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神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第一章『シチリア王フレデリカと集う仲間』
5/43

4話『教皇と修道士、あとセクハラフレさん──1209年』

 1209年。

 パレルモの宮殿近くにある騎士の住宅と練兵所などは以前からあったものだが、フレデリカが住んでいる間はこれまで無用の長物であった。

 そこに一気に500人の騎士を住まわせる。住宅は一軒家でありそこに従者などが更に住み込み生活の補助を行う形だ。

 本格的にフレデリカが彼らを運用し始めたのは花嫁との結婚式を行なった8月15日以降である。

 ともあれその結婚式が始まる前にふとフレデリカは脇に立つグイエルモに尋ねた。


「なんで8月15日なの?」

「今日は[刺し身の日]ですので」

「刺し身の日に結婚式するの!?」

「冗談です。聖母マリアの昇天記念日ですよ。マリアが『我が人生に一片の悔いなし!』って霊魂を空に飛ばしたら体まで天使に連れて行かれたという」

「そんな愉快な日なのか……」


 怒られそうな解説を想像して思わずニヤつくフレデリカ。

 グイエルモは式用に着ている司祭服の帽子からモチを取り出して頬張りつつ、


「まあ表向けはこの記念日が良日だからということで。裏の思惑は8月15日は第一回十字軍の出発記念日でもあるので遠回しにほのめかしてるんでしょう」

「全然気づかなかったけど」

「だから今拙僧が教えたので。仕事してる~」

「モチ食いながら裏の思惑語るなよ」


 呆れて肩を落とすフレデリカである。

 この結婚式の日に彼女は男向けのチェニックに、飾り布をクリスマスツリーのように巻きつけマントを羽織り王冠を被っている。男王向けの着衣をしているが、まあ百人が百人少女と断定するだろう。

 だがその百人の前で、教皇イノケンティウスが「男である」と唱えれば百人は肯定するのが当時の常識である。何も問題は無い。


「花嫁の様子は最近どう?」

「鏡の前で振り子をじっと見ながらフレデリカさんと子作りする算段を呟いてました」

「怖っ!? な、なんなのスペイン人って情熱なのパッション溢れてるの?」

「……さっ時間ですので出番ですよ、フレデリカさん」

「ううん、結婚生活先行き不透明だなあ」


 などと遣り取りはあったが、ひとまずパレルモの主協会で盛大にシチリア王フレデリカと、花嫁コスタンツァの結婚式は執り行われた。

 シチリア王国諸侯も呼び寄せて──来ずに息子などを寄越す者も居たが行うその式には別の目的もあった。

 会場警備、パレード行進で統率された騎士を見せつけて軍事力の威圧に用いたのである。

 事細かに隊長と決めて目立ってかつ動きの良さを見せつけるように騎士隊を動かして、花嫁と共に送られてきたまだ馴染んでいない軍という認識をすべて改めさせたのである。

 これもすぐに親しくなったフレデリカと隊長の協力あってのことだ。

 ギラギラと目のハイライトを消して精神性を危うくしている嫁を、引きつった笑いで抱き寄せてアピールしながらフレデリカの結婚式戦略はまずまずに終わった。


 その夜……。


「だあああーっ!」

「フシャー……初夜かしら……フシャー……コスタンツァにお任せあれ……」

「怖い怖い怖い!」


 パレルモの宮殿を凄まじい勢いで逃げるフレデリカが居た。

 彼女を追いかけるのは嫁のコスタンツァ。シチリア王の花嫁としてはまず第一の仕事は跡取りを生むことだ。それを見越して教皇に派遣されたのだからその任務を忠実にこなそうと、やや自分を見失いつつフレデリカとレズ姦淫を試みようとしているのである。本来ならば彼女もノーマルなのだが、使命感で混乱中であった、

