1-0-1 彼の足跡
初投稿です
「己は何時になったら死ぬるのやら……」
小さな菜園の傍で、畑仕事の休憩がてら煙管片手に紫煙を吐きながら、ため息交じりに呟いた言葉。
この言葉を口にするのは、一体何度目になるであろうか。
二〇二〇年現在の日本社会において「江戸中期」と呼称される時代に生れ落ち、かれこれ三百年が経った。
三十年の間違いではない。言葉通り、正確に三百年だ。
だというにも拘らず、自分の体には一向に老いの片鱗は見られず、死にもしない。
竹取物語にあるように、知らず不老不死の薬を使ってしまった化生なのではなかろうか、などと考えたこともあった。
だがしかし生まれてこの方、薬の類を服用した覚えも心当たりも無い。
だからこそ、すぐにそのような荒唐無稽な考えなど馬鹿馬鹿しいと切り捨てた。
自分は普通の人間であるはずだと思いたいが故だ。
なにより不老不死であると吹聴して廻ったところで、空想の夢物語を語るキ印認定をされるか、鼻で一笑に付されて終わりであろう。
そのことを自覚するだけ無駄なことなのだと。
幼少のときに剣術道場師範である父に刀の才を見出され、閑さえあれば師父の元で刀を振るって育った。
十八の時に結婚し親元から独立して以降は、父の推薦もあり幕府お抱えの隠密同心として身を立てつつ、空いた時間でとある藩工の元で兼業刀工を営んでいた。
治安維持や刀鍛冶、そして武人として反乱鎮圧に赴くなど仕事は忙しいものの、妻子と共にある程度幸せな日々を送っていた。
そして、数えで四十を過ぎた折り、ふと気が付いた。
自身が三十路を過ぎたころから、外見が一向に変化していないことに。
妙だなとは思っていたものの、周りの人間を見れば若作り程度で大した差では無いと黙殺していたのだが、齢五十を越えた辺りで漸く異常事態なのだと思い知った。
巷では一般的に人生五十年などと言われていた上に、どう考えても普通の人間ではありえないことがこの身に起きている。
もちろんこの異常性は妻子には相談した。むしろ相談しないはずが無い。
そのときは「どうせただの若作りなのだから、余り心配しなくてもいいんじゃないかしら」と言われ、一応の納得は得た。
だが、友人知人、果ては妻子までもが歳を重ねて老いていく中で、己ただ一人が時を止めたかの様に若いままであるという異様さ。
取り残され置いていかれるような焦燥感は、なんとも筆舌に尽くし難かった。
そんな凍てついた刻の中で、ついに百歳を越えてしまった。勿論、変わらず若いまま、である。
我が子は所帯を持って疾うの昔に出て行った。最愛の妻や親しい友人知人は他界した。己ただ一人が残された。
このまま此処に居たところで、自身の異常性が目立つだけであると、一人になってようやく理解した。
近所の者たちには引っ越すと言って、金子や食料、道具類などの入用になりそうな目ぼしい物を全て荷車に積み、世を捨て山奥に移り住んだ。
先ず以て人の入らないような山奥に小屋を立てて居を構え、獣を狩り、畑を作り、山の恵みを採取しながら細々と生きてきた。
半年に一度ほどの周期で行商がてら街へ行き、必需品の入手のほか世間の情報はしていたため、世の移ろいに置いて行かれることは無かった。
そんな生活をしながら百二十年ほど経過したとき、世間ではどこぞの外国に喧嘩を売っていたようだ。
世を捨てた己には関係ないことだが、国家間での戦争というものであろう。
いくつもの街が灰燼に帰したと知った時は、今まで生きた中で一番驚いた。いくつもの街が消えるなど、どれ程の苛烈さを極めたものであろうか。
進め一億云々、などとのたまったところで、民が疲弊し死んでしまえば国として何の意味も無いであろうに。あの時の誇大妄想と過大評価の標語類を考えた輩は、心底阿呆なのではないかと思えた。
後に街が消えたのは、降伏勧告を伴う見せしめであると知った。
しかしながら戦争は戦場に立つ者同士でやりあうべきものだ。
無辜の民を虐殺するような非道は、畜生にも劣る外道の行いであろう。
だが己が憤ったところで何の意味も無い。
そもそも世の理から外れ、一般の営みを捨てている己には、感情であろうともそれらに参加する資格など無いのだ。
家路へ至るまで、今までの出来事をおぼろげに思い返しながら歩いた。
どうにも家の中に入る気にはなれず、庭先にある切り株に腰掛け煙管に火を着け、陰鬱な虚しさと共に紫煙を吐き出す。
思えば煙管用の刻みたばこ葉も一時期製造が打ち切られ、市場から完全消滅していたのだったなと思い出す。
実の所、正直あの時が本気で一番辛かった。実際、山に引き篭もって以降、楽しみらしい楽しみと言えるものが、それしかなかったのだ。
まあ、暫く経ってから販売復活したので事なきを得たのだが。
「……考えるだけ阿呆に過ぎる。齢三百にして情けない限りだ」
油断すると思考よりも先に口から出る言葉を、阿呆と断じて切り捨てる。
眼を瞑り、口直しだと言わんばかりに煙管を咥えた時、何者かの気配を感じた。
片側だけ半分ほど瞼を開けると、そこに居たのは純白としか表現のしようがない少女だった。
透き通りそうな白い肌、ひらひらとした白い服、地に着きそうなほどに長く白い髪、全てが白で構成された背の低い少女。
ここに他人が、ましてや年端も行かないような少女が、あのような服装で来ることなど先ず無いはず。
迷い人であろうかとも思ったが、纏う雰囲気というか存在そのものが、現世を生きる人とは違う感じがする。
怪しさ満点なのだが、何故か神々しいほどに美しい、などと己は思った。
「ふむ、どちら様かね?」
内心の動揺を必死に押さえ込みながら、一言だけ尋ねてみた。
「お初にお目にかかります、橘宗司朗様。私は管理者モイラと申します」
その言が己の耳に届いた瞬間、ほぼ反射的に後ろに跳び退って距離を取り、腰に帯刀している刀の柄に手を掛け――られなかった。野良仕事のために、刀は自宅の中に置いてあることを忘れておった。
モイラと名乗るこの娘、あろうことか正確に己の名を告げたのだ。警戒しない方がどうかしている。
それに聞き違いなどとは到底思えないほどに、確かに耳に届き脳で認識した。
何故、己のことを知っている?
それよりも管理者とは何だ?
考えれば考えるほど、余りにも常識から掛け離れているため、思考が追い付かない。
返答には期待していないが、一つ一つ問うて見るべきか。
「卿は何者だ? 何故、拙の名を知る?」
「取って食おうというわけではないので、そう警戒しないでください。貴方を迎えに来たのですよ」
己は何を言われているのか、一瞬理解できなかった。
迎えと言ったか。迎えとは何だ。迎え、お迎え、ああそうか。
暫く考えた末、成る程と合点がいった。
「そうか、拙はようやく死ぬるのだな」
「いえ、違います」
己の問いに対して、間髪居れずにモイラは短く鋭く言い切った。
期待したのに違うのか!