働き台風2 声1
機械の声が反応する。
女のたかい声のよう。
長いあいだ使っている時計だが、特徴がなく、何度きいても忘れる。
何度きいても忘れる、機械の声だった。
時計をつかみ、眼のまえに引きよせる。
最初に音できき、次に眼でたしかめる。
デジタル表示をながめる。
1分、進んだ。
次の1分は、最初の1分より、長かった。
秒数の表示がなく、最初の1分は固く乾いていて、次の1分は、もちのようにぐにゃりとのびていた。
超現実主義者の時計みたいに。
しかし、1分は1分だ。
つかんでいるほうの手で、時計の頭をかるくおす。
ゴジサンジュウハチフンデス
「ハップン」ではなく、「ハチフン」といった。
「ッ」ではなく「チ」だった。
機械の声は「かな」ではなく「カナ」で響く。
だから、何度きいても忘れるのだろう、と思った。
とにかく何度きいても忘れるのはたしかだ。
理由は、あるのかないのか、その理由の空席というか、存在の曖昧さが、ときに便利なのはわかっていた。
そういうとき、僕はいつも受身をよそおう。
本当はただ押入れのなかにいたいだけなのに。
誰かにとじこめられたから。
そんな恰好をつけたくて妹を泣かしたり。
蒸し風呂にいるときもそう。
汗をかく目的で自分から入ったにもかかわらず、汗をかいているうちにいつのまにか自分で汗をかいているというよりは、蒸し風呂によって汗をかかされている気分になった。
本来、汗をかくという行為は自発的に(たとえば、声をだすようには)できないからか、それが気分に影響しているのかもしれない。
が、実のところ、そうした理由は、格好がつけば何だってかまわなかった。
格好なんてつかなくても、問題なかった。
だからこれは、理由が必要ならそういう理由で、何度きいても忘れるのだと思っている。