 勿論フレデリカにもそっちの気はない。というかそんなことしても子供はできないと知ってる。意味のない行為で時間を潰すのは危険だ。

 幸い、この十年間住んでいた宮殿内は自在に隠れ脱出もできる。

 彼女はさっさと逃げうって宮殿近くに立っている住宅へ転がり込んだ。同時に淡々とした低い声がかかる。


「……新婚さんおかえりくださーい」

「冷たいなこの部下!」

「新婚初夜で逃げてくる夫がいるものか」

「夫である前に一人の少女だよっ! なんかおかしいなこの言い回し!」


 蝋燭の明かりを灯して書物をしていた、フレデリカの騎士隊長である眼帯の男だ。

 年の頃はコスタンツァと同じくフレデリカより十以上は年上だろうがはっきりとはわからない。むしろ騎士隊の中では若くみえるのだが、どこぞの貴族の庶子であり腕前が王の目に触れて出世した男であった。

 事実、騎士隊の誰もがどの武器を使わせても隊長には勝てぬと云う。数人がかりでも。寝込みを襲おうが。

 彼は溜め息をつきながら、明かりの下で書物をしていたそれを机で一度それを叩いて纏め、床に座り込んでいる王にしゃがんで渡した。


「ほら、翻訳できたぞフレさん」

「おおっ! 本当に!? アラビア語のアリストテレス[動物誌]を翻訳版に書き写す仕事! いやー隊長アラビア語できるなんてラッキーだね!」

「スペインの都市トレドに居たことがあってな。学者ばっかりなんだあそこは。ギリシャ語なんかも自然と覚えさせられた」

「へ~。とにかくこれで、忙しくなる前にパレルモの本屋のおっちゃんにブツが返せるよ! ありがと!」


 そんな隊長だったが、意外なことに知識人であり言語学に優れていた為にフレデリカは気に入って、部下にして以来様々に仕事を与えているのであった。

 本の翻訳であったり、アラビア語の会話練習であったり、キリスト教以外の宗教や神話の話を聞いたりしている。

 隊長は呆れた様子で、彼が手直しをする前のフレデリカが翻訳した紙を摘んで振る。


「というかフレさんが訳すると省略しすぎだ。文章の三割が消滅してるぞ。本屋もこれまで受け取った翻訳版見て苦笑いしてただろうに」

「ぐうっ!? ひょ、ひょっとして黒歴史翻訳本出しちゃったかな」

「後世に残らないといいな。と云うか王なんだから踏み倒せばよかったのに」

「ううう。シチリア血の掟の約束は守るんだよっ。世話になったら返す。当然じゃないか」


 フレデリカは文章を簡潔に纏めたがる癖があるのだが、それは特に本を翻訳するにはさっぱり向かない技能である。

 まあ幾ら書痴とも云える読書家で、とてつもなく賢い頭脳を持っているとはいえまだ14歳の子供ができる仕事ではない。本屋の店主もそれをわかっていたので、ファンクラブの貴重アイテムとして自分のコレクションにしてしまったのだが。

 なおこの時代、王族ならば高等な教育が受けられるかと云うとまったくそんなことはなく、まともに学びたいならば修道士になるのが一番であった。その点で云えば放置気味にパレルモに置かれたとはいえ、自分の学びたいように学べたフレデリカは良かったのであろう。

 しかしながら随分と打ち解けて喋っている二人であるが、やはりフレデリカとしては最初の部下とも云える相手であり、また知識も豊富でアラビア語が使えるというだけでかなり隊長の価値が上昇しているのだ。


「しかしヤバイなあ……このままじゃレズ姦淫をされてしまう」

「まあ……個人の自由だし。フレさん頑張れ超頑張れ俺も応援してる奇跡だってあるよ」

「畜生。こんな自由があってたまるか。こうなれば……」


 フレデリカは悪い笑みを浮かべて今までに読んだ本の知識を総動員させる。

 教会に見せたら発禁物の危険な魔導書から異教異端の書など様々に目を通した。その中から現在の状況を解決できる方法を模索、構築するのである。

 

