3話 「カバディ! カバディカバディ!」
街道を外れて5分ほど歩くと、すぐに神殿に到着した。
そこは寂れた様子の神殿であり、僕とシスターの他に訪問者は無かった。
街からほど近いこともあって、あまりこの場所に立ち寄る人も多くないのかもしれない。
だって街の教会に行けば毒の治療や呪いの解除をしてもらえるもんね。
もちろんその際には教会に寄付金を納める必要があるのだが、それだって微々たるものだ。
よほど所持金が少ないかケチな人なら、わずかな寄付金を惜しんでここに立ち寄るかもしれないが、そういう人は多くないだろう。
白亜の神殿に足を踏み入れると、そこはところどころ床や壁に細かいひび割れが生じいていて年季を感じさせる。
それほど広くない建物の中を進むと、中庭があってそこには回復の泉が湧き出ていた。
水は透き通っていて浅い水底には宝石のように輝く様々な小石が敷き詰められている。
僕はほとんど外に出かける機会がないから閲覧自由の設定資料集でしか見たことはないけど神殿はどこも似たような造りらしい。
「それにしても神殿の管理者NPCが見当たりませんね」
僕は人の気配のまるで感じられない神殿内を見回してそう言った。
この神殿は訪問者だけではなく、そこに滞在する人もなく無人だった。
「管理者がいるのは地域を管轄する大神殿のみです。このような小規模な神殿は基本的に無人なんですよ」
「へぇ。そういうものですか」
僕がジェネットの知識に感心しながら彼女のほうに目を向けると、当の本人はさっさと回復の泉の前に立っている。
「この剣の呪いを解こうと思っていたところですから、ちょうど良かったです」
そう言って彼女はミランダ討伐の取得アイテムである剣をアイテムストックから呼び出した。
彼女の目の前に一振りの剣が浮かび上がる。
それは奇妙な剣だった。
剣の名称は不明。
艶の無い鈍い金色の刀身の左右に白と黒の一対の蛇がのたうつようにうねっていて、およそこれで敵を斬れるとは思えない。
戦闘用というよりは祭事用や装飾用のような趣のその剣を見つめながら、ジェネットは眉根を寄せて少し困ったような顔をした。
「この剣にはミランダがかけた呪いがかかっています。どういう呪いなのかは実際に装備してみないと分からないようです。何にしても意地の悪い呪いですね」
ミランダ討伐の褒賞として入手できるこの剣に呪いがかけられていることは、当然僕もマニュアルを読んで知っている。
ん?
以前に誰かとこの呪いのアイテムについて話をしたことがあるようなないような……。
僕の頭の中からは相変わらず引っかかるような何かが消えなかった。
「とにかくここで浄化してしまえば、もうこの呪いも消えますから。その後の剣の処遇はおいおい考えていきましょう」
「まあ、せっかくの褒賞品なのに剣ではシスターの役に立ちませんしね」
シスターの適合武器は杖系なので、剣を装備しても満足には扱えない。
役に立たない武器は売却してお金に換えるか、アイテム欄の肥やしにしておく他ない。
だけどジェネットは後ろを振り返り、澄ました表情でさらりと言った。
「いえ。そういうことではなく、あくまでも呪いを解くことこそ私の本懐ですから」
ああ、そういうことか。
ジェネットは最初から褒賞アイテムなんかに興味はなかったんだ。
このアイテムの解呪こそが彼女の目的だったのだから。
彼女の話を聞き、僕はあらためてジェネットがNPCであることを認識した。
利潤を追求したり地位や栄光を欲しがるのがプレイヤーたちなら、NPCである僕らが最も重視するのは課せられた役割を果たすことだった。
洞窟内で「この先には恐ろしい魔女がいるから気をつけろ」的なセリフを口にするのが最大の仕事である僕のことは置いておいて、ジェネットにとって悪を挫き邪を滅することは何よりも優先すべきことなんだろうな。
生きる指針が明確なジェネットを僕は少しだけうらやましく思った。
彼女に比べると僕は何てぼんやりした存在なんだ。
などと冴えない自分のことを自嘲する僕の内心など露知らないジェネットは、淡々と剣の浄化作業を進めるべく神聖魔法の詠唱に入った。
やがてジェネットは自分の髪に手を触れて頭髪を一本引き抜くと、それを剣の刀身に押し当てて静かに口を開いた。
「我が身に代わりて邪を祓いたまえ」
彼女がそう言うと、髪の毛は刀身の中に溶けていった。
「それは何をやっているんですか?」
僕の問いかけにジェネットは顔を上げる。
「私の体の一部を埋め込んで、それを依り代として剣を浄化するんです」
「へぇ。シスターの髪の毛を」
彼女の髪の毛だったら確かに清らかそうだな。
いい匂いだし。
いやそれは関係ないか。
べ、別に意図的にシスターの髪の匂いを嗅いでいるわけじゃないからな!
