすっごく馬鹿にされたんだっけ。その後会社を立ち上げて、彼が面接に来たときはさすがに運命じゃないかって思っちゃったんだけど……なんて、ふと私にプロポーズしたっきりぽっくり死んでしまった彼を思い出してしまった。
うん、これが前世の私。前世のってことは、やっぱり私死んでるのね。
こういうのって転生してもちゃんと覚えてるもんだなあ。私の海馬さんは働き者だ!
……ちょ待てよ!
働き者だ!じゃないわよ。
数秒前の海馬さん、「王子が令嬢との婚約を破棄」って言いました?
待って待って待って!王子って第二王子のことよね?この国の王子は三人いるけど、第三王子はまだ4歳だし、第一王子なんて失踪したって噂だし、現実的に婚約できるのは第二王子しかいないのよ!しかもストーリー内では「王子を取られた令嬢がヒロインを妬み数々の嫌がらせを行なう」……ああもう、これじゃ私が悪役令嬢じゃないの!
婚約破棄なんてされたら今までの妃教育や殿下への気苦労が全部無駄になっちゃうじゃない!なんとか殿下に好かれようと思ってにこにこにこにこ過ごしてきたのに!
あと、この国の貴族たちは婚約解消ってだけでバツイチと同じような扱いをするんだから!やばいよやばいよ!何としてでも阻止しなければ!
「ふぅ。もう大丈夫よ。アルバート、あなたが相手をしてくれる?」
転生とわかったならあとはストーリーの展開を阻止するだけだ。きっと私ならやれる。
「かしこまりました、お嬢様。では奏者を呼んで参ります。」
アルバートは執事のくせにヴァイオリンの演奏もできて、ダンスも完璧なのだ。いつもはアルバートのリードでダンスを練習するけど、今日は演奏を聴きたい気分だったのだ。
さっきだって、綺麗な音色にステップの意識が逸れてしまったから、転んだの。私は悪くないんだから。
「あ、あの、お嬢様!先程は申し訳ございませんでした!緊張してしまって、あの、お怪我は……」
「もういいわ。」
深々と頭を下げるモブ男。ガタガタ震えすぎじゃない?そんなに公爵家の空調は心地の悪いものではなくってよ。っていうかまだいたの?公爵家のご令嬢を転ばせるなんていい度胸してるわね。この仕事向いてないんじゃないの?知らんけど。
そそくさと部屋から出て行くモブ男はもうどうでもいい。アルバートが奏者を連れて戻ってきたので練習再開だ。
あ、そうそう。私ちょっと恥ずかしがり屋なので、ダンスの練習は極力少人数でやってるの。
ヴァイオリンの音色に合わせて左右に揺れながらステップを踏み始め……られない。足首が痛い!待って!タイムを要求するわ!心の中の審判が笛を吹きながら両手でTの字を作っている。
「お嬢様、やはり。」
「ごめんね、アルバート。あなたとなら完璧に踊れると思ったんだけど、難しいみたい。」
なんてか弱いんだご令嬢!前世の私だったらこれしき何ともないはずなのに!