「罪深いことをされる前に、罪深い解決を用いてやる……!」

「あーあー聞いてなーい」


 両耳を塞いで適当に声を出す隊長。フレデリカは容赦なく彼の手を引く。


「このクエストに隊長を連れて行きますか? はい/YES」

「YESに怒られるぞ」

「聞いてるじゃん」

「……」

 

 ともあれ、フレデリカは隊長を引き連れて従者などが訪れる住宅から会議室へ向かうのであった。

 こう云うことは一応ながら聖職者のグイエルモに相談できない。フレデリカにとって都合がいいことに、隊長もせいぜい彼女と同等かそれ以下程度の信仰心しか持ち合わせていない男なのであった。

 さて。

 会議室と云う名目だがその実際は、フレデリカがシチリア王となって大手を振って宮殿の改築なども行えるようになった際に作らせた施設である。

 前々から欲しかったのだがあまり賛同はされなかったものだ。

 パレルモにはキリスト教徒だけではなくイスラム教徒も住んでいる。教会とモスクが両立している当時のヨーロッパ圏では珍しい都市なのである。

 故に中東風なフレデリカ所望の設備は後見人が教皇という状況下では作れなかったのであるが。

 作った後もまともに利用するのはフレデリカ本人と、連れ込まれる通称人身御供の隊長だけだった。

 そのパレルモに隣接して作られた建物に、隊長の手を引いたまま入る。

 中は予め準備をさせて置いたので湯気が充満していた。中は薄暗く、半分地下に作ってあるので階段を少し降りる。

 ガラスで覆われた燭台に火を灯してフレデリカはいつもながらにそれを見下ろして腰に手を当てて嬉しげに云う。


「お風呂ハンマーム! これ無しには我の暮らしは考えられないね!」

「はあ」


 そう、中東風な作りの施設は浴場であった。

 フレデリカは薄暗い中で服をいそいそと脱ぎながら云う。


「ローマ時代は浴場テルマエなんて沢山あったのに今じゃ廃れまくって。我なんか神聖ローマの皇帝になろうとしてるんだから復権させてもいいじゃん。ローマ文化バンザイ」

「宗教的に受け入れがたいだろう。キリスト教の教えでは入浴は病人以外NGだ。快楽を求める行為は悪徳とされてるからな」

「でもそれってイスラムで風呂が流行ってるから『あれは邪教の儀式』って言い張ってるだけだと思うんだけどねー……せっかく作ったのにグイエルモも騎士隊もコスタンツァも入らないし。隊長は気にしてないけど」

「……」


 とりあえずいつの間にか腰布一枚──眼帯はポリシーで付けたままだが──になっている隊長は難しげに腕を組んで云う。


「何割かの騎士連中はフレさんが一緒に入ろうとするから遠慮してるというか……」

「えー? 気にしなくていいのに」

「フレさんセクハラって知ってるか?」

「酷っ!」

「ローマでもイスラムでも男女は分かれていると思うがな」

「都合で一室しかできなかったからなあここ」


 不満そうに言ってフレデリカも服を脱ぎ捨て、腰布一枚になって椅子に座り風呂の湯を浴びる。

 勿論女の子である。しかも発育は良い方の。そんな上司と共に入ると男としての尊厳問題が発生しかねないので騎士はほぼ辞退して、さすがに全員拒否ったら可哀想だと云うことで最も信頼のある隊長が風呂の友にされているのであった。

 最初は隊長もフレデリカのことを色情狂の類かと思ったのだが、単に羞恥心と淑やかさをうっかりゴミに出した性格をしているだけのようだと判断した。

 彼は平然とした顔つきで腰布一丁同士フレデリカと並んで湯を浴び、己の体を洗っている。

 部下からよく年頃の娘と混浴して間違いが起きないな、と聞かれたことがあるが真顔で彼はこう答えた。


『例えば……ウニだと見ればわかるのにわざわざ素手で掴む馬鹿がいるのか?』


 見えてる地雷には触れない。いわんや騎士ならばその主君に手を出すことなど以ての外だ。

 そんな訳で彼からすればフレデリカちゃんの裸なんぞ性的興味対象外であった。後はまあ、赴任したばかりの騎士が注意して叱るのもどうかと思ったのでスルーしているのである。

