2-1-1 モイラの事情説明
「違う、のか」
己の期待を返せ!
と言いたいところであったが、一度落胆した口から出たのはそれだけだった。
「そうです。宗司朗様は本来この世界の住人ではないのです。ですから本来生きるべき別の世界へと送り届けるために、私が迎えに来たということです」
別の世界? 三百年も経って、今更元に戻す?
いきなり何を言っているのだこの娘は。キ印であろうか。
「それと、信じられないかもしれませんが、貴方は人間ではありません」
「……確かに三百年も生きている時点で人間では無かろうな。ではこの身は一体なんだというのだ?」
「エルフという種族で、寿命は大体二千歳くらいです」
「は?」
想定外過ぎる答えに、途轍もなく間抜けな声が出た。
エルフとは何だ?
いやまて、何時だったか、何処かで見た覚えがある。あれは街の書店に立ち寄ったときに見た、娯楽小説であったろうか。
記憶が確かであれば、その話の中に出てきた森の住人で、耳が長いのが特徴だったはずだ。しかし己の耳は長くなどない。
そしてあれは架空の物語であって、現実のものではない。
「冗談のように聞こえるでしょうが、本当のことです。耳もあちらの世界に戻れば長くなりますよ」
余りのことに絶句していると、モイラは己の考えを見透かしたように言葉を紡いだ。
思考が読めるのであろうかとも思ったが、今までの己の表情や行動を見ればすぐに分かることだと思い直す。
恐らくはそのように思考誘導されているのであろう。それはそれで不味い気がする。
一先ずは話を肯定する振りをしておき、冷静にならねばなるまい。
「さ、然様か」
いかん、いかんぞ! 言葉が紡げない上に声が上擦っておるではないか!
これではまたこの小娘の掌で踊らされてしまう。
「おや、小娘の掌の上で踊るのはお気に召さないようですね。それに衝撃の連続で焦っておられる。随分可愛らしいところもお在りのようで」
「……何、を」
「思考が読めるのか、と気になっているようなので、はい、と答えておきましょう。伊達に世界の管理者をやっているわけではありませんよ」
この小娘……覚りの類であったか。
ならば思考するだけ無駄というもの、矢継ぎ早に質を問うべきだ。
「管理者とは何だ?」
「そのままの意味です。世界とは、あなた方の言うところの銀河系宇宙といえば分かりやすいでしょうか。それを管理するモノたちのことを言います。ちなみに私は万を超える世界を管理していますよ」
答えが荒唐無稽すぎて頭を抱えたくなる。
だが、我慢して次だ。
「いわゆる神とは違うのか?」
「神ではありませんね。管理者それぞれに権能を持つため、それに近いことはできますが全知全能とは行きません」
「然様か。先に拙の生まれが違うといったな? ならば何故、拙はこの地に生まれたのだ?」
「本来生まれるべき世界、私たちはアガレイア世界と呼んでいるのですが、そこの管理者の妨害工作の影響ですね」
「何故そんな真似を?」
「経緯を全て話せば長くなるので、掻い摘んでですが――」
曰く、アガレイア世界は初期からイブリスという者が管理していた。
時たま現地介入を行っていたためにその姿は現地住民にも伝わっており、管理者イブリスは神として崇められ根強い信仰を集めていた。
だが、万の年月を経ても絶えず起き続ける現地住民同士の戦争による絶望と、イブリス教徒による負の感情の祈りで狂い、暴走してしまう。
彼は完全に正気を失い、瘴気と呼ばれる負の感情を撒き散らしながら広範囲に破壊活動を始めたため、慌てて上司に相当するモイラがソレを封印したそうな。
その後、イブリス教はいつしかその教義と方向性を完全に違え、世界の終焉を望む破滅願望の狂気の集団へと成り下がっていった。
そしてイブリス教の名は表舞台から消え、信仰するものたちは邪神教徒と蔑まれるようになった。
そんな連中による狂気の祈りは、須らく瘴気へと変換され封印されているイブリスの元に届き、徐々に力を取り戻していったそうだ。
管理者の居なくなった世界は、管理者候補として現地住人の中から生まれ、管理者へと至るのが摂理であるという。
そして、その候補者たちの内一人が己であると、白い少女は語る。
「候補者たちによる自身の消滅を恐れたイブリスは、瘴気の祈りで溜め込んだ力を使い、最強の候補者になる可能性が最も高い貴方の魂を、別の世界であるこの地へと飛ばしたのです」
全く持ってご苦労なことである。
魂を何処ぞへ飛ばすくらいならば、いっそのこと消滅させれば良いものを。
「魂そのものを消滅させるには到底力が足らず、飛ばすのが精一杯だったのですよ。貴方の魂はそれほどまでに強いということです」
「ちょいちょい拙の心を読むのやめてくれんか」
「ふふ。隠し事は無意味と知ってくださいね?」
「まあ良い。話は概ね理解した。それで、拙を戻して何をさせようというのだ? イブリスとやらを倒滅しろというのか?」
「いえ、違います」
またか!
