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神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第一章『シチリア王フレデリカと集う仲間』
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5話『性問題は禁則事項だフレさん──1210年』

「たーる!」

「何言ってんだフレさん」

「言ってみただけ」


 フレデリカと隊長は、彼女の建設したほぼプライベート風呂に隣接して新たに作らせた小屋に入ってひとまずそんなことを言った。

 既に夜である。相変わらず嫁のコスタンツァから逃げ回る生活をしながら政務をこなし、遠征の費用を準備しつつこんな小屋を建てさせたのである。

 中は樽や机に釜、本棚などを並べている。怪しげな雰囲気がキリスト教徒を遠ざける空間であった。


「これこそ錬金術士フリッカのアトリエだよっ」

「独学錬金術だろうに……あと王がやる職業じゃないぞそれ」


 呆れた様子で隊長は机に置かれた、アラビア語の化学書を手に持って流し見した。

 錬金術と云うと中世ヨーロッパで起こった科学と魔術を混ぜたようなイメージのある存在だが、その起こりはちょうどフレデリカの時代あたりからだ。

 そもそもこれは十字軍が中東から化学や科学の書物を持ち帰り、それを翻訳したことで学問が発展したのである。しかしながら中東からすればローマ時代にあった科学をこの時代まで発展させていただけなのだが、ローマの文化を捨てていたヨーロッパからすると目新しい発見に感じたのだ。

 そんな訳でフレデリカも蔵書から錬金術の知識を引き出して怪しげな術を行おうとしているのであった。

 

「前回からこのアトリエができるまでに隊長と二人で必要なアイテムは揃えました!」

「誰に説明してるんだ?」

「ともあれ材料をこの錬金釜に放り込みます!」

「そんなんでいいのか」

「イメージ図だよっ」


 隊長のツッコミを振りきってフレデリカは大きな壺のような釜に様々な素材を投げ入れる。

 それが何だったのかは、あまりに異端であった為にローマ法王庁によって記録が完全に隠蔽、抹消されているので不明である。

 そして錬金釜とやらに火を掛けたり混ぜたりとする。

 この辺りの作業がなんとも牧歌的というかお伽話的なのも法王庁の圧力によってであり、具体的に表現することは不可能だからだ。 


「できました~!」

「何だその……何だそれ」


 釜から取り出した宗教的に描写不能な物体を指差して隊長は云う。


「名付けて[フリードリヒ棒]だっ! よし、これで嫁をやっつけてくる!」

「やっつけるて。というかフレさんそもそもなんでそんなにうちの姫を避けるんだ?」


 結婚してからイマイチ上手くいっていない──というか一方的な愛を向けられて逃げているフレデリカに隊長は聞く。

 彼女は微妙な顔をしながら、


「いや……そもそも我レズじゃないし……」

「そこはまあ愛や打算的な何かで我慢するとか」

「それともう一つ。コスタンツァって我のおかんの名前なんだけど。想像してみてよ隊長。自分の嫁になった人がおかんの名前しててしかも一人称でその名前連呼してるの」

「……下手に行為中フラッシュバックすると不能になりかねないな」

「しかしそんな困った嫁をも満足させるこの道具フリードリヒ棒。ふははー! 我は天才だぁ~! あーいぴぃぃえーす!」


 叫んで、片手に描写禁止物体を手にしたフレデリカはアトリエから飛び出し、嫁の待つ寝室へ向かうのであった。

 残された隊長は眼帯をぽりぽりと掻きながら、


「……まあ、姫を拒絶せずに、なんとかしようと思ってくれてるだけいいか。がんばれよフレさん。邪教だけど。姫は信仰深いキリスト教徒なのに取る方法が邪教だけど」


 その妙に律儀なところが少しおかしく、共にスペインの地からやってきた姫と上手くいくように願いながら苦笑するのであった。

 あんまりなことが起こる夜を酒を飲んで忘れようかと、酒を持っているグイエルモ司祭のところへ向かう隊長であった。 


「はっ……このアトリエ二度と使われない気がする」


 そんな疑問を持ちながら。


 そして宮殿の寝室……。

 フリードリヒ棒の使用方法については宗教的圧力によりこれ以上は描写できないのだが。

 この謎の道具こと、フリードリヒ棒はフレデリカの死後、法王庁によって存在を抹消され知られざる道具となる。 

 もはや歴史の闇に消えた不可思議にして口にするのも憚れるため、詳細は完全に不明と云うことで詳しくは語らない。NASAに問い合わせても恐らく何も答えてはくれない。

 