 故に薄暗く窓も無い密室な風呂に二人きりで何度も入っているのだがさっぱりエロなことは発生しない。同性の友人で入っているようなものだ。不健全なレベルの健全な関係である。実際にフレデリカは書類上男なのだが。

 それを目撃したのがコスタンツァが妙な勘違いと共に自己催眠を深めたこともあった。

 二人、隣同士で湯船に入ってフレデリカは「ふはー」と吐息を漏らした。


「まあとりあえずコスタンツァもここには入らないから内緒話に便利だけど」

「スペイン諸国は信仰が強い国柄だからな。半分はイスラムに制圧されてるから土地柄そうなったのだろうが」

「と云うわけでこのままだと嫁にネコにされてしまうのでフレデリカちゃんの大発明でなんとかしようと思います。隊長も作る為の素材アイテム探し手伝ってよね」

「どんなのだ?」


 隊長が首を傾げると、フレデリカは近づいて耳に口を寄せてごにょごにょと囁いた。

 その内容に露骨に彼は顔をしかめて、


「異端というか淫祠邪教のレベルじゃないか。フレさんは天国にいけそうにないな」

「大丈夫大丈夫。エルサレム巡礼すれば完全免罪を謳ってるからね、教会は」

「信じてないのに都合のいいところだけは採用するんだな」

「いいんだよその程度で。現世利益優先だね。まあでも、そんなアレに世話になったグイエルモを巻き込むのもあんまりだからさ、ここは同じく不良信者な隊長に頼もうと」

「まあ……別にいいが」


 隊長は信仰心が薄く、頼まれ事は受ける性格の男であった。忠義の意志もあり、あっさりとフレデリカの提案に乗る。


「俺の目が黒いうちは、フレさんの味方として地獄まで付き合うさ」

「ひゅー。シチリア血の掟! 約束は守りなよっ?」


 眼帯で隠していない黒い右目を向けながら、隊長は無邪気そうに邪悪な彼の王に対して、笑って「ああ」と返事をする。

 こうしてフレデリカの部下と云うより、知識の共有者、そして不信心なコンビとして長い付き合いになる隊長との誓いは行われたのであった。

 フレデリカが怪しげな技術で開発を決意したとある道具はこれからも彼女の意志とは別に散々使われる事になる……。



 *****



 1209年10月。

 ローマの大聖堂でドイツ王オットーを神聖ローマ皇帝に戴冠する儀式が行われていた。

 法王庁の支援を受けて、かつライバルのフィリップが何者かに暗殺されたオットーは順当に次の神聖ローマ皇帝へ成り上がることになったのである。

 この時オットーは29歳。まだ盛りの時期であり彼が皇帝となれば暫くは安泰だと思えた。

 ザクセン地方を治めていたオットーは体つきも大きく、彫りが深くて立派な髭を蓄えて見た目はいかにもたくましい武人であり、戦も上手であった為に他に適格者が居ないのならばと云う消極的な人気は取れる程度には支持を受けている。