「仕方ありませんね。」
そう言うとアルバートは自分のタイで私の足首をきゅっと結んで、いわゆるお姫様抱っこで部屋まで運んで、処置もしてくれた。
おお、なんてデキる男なのかしら。
このスーパー執事っぷり、アルバートも攻略対象なのかな?平民少女と公爵家の執事……うーん、接点ないか。
次の日、トーマス殿下が私の怪我を聞きつけ見舞いに来てくれた。
「まったく、ダンスの練習で転ぶなんて。デビュタントで俺とちゃんと踊れるんだろうな?」
テーブルを挟んで威圧的にそう話すトーマス殿下は、花こそ持ってきてくれたものの、その言い方、どう見ても見舞いの姿勢ではないだろう。
「申し訳ございません、殿下。婚約者たる者、デビュタントでの失敗は許されないだろうと、少し張り切りすぎてしまったようですわ。」
婚約者、という単語に、トーマス殿下の眉が誇らしげに動く。
「ふん。そうだな。本番で失敗されるよりはマシだ。お前は俺の婚約者なんだから、せいぜい恥を晒さぬよう努めることだな。」
そう言って帰って行く姿は、どこか満足そうである。トーマスくん、将来の妻に向かってただただ亭主関白な感じだったな。でもちゃんとお見舞いに来てくれたんだから優しいじゃないか。うん。
私の怪我は、スーパー執事の処置の甲斐あってかすぐに痛みも引き、ダンスの練習は完璧だった。
今日のデビュタントのために、トーマス殿下から賜ったドレスで自身が彩られる。
トーマス殿下の瞳の色に合わせた真っ赤なドレス。こんなドレスも雑誌に載ってたな、あの黒髪の綺麗な女優さんによく似合ってたな、と思い出し、銀色の髪の私にはあんまり似合わないというか、ちょっと派手すぎる気がして、思わず苦笑がこぼれる。
トーマス殿下は性格も派手、いわゆる俺様な質で、婚約した当初は彼が新しい世界の幕を開けてくれたような、そんなところに惹かれたこともあったっけ。前世の私も相俟って、今思えばプライドばっかりのすっからかんにしか見えないのだけれど。
トーマスくん、顔は可愛いんだけどな。
それでも私は王子妃として、この人を、国を支えていかなければならないのだ。
そんなことを考えているうちに、馬車が王宮の会場に着く。
お迎えに来てくれたトーマスくんが馬車の道中、終始得意げになにか話していたけど、ごめん私前世からそういう男好きじゃないんだよね、使えるコネは使ってきたけどさ。すまんすまん。
最近、令嬢としての思考に前世の私がチラつくからいけませんわ。
トーマス殿下の手を取って、会場に入る。国王や王妃への丁寧な挨拶も欠かさない。にっこり、と笑って締めくくる。完璧。
今日はアルバートがいないから心細いけど、王様もお妃様もいずれ義父母となるのだし、裏表のない、温かく迎え入れてくれる結構いい人たちなのよね。
そういえばアルバートは、私が登城するときや殿下がうちを訪れるときは、絶対そばにいてくれないの。そんなに王族が嫌いなのかしら。
ちょっぴり不安だった新曲のダンスも無事に踊りきることができて、美味しい美味しい王宮のお料理もちょっぴりだけど食べることができたし、まあ満足。
トーマスくんには「セシリアは食い意地がすごいな、結婚すれば毎日食べられるのにな」って言われたけど、ほざけ、婚約者そっちのけで他所の令嬢をダンスに誘って楽しそうに話してたくせに。「私だけのトーマスさまぁ〜私を置いて行かないで〜」とか言うとでも思ってんのか。
帰りの馬車もそれはそれはつまらなかった。やれどこの伯爵令嬢は俺のことを好いているだ、商人のなんとか家は元平民だが俺の力で男爵になれただ、その娘がどうのこうの……彼の言葉の端々を覚えているだけでも褒められていいくらいだ。
家に着いたらアルバートにお茶を淹れてもらおう、そればかり考えていた。
家に着いてもアルバートの出迎えはなかった。
でも部屋に入るとハーブを煎じたいい香りがして、お茶の準備をして待っててくれていたようだった。
「ただいま、アルバート。なにかもらえる?喉が渇いちゃって。」
「おかえりなさいませ。お嬢様には気疲れしやすい空間でしたでしょう。冷たいハーブティーを用意してございます。どうぞ。」
ガラスのカップには透き通った琥珀色。ほどよく冷たく、スッキリとした飲み心地で、疲れた身体に沁み渡る。ふう、と息を吐くと全身の力が抜けていくようだ。
「アルバート、とっても美味しいわ。あと、寝る前に温かいのが飲みたい。」
素直に気持ちを伝えると、アルバートは安堵の表情を浮かべたように少しだけ笑った。さすがは年上というか、余裕そうな顔がいつも私を安心させてくれる。周りに人がいないときに少し砕けた口調で話してしまうけれど、それも叱らずに受け入れてくれる彼は、とっても私の癒しになっている。
