聖夜の誓い
「あたしも今来たところなのよ……いや、駄目ね。ありきたりすぎる」
クリスマスイブ当日の十二月二十四日。
セミロングに切り揃えた青髪を靡かせて、伊藤麗奈は学園女子寮のエントランスに佇んでいた。
ああでもない、こうでもない、と待ち人との出会いの瞬間を何度となくシミュレートしながら。
「うーん、どう切り出したものやら……」
事の起こりは先週の日曜日に遡る。
「まったく、お父様もお母様も人使いが荒いんだから!」
あの日の夜、麗奈はちょうど実家の屋敷から戻ってきたばかりだった。
鬱憤を晴らすようにあえて声に出して愚痴りながら、彼女は自室に向けて大股に廊下を歩いていく。
実家に戻った理由は単なる帰省……だとしたらどんなに良かっただろう。
残念ながら仕事、という名の無料奉仕だった。
「水島中尉も宮本中尉もこんな重要な時にまさか風邪だなんて! 体調管理は兵士の基本でしょ!」
その時は西方のさる大国の王女が来訪することになっていたのだが、接待役兼護衛役を予定していた女性軍人が、運悪く二人とも風邪をひいてしまったのだ。
そこまでなら良かったのだが、どこかのお偉方が「護衛役なら同性の方が王女殿下としても心安かろう」などと言い出したのが運の尽き。
なぜか今は一介の学生の身である麗奈に白羽の矢が立ったのだった。
「いくら何事も起こらなかったとは言ってもね……」
疲れるものは疲れる。
自分だけならともかく、誰かを守って戦わなければならないとなると、そのプレッシャーだけで疲れは倍増するものだ。
シャワーを浴びたら早めに寝よう。一晩寝れば大抵の疲れは取れる。
そんなことを考えながら自室の前に辿り着いた彼女を待っていたのは、更に疲れを加速させる現実だった。
ドアの前に置かれた巨大なプレゼント箱。人間が一人すっぽり入ってしまえるほどのサイズだ。
「どうも自分で思った以上に疲れてるみたいね……」
現実離れした光景。
彼女はこめかみを押さえながら、なるべく目の前の光景を受け入れまいとして部屋に入ろうとした。と、その時。
「ちょっと! 無視はひどいよ~!」
いきなり箱の蓋が開き、中から一人の少女が飛び出してきた。
長い金髪をツインテールにした少女。
麗奈もよく知る、彼女のクラスメイトでありライバルであり、今では恋人でもある少女。
彼女の名は……
「智観!?」
「お帰り、麗奈! ずっと箱の中で待ってたんだよ!」
「あなたねぇ……人の部屋の前でこんな箱に入って何やってるのよ」
「ふふふ、何だと思う?」
「どうせびっくり箱ごっことかでしょ?」
「違うよぉ!」
ころころと表情を変える智観は見ているだけで癒される。
色々な表情が見たくてわざとぞんざいな答えを返してやると、彼女は期待通りに頬を膨らませてくれる。
本当は思いっきり抱き着いて彼女の温もりを味わいたい! のだが、無論そんな度胸は無い。
今の麗奈にはこの程度が限界だった。
もう少し色々とからかってみようかとも良かったが、麗奈は早めに本題に入ることにした。こんな時間に廊下で騒いでいるところを寮長に見つかると後が面倒だ。
「で、結局正解は何なのよ?」
「プレゼント」
「へ?」
「だからね、私がクリスマスプレゼントなの!」
しばしの沈黙。
ようやく麗奈が口を開く気になった時には、最初よりも疲労が増した気がしていた。
「あー、あたし本気で疲れてるみたいね。こんな幻覚が見えるなんて……」
智観を避けてドアノブに手を伸ばす。と、がしっと肩を掴まれて引き戻された。
「幻覚じゃないよ~! 嘘だと思うならほっぺたつねってみて!」
言われるままに麗奈は頬をつねった。自分の、ではなく智観の頬をだ。
むにむにとした感触が心地よい。
「なるほど。この肌触りは確かに本物ね。幻覚ではあり得ないわ」
「分かってくれたなら良いんだけど……その確かめ方合ってるのかなぁ?」
嬉しいような納得が行かないような、そんな微妙な表情もまた可愛らしいな、と思える。
事情を聞いてみると、クリスマスプレゼントを探したが予算的に手が届くものが見つからなかったのだという。
そこで友達に相談したら「自分をプレゼントにしてはどうか」というアドバイスを貰い、実践してみた結果、今に至るというわけだった。
「どうせ明日華か千秋か悠里でしょ? そんなこと吹き込んだのは」
「えっ、凄い! どうして分かったの!?」
「いや、普通に分かるでしょ。はぁ……後でお仕置きが必要ね」
大きな溜息を吐く麗奈。
お節介焼きの友人達へのお仕置きを考えるのは後にして、話を先に進める。
「まぁ事情は分かったわ。それで具体的に何してもらえるの?」
「今度のクリスマスに何でも一つお願いを聞いてあげるよ」
「っ!? 今なんて!?」
「だからね、クリスマスに麗奈のお願いを聞いてあげる、って行ったの」
「お願いって……本当に何でもいいの!?」
