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神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第四章『破門皇帝フレデリカと教皇の戦い』
38/43

最終話『伝える言葉、涙の在り処──1250年』

 1250年。


「エルサレムを取り戻すためにまずエジプトへ進軍してきた第七回十字軍!」


 と、フランス王ルイが意気揚々と十字軍を進軍して行き、


「エジプトへ進軍したらフランス王ごと全員ボロ負けしてとっ捕まった第七回十字軍!」


 と、思いっきり失敗していた頃である。



 タッデオが死に。

 リカルドが死に。

 エンツォが囚われ。


 これらの出来事でフレデリカの精神は折れた──そう教皇派の誰もが思ったのである。

 しかしそんな筈もなく、彼女の激リカバリー能力はやはりこの局面でも発揮されるのであった。


 とはいえこれまで北部イタリアを代表していたエンツォが囚われたことでロンバルディア同盟は教皇派の支援を受けてここぞと攻めの姿勢に出始める。

 エンツォほど統治に優れているのは、息子ではフェデリーコぐらいだろうが彼は中部イタリアで忙しい。

 となればフレデリカはどうしようかと悩んだ末に、在野の将に声を掛けた。

 整えた髭をたくわえた精悍な男の名を、ウベルトと云った。


「地獄の沙汰も金次第──金さえ貰えれば皇帝の味方になりますぜ」


 彼は北部イタリア出身の貴族で、金次第で戦争に加担する傭兵業をしていた。

 この時代で云えば傭兵とは、フレデリカが募ったように普段は別の領主の兵をしている者が雇われることが多かったのだが、彼は専業傭兵団を率いて金次第で敵にも味方にもなると云う集団である。

 ルネッサンス期以降ではメジャーな戦力だがこの時代ではやや珍しかった。

 

「というわけで、必要な兵は我の軍からも貸す。基礎報酬に功績次第で上積みしていくからロンバルディアを叩くよーに」

「叩き潰しちまっても?」

「できるものならねー」


 と、フレデリカは彼に兵を預けるのであった。

 しかしながらフレデリカも予想外だったことは、このウベルトと云うぽっと出のおっさん。

 今まで従えたことのない兵士を、用いたことの無い数預けられたのだが。

 なんと次々にロンバルディア同盟の都市を攻略していったのである。

 フレデリカが初敗北をしたブレッシア。クレモナ南東の都市ピアツェンツァ。ミラノ南のパヴィア。更にはこの前屈辱的敗北にあったパルマまで陥落させた。

 簡単な図で解説すると、




   ▲ミラノ       ○ブレッシア



 ○パヴィア      ○クレモナ

    

        ○ピアツェンツァ



              ○パルマ


 とミラノ周囲を孤立させることに成功したのである。しかも兵を率いて一年以内に。


「我のこれまでの苦労って一体……」

「居るんだよな、時々こういう強い奴」


 無論、フレデリカの降伏を促しつつ下した都市の治安を守るやり方とは違うので、その後の統治のことを考えれば良し悪しはあるのだが。

 それでも確実に結果を出す傭兵団長ウベルトであった。  

 ともあれ彼の攻撃とフレデリカの送りつける長官で北部イタリアの統治を更に強化したフレデリカである。

 彼女は今最大の武力を手にしていた。



 そしてその恐るべきフレデリカの再起能力に教皇は震えた。


「悪魔フェニックスと邪悪な契約でもしているのか、あの小娘は!」


 ここで攻めこまれたら負けるという状況に再び教皇は陥ったのである。

 

「フランスに亡命を再び呼びかけ……ってルイは捕虜になってるんだった……」


 歴史的大敗の真っ最中だった。

 第七回十字軍に行ったフランス軍は25000とも云われ、王を含むそれのほぼ全てが戦死か捕虜にさせられているのである。

 フランス国内は捕虜解放の凄まじい額になる金を用意するので必死だった。

 はっきり云って教皇より、後に聖王と呼ばれるルイの方が遥かに人気があったのである。


「ではイギリスに再び……!」

「議会で却下されたので完全拒否で」

「この役立たずの王め!」

「じゃあ王権復活させるの手伝えよクソ教皇!」

 

