8-1-7 依頼(2/2)
途中の暗い夜道を歩くこと数分。
多少警戒していたのだが、夜襲もなく無事に屋敷へと到着した。
無論、警戒対象はアルノーなどという小物ではなく、襤褸を纏った人物に対して、だ。
リリアは汗を流した後で夕飯の支度をするといって、屋敷の中に消えていった。
己は地下で訓練の続きという気分でもなく、若干手持ち無沙汰気味になったため、玄関の扉前で煙管を吹かすこととした。
紫煙を燻らせながら思考するのは、襤褸を纏った謎の人物についてだ。
何故、エルフを浚おうとした?
元居た世界の娯楽小説では、エルフを浚って高値で売り飛ばす、というのが常套手段だったはずだ。
この世界でのエルフの立ち位置などは分からぬ故、迂闊に結論は出せぬが、その可能性は高いと見積もっておくべきか。
詳しい立ち位置などは後ほどリリアに聞いておこう。
何故、王都方面へ逃げた?
恐らくではあるが、先にも少し考えたように逃走先は三つ程であろう。
ついでにもう一つ、森の何処かに潜伏しているというのも考えたが、矢傷を負った状態でその可能性は限りなく低い。
数が少ないといえど森の中には魔獣がいるのだ、リスクが高すぎる。
逆に可能性が高いのは、王都内の何処かにそういう類の拠点などがあることか。
何故、今までと違って姿を見せた?
正直なところ、これが一番分からない。
一連の行方不明の原因を「浚われていた」と仮定した場合、男の手練であっても浚っていたのだから、今まで通りに目撃者全てを浚えば良いはずだ。
相手はたかが三人である上に、対エルフの準備もしている。
やってやれないことは無いはずだが、どうにも腑に落ちぬ。
ひょっとすると、行方不明騒ぎの一件とは関係が無く、全くの別件という可能性もある。
が、襤褸を纏った人物がこの場に居るわけでもない故、幾ら考えても答えは出ぬか。
いっそのこと、件の人物が目の前に湧いて出てくれば、捕縛し締め上げ情報を吐かせれば良いだけである故、相当楽なのだが。
出てくるわけが無いので詮無きことか。
まあ、アルノー程の致命的な阿呆でもなければ、わざわざそんな真似はしない。
考えるだけ無駄であるな。
今までの情報を整理していると扉が開き、隙間からリリアがひょいと小さな顔だけを覗かせた。
「お待たせ、ソウジロー。夕飯できたわよ」
「あい分かった」
……ある意味で生首が浮いている様にも見える。
「ん? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
思えばそういう妖怪が居たな、などと一瞬過ぎったが、考えないようにしておこう。
食堂へ赴くと、料理の数々が並んでいた。
焼きたてのパン数種類は勿論、ポテトサラダ、澄みきったコンソメスープ、薄く切った鶏肉のソテー、焼き色の付いた白っぽい細長いソーセージ、牛らしきもののステーキ、アップルタルト、ワインと思わしきボトルなどなど。
妙に気合が入っていると言うか、量もそうだが、朝昼より確実に手が込んでいる。
あの短時間でどうやって作ったというのか。謎だ。
「随分と豪勢なのだな」
「気分が良かったからね。気づいたらこんなになってたわ」
リリアは少しだけ舌を出しながら、悪戯っぽく笑みを浮かべ、赤ワインらしき液体をグラスに注ぎながら言う。
確かにストレスの元凶であるアルノーが、あれだけの無様さ加減を晒せば気分も良いであろう。実際笑っていた訳だし。
「量も多いし、無理して食べ切ろうとしなくても良いわよ」
「ふむ。毎回でなければ、今出ている量は問題は無かろう」
「あらそう、意外と食べられるのね」
作り甲斐があって嬉しいわ、などと本当に嬉しそうに微笑んでいる。
……油断のならぬ娘子である。
「それはそれとして、少し聞きたいのだが。この世界でエルフはどういった立場なのだ?」
「うん? またおかしなことを聞くわね? 貴方もエルフでしょう?」
そういえばそうだ。己の今の種族はエルフ種であった。
己は暫し思考を廻らせた。
出会ってから日は浅く、まだ二日程度ではあるが、リリアは信用に足ると踏んでいる。
意見と認識の摺り合わせに不都合が出る以上、いっそのこと出自を明かしてしまうのが得策か。
打ち明けてから警戒されるのは覚悟の上でだ。
「そこらは拙の出自に関係していてな。拙は――」
あちらの世界で三〇〇年生きていたこと。
そして管理者モイラに出会い、こちらの世界に戻してもらったこと。
