創作活動について
これはあくまでも私の考えであり、万人の考えてはありません。
悪しからず。
自給自足、という言葉がある。
自分の求めているもの、需要を、自分で生産することで満たすという言葉だ。
他者からの供給に慣れてしまうと、それが当たり前になり、自分では何も生み出せなくなってしまう。
今の私は、まさにその状態。
自分で何も生み出せなくなっている状態だ。
そう思う理由は様々だが、此度は物語、を提示しよう。
昔…それこそ子供のころは、腐るほど湧き出ていた物語が、めっきり浮かばなくなってしまった。
私の小説の更新スピードが著しく遅いのは、この為だ。
過去、いくらでも湧き出てきては、メモをしていなくて忘れてしまったことを嘆いていたのに、今では真逆。
今では、全く浮かばないことに嘆いている。
否、全く、というのも語弊がある。
正確には、浮かびはするのだ。
ただ、筆が取れない。
筆を取った途端、ぶつりと糸が切れてしまったかのように、書けなくなる。
まるで消しゴムで綺麗さっぱりやる気を消し去ってしまったかのように、書けなくなってしまうのだ。
理由は、なんなのだろう。
昔と今の、違いはなんだろう。
考えてみて、確実に言えるのは環境だ。
子供の頃は学生生活で必ず人と接しなくてはいけず、故に多少…それこそ片手で足りる程度の人数だったが、友人がいた。
今となっては片手どころか、三つ指でも余るほどになってしまっているが、当時は確かに、友人と呼べる人間が複数名存在したのだ。
私は友人たちに、自分の作った物語を披露していた。
ノートに落書きのようなそれを書いて、そして読んでもらい、感想を強請った。
感想というのは凄いもので、それがあるだけで書き手にやる気を与える。
「ここが良いと言われたから、そこを伸ばしていこう」
「ここが悪いと言われたから、そこを改善していこう」
「ここをもっと掘り下げて欲しいと言われたから、次はその部分を詳しく描写しよう」
感想をもらい、そんなふうに思える書き手は私だけではないはずだ。
だが、交友関係が恐ろしく狭まったことで、私には作品を読んでもらい感想をもらう、という場面はめっきりなくなってしまった。
勿論、こういう掲載サイトで作品を提示することで感想をもらいはする。評価をもらえはする。
だが、書き手として知りたいのは、読み手がどう思ったか、なのだ。
読み手によって捉え方も違うのだから、感想も違う。
そこに記された事柄を読んで、そして次に繋げていきたい。だから、感想が欲しい。
そう思うのは、小説に限らず、創作活動をするものの本能のようなものではないだろうか。
そして、感想をもらえないと、私は怖く感じる。
自分にとっては良い出来栄えでも、感想、他者の反応が何もないということは、それだけその作品を否定されている、ということに思えるのだ。
感想や評価は、それだけ作品を認めている、ということだと思う。閲覧数が増えたとしても、それが増えないのは、虚しいだけだ。
評価や感想は、目に見える作品へ認識。善し悪しも一目瞭然のもの。
それがないのは、酷く虚しい。
環境の変化は、感想云々だけではない。
ネット環境も、変化している。
子供の頃はネットの普及こそしていたが、それでも、毎日毎日使えるような代物ではなかった。
パソコンは家の共通の品だった為だ。
誰かが使っていればそれを使うことは当然出来ないし、学校や部活などで帰宅が遅くなり使えない、なんてことも多々存在した。
その為、当然だが他人の書く作品を細かくチェックする、なんてことは出来なかった。
それはつまり、他者からの影響をあまり受けていない、ということだ。
ネットというのはあちこちに他人の創造物が存在する。
そこには自分が思いついていたネタも、思いつかなったネタも、様々存在するのだ。
そこにもし、自分が既に思いついていたネタがあったとしよう。
いざ同じネタで書こうとしたとき、私は思ってしまうのだ。
「同じネタで素敵な作品を作り上げている方がいるのに、私が作品を作ることに意味はあるのか?」
「同じネタはごまんと存在する。その中に埋もれて、誰にも閲覧されないのでは?」
そんな、一種の恐怖心だ。
当然同じネタを使ったところで、同じ作品が出来るわけではない。
頭では分かっていても、その思考を抜け出せないのだ。
故に、筆が止まる。
今ではスマートフォンやノートパソコンなどで気軽にネットが見れる時代だ。
お手軽に情報を集め、そして様々な創作物を生み出せる時代。
そこに自分の作品を提示し、どれだけ自己主張したところで。
誰の目にも止まらないなら、それは、とても虚しくて、自分すら否定された気持ちになる。
これは、無駄に私が考えてしまっただけなのかもしれない。
そして何より、怖いだの否定されるだの、言葉で繕っただけの、単なるスランプなのかもしれない。
それでも、こういう考えをしてしまうのは、嘘でも偽りでも、ないのだ。