 イギリスはそれどころじゃなかった。

 逃げ場も無く追い詰められた教皇であったが──。

 それをフレデリカは攻めることをしなかった。

 気持ちが萎えていたのである。


「教皇とかマジだりいー……あとルイに悪いし。いい子ちゃんで苦手だけど、悪いやつじゃないし」


 教皇はほぼフランス領内に居る。そこに軍を派遣することはフランスとの不可侵協定を破ることになる。

 たとえ目的がフランス領土でなかったとしても。

 再三の教皇の要請を突っぱねてでも、決してこちらに軍を送らなかったルイに対して約束を破るつもりは、一切なかった。

 戦略的な重要性ではなく、彼女の誇りの問題である。

 また、捕虜となっているルイの解放を頼む手紙をこの時期にスルタンに送っていたりもした。

 それにしても疲れているフレデリカに、隊長は提案をした。


「……そうだな、フレさん。休暇でもどうだ?」

「うん。隊長も一緒にね。自分は大丈夫って顔してるけど、我とそう変わらない仕事してるじゃないか」

「そうだったか? まあ、フレさんの行くところに俺も行くさ」


 ──そうして二人は休暇を取ることにした。

 フレデリカが本格的に仕事を部下に全て回し、長期休暇を取るのは恐らく初めてのことであった。

 後世ではこの機に乗じてミラノを完全に叩くべきだったとも、教皇へ軍を送り追い詰めるべきだったとも語られるが。

 誰も彼女の休暇を止めることも、咎めることも無かった。そして状況がそれを許すように、各地は尽力するのであった。




 ******




 休暇と云えば。


「温泉だー!」


 フォッジアの王宮にて温泉に入り。


「墓参りだー!」


 近くにあるバレッタの砦に埋葬されたヘルマンの墓参りも済ませておき、


「鷹狩りだヒャッハー!」


 と、馬を走らせて鷹狩りに勤しむフレデリカであった。

 パルマで鷹狩りに出かけた隙を突かれて敗北をしたとき以来行っていなかったので、のびのびと彼女はプーリアの平原を駆けまわるのであった。

 隊長も共に走る。

 もう冬だ。程よく草の密度が低くなり、狩りをするには良い気候になっていた。

 平原の遥か向こうから吹いてくる風が草を撫でて音を奏でる。

 美しい土地であった。

 フレデリカは馬から下り、大きく伸びをするように手を伸ばして感慨深そうに云う。


「いやーシチリア島も好きだけど、プーリアは格別だね。第二の故郷って感じがするよ」

「そうだな。俺もそう思う」


 何せ彼女が王宮すら建てた地である。  

 中東から伝わる最新の農業技術や農作物を育て実り豊かでありヨーロッパ各地から巡礼者が訪れ、イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ教徒も互いの領分を守って暮らしている。

 ワインも旨くあちこちに温泉が沸き、鷹狩りに丁度良い平原が多い。

 当時のヨーロッパでもトップクラスに過ごしやすい地域がプーリアである。


「ここでのんびりしてると、これまでの苦労が嘘みたいだねー」

「まったくだ。教皇が邪魔しなかったらもっと早くに、こうして楽ができたんだがな」


 隊長がそう応えた。

 時流が彼女を奔らせた──いや、自発的に彼女が苦労を背負い込んだこともあるが、これまで困難な苦境の連続であった。

 仕事漬けな毎日であったとも云える。こうして、二ヶ月あまりも休暇を取ったのは初めてであり、部下も子供も喜んで彼女を休ませている。

 

「我はさー」


 フレデリカは嘆息混じりの甘い声で云う。


「我はここみたいな、平和ーな場所をイタリアとドイツに広めたかったんだ。魔王なんて呼ばれてるけど、平和を作りたかった」

「……知ってるとも」

「皆で毎日面白おかしく馬鹿をしてさ。ベラルドやヘルマン、アンリ達と冒険したり、アル・カーミルと勉強会開いたり。教皇に怒られるならホノリウス爺さんあたりにしときたいな、心労かけちゃったからね。イノケンティウス3世はちょっと怖いし」


 そう云って笑う。


「嫁の皆とかも一緒にね。コスタンツァにヨランダ、イザベルにベアトリーチェ。多いな! 我ながら! 息子は七人、娘は八人。レズ愛人も含めれば大家族だ。全員でピクニックでもしたかったなあ。ハインリヒは足が悪かったからちょっと嫌がりそうかな。案外喜んだかな」

「ここまで家族が多くて仲が良いのも珍しいものだ。ハインリヒだって、順番が違えばただの弱気な息子だっただろうな」


 彼女には両親の記憶は殆ど無いが、多くの家族が居た。

 亡くなっていった者も居る。元々女は死にやすい時代だったが、妻達に息子のハインリヒとリカルド。それに死産や夭逝した子。エンツォも今は囚われの身になっている。

 全員と仲良く、と云う夢はもう果たせないが、残った兄弟は皆協力しあって精一杯生きている。お互いに争うことも無かった。


「ロフレドやピエール、タッデオやフィボナッチ先生なんかの学者組とも、もっと勉学したかったね。ナポリ大学は永遠に不滅ですってさ。くふふ、ナポリに国立大作ったってことでパレルモの住民から苦情が来たよ。うちに作ってくれればよかったのにって」

「パレルモに作ったら案外グイエルモの旦那が教師になりそうだな。あの人は何でも知ってるから」

「ものぐさなのが玉に瑕だけどねー」


 彼女が開いたナポリ大学も創立して26年になり、多くの学者を送出してきた。

 1250年前後で最も有名になるのは、スコラ哲学を学べば確実に名前を知ることになる神学者トマス・アクィナスであろうか。彼の父親はフレデリカの高官でもあった。

 どちらかと云うと教皇派になる学問だが、彼女はそれをナポリ大学で学ぶことも禁止はしなかった。学問は開かれるものであるとして、最初に教育方針を決めることはしたが、後の改革を拒まず、狭めないようにしたのである。

 

「テオドールやザッカーリア達が頑張ってくれて医学もいい感じに発展したね。まあ、我のかゆみは精神的なあれだったから隊長と休暇してれば治ったけど」

「フレさんの風呂に入れる入浴剤を作るのが大変だった」


 また、ナポリ大学に近いサレルノの医学校も彼女が発展させたところである。

 そこではフレデリカにプレゼントされたアフリカの珍しい動物に触発されたのか、ヨーロッパで初めて獣医学を専門に研究するジョルダーノと云う医者すら現れた。その研究結果は馬や鷹などにも応用されている。

 他にも防疫を専門にしたアダモはあちこちに移動するフレデリカの軍で疫病が蔓延しないように現地に赴いてまで研究を実践している。

 フレデリカに眼鏡を作ったユダヤ人の医者、ザッカーリア。

 アル・カーミルから派遣されてきて最期までシチリアで暮らしたテオドール。

 人種も様々に変わり者揃いの医者が多かったが、その誰もが好きに研究することに対してはフレデリカからの支援金で生活が保証されていた。

   

「本当に色々な人達と、突っ走って頑張ってきた。綱渡り人生だったけど悪いものじゃなかった。酷いことや面倒なことがあって、敵も多かったけど胸を張って云えるよ。我は不幸せなんかじゃなかったって」

「……そうだな」


 静かに隊長は彼女に同意した。

 フレデリカは振り向いて、隊長を見上げながら云う。


「でもさ、最前線で走り続ける綱の上で寂しくなかったのは、ずっと君が側に居てくれたからでもあるんだ」


 だから、と彼女は一番の笑顔を見せた。



「これまでありがとう、クラウス」



 隊長──クラウスと云う名の近衛騎士はフレデリカに不器用な笑みを返した。

 