 戴冠の際に教皇イノケンティウスは告げる。


「オットー……この者に神の寵愛と皇帝の位を与えぇるぅぅ……」


 聞いただけで地獄の釜、いや天国の門に放り込まれそうなドス清らかな声で教皇は宣言をする。

 跪いていたオットーの頭に神聖ローマ皇帝の冠を載せて続けて云う。


「皇帝よ……ドイツ諸侯を纏めあげて十字軍を編成するのだ……努々、周辺国に積極的に手出しをして無駄に国力を使うものではないぞ……」


 この場合の周辺とは、つまりシチリアのことである。フレデリカが治める土地を、彼女の血筋を狙い襲撃する恐れは十分にあったので釘を刺しているのだ。

 オットーは俯いたまま真摯な声で応える。


「はっ。神に誓って」

「……よろしい」


 その言葉を満足気に聞いてイノケンティウスは頷いた。

 戴冠の儀式が終わればオットーはローマからすぐに離れて軍の本隊を残してきた北イタリアへ急ぎ戻った。

 ついてくる部下が、


「これからどうするんですか?」


 と、訪ねるとオットーは至って普通にこう応える。


「教皇との約束は忘れろ。これからおれがローマ領を含むイタリアをすべて平定する」

「えーっ! ゲスだこの人!」

「まずはシチリアだな……フレデリカの血筋は邪魔だ。海軍を揃えるぞ!」


 凄くあっさり言葉を翻すオットーであった。

 この力こそあるが考えも学も無かった新皇帝は、直前まで法王庁から援助を受けていたことも忘れてすっかり増長しているのである。

 一方で……。

 ローマに残った教皇は当然のように助祭に指示を出す。  


「オットーの破門の用意をせぇぇよ」

「さっき戴冠させたばかりですよね!?」

「どうせ裏切る。確実に裏切る。教皇の目を騙せるとでも思っておるのかあの蛮人が」


 ぎらぎらと目を光らせながら教皇もその対応を助祭に準備させ始めていた。


「し、しかしオットーを破門にしたら次の神聖ローマ皇帝はどうするんですか?」

「あやつがおる」

「フレデリカちゃんを!? で、でもそれだとシチリア王とドイツ王で、法王庁が前後から挟まれる形に……」


 心配をしている助祭に、イノケンティウスは豚を改宗させんばかりの……いや、生徒に優しく教える教師のように説明をしてやった。


「問題ない。両方を押さえられても教皇領が侵略を受けぬ理由がある」

「それは!?」

「まず既に、シチリア王として統治をしていなかった十年の間に南イタリアにはコミューンが出来上がっておる。北イタリアにも代々頑固者が揃っていてそれが緩衝地帯となることだ」


 コミューンと云うのは当時イタリアに無数に存在していた、いわば自治都市や都市国家とでもいう場所である。街全体を砦で囲んで城塞のように存在しているそこは多少の軍勢では攻め切れない。

 城攻めと云うよりも、イメージで言えば城下町全体が壁に囲まれて敵になっているようなものだ。物資も豊富で壁も二重三重に存在することも珍しくない。籠城を崩せる、大砲が登場するのはまだ先の話であった。

 

「次に、あやつは教皇への忠誠心は怪しいが、利を見る眼はあるようだ。それが元後見人でもあった教皇を攻めると云う醜聞を起こせば批判は免れぬことはわかっておるであろう。神聖ローマ皇帝になろうともそのような恥知らずな行為に出れば各地から反乱が起こり、呼びかければフランスから軍勢が押し寄せてそれどころではなくなる。それをわかる程度には賢いだろう……」

「確かに……教皇領を囲い込んで圧力を掛けていると知ればフランス王はここぞと点数を稼ぎに来るでしょうね」


 現在は英国の大陸領を奪いまくる戦争をしているフランスだが、王は狡猾で老獪だ。戦争ではそれほど強くないが機を見る事に長けている。故に、今のフランス王フィリップ2世の統治下では国土が二倍近くに増やすことができたのである。


「利点もある。十字軍を呼びかける皇帝の格が高いほどに軍勢はより多く集まる」

「確かに。第三回のフリードリヒ1世なんて一声で3万人集めてましたからね」

「どちらにせよ教皇領を挟んでドイツとシチリアは遠い。同時に統治は短期間ならば可能かもしれぬが、そのうち跡継ぎなどで破綻する。それまでの間は法王庁と親しい皇帝に、広がった庭を管理させておけば良いのだ……」

