台詞の一切無い物語り――変顔を添えて
一発ネタ、くだらないです。たぶん色々と脳が煮えていたんだと思います。
彼女は奮起する。
必ず、目の前の人物に勝たねばと、決意を堅く胸に誓った。
すでに勝負は一勝一敗。次ですべてが決まる。
負ければ失い。勝てば得る。それが何かは彼女にも分からなかったが。
まずは相手の手番だった。
ゆらり、ゆらりと、体を揺らしながら、悠然と構える。
右か、左か、それとも下か。
相手の指が、うごうごと、妖しく、蛸の腕の如く、うねうねと蠢いた。
その滑稽ともいえる動きが、彼女にはまるで死の舞踏のように感じたのだ。
こちらを確実に殺りに来ているのだと。
彼女は身構えた。
右か、左か、それとも下からか――――
その瞬間。
ぷっと、吹き出しそうになるのを必死で堪える。
顔が赤らみ、こちらこそが茹でた蛸の様相となった。
しまった、鼻があったと、そんな単純なことを忘れていた自分を、今すぐにでも叱りつけたい衝動に駆られる。相手は豚の鼻となり、尚且つ残った手で、奇妙な踊りをしてみせたのだった。ガリガリと精神力を持って行かれるような感覚。
これは危なかったと、気持ちを新たにして心を落ち着かせる。
相手は、あと少しだったのにと、不適な表情になり、次は絶対に仕留める、とばかりに鼻を鳴らしたのであった。
たしかに、この状態ではどれだけ受け続けられるか分からない。このままではいずれじり貧の、じわじわと、体力を消耗させられ、削りきられてしまうだろう。
今度はこちらの番だと、彼女は小手先など使う物かと、真っ正面から、もっとも単純で、もっとも効果のある方法をとった。
両の指を口の中に突っ込み、左右はおろか、上下にも引っ張ったのだ。
自分の口蓋の、歯茎を見せつけ、さながら猿の威嚇のような、それにしてはいささか間抜けで迫力のない行為。
しかし相手は、多少にやりと口を歪ませたが、笑いをかみ殺したようで、ぐっと、堪えている。
これではダメかと、白目を剥くほど強く引っ張るが――――ダメ。
すでに予想されてしまった行動では、効果は半減してしまう。
攻守交代だと相手は、今度はわかめを思わせるような動きで、指を顔の近くまで持っていく刹那――
彼女はぎりぎりと、歯を必死で、いや、決死で食いしばった。
おおよそギリギリの、風が吹けば倒れてしまいそうな、そんな微妙なラインで耐えたのだ。
まさか、手を囮にし、注意を引きつけ、顔面のパーツを中心へと寄せるという荒技をやってのけるなどと。
その引っかけは卑怯じゃないかと、目で訴えかけるが、ルールに沿った合法だと、視線を返された。
これはダメだ。
限界だ。
彼女はもはや一刻も猶予がないと確信した。
おそらく、次に相手の番が回ってくれば、耐えきれないだろうと。
自分自身の状態を冷静に分析する。彼女の、自分の、笑いのダムは限界で、あと少し押されれば決壊し、あふれ出してしまうだろう。
もはや手段を選んでいる場合ではない。
この手だけは使いたくなかったと、神に祈るように天を仰いだ。
それほどの覚悟がいる行為。
自分自身のすべてを賭け、最終手段を解放するのだと、胸に秘めた思いの丈を、出し切ってしまうのだと、決意した。
ぐっと、腹の下に力を込める。
鼻を広げるだけではダメだ。
歯茎を見せるだけではダメだ。
目をひん剥くだけではダメだ。
もっと歪に、ひょっとこの如く口の形に、鬼面の如く目の恐ろしさに、土偶の如く表情の読め無さに……。
彼女の決意は揺らぐことがなかった。
いざ、と、指を顔に伸ばす。
顔の肉を軟らかくし、皮膚をたゆませ、人類の到達する最高点へ変化させる……。
目を、耳を、鼻を、口を、歯を、舌を、咽頭を、唇を、頬を、眉を、額を、あらゆる顔面の部位を使用し、百面の人相を創り出した。
それは、おおよそ人類の可動できる顔面の最大の限界だったという。
ぷっ――と、相手が吹き出したのを確信すると、開きすぎて視界がぼやけた瞳の、涙も溜まりに溜まったまぶたを戻し、あまりにも開きすぎて鼻水の出た鼻をかみ、剥きすぎて乾燥した歯茎を潤し、突っ張らせすぎて引きつった頬を揉みほぐし、皺の寄りすぎた眉間を撫でた。
そして、勝利したのだと、ガッツポーズ。
しかし、この『にらめっこ』 勝負の勝利と引き替えに、何か大切な、人類として大切な、女の子として大切な何かを失ったのではないかと、胸中に、そんな喜びに混じってやるせなさが残ったのであった――――