「俺も良き日々だったと思っている。騎士として、君は仕え甲斐のある波瀾万丈な王だった。これまでの事は俺の宝であり、他に無い誉れだ。それをくれたのは君だ」


 故に、と彼も告げる。



「ありがとう、フレデリカ」



 伝えた。

 恐らく彼女と共に駆け抜けた皆が思っている言葉を。

 何故かフレデリカは涙を浮かべながらも、笑みを深めた。


「初めて名前呼んでくれた」

「君もだろう」

「うん……」


 彼女はそう云って、再び大きく背伸びをした。


「楽しかった。だから、ちょっと疲れるのを忘れていただけなんだ……」


 そしてフレデリカは──。

 ゆっくりと後ろに倒れこんだ。

 

「──!」


 彼が駆け寄り、手を伸ばして彼女を支えた。

 やや遠くに居た従者らが慌てて近づいてくる。


「隊長!」

「フレデリカ様はご無事ですか!?」


 彼は目をつむったまま胸を押さえ、苦しげな呼吸を繰り返して返事もしないフレデリカを抱きながら周りに指示を出す。


「医者を呼べ。彼女は近くの休める場所に運ぶ」


 この場所はフォッジアとルチェラの間にある平原であった。そのどちらに行くにしても離れていて、彼女を動かすには遠すぎる。

 仕方なく彼は近くにある小さな村へ向かうことにした。

 フレデリカが一度も立ち寄ったことはないが、部下にいざというときの整備はさせていて砦ぐらいは作ってある。

 彼は村の名に嫌な符号を感じたが、やむを得ずフレデリカを抱えたままそこへ向かった。


 村の名は[花之村フィオレンティーノ]。


 彼自身が、フレデリカが死ぬ場所と占った名前であった。それでも、彼女を一刻も早く休ませる必要があった。

 既に自分に未来を占う能力は無く、助けるために必死になる他は無かったのだ。





 *****





 フレデリカの意識は病床に付きながらもはっきりとしていた。

 フィオレンティーノにある砦の寝室に横たわり、暫くすれば彼と少しだけ会話をして、後は黙ったまま医者の到着を待っていた。

 彼はずっと付き添って、フレデリカのベッドの隣に座っていた。

 その日のうちにフォッジアから侍医である、白衣の男──ジョバンニが到着して彼女の様態を診察する。

 彼はフレデリカ暗殺計画を伝えて、リカルドの最期も看取った医者であったが、その後はフレデリカの侍医として呼ばれていたのである。腕前は若いながらサレルノの医学校で教壇に立つこともあったぐらいであり、確かだ。

 念入りな診察は6日に及んだ。

 ジョバンニはフレデリカと彼を前にして、診断結果を告げる。


「人よりも過剰に働いた者に多い症状なのですが、虚脱感と体のしびれが起こり、やがて眠るように死に至る病気です」

「……それで?」


 彼の低い問いに、ジョバンニは首を横に振った。


「手の施しようがないのです。本当に、もはや……あと何日持つか……くそう……」


 涙が滲んだ声であった。いつだって自分の医学は、肝心なときに役に立たない。助けたい人を助けられないと嘆きが混じっている。

 それを聞いて、彼は無言であった。

 正確な診断を待っていたが、彼自身も医学の素人ではない。時間がある限り、役に立つだろうと思ってテオドールからギリシャの医学を学んでいたのだ。

 その点から見ても、フレデリカの体に力が入らずに生気が無くなっていくのはわかっていた。

 もう彼女が限界だと知っていたのだ。だから休みを取らせたと云うのに。

 みしりと彼の座る椅子が軋む音が聞こえた。


「……そっか」


 フレデリカは、寝たままそう応えて、部屋に控える従者に声を掛ける。


「ベラルドとマンフレディ。それと大臣らを呼んできて。我はもう死んじゃうみたいだから、いろいろしとかないと」

「……はっ」


 6日も掛けたのだ。従者も徐々に、彼女が助からぬことを悟って覚悟を固めていたが。

 その従者も涙を流しながら外に出て行った。

 そしてフレデリカは彼の袖を、覚束ない手で掴んで儚い笑みを浮かべる。


「君は最期まで側に居て」

「ああ。わかった。俺でいいのなら」

「……君がいいんだ。それと、ベラルドかな」


 フレデリカの病態を聞いたベラルドは年を感じさせぬ程に馬に鞭をくれて走り駆けつける。

 マンフレディや他の高官も急ぎやってきた。ただ、フェデリーコやコンラートは今彼らが離れたらいけないので来させないようにと周りに告げる。

 自分の事よりも彼らが治める領地のことを優先させたのである。それに、ドイツに居るコンラートが来ようとしたとしても、間に合う可能性は低いだろう。

 

「フレデリカさん」

「やあ、ベラルド。遠くから無理を云ったね」

「なんの、貴女の無理を聞くのは昔からの得意でして」


 そう云ってベラルドは彼女の隣に置いてある椅子に据わった。

 膝が震えている。顔にも冬だというのに汗をびっしりと掻いていて、しきりに拭っていた。

 フレデリカは笑いながら、


「我じゃなくてベラルドがぽっくり逝きそうな疲れ具合だね」

「はは、年は取りたくないものですな。いつまでもお若いフレデリカさんとクラウスが羨ましいやら異端っぽいやら」

「くふふ、異端で破門食らってる我の葬式をするには、ベラルドぐらいじゃないとね」

「……光栄です。同じく破門されている身ですが、任せてくだされ」


 フレデリカの手を握ってベラルドは安心させるように告げた。

 その手の冷たさに、彼は思わず涙を零す。

 亡き友人、ヘルマンの手を取ったときと同じ冷たさであった。

 本当に彼女は死んでしまうのだ。

 あの17で自分を連れてパレルモから旅に出かけた少女が。


「ベラルド……これまで無理云ってごめんね」

「──いいのです。無理も無茶も、克服すれば良い想い出でした。フレデリカさん」

「うん」

「楽しかったですなあ……」

「そうだね……」


 感慨深く云うベラルドに、フレデリカも同意した。


 それから暫くしてマンフレディも到着する。彼女の息子達の中で、唯一駆けつけて来れたのである。

 彼は病床に伏せているフレデリカを見ただけで、膝から崩れて泣いた。

 あの強い皇帝であった彼女の、父の初めて見る弱った姿である。


「親父殿……親父殿ぉ……!」

「こら、泣くんじゃないよマンフレディ。君も嫡子なんだから、しっかりしないと」


 残りの命が僅かになってもフレデリカは理性的であった。

 ベッドに近づく泣き顔の息子を見て、彼女は笑った。

 

