働き台風1 眼3
僕は、押入れのなかにいた。
小さな、まだ幼稚園児くらいの子どもが一緒だった。
――それも、僕自身だった。
かくれんぼでもしているのか、妹を泣かしたせいでおしおき中なのか(そんな風に考えるとなつかしかった)、暗やみに眼がなれるにつれて、胸の鼓動がきこえてくるのを、僕と小さな僕で感じた。
呼吸の音。
しずけさ。
わずかな大気の流れ。
布団と壁との間で、ひっそり息をすい、はき、繰り返す。
初めは窮屈だけれども、襖の隙間からこぼれる明かりをみつめているうちに、だんだんと居心地がよくなってくるような――そんな夢だったのだが……頭のなかにいる常識的な誰かは僕のふりをして、これはきっと夢だ、なぜなら僕が子どもの僕と一緒にいるのだから、と、ばかみたいに思ったのだった。
「ドラモンガシンダ」はどこにもいないな、とも。
眼をさます。
ドラモンガシンダ
が視界を覆っていた。
今度は曖昧でなく、はっきりと
ドラモンガシンダ
だった。
押入れの夢が
ドラモンガシンダ
とくっついているようで気味悪く、まばたきを繰り返してふりはらう。
そうすればきえると思ったのだ。
なぜかはわからない。
ノイズに似ていたからかもしれない。
ノイズ?
夢からさめたあとのすぐには、やっと小さな僕が押入れからでられたときの、あの明るさと自由さがなつかしいようだったが、それも意識すると、たちまちきえていった。
部屋のなかは、まだうす暗い。
遮光カーテンには、朝陽がぼんやりひかっている。
何もないはずのうす闇に、じっと眼をこらせば、粒子状の何か、または、たったいまの夢の何かが、浮かびあがってくるようだ。
しずかだと思う。
でも、それだけだ。
夢なんか、みていなかったのかもしれない。
というより、夢は、もとからないのかもしれない。
もとからないものが夢なのだ。
そんなことを考えた。
(……人の夢と書いて「儚い」……)
頭のなかにいる教養ある誰かの言葉。
どんなに印象的でも、眼をさませばただの夢で、当然だが実際には何も起こりはしない。
頭のどこかに少しは何かがあるようでも、部屋にはあいかわらず色気のない家具と未開封のダンボール箱が積まれているだけで、その何かの痕跡があるわけではなかった。
あるように感じる設定
会社が借り上げている1Kで一人暮らしをしている。新入社員研修で二週間ほど軽井沢にいた。先週末、名古屋へ戻ってきたばかり。生まれ育った東京を離れ、この4月から、名古屋で生活を始めた。
があるだけだ。
ベッドのなかから、手さぐりで、サイドテーブルの時計をおす。
ゴジサンジュウロップンデス
機械の声が反応した。
―――――
時計のなかにかくれている小さな僕。ココニハダレモイナイヨ