そのときに権能の開放をされたこと。
今までの経緯を明かす。
その間に、ちょくちょく質問されたが、分かる部分については包み隠さず全て話した。
「――ということでな、この世界のことがさっぱり分からぬのだよ」
「成る程ね。常識が無いのもその所為か。何か妙だとは思ってたのよ」
「荒唐無稽な話故な、多少の信頼関係を結ぶまでは黙っておこうと思ったのだ。済まぬ」
「ううん、謝る必要は無いわよ。私もソウジローのことは信用できると思ってるし、気にしないで」
「そう言って貰えると助かる」
「で、エルフだけど、カヴール帝国のヒューマン種以外とは仲は良いわね。ああ、カヴール帝国って言うのは大陸の東にある国で――」
己の出自を知ったリリアは、常識の類を事細かに語っていく。
今後必要になる常識ということで、手短にこの世界の情勢や、大陸を統治する国家、種族やその生態などを教えてくれた。
曰く、この大陸は北部にエルムント王国、南部にフロレアル王国、西部にカーディス女王国、東部にカヴール帝国と、いわゆる四大国家がそれぞれに統治しているらしい。
件のカヴール帝国とやらは、大陸東部を纏める帝政国家であるという。
ヒューマン至上主義を大々的に掲げている国家であり、他種族のことを見下して「亜人」などと蔑む者が多いのだとか。
エルフ種とナーガ種に対しては風当たりがきつい程度だが、セリオロブ種に関しては完全に敵だと思っているそうだ。
ついで、大陸におけるヒト種と呼ばれる種族についても教えてくれた。
ヒューマン種、ドワーフ種、エルフ種、セリオロブ種、ナーガ種、といった五つの種族が大陸に生息しているという。
ヒューマン、ドワーフ、エルフは言わずもがな娯楽小説通りの特徴を持つ。
セリオロブは俗に言う獣人で、獣の耳と尻尾が生えた外見を持つそうだ。
ナーガはヒューマンと外見上では変わらないが、その実、竜人といった具合らしい。
「どうしても外せない用事でもない限りは、帝国、特に帝都には極力近づかないほうが良いわね。確実に迫害されるわ。最悪捕まって奴隷にされるわね」
リリア自身も過去に迫害されたことがあるという。
外見がほぼ変わらないのに迫害されたという時点で、エルフの己は確実にアウトであろう。
そしてエルフ種は、性格はともかく皆一様に美男美女揃いで、帝国内では奴隷としての価値が高いのだそうだ。
よろしい、帝国は己の敵だ。絶対に行かぬ。
リリアから教えてもらった情報を元にして、今一度思案する。
短絡的に考えるのであれば、襤褸の人物はカヴール帝国と何かしらの繋がりがあり、エルフを浚い奴隷として売り捌いている、というところか。
実際のところは不明ではあるが、理由としては妥当なもので、その可能性は高くなった。
しかし、そう考えると帝国方面ではなく、王都方面へと逃走したのは腑に落ちない。
エルムント王国と帝国が繋がっているならそれもありえる。
だが、エルムント王国の王陛下はエルフ種だ。
ヒューマン至上主義を掲げ、エルフを奴隷とする帝国とは敵対することはあっても、繋がっていることは先ずありえないであろう。
とすれば国家自体は関係が無く、何かしらそういった裏側の組織の暗躍辺りと思っておくほうが建設的か。
何れにせよ、捕縛して締め上げれば分かることだ。
会話中、様々な可能性を考えながらも、大量の食事を平らげ胃の腑へと収めていく。
美味であった。
「本当に全部食べちゃったのね。お腹苦しくない?」
「少しキツイかな程度だ、心配には及ばぬよ。風呂を頂いても良いかね?」
「上がったらでいいんだけど、サロンに来てくれるかしら?」
昨日のように、晩酌に付き合えということであろう。
「構わぬぞ。ではまた後でな」
「ええ、また後で」
嬉しそうににっこりと微笑みながら言葉を返すリリア。
己はそれを見止めた後、そそくさと浴場へと移動した。
脱衣所に入ると、既に着替え一式が置いてあることに気づく。
今度はナイトガウンであった。用意周到というか何と言うか。
それなりに時間を掛けて湯船で温まり、ゆっくりと身体を解す。
湯船から上がり身体を拭き、用意されたナイトガウンを羽織ってサロンへと向かう。
ノックしてから中に入ると、既にリリアが座って静かにグラスを傾けていた。
何故か若干透け気味のネグリジェ姿だった。態々着替えたというのか。
「大分待たせたか」
「ううん、気にしないで? それより座って飲みましょう?」