「マンフレディ……もう何歳になったっけ」

「17です……」

「そうだったね。17と云うと、我も一人前としてドイツ王になろうと旅に出た年だ。お前も、我が居なくなってしっかりするんだよ」

「うう、ううう」

「大丈夫。兄弟と仲良くしなさい」


 泣き崩れる彼の頭を撫でてやっている。

 誰もが目を向けるような美青年になったマンフレディだが、エンツォより涙もろい様子であった。

 そして法務大臣などの高官もフレデリカの元へ訪れ、次々に皇帝に挨拶をした。その目に涙の浮かばぬ者はおらず、この場で泣いて居ないのはフレデリカと彼だけであった。

 

「皆揃ったから、国に必要なことを云うよ。書記官は文書にして」


 彼女は指示を出して、机に書記官が紙とペンを用意した。

 大きい深呼吸の後で彼女はゆっくりと語る。


「ドイツ王、シチリア王国の統治権は嫡子であるコンラートが引き継ぐものとする。ただし、コンラートが子を残さずに死んだ場合はイザベルとの子、ヘンリクが引き継ぐ。また、ヘンリクが同じく子を残さなかった場合はマンフレディが引き継ぐ。ヘンリクに引き継がれた時点で彼がまだ統治を行えない年齢の時は、マンフレディが摂政を行うこと」


 まずは後継の問題である。現在でもドイツ王として働いているコンラートに全権を委任して、その後でまだ幼い子供のヘンリク、マンフレディと嫡子に継承権を順番させた。 

 年で云えばヘンリクよりもマンフレディの方が年上なのだが、マンフレディは後で嫡子になったのでこの順になる。

 フレデリカの声は続く。


「ヘンリクにはエルサレム王の位を譲る。マンフレディにはシチリア王国ターラント公爵の位を渡す」


 ターラントはイタリア半島の南端にある一帯の地域であり、シチリアの大領主をマンフレディは任せられたのだがそれだけではない。

 その都市はシチリア王国のノルマン王朝が始まったと云う意味合いの持つ場所である。

 つまりコンラートにシチリア王国の統治権を渡しつつ、実質はマンフレディに統治させる形にさせたのである。

 兄弟仲が悪いと戦争でも起こりかねない配置だが、フレデリカの息子達はこの時代では奇跡とも云えるほど仲が良かった。

 だから大丈夫だと判断しての配置である。


「それと、我が死ぬことでシチリア王国の住民に特別課税は行わないこと」

 

 当時では王が死ねばその葬式費用と云うか、香典金を集めることがあったのだがそれをさせないことにした。

 

「また、幽閉されている罪人は凶悪犯以外は恩赦で解放させること」


 これにより──皇帝とエンツォ暗殺計画に加担した者の妻子は許されることとなる。

 もはや暗殺しようとした自分は死に、エンツォは囚われているのだ。どうでも良いと云う気分になっていた。


「我が管理していた教皇領は、教皇が神聖ローマ皇帝と和解するならば返却すること。これは教皇にも伝えてね……以上」


 そう締めくくった。

 彼女が云うのは自分と和解ではなく、息子達がなるであろう神聖ローマ皇帝との和解が条件であった。

 一切、自分から教皇に破門を解くように頼むとは言い残すことはしなかった。

 あくまで教皇側から謝罪を入れてくるまで彼女自身は決して頭を下げない。

 そして下げないまま、こうして人生を終えようとしていた。


 それから高官らに今後の国の運営について指示を出して、彼らはそれぞれの職場や連絡へと向かっていった。

 残ったのはベラルドとマンフレディだ。二人と、フレデリカと彼は数日の間他愛の無い話をして過ごしていた。

 侍医と共に彼の作った甘い薬が痛み止めに効き、苦痛は無かった。眠るときも不安はなく、彼を隣に控えさせてぐっすりと眠っていた。

 そして──。


 徐々に、彼女の眠る時間は長くなっていった。


 長い眠りの後で、目覚めたフレデリカの意識ははっきりとしていた。


(多分、これが最期の時間だな)


 そう彼女は思えて、側に居る皆に声を掛ける。


「ベラルド」

「ここに居ますよ」

「長い旅路だったよね」

「……はい」


 彼とはそれだけで十分だった。

 酸いも甘いも、辛いときも楽しいときも共に駆け抜けた大司教。

 語るべき言葉は既に共有している。

 語るべき想いも同じであった。だから、それだけであった。


「マンフレディ」

「……ここにっ」

「泣き虫だな。いいかい、何度も言うけど、兄弟と仲良くね。辛かったら助けを求めなさい。そしてどうしても無理だったら、別に教皇に謝ってもいいよ。お前が考えて、お前の人生をいきなさい」