 だが歴史的結果から云えばコスタンツァは懐妊して、夫婦仲もいい感じに落ち着いたのであった。




 *****




 1210年から1211年に掛けてフレデリカはシチリア島をひとまず平定させることにした。

 とはいえ、名目上はフレデリカが王であるのは前からだ。彼女は騎士隊を連れて諸侯の領地を訪れて視察を行い税の確認をする。

 王と共にやってくる完全武装の騎士隊相手に、反乱の軍を出す領主は居なかった。だが、まだ16歳でしかない小娘の王を敵に回そうと考える者が出てもおかしくはない、危険のある旅であった。

 そのためにと云うわけでもないが、妻のコスタンツァは懐妊もしていたのでパレルモに残している。

 フレデリカは堂々と先頭を進む。左右に隊長とグイエルモを控えながら町々を回っていく。その中でも欠かせないのが、


「イエーイ! 皆元気にしてるー!? シチリア王のフレデリカちゃんでーす! はい握手希望者並んでー! 名士集めて宴会しますので職人も農民もムスリムも無礼講でいこー!」

「フレデリカさんのファンクラブ刺繍入りシャツの物販はこちらです」

「ほら、騎士隊の従者も変装してサクラしろ。盛り上げてやらないとフレさん可哀想だろ。はい復唱『感動しましたファンになります』だ」


 などと、アイドル的活動で信者を増やしていくのである。

 微妙にお固い土地の司教などには同じく神官のグイエルモが交渉役に立った。


「このような享楽なことを教皇から戴冠された王がですなあ……!」

「まあまあ」

 

 グイエルモが片手でモチを食いながらふいごの様な道具で白い粉を吹き付けると、相手の司教は目をくらくらさせて朦朧となり、頭を前後に揺らしながら何かに取り憑かれたように呟く。


「フレたんイェイイェイ……」

「グイエルモ!? なんかヤバイ薬で洗脳してない!?」

「ご冗談を。これはただの聖別された聖小麦粉ですよ。モチの香りの前には逆らえなかったよ……!ってやつでして」

「……ならオッケーだね!」


 フレデリカも長い付き合いで慣れている。こうして回る土地ではフレデリカは良い印象を与えつつ、領地に王の顔を覚えさせていく。

 当時は現在の様な中央集権的な国体ではなく、封建領を領主が収める形なのでよほど戦争で負けたがるとか重税を敷くとかでなければ一般の国民からすれば国王は誰でもそう変わらない。

 フレデリカが成人するまで、十年もほとんど無政府状態でシチリア王国が続いたのはそのためだ。それに選挙で選ぶわけでもないので雲の上の人事をどうこう言えるものでもなかった。

 故に逆に、誰でもいいのならば王が可愛い女の子だというのは人気の一助になったのである。

 また、諸侯もそれなりに素直に親政を敷いた王に従い、様々な言い訳と共に滞納していた税を支払うようになった。

 わずか500騎の軍勢は倒そうとすれば倒せないこともない程度の数だが、正式に王と決められた相手に反逆をすれば大義名分を得たとばかりに、隣接する領から王へ援軍が行き周囲すべてを敵に回しかねない。

 そして領地は没収され手柄を立てた相手側に奪われるとなれば中々手を出せるものではなかった。

 また、フレデリカもグイエルモから比較的好意的な都市を予め指示されて、微妙な関係のところを囲い込むように順番で査察を行ったのだから出来るだけの手は尽くしてある。


「いやー結構楽勝でシチリア島は制覇したねっ」


 馬に乗りながら読んでいた本を閉じてパレルモへの帰路でそんなことをのんびりと言っていた。とはいえ、南イタリアまでは手が回らずにシチリア島を安定させただけだがそれでも戦闘も発生せずに一応は目標を達成した。まだ統治の一歩目とはいえ。

