働き台風4 出社2
途中で阿寸さんに追いついた。
細身で背が高く、やや猫背気味のうしろ姿から少しはなれたところで、僕は歩く速度をおとす。
いまだ満開の桜並木が眼にとまる。
道のわきに、電柱よりは狭い間隔で、どういうわけか
樽
が並べてあった。
それは花見の宴会用アイテムというよりは、海賊危機一髪の樽のような、ウィスキーを熟成させるオーク樽のような、そんな形をしていた。
(どうして、こんなところに、樽が)
ひょっとしたら、幻をみているのかもしれない。
ありがちな解釈が頭のなかを流れる
春にしては並木のおとす濃いかげがアスファルトでかすかにうごき、そのなかにオーク樽のかげが、くっきりとはりついている。
あのかげは、風化して実体を失った遺跡のようなもの。
ばかばかしいとは思うけれど、勝手に思い浮かぶのだから、ほうっておく。
海賊どもが夢の跡
幻獣相手に戦して
偶然、僕と阿寸さんのきょりは、その樽と樽の間と同じで、そう気づくと、眼のまえの間隔が不思議に思えてきたが、それだけだ。
いくつもの樽が等間隔で、しずかにおかれている。
桜並木全体がそよ風に揺らいでいる。
阿寸さんは細身で、首から肩にかけての筋肉がスーツの上からでもわかった。
短い髪がワックスで丁寧に整えてあり、僕のほうはただ短いだけだったがべつに気にならない。
声をかけようか迷い、こんなことなら早めにでるのではなかったと思う。
会社だけでなく大学の先輩でもある阿寸さんには、就職活動のときから面倒をみてもらっていたし、苦手というわけではない。
わざと音をたてるようにして近づき、おはようございます、と挨拶をする。
阿寸さんは首をまわして、おう、おはよう、と打てば響くように返してきた。
僕はうなずいて、受けとめる。
生地のよさそうなスーツと、顔が小さいわりに太い首が見えた。
横にならぶ。
何かいわなければと思う。
阿寸さんと僕は同じマンションに住んでいた。
「この時間に会うのは初めてですね」
僕が研修でいなかったのだから当たり前だ。
「そうだな、全国研修はどうだった」
「ホテルのような宿泊所で個室だったし、食事もよかったと、みんながいっていました」
(また一般的に、全体的で長期的な就職難について何かいわなければならないような気がしたが、それは、ただ単にそういう会話の流れをよくきかされていたからにすぎない。あるいは、外部から流れこんで僕の頭を通りすぎた思考にすぎない)
「いいなあ、おれのときはコンクリートむき出しの寒々しい建物でさ、二段ベッドがふたつあるだけの窮屈な合部屋におしこまれて、食事も犬のエサだったよ」
阿寸さんは僕の顔をみた。
「四年も前だけどな」
四年前といえば今の会社が親会社から分社した頃だった。
「阿寸さんは分社後の一期生でしたっけ」
「俺が新人の頃はケータイよりポケベルだったからな。あの頃はケータイがこれほど普及するとは思わなかった」
阿寸さんは、絶対に失敗すると思っていた、とか、今のような状況になることがわかっていた、とはいわなかった。
「いつのまにか誰でも持っていましたからね」
「そうだな、いつのまにか」
阿寸さんは普通にうなずいて、黙る。
春らしい風が、丘のうえから、町のほうへながれている。
桜の花びらが、そよ風に舞っている。
大学キャンパスの桜並木を思わせるような風景をながめながら、去年のこの時期、名古屋に住むことはまったく予想していなかった、来年はコウ2地区にいるかもしれない、というようなことが勝手に思い浮かんだが、意味のないことだ。
小高い丘のうえからの眺めに、眼を向ける。
雲ひとつない青空。
日ざしは強く、町は白くまぶしい。
そうだな、いつのまにか
その言葉が、なぜか視界に細かく散らばり、ちらついていた。
まばたきを繰り返してふりはらう。
花びらが樽のかげにきえおちていくのに気づいて、ながめた。
うえのほうで、花びらはゆらゆらと動き、樽のほうへおちて、まるで蛙のひょろ長い舌に捕獲されたかのように
しゅるっ
と、かげのなかへきえた。