「……何かやましいことを考えていませんか?」
心を見透かすような目でジェネットにジロリと見られ、僕は慌てて首を横に振った。
「い、いえいえいえ。めっそうもない」
顔に出ていたんだろうか。
こ、この人の前では頭の中でさえ油断できないぞ。
恐ろしい。
それからほどなくしてジェネットは剣を回復の泉の中に浸した。
浄化作業を行う彼女の神々しい姿に、僕は思わず見入ってしまっていた。
ほどなくして詠唱を終えるとジェネットは立ち上がって僕の方を振り返る。
「これで数分ほど待てば浄化は完了です」
「お疲れさまです」
「では剣を浄化している間に私自身も身を清めるとしましょうか」
そう言うとジェネットはスルスルッと衣を脱いでいく……ファッ?
そして何かを言うヒマもなく、電光石火の速さで彼女は全裸になった。
ぜ、全裸だと?
マジか?
意味不明意味不明意味不明なんですけど!
何いきなりマッパになってんのこの人!
僕は思わず上ずった声を上げて、顔を横に向け視線を彼女から外した。
「な、何してんですかー!」
だが彼女はまったく気にした様子もなく不思議そうな口調で問いかけてくる。
「身を清めるのですけど。何か?」
何か?
じゃない!
「いきなり服を脱がないで下さい! びっくりするじゃないですか!」
あまりに突拍子もないジェネットの行動に、僕は思わず声を荒げてしまった。
だけど彼女はそんな僕の剣幕もまるで意に介さず、ノンキな声で言葉を返してきた。
「何をそんなに驚いているのですか? 服を着たまま回復の泉に浸ると服が濡れてしまいますので脱いだだけですけど」
そりゃあ着衣のまま水に入れば服が濡れるのは馬鹿でも分かります。
そういうことを言ってるんじゃない!
「お、男の前でいきなり服を脱ぐなんて女性としてどうなんですかって話ですよ!」
僕は困り果てて彼女に背を向けると、悲鳴混じりにそう言った。
それでようやく僕の気持ちを悟ったのか、ジェネットは少し咎めるような口調で言った。
「なるほど。そういうことですか。私の裸体に対して良からぬ感情を抱いたわけですね?」
ハッキリ言うな!
「と、とにかく。身を清めるのは僕が出て行ってからにして下さい」
そう言うと僕は足早にそこを立ち去ろうとした。
だが……。
「お待ちなさい」
ジェネットはそう言うと、静かな声で神聖魔法を唱えた。
「邪な心を悔い改めてもらいます。『清光霧』」
彼女がそう言った途端、僕の足は僕の意思とは無関係に立ち止まった。
こ、これは……。
「な、何を……」
僕は思わず呻き声を上げた。
それが精一杯だった。
身体の自由をほとんど奪われ、指先ひとつ動かせない。
出来ることと言えばわずかに動く口から言葉を漏らすことくらいだ。
ジェネットはそんな僕の背中に向けて整然と告げる。
「私の下位魔法であるこの『清光霧』は、戦闘時は邪を討つ攻撃魔法となりますが、平常時には邪を封じる効果をもたらします。身動きが取れなくなったということは、あなたの心に邪悪の欠片が存在する証拠」
ぼ、僕の心に邪悪があるって?
そ、そうなのか?
僕は邪悪なのか?
いや、違う。
断じて違うぞそれは。
ここは抗議の声を上げなければ!
「ぼ、僕は邪悪なんかじゃありません。ただちょっと目の前の女性に対してエロスな気持ちを抱いた冴えないキモ男なだけですから!」
「それは否定できませんが……」
否定してよ(涙)。
ジェネットはそんな僕の背後に近づいて、あくまでも真剣な声を出す。
「しかし、聖職者であるこの私に対して邪な気持ちを抱くとは……やはりあなたの心の内には邪悪が巣食っているのかもしれません」
いきなり全裸になって言うことか!
見せておきながら「見たな?」って、あんまりだ(泣)。
「ば、馬鹿なこと言ってないで早く魔法を解いて下さい」
僕は一般NPCだからライフ設定がなく、直接ダメージを与えるような魔法攻撃は無効なんだけど、こういう副作用的効果については一定の効き目がある。
自分の意思に反して身体が動かないってのは決して気持ちのいいものじゃない。
ましてや今、僕の真後ろには裸の尼僧がいるわけですよ。
なに?