「わかり……ました……」

「未来はお前のものだよ……」


 子供のこれからに責任を持つことはもはやできない。 

 だから自分らで歩かねばならないのだから、フレデリカは送り出す気分であった。

 少し不安は残るが、彼らの不安は、彼らのものである。

 そして──。


「ねえ……」

「ああ」

「最期に、わがままを聞いて貰っていい?」

「構わん」


 言葉短く彼は応える。

 フレデリカは前置きをして告げる。


「マンフレディ達にはちょっと悪いんだけど……」

「……?」

「君は、騎士を辞めてくれないかな……本当にわがままなんだけど……我だけの、騎士で居て欲しいから……」


 彼ほどの事務処理能力と強さを持つ者を解任するのは、後の国への損失となる。

 だから合理的ではなく、感情的なわがままであった。

 それを彼は苦笑しながら頷いた。


「なんだ、そんなことか。構わんよ。俺だってもういい年なんだ。引退する頃合いだと思っていた」

「くふふ……そんなに若いのに。ごめんね、マンフレディ」

「いえ……隊長は確かに、親父殿だけの隊長であって欲しいと……自分も思います」


 マンフレディも自然と頷いていた。

 他の多くの者もそう思っていたのかもしれないがフレデリカと彼はセットのような存在であった。

 お互いに揃って、それが自然であると誰もが思えるような奇妙な主従であった。


「我のわがままを聞いてくれたんだ、君も何かわがままを云っていいよ」


 フレデリカのその言葉に、彼は息をついた。


「特に無いが、そうだな、敢えて云えば────」


 つい。

 彼も無意識にそう口にした。

 理性が、言葉を続けるのを止めろと胸中に大声で叫んでいる。

 意味の無い要求だ。

 それを彼女に告げてもどうにもならない。困らせるだけだ。

 そう頭では思っているのに、口から溢れる、騎士にあるまじき弱々しい言葉は止まらなかった。


「───死な、ないで、くれ……」


 彼の言葉に、ベラルドとマンフレディが俯いた。

 この場にいる、誰もが思っている要求であったからだ。

 そんな、今にも死にかけている彼女には道理の通らぬ願いを──縋るように、無茶を承知で、彼が口にした。

 生きるとか死ぬとか、覆せないものだったとしても……共にこれからもありたかったのである。まだ終わりにしたくはなかったのだ。

 彼女は微笑んで、ここに運ばれてから初めて目に涙を浮かべた。


「ごめんね……君の事は大好きだから、何でも聞いてあげたいんだけど……それだけは無理みたいだ……」


 言葉が徐々に弱くなっていく。 

 フレデリカも──彼と共に、いつまでも居たかった。二人ならばどこまででもいけると思っていた。

 王で無くても、ただの二人でも旅に出て行き世界を楽しめただろう。在野の学者として二人で世界の真理を求めていくのも素敵な未来だと思えた。或いは引き篭もりゲームでもしながら自堕落にでも、きっと飽きずに過ごせた筈だ。

 だがそれはもう叶わない。既に、フレデリカに終わりが訪れているから。

 彼は拒否をされても、いつもより優しい顔で、


「……すまない」


 と、謝る。

 涙は出なかった。最期まで、彼女の騎士であろうとしたから──涙は見せなかった。

 フレデリカは彼の手を取って、力なく云う。


「……あのさ、パレルモで我が棺に入れられるとき……もう一度、手を握ってくれるかい?」

「ああ」

「ありがと。少し心残りはあるけど、安心した」


 フレデリカは天井を見て、云う。

 最期の時が訪れつつある。


「……なんか、格好いいこと云って死にたいよね」

「こんな時まで」

「『神は死んだ』とか」

「それは別のフレさんに残しておいてやれ」

「なんだよー……むー……他の女のこと?」

 

 フレデリカはそう彼と、いつものような軽口を叩いて、目を閉じた。

 彼とそうできるのも最後だと思うと寂しくなって、口をゆっくりと動かした。


「──死んだら、何も無いのかな……」


 そうして──。

 彼女に死の帳が訪れた。

 部屋に音は無く、窓から差す夕闇が夜に変わっていく頃合いであった。

 

 1250年12月13日、シチリア王にして神聖ローマ皇帝、エルサレム王フレデリカ、フィオレンティーノにて没する。



 年代記を作成していたイングランドの修道士マシューはこう記している。



『この年、皇帝フレデリカが死んだ。世俗の君主の中では最も偉大な統治者であり、世界の驚異であり、多くの面で素晴らしくも新しいことを成した改革者であった』




 ****** 





 彼女の亡骸はフォッジアに移されたあとで仮の棺に入れられて、あちこちの街を巡りながらパレルモへ向かうことになった。

 その街の順番すら死ぬ前にフレデリカが言い残したことであった。

 亡骸にはベラルドが没薬を混ぜた終油を施していた為に腐敗せず、運ばれることとなる。

 その棺の傍らには騎士の正装をした彼が最後の役目とばかりに付き従っていた。


 都市バレッタに寄った。

 そこはヘルマンが埋葬された、チュートン騎士団の基地がある都市である。

 ドイツ貴族であったヘルマンは死ねばその亡骸はドイツに返されるのが普通であるが、フレデリカが頼み込んでフォッジア近くのバレッタに埋葬させたのである。

 そこではチュートン騎士団が勢揃いして、棺の行軍を一糸乱れぬ動きでエスコートした。

 馬車を断り乗馬で棺の側に居ることを選んだベラルドはふと、ヘルマンがまだその辺りに居るようで顔を上げた。

 別れは済ませたと云うのに、涙が無性に溢れてきた。

 