 並んで進む隊長は呆れた様子でフレデリカの持つ本を受け取って、別の本を馬の左右に積んでいる荷物から足で蹴って器用に取り出し、手渡した。


「乗りながら読んでて酔わないのか? あと落ちるなよフレさん」

「大丈夫! 馬術はグイエルモが教えてくれたからね。今では乗りながらモチだって食べられるよ!」

「それではどうぞフレデリカさん」


 間髪入れずに本を受け取ると同時にモチが手渡されてフレデリカは両手が塞がり手綱を放す。


「わわっ!?」

「──っと。気をつけろフレさん」


 手を伸ばした隊長が厳つい鉄の篭手で彼女の服の襟首を後ろから掴んで、持ち上げるように力を入れて支える。

 とりあえずフレデリカはモチを頬張ってもごもごと言葉にならない礼と告げ、また本を開いて片手で馬を操り出した。


「本を離せばいいのに」

「シラクサで手に入れたレアな書籍なんだよ!? 今読まなければいつ読めるやら……宮殿に戻れば仕事で忙しいし」

「まあ……結構忙しい旅程だったからなあ」


 と、少しばかり減った騎士隊を振り返りながら隊長は言った。

 騎士の一部は、スペインから地中海に移動してきた気候の変化に耐えられずに体調を崩して病気になり、途中の街に置いてきた者も少なくなかった。一応快癒すればパレルモに戻るように言ってある。

 どこの国の騎士でも海の果てでも砂漠の彼方でも進軍できると実行する前には言ってのけるものである。それが困難だから十字軍は失敗の連続なのであったが。

 例外はこの時でもエルサレムに留まっていてすっかり中東の気候に慣れている上に傷病への救護専門集団な殴りヒーラー[病院ホスピタル騎士団]やヨーロッパ全体の外征、防衛の要である[聖堂テンプル騎士団]に[独逸チュートン騎士団]などの宗教騎士団であろうか。 

 彼らは北のルーシから南の聖地パレスチナ、西のレコンキスタまで必要とあらば駆けつける騎士であった。

 そんな騎士達を思い浮かべながら隊長は、涼し気な顔をしているいつでも厚着の司祭服なグイエルモを見て云う。


「グイエルモの旦那はやたら元気だよないつでも」

「モチ食ってますから」

「ここ十年で風邪一つ引いたこと無いよね。この一年も町々の教会に話し通したりイベントの運営したり忙しかったのにケロリとしてるし」

「モチ……こいつはとんでもねえ聖なるアイテムだ。教皇が作る筈ですな」


 相変わらずどこから取り出したか、聖餅ばかり頬張っている聖職者である。

 ふと隊長が隣を歩く従者からワインの入った小さな壺を受け取って、グイエルモに放り投げた。


「喉に詰まらせるぞ」

「? ……」


 受け取ってからすぐにグイエルモは動きを止めて、口を動かすのを止めた。そして渡されたワインを飲んで胸を叩く。

 

「ふう。助かりました」

「詰まらせる前にワイン渡してなかった? 隊長」

「俺は皆から危険予測の隊長と呼ばれていてな。そういうのを察するのは得意なんだ。占いなんかもできるぞ」

「KY隊長?」

「そこまで言語はぶっ飛んでないだろ」


 妙な遣り取りをしながら、一行はパレルモに辿り着いた。久しぶりに帰ってきた王は街の者から歓待を受けて宮殿へ向かう。こうなってくると信者化も激しく皆フレデリカ団扇とかフレデリカターバンとか購入しているのであった。

 偶像崇拝禁止なイスラム教徒アラブ人もその調子なのだが、これは偶像崇拝ではなく実用品にたまたま君主の名前が入っているだけなのでセーフという考えである。

 この島ではキリスト教徒と折り合いを付けて暮らしているぐらいなので、原理主義者はそう居ない。実際に後年、神聖ローマ皇帝になったフレデリカが自分の顔を入れた金貨を発行したらイスラム教徒から熱狂的人気で両替注文が大量に入ったという史実もある。

 ノルマンニ宮殿へ戻ると妻が出迎えた。


「フレデリカさまー! コスタンツァはお待ちしておりましたわよー!」

「あっはい」

「ほら見てくださるといいのかしら! 男の子! 男の子ですのー!」


 飛びつかんばかりに寄ってきた妻のコスタンツァはその手に赤子を抱いていたことから何とか堪えたようだ。

 フリードリヒ棒の邪教めいた儀式は部屋を真っ暗にさせて行ったのでそうそう知られていないが、とにかく男児が生まれていたのである。

 フレデリカも馬から降りて、自分の初子にして嫡子となる布にくるまれた小さな子を受け取り、掲げるようにして言った。


「うん! 赤子はなんだかんだで可愛いね。よぉしこの子の名前は我のおとんから取って[ハインリヒ]だ!」

「フラグ回収おつです」


 モチを食いつつ祝福するグイエルモであった。

 こうしてフレデリカ最初の子供が誕生するのであった。フレデリカ、17歳の年である。


 パレルモはシチリアの首都であり港町である。当時、連絡と云えば書状を持たせた者を走らせることしかなかったので当然であるが、大陸とは船で渡る為に港は連絡の拠点でもある。