「了解しました。オットーを切り捨ててフレデリカちゃんに支援変更する準備しておきます!」


 こうして教皇の中では完全にオットーからフレデリカを神聖ローマ皇帝にする方針が決まっていたことが告げられるのであった。一説によればフレデリカの後見人を引き受けた時から皇帝にするつもりであったとも言われている。

 まだ若い彼女を正式に皇帝にするには、現在の皇帝の駄目さを知らしめることも必要だったが為にオットーなどという裏切りそうな者をまず皇帝にしたのかもしれない。それをフレデリカが排してアピールすればドイツ諸侯も納得するだろう。

 助祭が一人出て行ったと思ったら、別の者が入ってきた。


「教皇。面会を希望する者が訪れています。アッシジから来た、近頃有名になっている修道僧ですが……」

「報告書は読んである。わかった、通せ……」


 謁見の場に通されて姿を現したのは小汚い襤褸を身に纏い、白く伸びた素足が見える足先は裸足で傷だらけの貧しい身なりの人物であった。

 その人物を先頭に数人の男女が同じく控えている。

 説法をして回るにしても聖書を持っている様子は無く、浮浪者と言われればそう見える。

 いかにも見窄らしい雰囲気の者もいるが貴族らしい顔立ちの者も同じような格好をしている。

 教皇はその中でも先頭に居る最も薄汚れた、小柄な者の前に歩み出て深く心根に響く声で呼びかけた。

 

「貴様が噂の、托鉢修道僧フランシスか……」


 一同の中でも最も背が低く、着ている者も貧しい者は頷いて返事をした。


「はい。教皇聖下。私達はキリストの教えを説いて回っています。正式な活動の許可を頂ければより多くの者に声が届けられます。どうか、私達が布教することをお許しください」


 頭ひとつ以上背の高い教皇を見上げながらフランシスは要求した。

 襤褸を纏ったフランシスと鮮やかな赤色に漂白された白い衣、金の装飾もついている華美な教皇の対比が凄まじく周りのフランシスの仲間には見えた。感じるオーラでフランシスは今にも消滅しそうだ。


「布教がしたいのならば神学校に入り教会のやり方でやれぃ。それの推薦書ならば、くれてやらんでもない……」

「私達は、貧しい者や病める者にキリストの愛を説いて……」

「托鉢は禁止されておぉる。貴様ぁ、貧しければ清いと勘違いをしておらぬか……?」


 教皇の厳かな言葉にフランシスの反論は黙らされる。

 アッシジのフランシスが中心となっているこの修道僧たちは、ラテン語ではなくイタリア語を使い口頭で辻説法を行い、また街から追放された病人などを救済して回っている。口語で伝える聖書の内容はラテン語を使えない者にも理解しやすく、また時には歌なども用いてキリストの教えを説いて回っていた。

 しかし無許可で行なっているので活動費は賛同してくれた商人や職人達から托鉢と云う形で貰ってはいるが、見ての通り最低限食べて回れる程度に残してまたそれを使い救済費に当てているのである。そのストイックな生活がこの時代、裕福だったローマ法王庁を中心とする僧侶達よりも清く見えて人気を持ってきている。

 フランシスは怯えずに首を振り反論をする。教皇に反論をすると云うだけで凄まじい行為だが、じっと目を見て告げた。


「キリストとその弟子も布施を貰わず、貧しい身なりで布教を行いました」

「貴様はキリストではない……模倣は正しき布教とは云えぬ……その名を出すのならば敢えて聞こう。なぜラテン語ではなく、イタリア語で布教をする?」

「教えの本質は言語ではありません。イタリア語でもドイツ語でも、通じる言葉で相手に伝えることが……」

「つまり貴様はぁ……聖書の内容を独自翻訳して伝えているわけだ。更に歌にもしたな。それもまた再翻訳……聖書の言葉では既にあるまい」

「っ……」


 イノケンティウスは眼光で射すくめたまま、フランシスに云う。

 イタリア語──と借りに呼んだが、実際にはこの当時にイタリア語と云う明確なものは無い。存在しないのではなく、いわばイタリア弁とでも呼んだほうが通りが良いもので正式な文体や書式ではなく、口語のみがあった。

