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終戦記念日に戦争体験を語り継ぐということ

作者: 伊藤 蓬


 前置きが少し長くなりますが、私はこれから、父方の祖父の戦争体験について語ろうと思います。

 この話は、私が父から聞いた話です。祖父は私が物心つくかつかないかのころに亡くなりました。なので、祖父からは直接戦争体験について聞くことはできませんでした。幼い私の心におぼろげに残っている祖父は、孫のことが大好きで、目に入れても痛くない、親バカならぬ孫バカで、そんな孫の私にはいつもにこにこと笑いかけてくれている、短く切りそろえられた白髪が綺麗なおじいちゃん、そんな印象でした。

 祖父は、戦争を経験した多くの人がそうであるように、息子である父にも、自分の戦争体験について多くは語らなかったそうです。多くは語らなかった祖父ですが、それでもこれだけは伝えなければならないと思ったのか、重い口を開き、息子に語ってくれた言葉を私が結婚を決めたころ、父と二人きりで食事に出かけた時に、父が私に語ってくれました。父もまた、祖父と同じように、自分の子にこれだけは伝えねばなるまいと思って話してくれたのでしょう。

 その父も、今年、癌を患い亡くなりました。もう、二度と話の詳細を祖父にも父にも確かめることは出来なくなってしまいました。そのため、この話には、話を補完する上で必要な多少の脚色と、私の記憶違いが含まれているかもしれないことを先にお詫びしておきます。

 ただ、この物語の一番大切な部分。それは、祖父が戦争が終わった後も決して忘れることの出来なかった実際の出来事であったことをどうか、忘れないでください。


 ***


 私の父方の祖父はある山奥で一家の次男として産声を上げました。活発な子供だった祖父は、山の起伏の激しい地形に鍛えられ、青年になる頃には「村一番の俊足」と呼ばれ、村やその一帯の地域のマラソン大会のようなものに出場すれば、必ず一位になるような、健康で脚力自慢の若者になっていました。そのため、当時祖父には「マラソンの選手にならないか?」という誘いかけもあったそうです。

 ただ、祖父には少々やんちゃすぎるところがあり、祖父の両親は祖父の暴れん坊っぷりにいつも手を焼いていました。

 ある日、両親を激怒させる事件を起こした祖父は、「お前のようなやつは陸軍に鍛え直してもらって、お国の役に立ってこい!」と、家を追い出されることになります。もし、祖父の性格がもう少し大人しければ、マラソン選手としての未来もあったかもしれません。ですが、若い力を持て余していた祖父は、両親に怒鳴られながらも、「軍人になるのもよいかもしれない」と、当時はすんなり、自分が軍人になることを受け入れたそうです。

 そう、祖父は徴兵されたのではなく、両親の後押しがあったとはいえ、自ら志願して陸軍へと入ったのです。

 脚力自慢で有名だった祖父は陸軍に歓迎され、厳しい訓練を重ね、やがて、戦地へと送り込まれることになります。送り込まれたのはのちに激戦区と呼ばれることになる南方の戦地の一つだったと記憶しています。祖父はその戦地にて、毎日毎日「お国のため、本土にいる自分の家族のため」と、『敵』と戦い続けます。しかし、皆さんがご存じのとおり、やがて日本兵は疲弊していき、戦況は悪化していきます。そしてついに、終戦の日を迎え、戦地の第一線にいる祖父たちの元へも、『日本敗戦、本土へ撤退せよ』との知らせが届きます。

 この言葉を戦地で戦い続けていた祖父たちが、どんな衝撃を持って受け取ったか、想像することは難しい事です。ですが、祖父はこの事実を知って「生きて家族のもとへ帰らねば!」と、強く思うことになります。

 敗戦の知らせを受けたと言えども、ここは『敵』に回り中を囲まれたいまだ戦地。昨日まで殺し合いをしていた相手が、終戦したからと言って自分たちをすんなり返してくれるはずもなく、ここから、祖父たち軍人のお国のためでも何でもない、「ただ生きて帰る」そのための戦いが始まることになります。

 祖父たちは茂みに隠れたり闇夜に乗じたり、なんとかかんとか、他国軍の目や現地人の目をかいくぐりながら、退路を着実に進んで行きました。

 ところが、ある道の途中、不幸なことに、言葉の通じない現地の男性と遭遇してしまいます。祖父たちの脳裏には「もしこの男が騒いだら?」「もし今は見過ごしてくれたとしても、あとで他国軍に知らせたりしたら?」一瞬で色々な考えがめぐらされたと思います。けれど、一番強くはっきり浮かんだのは「生きて日本に帰りたい!」その思いでした。おそらく、戦地で慣らされた軍人の体は、考えるよりも早く動いていたことでしょう。気づけば、目の前には倒れ込んだ現地人の男性の姿。それをよく見ることもなく、祖父たち敗戦兵の一団は、その場を背に走り去ったと言います。

 その後、祖父は数々の困難をくぐりぬけ、無事に、本土=日本へと帰りつくことになります。

 祖父は日本に帰った後、結婚し、後々私の父である息子を持つことにもなりますが、そうなった後でも、あの時のことを夢に見て、忘れることが出来ないと、父に語ったそうです。

 お国のためでも、家族のためでもなく、「ただただ自分が生き延びたい、そのためだけに人を殺してしまった。あの殺される瞬間の男性のおびえた表情や、自分が生きるためだけに人の命を奪ってしまったことへの罪悪感や後悔。それは一生忘れることができないし、消えることもないのだろう」「戦争が終わっていたのだから、彼は我々に出会わなければ死ぬことはなかった」「殺す必要のない人間を自分の生きたいという欲望のためだけに殺してしまった」

 平和な世に生まれた私たちの多くは、人を殺すこと自体が悪いことであると、教育によって学び、また、本心からそう思っている人も多いことでしょう。ですが、おそらく戦地で『敵』をたくさん殺してきた軍人の祖父にとっては、『大義なき殺人』『己のためだけの殺人』これが一番の罪だったのです。


 ***


 軍人として戦地に送り込まれた祖父の戦争体験は以上です。祖父には戦争から帰ってきてからも、まだ戦争の爪痕に苦しまされた物語がありますが、それはまたの機会に。

 終戦記念日のこの日に、悲惨な戦争がこの世からなくなることを祈って。


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