「そうですか、かしこまりました。湯の支度はできておりますので、お嬢様の時間の良い時に。」
「ありがとう。」
今日は疲れたから早く休んでしまおう。
仕事でもヒールは慣れっこだったけど、お嬢様のヒールって高いのね、どんな商談よりも疲れた気がする。
侍女の付き添いのもと、お風呂に入る。あったかいお湯に浸かり、アロマオイルやシュガースクラブでマッサージされると、とっても気持ちがいい。お姫様になった気分。ああ、まあ…お嬢様ではあるんだけどね。
心も体もぽかぽかになり部屋に戻ると、またちょうどよくアルバートがお茶を準備して待っててくれていた。
ソファに腰を下ろすと同時に、「どうぞ。」とテーブルにお茶が置かれる。カップもソーサーも、ポットのお茶さえも音を立てないあたり、この人はなにか魔法をかけているのではないかと思う。なんでもできるし。
まあ私もそれなりの嗜みはあるけれども。
熱すぎない温度は猫舌の私好みで、ハーブのふわっとした香りとほんの少しの香ばしさが眠気を誘う。あー、これはだめだ。どうしてもまぶたが重い……これも魔法なんだろうか……
「まったく、またそこで寝るんですか。」
「あなたはまほうつかいなのー?」
睡魔に襲われて思わず言葉が間延びする。
「寝言ですか?」
「んー、アルバート、手を引いて、ベッドに連れてってー。」
もうほとんど開かなくなった目で、頑張ってアルバートを見ようとする。
ふわ、と体が浮いたのを最後に、私は意識を手放してしまった。アルバートが何か言っていたような気もするし、一瞬おでこがくすぐったい気もしたけど、明日聞けばいいや。おやすみ。
デビュタントを終えると、すぐに次の大きなイベントがやってくる。入学式だ。デビュタントと入学式は1週間くらいしか変わらないしメンバーも全員同じなので、まとめてやっちゃえばいいのに、ってずーっと思っておりました。
そっか、平民少女も入学式には出るんだものね。
今日から私もここで……何を学ぶんだろう?
まあ、とりあえず入学式なのだ。
この貴族ばかりの学園で王子とヒロインが出会って、三年後の卒業パーティーで婚約破棄されるんだったんですよね?ヒロインにとって大事な最初のイベントじゃん。
忘れたなんて言わせな……えっ?
入学式?
学園?
婚約破棄?
ちょと待てちょと待ておねえさんー
婚約破棄ってなんですのー?
ごめんなさい、前世の私ってば取り乱してしまいましたわ。
今日も今日とて馬車の中ではトーマスくんが何か言ってるけど、私の頭の中では赤い格好をしたサングラスの二人組が手を叩いて舞っている。だめだ、話が全然入ってこない。
上の空で聞いていたら
「セシリア?俺の話を聞いてるのか?」
と嫌な顔をされてしまった。
物語はどうやって進むんだろう。
テンプレなら、入学式の後に校舎の角で殿下とヒロインがぶつかり、なんやかんやあって……
あれだよね、こういうのって大概「おもしれー女」認定されて、距離が縮まっていくものよね。つまり、ヒロインより先に私が「おもしれー女」認定されちゃえばいいんじゃないかしら!名案!
学園ホールでの式典。新入生代表の挨拶は、やはりトーマス殿下だ。
こういうときトーマス殿下には、これぞ王族!っていう感じのオーラがある。舞台に立つトーマス殿下は威厳が見えるし、話す口調もハキハキして、王子然としている様子に皆が釘付けになる。赤い髪がきらきらしくて、彼の魅力を引き立てているようだ。
式典も終わり、しばし自由時間が与えられる。
今しかない!
殿下がヒロインと出会う前になんとか殿下とお話をしなければ。
殿下はどのタイミングでヒロインと出会うんだろう。ヒロインはどんな子で、どんなセリフで殿下に気に入られるんだろう……
ああこんなことならちゃんとゲームをプレイしておくんだった!取締役のくせに役に立たないわね!前世のポンコツ!
中庭をふらふらと殿下を探していると、
いた!
「トーマス殿下!」
私は殿下に向かって呼びかける。
殿下も私に気づき、こちらを見てくれた。
一緒に近くのベンチへ腰掛ける。
「殿下、お話がありまして。」
「俺もお前を探していたところだ。あとセシリア、ここは学園だから、階級もないに等しい。敬称は禁止する。」
待って私の話も聞いて欲しいの。
心の中では前世の私がトーマスくん、って言えるけど、そんなことしたら不敬罪で婚約破棄どころか処刑されちゃうんじゃないでしょうか。
「っ、では、トーマス様……?」
「トーマスだ。」
「そ、そんな。恐れ多いことでございますわ。」
割とマジで無理よ。え?大丈夫なの?私処されない?