 つまりは通常会話のような読みで説法をしていたのだから通じやすい筈であり、また即ちラテン語の本質から変化していた可能性はある。


「そうやって言葉を変え、わかりやすく伝えているうちに本来の教義が疎かになる。それを防ぐために僧侶は神学を学び、免許を得てからラテン語で布教を行うのだ。それが完全に行える様になり、聖書と布教を理解できて始めて──異郷の言葉で宣教師となり広めていく……。最初からわかりやすければ良いと云う方法では、必ず妥協が生まれる……」

「しかし」

「そして托鉢。これは個々の祈りの簡易化に過ぎぬ。己以外の者が祈っている対価は十分の一税で十分だと云うのに、托鉢僧相手に渡すことで過分となっているのを善行だと信じきる。そうなれば信仰心の多寡は金で買える陳腐なものに成り果てる……」


 突き放すような言葉を続けた。


「聴き馴染みの良い言葉と歌で教義を伝え、托鉢を渡すことで容易く信仰表明ができるのは楽であろう。故に、教義が多少ねじ曲がっていようが人は満足したままそれに囚われる。道を踏み外す。異端は楽に信仰ができると云う名目で人を集めるものぞ」

「……」 

「異端は信じる者より、教える者の方が罪が大きい。そのことをよぉく考えておくのだな」


 そう言い残して、教皇はフランシスとその仲間に背を向けて立ち去っていく。もはや語るまいとその後姿から無言の圧力が掛かっていた。

 教皇の云う──つまりは法王庁、キリスト教会からの言葉にその場に残された托鉢修道僧は項垂れている。教皇の言葉に気圧されて呼吸がつまり酷い顔色の者も居た。いたたまれなさそうに仲間の一人が、フランシスを慰めるように背中を叩いた。

 

「──それでも」


 フランシスの言葉に教皇は立ち止まらない。何倍にも大きく見える聖霊が背後に具象していそうな彼に、フランシスは云う。


「それでも、教会を否定しない形で行える布教を私達はやりたいのです。愛を知らない人の為に」


 云うフランシス達を、助祭の神官らが追い出すように出口へ連れて行くのであった。




 その夜──。

 イノケンティウスが眠りの中で夢を見ていた。

 彼はいつもの教皇衣で何もない空間に佇んでいる。周囲を見回すがローマの景色も学んだパリの風景も見えない。

 

「……」


 そして、帽子を押さえながら空を見て眼光溢れる目を見開いた。

 上空からローマのラテラノ大聖堂が落下してきたのである。

 超巨大建造物が重力を受けてイノケンティウス目掛けて加速するのを目前に、彼は構える。

 

「いかん!」


 夢の中とはいえローマ帝国時代より残るキリスト教の、教皇がそこにあり続けた古く神聖な建物だ。地面に叩きつけられ砕けさせてはならぬと判断した。

 イノケンティウスは両手を上に掲げて祈りと共に大音響の叫びを上げた。


「ヴァァアアルウウアアア!!」


 雷鳴のような雄叫びが響いた!

 伸ばした両腕で大聖堂の壁を掴んで落下を食い止める! 

 イノケンティウスの教皇パワーで大聖堂は勢いを落として静止するが、教皇は肘と膝を徐々に曲げ重さに耐えていた。

 

「アアアアグオオオオォォ!」


 唸り声を上げながら腕、足、腰、背中の筋力に信仰による聖霊の力が宿ると信じてラテラノ大聖堂を支え続ける。彼の足元には荷重でクレーターができた。重さは徐々に増している気がする。