 フレデリカがパレルモに辿り着いて、各地でバラバラな税率や貧農化したアラブ人の問題などの書類を作成して、グイエルモと相談し指示書を次々に作っているとローマからの手紙が届いた。

 グイエルモが受け取って読み上げる。


「フレデリカさん。神聖ローマ皇帝のオットーが破門を受けたそうですよ」

「あちゃー……切り捨てられたかー」

「これでまたフレデリカさんが神ロマ皇になる可能性が上昇しましたね」

「長いからって略さなくても」


 執務室で干した魚に黒い液体を塗って網の中に吊るしていた隊長が云う。


「しかし教皇から見放されたなら開き直ってフレさん攻めてきそうだな。確かオットーの親父はフレさんの祖父、フリードリヒ1世からザクセンを追い出された恨みがあるし、シチリアは豊かだから旨味がある」

「そっかあ攻められるとちょっとまだ準備できてない……っていうか臭いんだけど隊長なに作ってるの?」

「干物に魚醤ガルム塗ってくさやをちょっと作ろうかと。この旨味成分が酒に合うのでな」

「部屋の中で作るなよ!?」


 発酵した匂いがぷんとしてくる。この調味液は魚を材料にしているので中々臭い。

 フレデリカがローマ時代の書物を読んで再現した魚醤をパレルモでは作らせているのだ。

 イワシやサバ、ウナギなどの魚を天日で干しつつ発酵させて、壺の中に魚とセロリやコリアンダーなどのハーブ類、厚さ2cmほどの塩の層を順番に何度か積み上げて半年ぐらいで完成した液体を漉すか上澄みを取る。

 肉に塗って焼くとこれが中々旨い。フレデリカ自身が弓を持って兎や獣を狩るのも珍しくはなかった。

 グイエルモが魚醤をモチに塗って燭台の火で炙りながら、


「しかし向こうの動きは法王庁も掴んでいるはず。恐らくは教皇の使いと……そうですな、オットーに反抗するドイツ貴族の使いも来るでしょう。要件はだいたい同じで、代わりにドイツ王になってくれ……そんな内容で」

「うえー……まだシチリアもちゃんと治めて無いのに。税率の一定化とか、法の整備とか」

「フレデリカさん」


 グイエルモが指を立てて、じっとフレデリカを見る。その教師としての視線にフレデリカはペンを咥えながら「ふむ」と言葉に出して、


「ドイツ諸侯が頼ってくるとしたら縋りつくか担ぎあげるか、とにかく手を広げて迎え入れる形になるよね。で、さっさと我が問題を解決さえすれば『きゃーフレデリカさん素敵ー』ってなってより発言力が増し改革がスムーズに……まあ少なくとも、この宮殿で数百人の兵士しか持ってないアイドル状態よりは」

「そう。何事も考えようですよ。あられを作るにはまず大きいモチを作ってから分けていけばいいのです」

「足元が疎かなのもどうかと思うがな」

 

 隊長の言葉にグイエルモは熱々のモチを食いながら、


「大丈夫。オットーがシチリア攻めてきたら最低限の防備を残して家族を連れドイツに旅立てばよろしいのです。どうせ守りきれませんし奪われたところでほぼ無政府状態だった国を明け渡すだけ。逆にドイツを奪って戦力を蓄えその後シチリアを再征服すればお釣りが出ます。野蛮な破門野郎に奪われた国を奪い返した……という名目で人気も稼げますので」

「グイエルモの旦那、坊主なのか教育者なのか政治屋なのかよくわからんなアンタ」

「くくく……餅は餅屋とでも言っておきましょうか」

「何かの決め台詞か」


 怪しげな顔をしてモチをもっちもち食べるグイエルモにツッコミを入れる隊長である。


 



 *****


 


