4-1-3 身体制御と銀の少女
「宗司朗様、着きましたよ」
白小娘の言葉を受け、己は閉じていた両の眼を開ける。
「もう着いたのか。まさか一瞬だとは思わなんだ」
握っていた手を離し、軽く首を捻って周囲を見渡せば、そこは鬱蒼とした木々に覆われており、あまり見通しの利かない森の中だと分かった。
周囲は薄暗いものの、木々の合間の所々にうっすらと光が差し込んでいるところを見るに、今の時間帯は昼間なのであろう。
白光に視界を奪われる以前に立っていた場所とは、明らかに違う。
そもそも住んでいた家が無い。
「空間転移というのはそういった代物なのですよ。権能開放をしたので宗司朗様も使えますし、今後多用するようになりますから、早めに慣れてください」
「ぬ? あちらの世界と頻繁に行き来するということか?」
「いえ、この世界の中で、です。陸路を長距離移動するのに便利ですからね。行こうと思えば、あちらの世界にもいけますが」
成る程合点がいった。確かにいちいち歩いて横断せずとも、空間転移を利用すれば手間が省けて面倒が無い。
「ただ、転移の際に気をつけていただきたいことが一つ。どこにでも転移することは可能ですが、転移するのは良く見知った場所へのみに留めておいてください」
空間転移とやらは、どうやら記憶を頼らずとも座標指定さえすれば、どこであろうと転移できるらしい。だが、迂闊に座標指定で転移し、万が一、指定地点に障害物が存在した場合は大惨事になるという。
例えばの話だが、指定地点上に巨大な岩が存在した場合などは、その岩の中に入り込んでしまい体組織が岩と同化してしまうそうだ。
同化は質量の大小で優劣が決まり、質量の小さい方は存在が完全消滅する、と。
それはつまるところ、認識外の即死であるという。
さらに厄介なことに、同化は「存在の完全消滅」であるために魂すら消滅し、管理者による蘇生すらもできなくなってしまうという。
一連の説明を聞き、既知の場所以外には絶対にやらぬと己は固く誓った。
寿命や病気、戦場で死ぬならまだしも、そんな間抜けで阿呆な死に方など御免蒙る。
「転移の練習は後ほど、広い場所でやったほうが良いでしょうね。下手にこの場でやると、樹と同化する可能性がありますし」
「了解した。現状は先ず、力の制御か。にしても、本当に力が上がっているのか? 実感が湧かないのだが」
己の言を聞き、白小娘は背後を振り返る。
「でしたら、この樹を軽く握ってみてはいかがでしょう?」
目の前に生えている太い樹を、掌でぺしぺしと叩きながらそう言った。確かに力量を測るのならば、無生物であれば丁度良かろう。
己は言われた通りに、軽く握った。
本当に、ほんの軽く、だ。
するとどうか、ぐしゃりと音を立て、握った場所が綺麗に抉れて無くなった。
いかん……これでは迂闊に刀が握れぬではないか……。
「ご理解いただけましたか?」
あまりの出来事に戦慄を覚えていると、嫌らしい笑顔を浮かべながら白小娘が声を掛けてきた。
「……己は化生になってしまったのだな」
「一般人からしたら化け物といわれる力でしょうね。もっとも、私からしたら可愛いの範疇ですがね」
くすくすと楽しそうに笑いながら、白小娘は言う。
容易に樹が抉れるほどの力を片手に受けてもびくともせず、飄々としている此奴は本当に常識外の存在なのだな。
「さて、ご自身の力が如何ほどなのか理解できたようなので、制御練習がんばってください」
「確かにこの様子では撫でるだけでも樹が折れそうだ。力を制御できなければ刀も握れぬ故、完全に制御できるのを目指そう」
「私は管理者の仕事があるのでこの地を離れます。なのでこれをどうぞ、お持ちくださいな」
白小娘は自身の襟元から服に手を突っ込み、暫く胸元をごそごそと漁ってから透明な珠を一つ取り出した。白小娘の薄い胸では、谷間であの珠を保持することもできぬはず。恐らくは空間収納なのであろう。
己はその珠を恐る恐る慎重に、壊さぬように受け取る。
「その水晶珠は破壊不能属性がついてますから、割れたりしませんよ」
そういうことは先に言えと。
危うく地面に叩き付けそうになってしまった。
「で、これは何だ?」
「どこに居ても私と通話できる通信機だと思っていただければ良いです。ついでに、亜空間に入れていても宗司朗様の位置が特定できますので、万が一の緊急時でも瞬時に助けに行けます。とても便利な水晶珠ですよ」