 周囲から声が聴こえる。助祭らの声だ。


「教皇が大聖堂を守ってらっしゃるぞ!」

「皆の者、[気]を教皇に送ってお助けするのだ!」

「なんすか[気]って!?」

「神への祈りとかそんなんだろ多分! ほらなんか出た!」

「出るんだ!?」


 と、集まってきた顔見知りの助祭や枢機卿たちが支えている教皇に手のひらを向けると光の波動らしいものが発生して教皇に吸い込まれる。

 それにより確かにパワーがアップするような感じがした教皇は更に叫びを上げた。


「ヌウウウナアアアアアッッ!!」


 イノケンティウスの体が溢れ出る聖霊の白熱光で輝き唸った。

 集まり続ける神官、諸侯、それに過去に死んだ者達。それらの力を借りてイノケンティウスはパワー全開で持ち上げるが、ラテラノ大聖堂は重くなるばかりだ。

 力が足りないのか。

 神の意志を守れぬのか。

 教皇が教皇たる場所さえ……!

 奥歯を噛み砕き指先の毛細血管から血が吹き出て、教皇の衣はズタズタに裂け千切れてもなお教皇は怯まずに眼前で押しつぶさんと来る大聖堂を輝く眼差しで見ていた。


(己の命はどうでも良い。未来に残すべきこの聖堂を……)


 思っていると不意に負担が軽くなった。

 イノケンティウスが腐臭に似た、汚れた匂いを感じて顔を向けるとそこには乞食同然の姿をした者が彼に並んで大聖堂を持ち上げている。

 他の者のように力を教皇に捧げるのではなく、並び共に支えている。

 いや──もはやイノケンティウスの力では無かった。その襤褸を纏った誰かが大聖堂を持ち上げているのだ。

 そしてふいに……その者のフードが取れて顔が見えた。

 隣に居たのは、あのまっすぐな瞳をした──フランシスであった。



 ──夢から覚めた。

 イノケンティウスは手を真上に伸ばした形で目覚め、己の両手をじっと見た。


「ぬう……」 


 夢の内容を反芻しながら、着替えて執務をいつものように行うと助祭が声をかけてきた。


「教皇。昨日の托鉢グループがまた来てますけど追い返しましょうか」

「いぃや。通せ」

「ひっ」

「やっちまったなあいつら……この教皇の雰囲気は危険だ。異端認定かも」


 などと助祭らが恐れながら謁見の準備を行い、再びフランシスたちは教皇と会うことになった。

 やはり悪魔を散滅せんばかりの教皇アイビームを飛ばしながら彼はじろじろと最も見窄らしいフランシスを見た。

 フランシスはやはり畏れた様子は無く、進み出て礼をし教皇に頼む。


「申し訳はしません。教皇聖下。私達は──」

「よい」


 言葉を遮り彼は云う。


「布教の許可は……出そう」


 すると周りに居た昨日も見ていた助祭が驚きの声を上げる。


「え!? いいんですか教皇! 昨日こいつらにあんなに叱ってたじゃないですか!」

「許可は出さぬとは言っておらぬ。正しきあり方を説いただけだ」


 教皇はフランシスを常人ならば聖別されかねない眼力で見ながら、


「一晩考えてそれでもなお、と云うのならば教皇──宗徒の父として、貴様ら子達の様子を見守ろう。ただし、貴様らが誤った道を説き始めたのならばいつでも教皇の名において異端とする。常に清らかであれ。……よいな」

「神に誓って」


 やはり、フランシスの瞳には一点の曇もなく、使命に満ちた光を灯している。

 教皇は満足そうに頷き、促した。


「──下がれぃ。免状は後で届けさせる」

「ありがとうございました」


 そうして托鉢修道僧の集まりは正式に許可を受けて、やがて[会]へと成長する。

 [フランシスコ会]。現代にも残り、日本でも16世紀に布教を行なった修道会である。

 その始まりの聖人は変人皇帝や最強の教皇と同じ時代にこうして興って行くのであった……。

  




※イラストレーターのユウナラさんがツイッターにペドっ子フレデリ子さんの画像を描いてくれました。感謝

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