 教皇との約束を刹那で破りまくった神聖ローマ皇帝はシチリア王国南イタリア地方へ軍を進めていた。

 フレデリカがいるシチリア島とはまだ離れているが、教皇領のすぐ南に位置する地方都市カプア、ナポリなどはすぐにそのドイツ軍に制圧されてしまったのである。

 初代の神聖ローマ皇帝……というかフランク王もオットーと同じくドイツのザクセン州出身だが、そこの出の貴族はそこそこ戦が強いことで有名である。あくまでそこそこだが。遊牧民にはボコられる程度には。

 まともな軍も無く、シチリア島に詰めているフレデリカではまず南イタリアを征服しているオットーに手出しができない。それをわかっているのかオットーも温暖な気候のイタリアを満喫するようにゆっくりと軍を進めていた。

 そんな彼に報告が届く。

 部下が血相を変えて書状を持ってきた。


「王! 教皇から破門状が出されています!」

「なに?」


 オットーはローマ、引いてはイタリアの教会の扉全てに貼りだされることとなったオットーの破門状を受け取る。それに書かれた文面がイノケンティウスの声で脳内再生された。


『神聖ローマ皇帝オットーを破門にする。彼の者からすべての神の恩恵は消え失せる。

 オットーの家族も子孫一同も破門とする。一切の洗礼も死後の安息も訪れるな。

 オットーに与する部下も諸侯も尽く破門とする。神がそれを望んでおられる。

 オットーを擁護する神官も二度とローマに足を踏み入れられぬと思え。酌量の余地が欲しくば破門者から離れよ。オットーの味方には一切の権利を教会は認めぬ』


 オットーはそれを見て、口の端を引きつらせて書状に手を掛けた。


「は、もん?」

 

 力を込めて羊皮紙の紙に亀裂を入れる。


「破門執行だとォーッ!!」


 ギャァバと凄まじい音を立てて書状は引き裂かれて投げ散らかされた。

 あまりの勢いに連絡に来た部下が吹き飛んで転げまわる。

 オットーはあまりに絶望的な通達に、むしろ笑い飛ばした。


「何が[破門]だよこの間抜けがァーッ!! 教皇に逆らったおれに克服できないとでも思ったかァーッ!!」


 開き直ったのである。

 

「離反する者は人質を取れ! 見せしめに一人二人殺しても構わん! このまま北上してローマを攻め取りイノケンティウスを追放して、傀儡の教皇を任命してくれるわァーッ!!」


 凄まじい勢いで破門さえも無視したオットーに部下はごくりと唾を飲み込んだ。

 まさかあの最強のラスボスが放った破門さえも無効化してしまうのか。

 その傲慢さ、彼は神にでもなるつもりなのだろうか……。

 

「それはともかく王。ドイツ本国で死ぬほど反乱が発生して援軍が来れません」

「えっ」

「更に教皇の呼びかけでフランス王がアルビジョア十字軍で集めてた軍をドイツに向けました。このままだとフランス領になりますよ」


 アルビジョア十字軍とは、イスラムの異教徒へ向ける十字軍ではなくヨーロッパにある異端のキリスト教徒アルビ派を相手にする十字軍である。

 フランスではここ暫く、南フランス地方にアルビジョア十字軍を向けて一進一退の戦いをしていた。

 この時代のフランス王フィリップ2世と云えば華々しい会戦を繰り広げ、リチャードやフリードリヒなど英雄が現れた第三回十字軍にも参加している古参の王で、常勝のリチャードやドイツ統一のフリードリヒと三人並べられ、いまいち戦争の弱い王として知られている。

 だが相手が弱った隙を付くことには長けていて、現在も破門された英国ジョン王の持つ大陸領土を奪いまくっている。リチャードでは勝てないが戦争に出れば必ず負けるという国民からすれば悪夢のようなジョン王になった瞬間に牙を向いたのである。

 フィリップが即位してから退位するまでの間にフランス領土が約二倍に広がったと云えばその貪欲さがわかるだろう。

 ともあれ、ドイツ王が破門されて正式に十字軍進軍要請が出たとなれば領土を奪う絶好のチャンスとばかりに攻めてくるのは目に見えていた。しかもドイツ軍で士気が高いのはせいぜいオットーの目が届く範囲だけだろう。故に、このままイタリアにいてはドイツを奪われてしまう。