うらやましいだと?
馬鹿め。
この状況に嬉々として小躍りできるほど僕の肝は太くないぜ。
何しろ女子に対する免疫ゼロのチェリー坊やなんだからなぁ!
ハハハハハッ!
……笑いたければ笑ってくれ。
そんな悲しき僕の懇願にもジェネットは止まらない。
「そうはいきません。あなたの心に根ざす悪の一片たりとも見逃すわけにはまいりません」
そう言うとジェネットはきっぱりと宣言する。
「これよりあなたを断罪し、悔い改めさせましょう」
うぅ。
神聖魔法で記憶を消されたりするのかな。
それならそれで今日のジェネットとの苦い記憶も消えるし、むしろ救われるからいいかな。
だが、そんな僕の考えは甘かった。
彼女の行動は僕の想像をエベレストよりも高く超えていたんだ。
「さあ見なさい。我が肢体のすみずみまで。あなたの劣情が空っぽになるまで」
そう言うとジェネットは、あろうことか僕の前に回り込んできた。
ギャアアアアッ!
全裸女子に素早く回り込まれて万事休す!
「シ、シスター? こっちに来ないで下さい」
そう言うと僕は慌てて目を閉じる。
な、何を考えてるんだ、この人は。
彼女の唱えた神聖魔法の効果によって、開いたままの瞼はまるで鉛のように重かったが、それでも僕は必死に目を閉じた。
しかしそんなことではジェネットは止まらなかった。
「目を閉じても無駄です」
そう言うと彼女の指が僕の瞼に触れ、閉じているそれをゆっくりと開いていく。
ゲッ!
閉じた瞼がこじ開けられていく。
ヤ、ヤバイぞこの人。
心の清らかな聖女だと思っていたけど、清らかさがヤバイ方向に突き抜けてる。
閉じられている視界がゆっくりと開き、光が僕の眼球を刺激した。
「ぐえええええ……やめ、やめてぇ」
情けない懇願も聞き入れずにジェネットは僕の両目を開いた。
彼女はやはり全裸だった。
それはもう清々しいほどに。
痩せている身体ながら胸や尻は女性らしい丸みを帯び、腰はなまめかしい曲線を描いてくびれている。
ふくよかな胸。
くびれた腰。
そして意外と肉付きの良いふともも。
って何を観察してるんだ僕は!
変態か!
閉じることの出来ない視界の中で彼女の白肌は神々しいまでに輝いていた。
「私は神に仕える尼僧です。この身は神に捧げた身。これを見て邪な気持ちを抱くなど神への冒涜です。さあ。悔い改めなさい」
そう言うとジェネットは僕の目の前に仁王立ちした。
何という堂々たる全裸っぷり。
彼女の身体は美しかった。
だけど清らかではあるものの扇情的でもあり、見ていると頭がクラクラしてくる。
「さあ。何も感じなくなるまでじっくり見てください。カバディカバディ……」
カバディカバディという謎の呪文を唱えながらジェネットは中腰の姿勢でどんどん距離を詰めてくる。
触れられそうなほど眼前に迫るジェネットに僕は息を飲んだ。
「カバディカバディ……」
やばい!
何だかよく分からないけど、追いつめられてる感がハンパじゃない!
そしてついにジェネットのやわらかな胸の双丘が僕のみぞおち辺りに押し当てられた。
「カバディカバディ……」
ひぃぃぃぃっ!
死ぬっ!
死んでしまう!
「カバディカバディ……」
もうやめて!
僕の忍耐力はゼロよ!
べ、別のことを考えるんだ。
何か別のことを。
僕は必死に頭を回転させようとしたが、身体に押し当てられるジェネットの胸の柔らかさによって、すでに脳はオーバーヒートし、まともに物事を考えられる状態ではなくなっていた。
思考能力はぶっ飛び、目の前のジェネットの肢体が頭の中でグルグルと回り始める。
ふ、ふくよかな胸。
く、くびれた腰。
に、肉付きの良いふともも……あ、やばい。
何だか気が遠くなってきた。
鼻腔の奥から生暖かい液体が垂れてくる。
意識が徐々に遠のいていき、揺れる視界は狭まって、やがて暗転した。
僕が最後に耳にしたのはジェネットの唱える謎の呪文だった。
「カバディカバディ……」
カ、カバディって……一体何なんだ……うっ。