「早く言え。」
うっわあ、めっちゃ顔怖いじゃん。
女の子の意見ガン無視じゃん。
やだ学園って階級とともに人権も失うの?
「ト、トーマス……?」
「ふっ。どうした?セシリア。」
待ってトーマスくんそんなキラキラの笑顔ができるの?やっぱり顔がいいね。あと私に呼び捨てにされてすごく嬉しそうだね!
あ、これもしかして「おもしれー女」認定キタ?
さらに式典での殿下の素晴らしさを褒めて、私にとって唯一無二の存在であることを仄めかしつつ、さりげなく自分をアピールして……と思っていたら、予鈴が鳴ってしまって、私たちは校舎に戻る。
呼び捨てだけじゃ足りない気がするんだけどなあー。まあいっか、気に入ってもらえたみたいだし。
クラス分けされた学生たちが教室で順番に自己紹介をする。この空気が懐かしい。
級友と勉強を教え合ったり、恋話をしたり、進路について話し合ったり、放課後はお茶会なんかもして……などと学園生活に夢を見ていたが、実際は違った。
なんと私は、なぜかアルバートが公爵家に来たタイミングで始まった妃教育の一環で、学園で習う全てを履修しきっていたのだ。
さらになんと、修了している私は学園に通う必要もなく、修了証を渡され家に返されてしまったのである。
三年の間何をするかって?
公爵であり宰相であるお父様の、お手伝い、とは名ばかりの公務の押し付け。
まったくお父様ったら人遣いが荒いんだから!
え?お母様とご旅行に?正気ですか!
アルバートも笑ってないで手伝いなさいよ!もう!
私が学園に通わなくなったあの日から、トーマス殿下の我が家への訪問やプレゼントも減り、顔を合わせるのは王宮での仕事中にたまにすれ違う程度。
私のことなんか気に食わないって感じで、あまり目も合わせてはくれず……
そういうときのトーマス殿下のお顔、とっても怖いんだから!
ああ、着々とヒロインとの距離が縮まってるんだろうな、と毎日精神が削られていった。
夢に見た級友との交流。王宮では仕事仲間の皆が親しく接してくれたけど、友人なんて一人も作れなかった。
お茶会だけでも、と思ったけれど、授業にも出ず勉強もせずにお茶会なんていいご身分だわ、なんて妬まれるのがオチでしょう。
そんな時間もありませんでしたしね。
誰にも愚痴をこぼせない。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ……いいえ、私は王妃になるのですから弱音を吐いてはいられませんね。はいタカシタカシ。
とうとうこの日がやってきてしまった。
今日は卒業パーティーが開かれる日。
国王や王妃など王族側の面々が揃っていて、もちろん現宰相のお父様も来賓席に座っている。
修了証を渡された私は用が無いのでは?と思いお父様に尋ねたが、それはそれ、なんだそう。デビュタントと入学式も別々ですものね。
おかしい、というか、やはり、というか。
卒業パーティーたる日にもかかわらず、トーマス殿下から私へのドレスのプレゼントはなく、なぜか、事前に仕立てていた、とお父様からアイスブルーのドレスを賜った。裾が広がりすぎない、落ち着いたデザインだ。
皮肉なことに、トーマス殿下からの真っ赤なドレスよりもこっちのほうが、地味な私の髪色によく似合っていると思う。
トーマス殿下からの贈り物ではないし、トーマス殿下の色でもない。
婚約破棄。これは運命で、避けられないことなのだ。
妃教育も、王宮での仕事も何も意味がなかった。
婚約は破棄され、友人もいない、ひとりぼっちの私に、一体何が残ると言うのか。
馬車の中で何度も泣きそうになった。
想像していたより何倍も重い。
会場に着くが、当然トーマス殿下のエスコートはない。代わりに今日はアルバートが私の手を取る。
アルバートが王族の前に姿を見せるなんて珍しい、そう思う余裕も、今の私にはなかった。
会場に入ると、赤い髪にたくさんの令嬢が群がっているのが見えた。輪の中心にいるのは間違いない、トーマス殿下だ。
私の視線に気づいたのか、偶然か。殿下が私たちを見つけた。こちらに近づいてくるようだ。
「セシリア、よく来られたな。」
「私だけのトーマスさまぁ〜私を置いて行かないで〜」
偉そうなトーマスくんに付いてくるのはヒロインだろうか。どこかで聞いたことのあるセリフを叫ぶ少女は赤いドレスを身に纏っていて、なるほど私はもう用無しなのだな、と悟る。
「そちらは?」
「執事のアルバートでございます。本日は彼のエスコートで参りましたの。」
「アルバート……?まさかお前っ!」
「お初にお目にかかります、トーマス第二王子殿下。」
「なにをふざけたことを……
「皆の者、静粛に。」
アルバートとトーマス殿下の会話は国王の声によって遮られた。
トーマスくん、ふざけたことを、とは何のことだろう?婚約者がいながら平民少女に現を抜かして婚約破棄しようとしてるあなたのほうがふざけているのではなくて?