「ある意味、首輪ということか」
「人聞きが悪いので、そこは今風にGPSと言って欲しいところですね。諸々の設定は済んでいますから、手に持っていなくても頭で念じるだけで私と会話できますよ」
「横文字は得意ではないのでな。まあ良い、有り難く頂いておこう」
失くしては困るため、すぐに空間収納に突っ込んだ。
入り口の開け閉めに慣れてきた気がする。
「それでは、私はこれで」
「ああ。世話になった」
「いえいえ、お気にせず。今後のご活躍、じっくり観察させてもらいますね」
白小娘は右手をひらひらさせながら、淡い光の粒子になって消えていった。
燐光が収まったときには、陰も容も見えなくなった。気配すらも完全に無い。
では己も制御を習得をしようか。
先ずは、先ほど抉ってしまった樹を練習相手と定めた。
生物ではないが傷つけてしまった以上、供養の意味をこめて最後まで付き合ってもらうのが礼儀というものだ。
試しに軽く横から叩いてみた。
すると叩いた場所からばっきりと折れてしまい、思わず頭を抱えそうになった。
バラバラになるまで付き合ってもらおうと決める。
そして一本、二本と次々に周囲の樹をバラバラにしていき、三十本目にしてようやく折れない力加減を見極めた。
もはや握っても抉れたりはしないし、叩いて折れることも無い。
気が付けば差し込んでいた日は陰り、森は闇に包まれつつあった。
樹をバラしたおかげで一帯が開けたので、これ幸いと野営の準備をすることにした。
収納から野営道具一式を取り出し、展開していく。
ホームセンターを物色中に見つけたのだが、ワンタッチテントとやらは便利だ。
折り畳み傘のような構造で、展開してから布を引っ掛けるだけである程度のテントが完成する。
雨風を凌ぐだけなら十分であろう。
簡易拠点ができたところで、食事の準備に取り掛かった。
制御練習がてらに薪は沢山作ってあるため、それらを集めて土盛りの竈に放り込み火をつけた。
飯盒に水と米を入れて、金網を載せ炊く。
ついで、金網の開いているところに、下拵えした肉を載せ焼く。
米が炊き上がり、焼きの入った肉と共に胃の腑へと収めていく。
適当も良いところだが、己の腹を満たすだけならば十分であろう。
凝った物は街に移ってから、落ち着いて作れば良いのだ。
腹が満ち足りたところでふと思い立ち、手頃な枝を拾って簡単な稽古を行うことにした。
右手に枝を持ち、自然体から一歩左足を引いて半身になる。
そこから軽く腰を沈め、抜刀の構えを取ってから、眼を閉じ静かに呼吸を整える。
目の前に巻き藁があると仮定しての仮想稽古だ。
眼を開けると同時に抜刀し、右前方へ向けて横薙ぎの一閃を放つ。
続け様に手首を返しながら腕を下方へと降ろし、瞬時に左手を添えて両の手で握りこみ、そこから逆袈裟に打ち上げの斬撃を放った。更に続けて、手首を捻り真下へと振り下ろす。
一連の動作を終えるまでに要した時間は、一秒にも満たない。
眼を閉じて一息つくと同時に、どずん、と重い音が聞こえてきた。
何事かと慌てて眼を開け前方を見ると、少々離れたところにあったいくつもの木々が倒れ、森が開けていた。
……やってしまった。
握っているのはただの枝だと楽観視し、本気の斬撃を放ったのが間違いだったようだ。
地球上で見たならば、神速の抜刀とでも呼ばれたであろうか。
常識では到底考えられないような速度で鋭く振り抜かれた枝からは、あろうことか巨木を切り裂く衝撃波が発生していたのだ。
ふと手元の枝を見れば、中程から先端に掛けてが消失していた。
振りぬいた速度に耐え切れず折れて何処かへ飛んでいったのか、あるいは空気との摩擦で削れて消えたのであろう。
握力の制御が終わり、一安心だと気を抜いていたらこの様だ。
枝を振るだけでこれでは、先が思いやられる。
今日はもう止めだ。不貞寝しよう。
制御訓練のために森に来てから四日が経った。
その間ずっと訓練を怠らず、ただ只管に己の力を制御し手加減の努力をしてた。
おかげで大よその把握は付いた。すでに稽古で枝を振るって衝撃波を発生させることも無い。
もっともその気で振るえば、以前のように枝で樹をズタズタに切断したりもできるが。
後は特別意識せず、自然に手加減ができるようになれば完璧か。
その辺りは慣れが必要なので、時間の問題であろうか。
己は制御訓練についてはそう結論を出し、白小娘の言っていた魔獣とやらを探してみることにした。