 オットーは冷や汗を拭いながら、先程までのテンションとは打って変わって冷静に云うのであった。


「……一旦ドイツに帰ろうか」

「そうしてください」


 教皇の破門はじわじわと効いてくるのである。




 *****



 ローマ、ラテラノ宮殿。

 薄暗い謁見の間で報告を受けた教皇がエクトプラズムめいた静かなるオーラを放出しながら地獄めいた、いや天国めいた雰囲気で云う。


「軍を引いたか……愚か者めがぁ」


 オットーはこれからドイツ国内のことで精一杯になるだろう。もともとがまともな政権基盤を持っていなかった人気のない男だ。反乱が起こるのは当たり前と思われた。

 しかしながら、破門にしたことにより次の計画──フレデリカをドイツ王にする計画へ移る事となる。

 イノケンティウスは指を鳴らした。すると跪いた豪奢な司教服の男──大司教が姿を表す。

 年の頃はまだ若い。三十代に入ったぐらいの男だ。


「報告によればぁぁ……彼の者は男児を成したらしぃ……ドイツに旅立つとすればそれをシチリアに残すだろう」


 頭を下げたままの大司教を見下ろしながら続けて云う。


「貴様をパレルモの大司教に任命する……あの者をうまくコントロールし、現地の神官と協力して子を敬虔な信徒にしてくるのだ……」


 薄暗い曇りと雨空のローマ。どこかで大きな雷が鳴って光った。

 大司教の細められた目と、腹に一物二物ありそうな人当たりの良い顔が光で照らされる。

 年はまだ若いが頭がよく、また神官同士の機微に長けていて知識も深い為に多くの者の推薦を受けて大司教の位になった男である。単独での任務だが容易く相手の側に入り込める性質を持っている。


「我が第二の刺客ベラルドよ……シチリアに行くのだァァ!」

「はっ。このベラルド・カスタッカにお任せを」


 薄い笑みを浮かべて男は教皇の間から、闇に溶けるように消えていった。

 ベラルドはローマの外港オスティアからシチリア、パレルモ行きの船に乗って海を行く。

 任務はフレデリカを完全なる教皇派に付かせてその意志に従順にさせること。何かと対立しやすい教皇と神聖ローマ皇帝──フレデリカはまだなっていないが──の仲を取り持ち、教皇そのものの戦力がローマ皇帝であることが正しい形なのだと法王庁の誰もが思っている。

 無論、安全圏で税金を受けて生きている法王庁と、諸侯を纏めあげて金を稼ぎ外敵とも戦わないといけない皇帝が意見で対立するのは当たり前なのだが。それ故に折衝としての能力を求められている。


「シチリア王フレデリカさん……ふふっこのベラルドが、教皇の手の内に入れて差し上げますよ……」


 不敵な笑みを浮かべながらベラルドは船旅の後に、パレルモへ辿り着いた。

 港では報告を受けていたフレデリカの教育係グイエルモ、そして皇帝と隊長も出迎えていた。

 フレデリカは腰に手を当てて胸を張りながら船を降りてきたベラルドへ云う。


「ようこそシチリアへ! 新たな大司教よ、我は歓迎するぞ!」

「はい、陛下。このベラルド、微力を尽くしますのでどうかよろしくお願いします」


 跪いてフレデリカに云うベラルドに、モチを食ったままのグイエルモが肩に手を当てて来た。


「それではベラルド大司教。ちょっとこちらへ」

「は、はあ。なんですかグイエルモ殿。なぜその暗幕の掛かった小屋へ……」


 港に設置された仮説小屋へ大司教は連れ込まれて、ぼふっと音が鳴った。

 ふらふらと次に出てきたベラルドは顔を粉で白く染めて、大司教の服に[フレデリカちゃんファンクラブ]と刺繍されていた。

 彼は若干の鼻声でハイライトが消えた目をしながら祈りの言葉を唱える。


「……フレデリカさんイェイイェイ~……」

「即落ち完了~っ!」

「聖なる小麦粉というか、小麦粉めいた白い粉だな……」


 隊長が軽く頭痛を感じつつ呻いた。ともあれ、信者が増えるフレデリカであった。


 ……史実ではベラルドが33歳の時に教皇の命を受けて派遣されてすぐに、そのまだ年若い王に対して深く傾倒した。そして大司教という立場と知識を生かして、生涯をフリードリヒ2世の側近として過ごすこととなるのである。

 多分洗脳はしていないと思うが……即落ち案件についてこの王の部下の中には似たような信者が多数であったことも事実であった……。


 



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