それにしても王様の声、素敵なんだよなあ。
腹から脳天突き破って出てくるバリトン。控えめに言って最高です。
国王により卒業生への祝辞が述べられる。
式次第によると、しばしの歓談とダンスの時間の後で、王子の婚約者が発表されるようだ。
でも私、婚約を破棄されるような過ちは犯していないはずだ。
授業に出ていない、入学式以降学園にも顔すら出していない私は、ヒロインを嫉みようもいじめようもなかったのだ。
まだだ。わずかに希望はある。
私は、正式な発表まで一人で王宮の美味しいお料理を堪能する。もしかしたら今日で最後になるかもしれないのだ。アルバートは壁に突っ立ってるだけだったのに、今や数々のご令嬢に囲まれている。
なによあの爽やかスマイル?
私に向けたことなんて一回もないじゃないの。
今日は私のエスコート役のくせに、と少しばかり腹が立つものの、料理の美味しさに思わず顔が綻ぶ。
会場には緩やかな音楽が流れ始め、ちらほらと踊り始める男女も現れた。
トーマス殿下はヒロインといちゃいちゃしてるし、アルバートもご令嬢たちの相手をしているから、私は懲りずにお料理をいただくことにする。
「こ、こんばんは。セシリア嬢。」
え?あ、はい。何?今すごくもぐもぐしてるんだけど。でもここは公爵令嬢。嚥下力も淑女の嗜みでしてよ。
「こんばんは。失礼ですが、お名前をお聞きしても?」
「(え、もしかしてお嬢様、覚えてらっしゃらない……?)」
え?何?聞こえなかった。もしかして私の耳、家出した?
「ごめんなさい、聞き取れなかったの。もう一度教えてくださる?」
「サラマン男爵が長男、モーブォ・サラマンと申します。どうか一曲、踊っていただけませんか。」
なんだ、いるじゃん耳。
モーブォ・サラマン……聞いたことあるような、ないような。
卒業パーティーは婚約者以外と踊っちゃいけない、なんて規則はなかったはずだけど、私あんまり知らない人と踊りたくないのよね。
でもトーマス殿下もアルバートも、私のところに来る気配はない。あれ?アルバートどこに行ったのかしら。いつのまにかご令嬢の群れがなくなっていますわ。
殿下なんてヒロインと踊り始めてる。ま、いっか。
「はい、喜んで。」
モーブォ様の手を取り、私もダンス群の一員と化す。その後も何人かの殿方に誘われ、当たり障りのない会話をしながら踊った。
そんなことをしているうちに音楽が止む。
いよいよ王子の婚約者が正式に発表される場面となるようだ。
王妃か、断罪か。
この瞬間に、私の人生が決まる。
「セシリア・モルターナ嬢!前へ!」
トーマス殿下に声をかけられ、ステージ前の指定された場所に立つ。
見上げると、既に登壇している殿下の横には、やはり、ヒロインがいた。
やっぱり殿下にとっての「おもしれー女」はヒロインに変わりないのね。
私はここでセシリア・モルターナとしての人生を終えるらしい。王妃教育が済んでいても、ヒロインをいじめていなくても、そんなことはお構いなしに物語は進むようだ。
そういえば今までだって、この殿下が私の気持ちを聞いてくれることはなかった。いつもいつも、振り回されてばかり。
こんなことならもっと早く前世の記憶を取り戻して、王子と婚約なんかせず、アルバートの淹れてくれるお茶を飲みながらゆっくり読書でもしていたかった。
そんなことを思っていると、壇上のトーマス殿下の声が降ってくる。
「セシリア・モルターナ嬢!私はお前との婚約を破棄する!そしてこちらのアリア・サラマン嬢と結婚するのだ!」
とうとう来てしまった。
何か、何か言わなければ。そう思うのに、言葉が出ない。
予測していたことだったのに、いざそれが目の前に現れると何の選択も出来なくなってしまう。
ああやはり、今世の私もポンコツだった。
「お前はアリア嬢からの交流の誘いを蔑ろにしただけでなく、兄であるモーブォ男爵令息と恋仲にあったそうだな!私という婚約者がありながら何たる不貞!」
……は?