「あ、もちろん私に出来る範囲だけどね。億万長者にしてくれとか、不老不死にしてくれなんて無理だよ」
「それもそうね。でも、改めてお願いと言われると悩むわね……」
顎に手を当てて考え込む麗奈。が、すぐには答えは出なかった。
自由すぎるということは逆に不自由ということだ、と誰かが言っていたのを思い出す。
「思い付かない……」
「焦らないでいいよ。まだクリスマスイブまで日はあるんだから」
結局その日はそれでお開きとなった。
考えに考え抜いた末、「お願い」を伝えたのはつい昨日のことになる。
「お待たせ、麗奈。待たせちゃった?」
智観のそんな声が麗奈を現在の時間軸に引き戻す。
彼女はいつものツインテールはそのままに、厚手のコートにタイツとムートンブーツで防寒を万全にしたスタイルだ。
デートにしては野暮ったい服装かもしれないが、それは麗奈とて似たようなものだ。
「いえ、あたしも今来たところよ……なんて捻りの無い返しよね」
「ううん! 何だか嬉しい! ちょっと恋人っぽくて」
「そんなのが嬉しいの? 変なの」
結局、最初に思いついた「ありきたりな返し」をしてしまった麗奈。
自分の発想力の乏しさが情けなかったが、まぁ彼女が嬉しそうならそれで良いかと割り切っておく。
「でも本当に良かったの?」
「何がよ」
「一緒にイルミネーションを見に行くだけだなんて。せっかくなんだし、もっと色々頼んでくれても良かったんだよ?」
麗奈のお願い。
それは毎年この季節に海岸通りを彩るイルミネーションを見に行きたいというものだった。
智観は喜色満面といった様子で承諾してくれたが、一方では心配そうにしていた。
本当にそれだけで良いの、と。
あなたと一緒ならどこだって良いわよ。なんて、恥ずかしくて言えたものじゃない。
「あたしが良いって言ったんだから良いのよ!」
結局いつも通り、照れ隠しがてらに怒鳴ってしまう麗奈だった。
智観には全部見透かされてるような気がするのだけれど……
学園前から市街地まで小一時間ほどバスに揺られ、海岸通りに着いた頃には夜の七時を回っていた。
冬の短い日はすっかり暮れ、通りを埋め尽くすイルミネーションが代わりに辺りを照らしていた。
夜だというのにここだけは昼のように明るく、通りは昼以上の活気に満ちていた。
「向こうの高台の方まで歩いてみましょうか?」
「うん!」
麗奈と智観。二人は並んで通りを歩き出す。
途中で何組ものカップルとすれ違いつつ、他愛も無い会話を交わしながら歩き続けること十数分。
不意に破裂音が冬の澄んだ空気に響き、続いて遥か頭上に光の華が開いた。
「わぁ! 花火だー! 冬にも花火ってやってるんだね!」
「えぇ、この辺りでは毎年ね。智観は初めてだっけ?」
「うん! 私、村から出たの今年が初めてだからね。全部が楽しいよ!」
「ふふ、来て良かった」
見るもの全てに目を輝かせる智観。そんな彼女の姿が微笑ましかった。
やがて高台に到着した二人。
登ってみると、海岸通りのイルミネーションが今度は上から一望できた。
意外だったのは下の通りと違って、人でごった返してはいなかったことだ。
「穴場なのかしらね」
「みたいだね。私達の他は……何組かしかいないみたいだね」
会話の間にまた一つ花火が打ち上がった。
高台にいる為か通りの喧騒から離れている為か、音も光も先ほどよりずっと近くに感じられた。
それからしばらくの間、二人はただ黙って光の海に見入っていた。ただ大切な人との時間を噛み締めるように。
永遠に続いてほしいと思えた時間に終わりを告げたのは、独り言にも似た智観の台詞だった。
「ねぇ麗奈。私ね、今でも時々考えることがあるの」
麗奈は黙したまま続きを待つ。
「お母さんも村のみんなも殺されて、どうして私一人だけが生き残ったんだろう、って」
「智観……?」
「今だって答えは出てない。この先も答えなんて出ないかもしれない。でもね」
彼女はそこで、不意にこちらに向き直る。
麗奈もつられて彼女に正対すると、真剣な面持ちでこちらを見据える少女の姿があった。
「今、麗奈と一緒にいられることは間違いなく幸せなの。だから……来年も再来年も、十年先二十年先も私と一緒に……いてほしいな?」
最後の方は少しだけ自身なさげにそう尋ねる彼女。
麗奈の答えは……決まっていた。
「言われなくたって、そうするわよ」
「じゃあ私もプレゼント代わりにお願い、良いかな?」
「あたしにできることならね」
「誓いの印にキスして。麗奈から」
「キス……?」
普段なら恥ずかしくて、また悪態の一つでもつきたくなるようなお願い。
だが、もう迷うことなどなかった。
「分かった。約束するわ。十年先二十年先だなんて言わず、来世でだって絶対にあなたと一緒にいる!」
目を閉じてその瞬間を持つ智観の唇に、麗奈はそっと自身の唇を重ねた。
ちょうどその瞬間、一際大きな花火が夜空に花開いた。
二人の未来を祝福するかのように。