 ジョイア・デル・コーレの城にも立ち寄った。

 ここはマンフレディの母であるベアトリーチェが亡くなり、埋葬された城である。

 フレデリカの遺体はそこで一晩過ごした。マンフレディはその夜にまた泣いたが、葬列では涙は見せなかった。

 沿道まで住民がプーリア中から集まり、葬列を見送る。

 馬の足音と祈りの言葉だけが街道に聞こえた。

 四十年以上もシチリアを統治し続けたフレデリカを、誰もが送りにやってきたのである。


 ターラントの港から船に乗ることになっている。

 そこには老齢で息子達に仕事を譲っていた元提督のアンリが船を用意していた。

 白髪に染まっているが、相変わらず張りのある体つきをした男である。彼もまた海の男だからか愛人がやたら多かった。

 そして船が出港すると、先頭に乗せていたフレデリカの棺に集まった皆はそれを見た。


「おう、あいつら……何の指示もしてねえのに」


 港湾にて。

 ターラント港にある軍船漁船が大小関係なく、整列してフレデリカの出港を見送っていた。

 それぞれの船には船長が櫂を縦に高く掲げている。

 シチリアの皆がフレデリカを好きであったのだ。思わず、アンリも涙ぐんで古ぼけた塗笠を深く被った。


 船はパレルモへ向かう。

 その途中でアンリはふとベラルドと彼に云う。


「そういえば、俺らの最初の旅も、フレデリカちゃんとベラルド、隊長が俺の船に乗ってドイツに行くことからだったな」

「ああ、確かに。最初はこのベラルド、不安で一杯でしたなあ」

「懐かしいな。あの時は十人も居なかった」


 そしてアンリが、先に見えるパレルモの港を見ながら云う。


「またこの4人で帰ってきたな」

「そうですな……」

「本当に──長い物語だった。だが、すぐ前の事のように思い出せる……」

 

 物を云わぬフレデリカを見ながら、3人は大勢の人が集まるパレルモを見やる。

 フレデリカは参列に一般住人も許可したのだから、パレルモは人で溢れんばかりであった。

 そして彼女は一旦、幼少の頃に過ごした[ノルマンニ宮殿]に運ばれてそこで死出の衣装へ着替えさせられる。

 紅い衣を着て、第一の妻コスタンツァを入れたような古代ローマ式の大理石の棺へ入れられて大聖堂に運ばれた。


 式が始まる前に、彼は少しだけ時間を貰い棺に眠るフレデリカの手を取った。

 最期の約束として、彼女の手を握る。

 その様子をベラルド達が見ていた。

 と──葬式にやって来ていた老司祭、グイエルモが何かに気づいた。


「おや? フレデリカさんの袖に、文字が書いてありますよ。アラビア語ですかな」


 云われて、彼は彼女の袖をよく見れば──。


 ──いやー隊長がアラビア語ができるなんてラッキーだね!


 フレデリカの言葉が、これまでの表情が、多くの思い出が浮かんだ。

 彼が掴んだ彼女の袖には、短い文章が書かれている。


 ──例えば我が死んだ後で生きてる隊長と連絡取れるかな?


 そんな他愛無いやりとりだったが。 

 すべて、覚えていた。大事な宝として。


 ──死んだら、何も無いのかな……


 彼は袖の文字を読み取って、聖堂の天井を仰ぎ見た。


「なんと書かれて……?」


 尋ねるべラルドの声に、隊長はフレデリカの袖に書かれていた文字を読み上げた。



「友よ。

 寛大なる者よ。

 誠実なる者よ。

 知恵に富む者よ。

 勝利者よ──」



 そう、書かれていた。

 彼はか細い声で、云う。


「アラビア語だからな、アル・カーミルにでも残したのだろうか……?」

「隊長、それはっ」


 叫びかけたマンフレディを、ベラルドは手で制した。

 彼に変わって、グイエルモがゆっくりと告げる。

 いつも飄々と二人の生徒の前ではしていたグイエルモも静かに涙を流していた。


「例えそうだとしても、それを読んだのは貴方なのだから、受け取りなさい」

「……」

「死者の想いを完全に理解することは、もはやできないでしょうが……貴方が受けとめ、思った通りのことが、真実ですよ」


 そう云われて。

 彼は──クラウスは顔を皆に向けた。

 その時の彼は、長い間仲間であった誰にも見せたことのない初めての表情をしていた。

 騎士を止めた一人の、友の死を受け入れた男の顔であった。



「そうだな──そうする」



 我が友フレデリカよ。

 言葉には出なかったが、きっと互いに伝わる想いがあると信じた。

 

 パレルモの鐘が──僅かに滲む雨の中で鳴り響いている。


 

 


 ******





 壮麗な葬式も終わり、パレルモの郊外で二人の男が向かい合っていた。

 ベラルドと彼だ。70を越した老人と、まだ青年の顔つきを残す彼は対照的であるが、共に時代を生きた友人であった。

 彼はフレデリカとの約束通り、軍を去りこれから一切、兵士としての活動を行わないと宣言して出てきた。もし子供達の軍が苦戦することがあっても、決して出てこないで欲しい、それが父の願いだとはマンフレディから云われたことである。

 

「これからどうなさるので?」


 ベラルドの問いに、彼は応える。


「そうだな。隠居して本でも書くことにするさ。幸い、貯金はある」

「左様ですか」

「お前ともこれでお別れかな。長い付き合いだったな、戦友」

「寂しくなりますが、よい日々を。戦友」


 二人は笑い合って、拳を軽く当てて交わした。

 それだけで十分であった。

 隊長は別れの言葉を云う。


「さらばだ。ベラルド・カスタッカ」

「ええ。さらばです。クラウス──」

「あ、いや」


 ベラルドが彼の名を呼んだ時に、止める声を掛けた。


「その名は、彼女にくれてやることにした。だから今日から俺は……そうだな、シチリアに住むから、イタリア風に──ニコロと名乗ろう」

 

 クラウスと云う名は、聖ニコラウスから取ったドイツ風の名である。

 イタリアでは、ニコルかニコロと呼ばれるのが普通であった。

 ベラルドは笑いながら言い直した。


「そうですな。それではさらばです。ニコロ」


 クラウス改め、ニコロ。それが彼の新たな名前であった。

 背中を向けて、後ろ手を振りながら彼は歩み去っていく。

 見送るベラルドを追い越して、彼に走って追いつく者が居た。

 白い花のような色の髪をした、妙齢の女性である。

 ビアンコフィーレ。

 フレデリカの娘であった。


「なんだ? ……物好きだな、俺はもう騎士でも無いのに」

「……」


 その時、彼女が何を云ったのか、ベラルドの距離では聞き取れなかったが。

 彼はふっと肩の荷が下りたように微笑んで、ビアンコフィーレの手を取った。


「ああ、約束だからな。一緒にいこう」


 ──そうして二人は歩き出した。

 ベラルドはずっとそれを見届けていた。

 