魔の獣というからには、単なる野生の獣とは違う存在なのであろう。
それらがどんな容貌をしているのか、またどれ程の強さを誇るのか興味が湧いたのだ。
動物園に展示されている、珍しい生物を見に行く感覚に近いかもしれない。
己は野営道具を手早く片付け、愛用の打刀を腰に帯刀すると、深い森を適当に歩き始めた。
待っておれ魔獣とやら。
今、己が、会いに、行くぞ。
――等と意気込んで歩き始めたのは良いものの、どれ程歩いても一向にそれらしき気配はさっぱり無い。
もしかして己は騙されたのであろうか。
最初のテンションは何処へやら。
半ば諦めたような状態で歩き続けていると、野生動物とは明らかに違う妙な気配が二つあることに気づいた。
魔獣とやらか?
しかし何だこの殺気立った気配は?
魔獣同士で対峙……縄張り争いでもしているのか?
一瞬の思考を考える無駄と断じて振り切り、とりあえずは視界に捕らえてから考えようと足を進めていく。
程なくして、気配の元から何らかの金属的なものを打ち付け合わせるような、甲高い乾いた音が微かに聞こえてきた。
これは剣戟の音か?
いや、それにしては――
妙だ。
双方が殺意を持ち、打ち合うような音ではない。
一方が明らかにやる気が無く、ただただ躱し受け流すだけの音。
防戦一方であればそういったことも起こる、という読みもできるが、どうやらそれとは違う。
たとえ防戦であっても、攻撃を受け流すためにはある程度の力が入り、かち合う音は違ってくる。
ならば、これは、
「圧倒的強者が手を抜きながら、弱者をあしらう音」
思わず口をついて出てしまった。
ハッとして口を閉じるが、幸いなことに聞いているものは居ない。
気を取り直して更に近づくと、少々開けた場所で動いている二つの影が見えた。
思っていた通り、やはり一方が打ち合い、もう一方がそれを流している。
弱者の側は、熊……?
にしてはやたらとでかい。
地球の森で狩ったことのある熊よりも、二倍以上の巨躯を誇っている。
そして毛がドス黒い赤をしており、無駄に艶がある。
あれが魔獣というものか。
それに対峙しているのは、細身で小柄な少女。
少女は何一つ慌てることなく冷静に、絶え間なく襲い来る巨大な爪を、右手に持つ細身の剣で華麗に受け流していた。
確かレイピアという片手剣であったろうか。
受け流すたびに、硬質な音が鳴り響く。
あれだけあしらい慣れているならば、体格差があろうとも倒せる気がするのだが、何故攻撃に転じないのであろうか。
疑問を持ちながら暫く様子を観察していると、少女は爪撃を流すと見せかけて、受けたままで後ろに跳び退り、一息に熊から距離を取った。
彼我の距離は十メートルといったところか。
熊の腕力を利用したとはいえ、素晴らしい技術と跳躍力だ。
少女は距離を取ったまま、レイピアを天に向かって突き出し、ゆっくりと熊へと切っ先を向けた。
その刹那、切っ先から熊に向けて不規則な軌道で青白い閃光――恐らくは誘導性と指向性を持った雷――が迸り、熊に直撃する。
そして、直撃とほぼ同時に轟音が響き、周囲の空気をビリビリと揺らした。
雷に身を焼かれた熊は、ゆっくりと前のめりに倒れ始め、どずんと重く鈍い音を立てながら地に伏した。
ピクリとも動かないところを見るに、心停止か脳を焼かれて死に至ったのであろう。
なかなかに面白いものを見れた。
等と思っていると、少女が此方を向いて口を開いた。
「横槍入れる気配がないから放置していたけど、覗きとは感心しないわね? そこの貴方、出てきなさい」
鈴を転がしたような可愛らしい声が耳を打つ。
バレバレであった。
それもそうか、あれ程の強者だ。
隠れていたところで、気配くらいは読めるであろう。
「初めましてだ、お嬢さん。素晴らしい手腕だ」
己は素直な賞賛と共に拍手をしながら、我が身を晒して少女に近づいていく。
近くに行って少女を見てみれば、小柄さと薄い胸が相まって実に線が細い。
だが逆に、それでこそ全体の均衡が取れていると言えよう。
一見して特徴的なのは、腰ほどまで伸ばした艶やかな銀の髪。
そして、猫を髣髴とさせる釣り目に、澄んだ綺麗な蒼い瞳。
敢えて表現するならば、華美かつ華奢、といったところであろうか。
「あら貴方、金髪にその長い耳。エルフ? それにしては変な服着てるし、集落じゃ見たことが無いわね……新顔が迷子にでもなったのかしら?」
はて、金髪とな?