待ってくれ、まったく身に覚えがないんだが。
他の令嬢と間違えてるんじゃないのか?
はたまた都市伝説でしょうか?
「王子の婚約者であるかかわらず学園での貴族教育も怠け、更には王族である私を呼び捨てにしたな!不敬罪にあたるぞ!」
わあ〜あの時すっごく喜んでたのはそういうことでしたのね〜
でもあれは殿下がそうしろと言ったのでは?
言われのない罪を着させられるのは喜ばしいことではありませんわ。
「国王陛下、発言をお許しください。」
少しでも罪を軽くしていただきたい私は、王様に断りを入れる。いわれのない罪で殺されてたまるものですか。
「認めよう。」
あれ?王様、なんか薄ら笑ってない?隣の王妃様なんて肩が震えているではありませんか。
王様まで私を陥れたかったの?あんなに優しいと思ってたのに。父の代理で承った宰相としての公務も、あんなに温かく見守ってくださっていたのに。あれはすべて演技だったのですか……
コホン、
「お言葉ながら殿下、私はそちらのアリア様からそのようなお誘いは受けておりませんし、モーブォ様とは今日が初対面でございます。確かに私は学園へは通っておりませんでした。トーマス殿下を呼び捨てにしたことも認めます。しかし殿下、あれは学園内で、殿下がそう呼べと私に命じたことではございませんか。」
潔白だ。
「なんだか怖いわ、トム。」「大丈夫さアリア。もう勝負をつけるよ。」と言いがかりをつけた当事者らは甘く囁く。聞こえてるぞ畜生。
「お前には俺から何度かアリアの現況と交流を持ちたいという旨の話をしていたではないか。応じなかったのはお前だセシリア!
それにモーブォはお前の屋敷で何度かお前とダンスをしたと話している!先程も一番にお前と踊ったという事実もある!俺という婚約者がありながら、だ!言い逃れはできまい!」
もしかして、あの馬車の中で話していた、商人男爵の娘がどうのこうの、って話?それしか見当がつかないわ!でも仕方ないじゃない、殿下の話し方ってなんかこう面白みがないというか、全部自分自慢のように聞こえてしまうんですもの。
それとお屋敷でのダンスの件ですが、私はモブ男と踊っていただけで……
モブ男?もぶお……モブオ……モーブォ!
まさか!そんなダジャレみたいなことある?
こんなの原作の暴力だよー!どう頑張っても抗えないじゃないのよ!もう!
「この沈黙をもって肯定とみなす!陛下、どうか私の妻にアリア嬢を!」
「言いたいことはそれで全てか、トーマス?」
「はい。アリア嬢との結婚を認めていただき、そして次期王妃に。」
「トーマス、お前とそちらのアリア嬢の結婚を認める。」
あーあ。聞いちゃったわー。
そうよね王様だって人の親。そりゃあ私の意見より自分の息子の意見を尊重するわよね。
私このまま死ぬんですか?せめて修道院が……
今私の頭の中には、お屋敷での楽しかった思い出や王宮での忙しかった日々が走馬灯のように駆け巡っているわ。
「しかしトーマス、お前をこれ以上王子としてここに置くわけにはいかない。もう少し世の中を見てきたほうが良い。肩書きだけを盾に生きてきたお前は王子とは名ばかりの愚息だ。サラマン男爵家に入り、商人としての腕を見習いながら、世の中を見て渡るがよかろう。」
「父上!それはどういうことですか!王位は!?弟はまだ4歳ですよ?まさか……!」
「アルバート、来なさい。」
アルバート?