「新たな旅路に、幸あれ」


 そう祈りながら──。







 ******




 フレデリカが死んだことで、この彼女に関する物語は終わりを迎える。

 これからのことは残された者達が、それぞれの物語を築いていくであろう。


 だが──敢えて紹介として。

 史実における、フレデリカ=皇帝フリードリヒ2世の死後にあった出来事を簡単だが述べよう。


  

 皇帝が死んだことですぐさま教皇は勢いづき、皇帝の領主や各国に皇帝の息子達への討伐や国での反乱を呼びかけ始める。

 自分を脅かした皇帝一門を排除することに全力を尽くす教皇であった。



 1252年。

 皇帝の死の二年後、一番の側近であったベラルドが眠るように亡くなる。

 再三に渡り、教皇から破門を解くのでローマに戻るようにと書状が届いたが、彼はそれに返事さえしなかった。

 皇帝と同じく、破門されたままでの死を選んだのである。



 1253年。

 北部イタリアの大部分が教皇派に寝返る。傭兵のウベルトも利がないと見るや教皇派になった。

 また、イザベルとの嫡子ヘンリクは元々病気がちだったのが悪化して死亡する。15歳であった。



 1254年。

 皇帝の死に対しての動揺はイタリアで特に多く広がり、反乱が頻発した。

 嫡子コンラートはドイツを出て、イタリアでマンフレディと共に各地で奮戦を繰り返す。

 ドイツよりも、皇帝が愛したシチリアを守ろうとしたのである。

 だがその途中でコンラートは病気で死亡する。教皇はこれを、マンフレディが暗殺したと喧伝した。

 同時にマンフレディを破門。シチリア王国の継承を認めなかった。



 1256年。

 マンフレディへの協力を惜しまなかった、兄のフェデリーコが戦死する。

 同じく庶子出であることから兄弟仲は大層によく、統治能力に優れた人物であった。

 


 1258年。

 マンフレディは教皇に何回か和睦を申し込んだが拒否され、自分でパレルモの聖堂にてシチリア王に戴冠する。

 シチリア王国内ではマンフレディの人気は高く、父の行った政策を忠実に守った。

 また、皇帝の死後に教皇の命令で休校していたナポリ大学を再開させる。

 シチリア王国は安泰の状況を見せた。



 1259年。

 北部イタリアで孤軍奮闘して、ロンバルディアと戦い続けていたエッツェリーノがミラノ軍に捕縛される。

 獄中で一切の施しを拒否。皇帝に逆らい続けたミラノを罵り続けて死亡した。



 1265年。

 マンフレディは皇帝の書室を探し、メモを集めて、皇帝が作成した[鷹狩りの書]を再現させた。

 現代に残る鷹狩りの書はマンフレディが作り直したものである。



 1266年。

 フランス王弟、シャルルが教皇との取引でシチリア王の地位を保証され、軍を率いてシチリアに攻め入る。

 ベネヴェントの戦いでマンフレディは戦死。最期まで彼とともに戦ったのは、皇帝が保護したサラセン人の部隊であった。

 こうして皇帝の一門はほぼ全滅することとなった。



 1268年。

 コンラートの息子、コラディンもシャルルに捕まり斬首刑になる。

 彼がイタリアに来ることは一度も無かったが、追及の手は執拗であった。


 

 1272年。

 エンツォがボローニャで幽閉されたまま、死去する。

 父の死や、弟達の死を聞かされていても外に出されることは無かった。

 56歳になり金髪は白くなり始めていたが、その美しさは変わらなかったという。



 

 マンフレディが死に、皇帝の勢力が壊滅したことで教皇は満足をしなかった。

 皇帝が作り上げたフォッジアの宮殿は根こそぎ破壊されて壁一枚すら残らなかった。

 また、イスラム教徒を保護していたルチェラの街でも同じくモスクが破壊されて、住んでいたサラセン人は全て奴隷にされて売られてしまった。

 更に年代記や史書を作る者に、皇帝を悪辣に書かせてそのイメージを貶めることまでする執拗さであった。



 だが、皇帝批判の風が巻き起こる中で一つの史書が発表される。

 皇帝が、14歳でシチリア王になってから死ぬまで。コンラートとマンフレディが後を継いでシチリアを統治したこと。

 それらを親しい目線で、賛えるように書かれたのが[神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世と、シチリア王コンラート、マンフレディの史書]である。

 作者の名を、ニコロ・デイ・ジャムシーラと云った。

 ただ、そのような名前の人物は皇帝の側に居た形跡が無く──この書以外にかの人物の名が歴史に出てくることもない。

 恐らく、部下の誰かが偽名で出版したのだろうと後世では云われている。



 余談だが、教皇の皇帝に対する粛清の風は息子達には苛烈であったが、娘達は見逃されていた。

 他所の嫁になればもはやその家に従うからだ。実際、反乱を起こした者の中には皇帝の娘婿も居た。

 皇帝は娘の嫁ぎ先も手ずから決める性格で、他国の王や若い幹部に娘をあてがっていた。

 ただ、8人居た娘の中で。

 ビアンコフィーレと云う変わった名の娘だけは、誰に嫁いだとか、どのような人生だったかは伝わっていない。

 没年は1279年と、当時の女性にしては長生きをしたことだけわかっている。



 宮殿が破壊され、功績を否定され、名を貶められた皇帝であった。

 だが、残した功績の一つは現代でも輝きを保っている。


 イタリア、ナポリにて。

 皇帝が設立し、[ナポリの学び舎]と名づけたナポリ大学。

 それは数百年経過した今も、イタリアの名門国立大学として続いているのである。

 

 ナポリ大学───その名称は後に変えられた。

 現代では正式に、こう呼ばれている。


 [フリードリヒ2世大学]


 神聖では無かったかもしれないが、偉大なる革新者として、その名を大学に刻んでいるのである……。    

 




あとがき


なんだかんだで終わりました

でもあと誰かの最期を書いた短いエピローグと、はっちゃけたIFルート番外編を明日二つ投降して完結です


フレデリカさんの物語なので寿命エンドですね。歴史上の人物だから仕方ないね!

