桜散る夜13 葡萄と月の満ち欠け2
赤の次は白ね、という彼女のリクエスト(これも手順だろうか)で、二本目にフランスの白ワインを注文する。
ウェイターがボトルとグラスを運んでくる。
「これは飲みやすいですよ。フランス人はワインを水のように飲みますから」
新しいグラスに適量のワインがそそがれる。
グラスのなかに最初から留まっている空気。
あとから入ってくるワインの液体。
理由は、空気でも液体でもかまわない。
ただ、グラスは、液体を入れるためにある。
会社を辞めようと思ったのは、あとから理由をそそぎこむためのグラスなのだろうか。
会社へ行ったり、ホットドッグ(爪楊枝つき)を選んだりする予感は、グラスに最初から溜まっている空気なのだろうか。
「いくらフランス人だって、そんなにがぶがぶ飲んだりしない。南仏にホームステイしたことがあるけど、水というより、みんなお茶のように飲んでいたし」
彼女のいうことをききながして、僕は自分のグラスにたっぷりそそぐ。
理由がなみなみとつがれていく。
予感が外へおしだされていく。
液体の表面が、グラスの縁から浮いている。
「もしかりに、父親が、会社を辞める理由に耳をかしたとして」
僕はいう。
「このグラスみたいにならないと、きっと納得してくれない」
「ワイングラスなのに。こんなにたっぷり……」
彼女はいう。
「乾杯もできないじゃない」
僕は顔を前にだして、液体に唇をつける。
グラスを持ちあげて、一気に飲み干す。
空のグラスをテーブルにおく。
「自分だけの問題なら、この状態で辞めたい」
眼にみえない予感がワイングラスに溜まっている。
「けれど、これだと会社へ行ってしまう」
「……哲学的ね」
遺伝情報の虫
彼女は僕のグラスに適量の白ワインをそそぐ。
「はい」
「乾杯はさっきしたろ」
「ボトルが新しくなったらまたするの」
彼女はいたずらっぽくつけ加える。
「そうだ、乾杯の理由を考えないと。退職記念にする?」
「乾杯するために辞めるか。それもいいな」
僕はグラスを合わせようとする。彼女が引っこめる。
「冗談。もっとほかの理由にして」
「それなら――月の満ち欠けに」
「ちょっとキザ。それに、何で月なの」
しばらく考える。
万物はうつろい、流転する。
「たぶん、わからないから。本当の理由は理由にみえない。少なくとも、理由なんてものにはならないんだ」
彼女はなぜか神妙にうなずいて、グラスを差しだす。
「そうかもね。月の満ち欠けに、乾杯」
僕の頭のなかに浮かんだ呪文が、彼女に暗示をかけたのかもしれない。
「ところで、さっきのウェイターの話だけど、どうして水っていわれているんだろう」
「そうね、ワインをお茶のように飲むって、変ないい方だし。それとも、水のようなワインを習慣的に飲むからかしら」
「水のようにがぶがぶ飲むフランス人を、テレビで観たことあるよ。テレビだけど」
「でもわたしが南仏でみたのは、水のようなワインをお茶のように飲むってこと。それなのに、一般的にはワインを水のように飲むっていわれているのよね」
「水のようなワインだから、水のように飲むといわれている?」
「うーん」
「ということは、お茶のように飲むワインは、お茶のようなワインってことか」
「お茶のようなワイン……とっても不味そうなんだけど、それってどんなもの?」
答えられない。
そこには何もないような気がする。
「お茶のようなワイン」
彼女は口もとに小さな笑みをつくる。
「なにそれって感じ」
僕は、黙っている。
「なんだか混乱していて、ちょっとマトモじゃないみたい」
実際のところ、僕はそうかもしれないし、違うかもしれない。
「だから、合コンはやっぱり合コンなのよ」
彼女はグラスになみなみとワインをそそぐ。
「そこで会った人だと思えば、なんでもない」
「突然そんなこといわれても。率直にきくけど、次はないってこと?」
彼女はほほえむ。
グラスをたっぷり満たした白ワインのように。
「これを一気に飲み干したい気持ちもあるんだけれど」
でも、もっとフツウでいいかな、わたしは。メッキだしね。
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少々飲みすぎた樋川菜穂。二軒目のバーでワインのお茶割りを注文する。バーテンダー「かしこまりました」 僕「あるの?」