また空かしか、この白小娘ぇ!
「白小娘とか妙なことを言うの、やめていただけますか。ちゃんとモイラという名で呼んでください」
「心を読まねばよかろう。とはいえ、卿の名を呼ぶのは負けた気がするのでな、断固拒否させてもらう」
おお、河豚のように頬が膨れておる。
あれも恐らくは演技であろう。
可愛いなどとは微塵も思えぬ。否、思ってはいけないのだ。
思った時点で終わる。思考や心を読まれるとは、つまりそういうことだ。
「最初に美しい、と思っていたのに今更過ぎですよ、それ」
「戯言はもう良かろう。で、何をさせようというのだ?」
「お願いしたいのは、邪神教徒と魔獣の殲滅ですね。どちらも瘴気の塊みたいな物です。それをぶち転がして浄化してください。要は瘴気の倒滅霧散と言ったところでしょうか。ああ、どっちも瘴気を浄化した時点で命は尽きますから、救おうとかの手心は加えないほうがいいですね。瘴気汚染された時点で終わってるのですから。あとはそうですね、適当に現地でハーレム形成でもしてください」
「は?」
またしてもこの白小娘は想定外の爆弾を落としてきた。
魔獣とやらは良く分からぬが、恐らくはあちらの野生の獣のことであろう。
邪心教徒は世界の敵認定されているらしいし、対人戦闘であればなんら問題は無い。
そしてどちらも瘴気とやらの塊であり、それらを斬り伏せ倒滅することも問題は無い。
しかし、ハーレムとは何だ?
「ハーレムは、一夫多妻のことですよ」
「……いや、流石に単語の意味くらいは知っておる。しかし、旗本ですらない拙にそんなものが必要なのかと思ってな?」
「あちらの地では弱肉強食が世の常なので、配偶者の第一条件には強さが求められるのですよ。ですので、最強の存在である宗司朗様は、あちらに行ったらほぼ間違いなくモテモテですね」
「行きたくなくなってきたのだが」
「複数の女性に囲まれるというのは、男性の夢と聞いていたのですが」
「誰が言ったかは知らぬが、夢は夢だ。現実にそれが起きたら、ただひたすらに疲れるだけと知れ」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
大分昔のことではあるが、懇意にしていた遊廓に行った際ふと思いつき、親しい遊女たちを誘ってそういう遊びをしたことがある。
そのときの感想は、果てしなく疲れた。ただただそれだけであった。
結果として、一人居れば他は要らぬと結論を出し、遊廓遊びを自重するようになったのである。
「でもハーレムはお願いしますね。世界に必要なことなので」
「世界に何の関係があると言うのかね?」
「愛です。愛」
またしても訳の分からぬことを。
二度ある事は三度ある。この様子では五度はあるかもしれない。
「変な意味じゃないですよ? 愛し合う男女の絆は、世界の瘴気に対して絶大な力を発揮します。そして、宗司朗様はアークなので、その効果は更に倍率が上がるのです。愛が! 世界を! 救うのです!」
「愛に関しては分かったが、また妙な単語が出てきたな。アークとは何だ」
「管理者候補のことを、アーク、と呼称します。種族序列に組み込まれていたりもしますが、残念ながら一般人では絶対に到達できませんね。ああそれと、種族序列自体はアークを含め全部で六つありますが、下位序列はあまり気にしなくて良いかと思います。宗司朗様は既にアークですしね」
隔絶した力を持つ序列最上位なのだから、下位を気にするだけ無駄と言いたいのであろう。
それはさながら、象が蟻を気にするようなものであると、言外に語っていた。
「成る程理解した。最後に三つほど聞きたい事がある」
「なんでしょう?」
「一つ目だが、今すぐ発たねばならないのか?」
「いえ、今日から一週間以内であれば構いません。こうして宗司朗様の捕捉は済んでおりますから、準備後にお声掛けくだされば大丈夫です」
「承知した。では二つ目。あちらに持っていける物の量などに制限はあるか?」
あまり数を持って行けないのでは、日数を裂いて準備する意味は無い。
「一応数量制限はあります。ですが、宗司朗様であれば意味を成さないでしょうね。なので無制限だと思っていただければ大丈夫です」
事実上で無制限なのであれば問題は無い。
なので、己では意味を成さないとはどういう意味だなどと、野暮はなことを聞く必要なかろう。
「ふむ、二つ目も承知した。最後の三つ目だ。あちらの地に、蚊は生息しているか?」
「は?」
白小娘にとっては想定外の質だったのであろう。
地味ではあるが、してやったりである。
だがこれは、狭量な意地悪で言ったわけではない。
己にとって本当に、最も重要な質なのだ。
あの小さな悪魔は何処にでも居る。あちらの地にも居るのであれば、魔獣などよりもよほど最優先で殲滅せねばならぬ。それこそ種を絶滅させるつもりで。
「ええと……こちらに居るような蚊は、あちらには居ませんね」
「そうか、それを聞いて安心した。貴重な情報を感謝する」
頭を下げながら、己は心の中で勝利の拳を振り上げていた。