そこはかとなく教皇にヘイト溜まったままな気がしますが

そんなことだからアナーニー事件の後にフランス王に拉致監禁されるんです教皇。この教皇じゃないけど

まあ大まかには歴史をネタにしたフィクション小説ですからね!

微妙な解説というか紹介を最後に載せます


フレデリカさんについて

フリードリヒ2世の女体化ですね。女体化とかTSとか微妙な分類だけど。最初から女って

世界の驚異とかアンチクライストとか早すぎたルネサンスとか云われているけど、割と教皇とか当時の常識からすればウザキャラでした

女の子にしても結構ウザいという。これで実際は若ハゲ縮れ毛色白オッサンなのだからたまらない

最期まで美少女でもいいじゃないフィクションなんだから。エンツォが最期まで美形だったのはマジらしいので親の彼女も

割と問題だったのが嫁と愛人と子供多すぎ問題。歴史上の人物女体化モノってどうこの辺り処理してるんですかね?

ともあれ、賢くはあるけど変に意固地で、計画的なのに抜けたところのあるという、総称すれば変人なフリードリヒ2世のファンが少しでもこの作品で増えればなと思います


隊長ことクラウス(ニコロ)さんについて

架空の人物ですね。でもニコロさんって本を書いた人は居るけど謎な人物。なので丁度いいタイミングでかつずっと一緒に居た騎士ということにしました

というかこれぐらいフランクな相談役ツッコミ役が居ないとブツブツとフレさんが独り言云う危ない子になるので

微妙に未来視してたりする感じの発言でしたが、精度は占いランダムレベルでした。悪魔の力ですね

性能的なモチーフはフリードリヒ2世に仕えた学者マイケル・スコットさん

ギリシャ語アラビア語イケるイギリス人修道士です。占いも得意でフィレンツェ不吉を占ったと云う逸話が

フレさんのしつこくウザい学術的質問に頑張って答えていた人らしいです。それを14の時の騎士にクラスチェンジ

そんなこんなしてフレさんの最後まで一緒にいた友達になった隊長ですね。最後の袖に書かれた文面は実際あったけど、現実だとアル・カーミル宛だと言われてます

ちなみに同じく彼女と最期まで一緒だった長い付き合いのベラルドは「皇帝の家族」とフレさんが残した遺書に自分の立場を署名しました。いい仲間やで


最後に

参考にさせて頂いた塩野先生の著書「皇帝フリードリッヒ二世の生涯下巻」からニコロさんの皇帝評を引用しようと思います

これを隊長が書いてると想像すれば、この人本当にフレさんべた褒めだなって思うかも。そしてこの保護者の評価みたいな感じ。彼のキャラはこれで決定しました


塩野七生著[皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下巻]

130P~131Pより引用


『──何よりも確かなのは、フリードリッヒは開けた精神の人であったということだ。言動は常に大胆だったが、それは彼自身の賢明さによって均衡を保つことは知っていた。ゆえに、やみくもに突っ走ったあげくに断崖から墜落することもなく、慎重に成された判断によってあらゆる難関に対処することができたのである。彼が生きた時代の主流であった考え方に妨害されることさえなければ、より偉大な業績を残すこともできたであろう。


 生涯を通して困難な局面の連続だったが、その間にも訪れるわずかな憩いの時間の活用には巧みだった。学芸の奨励ばかりか教育面の充実にも熱心で、その皇帝の許にはあらゆる国々からあらゆる才能が集まり、この人々は皇帝から定収入を保証され、それぞれ得意の分野でそれぞれの才能を開花させたのだ。貧しい若者たちにも皇帝は、彼らの学業続行のための出費を国庫から出すのを惜しまなかった。資産の多寡に関係なく、学を極めたい若者たちの願望に応えるのは、統治者の責務と考えていたからである。皇帝自身も、自身の知性の表現には熱心だった。自然科学への深い関心と、その成果でもある『鷹狩りの書』を書くことによって。


 しかし、何と言っても特筆に値するのは、法治国家建設への彼の強烈な熱意であろう。自ら学ぶことによって得た一つ一つの法律への深い理解だけに頼ることはせず、法律にくわしい専門家たちからの助言や忠告には耳を傾けるのが常だった。そして、法律は誰に対しても公正に施行されるべきという信念は、あらゆる妨害を前にしてもゆらぐことはなかったのである。


 この彼の考えによって統治されていた王国内では、弁護士は誰に対しても弁護を嫌がらず、弁護費用のない人には国選弁護人をつけることで、その権利を皇帝自らが保証していたのである。ただし、ときには、法の厳正な施行を重視するあまりに情状酌量が軽視される場合はあった。


 この皇帝に対する敵側からの憎悪は強く執拗で、皇帝はしばしば苦境に立たされ、それゆえの苦悩を味わわねばならなかった。


 しかし、彼らからのいかなる敵対行為も、フリードリッヒを破滅させることはできなかったのだ。彼の知力が彼を守っていた間は、できなかったのである。つまり、死がついに彼にも訪れるまでは──』 



読んだ本

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上下巻 塩野七生著

中世キリスト教の歴史 出村彰著

十字軍大全─年代記で読むキリスト教とイスラームの対立 エリザベス・ハラム著

ルネサンスを先駆けた皇帝 吉越英之著

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