促されるままソファへと座り、グラスを渡される。
グラスには相変わらず、琥珀色の液体がなみなみと注がれていた。
「明日からのことなのだけれど」
「ふむ?」
「朝食後に王都へ向かいましょう。その後で身分証を作って、暫く王都に滞在と調査をしましょう」
「滞在と調査は分かるが、身分証は必要なのか?」
「勿論必要よ。ハンターギルドで直ぐに作れるし、作っておけば門の出入りで無駄に時間を浪費しなくて済むの」
「ハンターということは、狩猟組合か」
「ええ、ハンター業務の大体は魔獣狩りだけど、薬草採取とか引越しの手伝いとか簡単な仕事もあって、何でも屋みたいな側面もあるわね。で、ギルドはそれぞれの国家とは独立した組織のことよ。各国に支部があって、メンバー証は何処でも共通だし、割と融通が利いて便利よ」
成る程。魔獣から魔核を取り出し、それを売って金銭を稼ぐわけだ。
一箇所に拠点を構えず根無し草の己のような者たちや、街中の職にあぶれた者たちにとって必要不可欠な組織なのであろう。
ハンターには独自の格付けがあり、第1層序から第10層序までの序列があるという。
序列はその者の実力によって、常に変わるそうだ。この辺りは魔法の格付けと同じ感じなのであろう。
ちなみにリリアは第8層だそうだ。
どのくらい凄いのかは、未だ良く分からぬが。
「ソウジローなら第9層は軽く狙えそうね。もしかしたら第10層かもしれないけど」
「最高位はさすがに無かろう」
「そうかしら? 立ち居振る舞い、歩き方を見る限り、実力者のそれにしか見えないもの。それに、実戦での対人経験も沢山あるのでしょう? アレだけの殺意を簡単に振り撒けることだし、その程度は理解できるわ」
「ふむ。それが分かるということは、リリア殿も相当に剛の者であるな」
己の言を聞いたリリアは、少し困ったような表情を見せる。
「これでも第8層ハンターだしね。何れにせよ最初の実力試験で分かることよ。期待、してるわよ?」
「期待されても困るのだがな」
「それと」
言の葉を区切り、己をジッと見据えるリリア。
そんなに見つめられても困るのだが。
「『リリア殿』っていうの止めて欲しいんだけど?」
「『様』のほうが良かったかね?」
わざとらしくおどけて言ってみたところ、リリアは露骨に嫌な顔をした。
「そうじゃなくて、呼び捨てでいいわよ。殿なんて付けられると壁があるみたいで何かイヤなの」
先ほどから、名を呼ぶたびに何か微妙な顔をしていたのは、呼び捨てではないのが気に入らなかったためか。
ならば言われた通りにする他あるまいな。
「承知した。次からは呼び捨てでリリアと呼ぼう」
「ふふ、それで良いわ。さてと、そろそろ寝ましょうか。寝室に案内するから付いてきてね」
センターテーブルに空のグラスをコトリと置き、リリアは立ち上がってサロンを抜けていった。
追いかけるように後をついていくと、昨日寝たのとは明らかに違う寝室に通された。
見れば広めの間取りに、ベッドが二つ、ぴったりと隙間なく並んでいる。
何故くっついているかはさて置き、片方には若干だが使用感が見られる。
恐らくいつもはここで寝ているということなのであろう。
「拙は昨日の客間で良いのだが?」
「え? 別にここでも良いでしょう?」
小首を傾げながら、何を言ってるのだこいつはという、心底理解できないような顔をしている。
逆にその言は、己が言ってやりたいくらいなのだが。
それよりも、貞操の危機感を覚えたりはしないのであろうか。
「……男と同室で良いのか?」
「ソウジローがどこかの刺客ってことは無いし、私は特に気にしないから構わないわよ。それとも、私の隣で寝るのはイヤかしら?」
誘っておるのかそうでないのかは分からぬが、何となく挑発的かつ悪戯な笑みを浮かべている。
この顔は碌なことを考えていなさそうだ。
「……」
「ほら、寝ましょう?」
言いながら既に自分のベッドに潜り込んで横になり、隣のベッドをぺしぺしと叩いていた。
逃がす心算は無いのだなと己は観念し、全てを諦め考えないようにして、もう一方のベッドへと潜り込んだ。
リリアはそれを見届けると、非常に満足したような表情をしながら口を開いた。
「おやすみ、ソウジロー」
「ああ、おやすみ、リリア」
返事をすると同時に、ふっと寝室の明かりが消えた。明かりは魔法だったのであろう。
それ以上の考えを放棄し、己は目を閉じて寝入ることとした。
静かに夜は過ぎていく。