王様、今確かにアルバート……って……
混乱しすぎて表情がなくなった私の前に現れた男性は、紛れもなくモルターナ家執事であり、今日は私のエスコート役であったはずで。
黒髪にアイスブルーの瞳、うちの執事服。
間違うことはない。
あれは、アルバート本人だ。
「次期国王は第一王子であるアルバートに決定した。次期王妃は婚約者であるセシリア・モルターナ公爵令嬢。」
へ?
アルバートが……王子……?
婚約者……?
は?
「わっはっは、セシリア嬢、上へ。」
王様、笑ってないで!わっはっはじゃないんですよ!
アルバート!どういうことなの?
愉快そうに肩を揺らす王様を目の前にして足を動かせないでいると、いつのまにかアルバートが迎えに来てくれていた。見慣れた表情に少しだけ安心する。アルバートは足元が覚束ない私を気遣い、腰を支えてゆっくりと手を引いてくれた。
彼にエスコートされると、心なしか足が軽くなる気がするのはなぜだろう。
「ち、父上!わけがわかりません!アルバートは、兄上は失踪したはずではなかったのですか!だから次期国王は俺で、王子の婚約者であるセシリアも妃教育を……!」
「確かにセシリア嬢には次期王妃として頑張ってもらっていた。学園への入学も不要なほどにな。」
「待ってください父上!セシリアは勉強を怠けて王宮に遊びに来ていたのでしょう!彼女が王宮にいるのをこの目で何度も見ております!」
「セシリア嬢は公務のために王宮を訪れていただけだ。お前と違って怠けてなどはいなかったぞ?それとセシリア嬢、修了証は受け取っているな?私が特別に手配したものだが。」
「は、はい陛下。入学式の日に理事長より賜りました。学園への通学は不要である、と。」
びびびびっくりしたーーー!
急に話を振らないでくださいまし。
アルバートはまた笑ってるし!
「そ、そんな……では婚約の件は!セシリアは私の婚約者であったはずです!」
「王子の婚約者、と自分で申していたではないか。セシリア嬢は元よりアルバートと婚約を結んでいたのだ。」
ええええええ!
王様、私そんなの聞いてませんわ!
確かに父上からは「王子の婚約者」と幼い頃からずっと言われてきましたが、トーマス殿下がたくさんプレゼントをくれるし、「俺の婚約者」だって言うから、私ずっと、私はトーマス殿下の婚約者だと思って……
「その様子だと、セシリア嬢も同じ勘違いをしていたようだな。アルバート、お前はいつまでその格好をしているんだ?」
「本来の姿ではお嬢様が驚くかと。」
驚くもなにもまさかあなたが王子で、まさか私があなたの婚約者で、あなたはそれを知っててわざとあんな演技をして、王様も王妃様もグルで……
パチン、とアルバートの指先が音を立て、黒髪に黒い服を着ていたアルバートは一瞬にして姿を変えた。
アイスブルーの髪、白と金が輝く王族の正装。
「そうでしょう?セシリアお嬢様。」
そう言ってアルバートは、私の前に跪きそっと手を取る。
もうこれ以上に驚きようがないわ。
「愛しています。今度こそ、あなたの一生を僕に委ねてもらえませんか。」
まあ驚いちゃった。笑顔が眩しい……
目の前のアルバートを切り取って、他のご子息ご令嬢などぼやけたじゃがいもにしか見えなくなってしまった。
じゃがいも畑と化したこの会場で、前世の記憶が蘇る。
『愛しています。あなたの一生を僕に委ねてもらえませんか。』
私のミスを笑いながらも、私に害が及ばないように取り計らってくれる彼。
忙しいくせに余裕ぶって、私を気遣ってくれる彼。
モテるくせに、わざわざ地味な私を選んでくれた彼。
今までのアルバートの言動に、前世の記憶の中の彼がリンクする。
今度こそ……
目の前の彼はそう言った。
なんだ、待っててくれたのね。
私を置いて先に死ぬなんて、絶対に許してやらないんだから。
声が震えてしまうけれど、伝えなくちゃ。
あの時言えなかったプロポーズの返事を。
「はい、喜んで。」
お読みいただきありがとうございました。
転生悪役令嬢のハッピーエンドが大好きなので思いつきで作ってしまったのですが、完成したら悪役令嬢とは程遠い世界線になってしまいました(涙)
誤字、脱字等ございましたらこっそり教えてください。