己は黒髪のはずであるが。
それに和装束を変な服とは失礼な。
まあ今はそれらのくだらぬ疑問は置いておくとして。
さてどう答えたものか。
パッと見た感じではヒューマン種の少女のようだが、あれだけの技量を持っているのだ。無駄に敵対するのは避けたい。
侮ったような態度は不味かろうなと思いながら意識を少女に割いていると、唐突に少女の頭の上に文字が出てきた。
名前:リリア 352
種族:ハイナーガ 95
所属:エルムント王国
加護:なし
称号:災厄の魔女
名前に種族、所属に加護に称号?
おい、何だあれ! 何だあれ!!
「ふぅん? それだけ動揺しているところを見ると、図星だったかしら?」
違うそうじゃない。確かに驚いてはいるが、違う。
頭の上に何か、変なものが出ているのだ! 気づけ!
だが己の期待も空しく、少女は今以てそれに気づく様子は無い。
まさかとは思うが、あれは己にしか見えていないのか?
「ねえ、聞いてる? 何か言ってくれなきゃ判らないわよ?」
わたわたとしている様に少女は焦れたのか、こちらを問い詰めるような仕草で質を投げてきた。
己は意を決して、頭の上に浮いている文字について聞いてみることにした。
「あ、ああ、すまぬ。卿の頭の上に何やら文字が浮いていたのでな。あまりのことに驚いて声が出なかったのだ」
「えっ? 頭の上?」
そう言いながら頭上を見上げ、きょろきょろと見回す少女。
視線の先には、浮いたままの文字。これで見えるであろう。
「何も無いじゃない。文字って何よ?」
見えなければおかしい。そう思っていた時期が己にもありました。
これはどうやら、危惧していた通りに己にしか見えないということなのであろう。
「すまぬ。どうやら拙にしか見えておらぬようだ」
「なによそれ……。まさか魔眼の類ってこと?」
「それなのだが、良く分からぬのだ」
「良く分からないって、自分のことなのにいい加減過ぎなんじゃない? まあいいわ。それで、私の上になんて書いてあるのよ?」
「それぞれ、名前、種族、所属、加護、称号と、その隣に数字のようなものが書いてあるな」
己の言を受けて、少女は驚愕の表情を浮かべる。
そんなに驚くことなのか。
「そ、それぞれ何て書いてあるのか、言って見なさい」
震える声で、搾り出すようにそう言った。
「リリア352、ハイナーガ95、エルムント王国、加護はなし、災厄の魔女とあるな」
「っ! 私の個人情報じゃないそれ! 何で見えてるのよ!!」
少女は一瞬で詰め寄り、己の襟首を締め上げて声を荒げた。
まさか己が一切反応できないほどの速度とは。
白小娘もそうであったが、この世界の女子は総じて強いのであろうか。
「分からぬと言ったであろう。それよりこの数字は何か意味があるのか?」
「……名前のほうが年齢。種族のほうは魂の格といわれるもの。あと……災厄の魔女ってのは、忘れて頂戴」
少女は俯き、怒気を孕ませながらそう言った。
災厄の魔女というのは、よほど不本意かつ不名誉な称号ということか。
「リリアが名で、歳が三五二歳?」
「そうよ」
白小娘に引き続き、またしても己より年上か!