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神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第四章『破門皇帝フレデリカと教皇の戦い』
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36話『エンツォとフレさん──1249年』



 1249年。

 フレデリカが病にかかり、医者が呼ばれた。


「過労とストレスによる心因的な過敏症でしょう」


 医者はそう診断した。

 椅子には首や手足に、薬草で湿らせた包帯をぐるぐる巻きにしているフレデリカが座っている。

 その背後に痒みの発作が起きれば取り押さえる隊長が控えていた。

 医者は続ける。


「皇帝陛下は仕事が忙しく、その気苦労も絶えませんので普段なら起こらない痒みなどが過剰に感じられるようになったのです。若い女性に多い病気ですね」

「はあ」

「良かったなフレさん。若いって云って貰えて」

「良くないよ!?」


 隊長の言葉にフレデリカはツッコミを入れた。


「それでどうやって治すの?」

「現在ではこれと云って治療法はありませんが、自然と治まって来ます。そのあいだはなるべくストレスなどを感じないように、ゆったりと過ごされることを医者として勧めます」

「ううう、我がゆったりと出来るように教皇がぽっくり死なないかな……」

「丑三つ時にウィッカーマンに釘でも打ち付けてみるか」

「異端パワー全開だね……」


 なおウィッカーマンとはドルイド風呪い人形である。

 フレデリカは溜め息をついて、


「……まあ、自然に治るなら仕方ない。ちょっと仕事量減らしていこうか」

「そうしてくれ。他の者に回すようにしておこう。統治関連も息子達が何とかするだろう」


 こうしてフレデリカは病に掛かったものの、まだ彼女のイタリア平定の動きは遠くから指示を出すと云う形に変わったが進んでいた。

 しかし。

 何処にでも奴の目があるとばかりに、フレデリカが病であると云う情報は教皇がキャッチしてしまう。


「ここが正念場と心得ろ! 一斉に反乱を起こせ!」


 再びどこから現れたのかとばかりにイタリア、ドイツで反乱運動が起きたのである。

 何せキリスト教徒全ての敵とされているフレデリカである。潜在的にはキリスト教徒はどれも敵に回るのだ。教皇が派遣する演説の腕前だけは一流な者達が、一般住民を説き伏せて蜂起させるのは難しくなかった。

 王侯クラスになると大顰蹙を買っている教皇だが、土地持ちに対しての強権を振るっているのでそれ以外の層へその影響力は確かにあるのだ。 

 当然、フレデリカが出れば負けるような反乱の規模であるが。

 彼女を精神的に苦しめて病気を悪化させるのが目的でもある。

 長年戦い続けたフレデリカが病に掛かったことが、まさに彼女の命運が尽きる時だと判断したのだ。

 

 フレデリカはナポリで政務を行い、各地での状況を聞いていた。

 プーリア以南の南イタリア、シチリア島を除きあちこちで戦闘が発生していたが彼女の息子はどこでも奮戦をしている。

 ドイツには、


「何度来ようが、ウィレムを追い返してやるぞ!」

「オランダ野郎が神聖ローマ皇帝になろうなんざ生意気をさせるな!」


 コンラートの元、ドイツ諸侯が纏まっている。

 北部イタリアでは、


「エンツォ様。ボローニャが戦いではなく交渉を行いたいと」

「わかった。皇帝陛下の意志、寛容を持って向かおう」

 

 エンツォが次々に反乱軍を鎮圧し、ボローニャとの交渉に出ていた。

 ここは教皇の影響力が強くずっと教皇派の都市だったのだが、学問の街と云うことで焼き討ちして攻めるにはフレデリカとしても抵抗があったので残っていたのである。

 中部イタリアでも、


「はいはーい、フィレンツェの街に影響が出ないうちに、外で教皇軍は押さえるよー」

「了解!」


 フェデリーコが奮戦している。

 フレデリカの息子達はそれぞれが自分の役割を果たそうと、フレデリカが倒れた今だからこそと張り切り戦っていた。

 

「頑張れ……頑張れよ……」

「……そうだな」


 ナポリで仕事を行いながらフレデリカは報告書が届く度に、片手で隊長のマントの裾を握りながらそう呟くのであった。

 だが──。




 *****



 イタリア中東部、ふくらはぎの辺りにある地方キエーティにて反乱軍と戦っていたのはキエーティ伯爵リカルド。

 べラルドの姪であるマンナと、フレデリカの間にできた息子である。

 まだ二十半ばであったが軍を率いて鎮圧任務に掛かっていた。


「ここを反乱軍に奪われれば、父の王宮フォッジアが危険に晒される! 皆、このリカルドに続け!」

「おう!」


 戦闘は順調であった。まだ戦争の経験も浅い若者であったが、騎馬も得意で反乱軍を追い詰めていた。

 しかし戦闘とは偶然の不幸が及ぶものである。

 いかに強かろうが、尊かろうが、慢心も油断も無くとも──人は不意に死ぬのだ。かの獅子心王リチャードが矢で打たれたように。

 そうして、敵軍から放たれた一本の矢がリカルドの胸を貫いた──。


「がはっ……!」


 肺を貫通していく金属の感覚。

 彼は陸にいながら溺れていくような苦しさを覚えて、落馬した。


「リカルドォォ!!」


 すぐに駆け寄ってきたのは幹部候補生で同期だったジョバンニである。

 皇帝暗殺計画を阻止してから、リカルドの元で彼は働いていた。

 胸を貫く矢。抜けば血が飛び出ることを知っていて、ジョバンニは手を拱く。

 彼の習った医学知識からしても手の施しようがない致命傷であった。

 

(これは……助かるまい)


 リカルドは泣きそうな声で叫ぶジョバンニの音さえ遠く聞こえ始めて、そう確信した。

 彼は最後の力を込めて、抱き起こしているジョバンニの手をとる。


「ジョ、バンニ……」

「死ぬなよお! お前が死んでどうするんだ!」

「聞けっ……君が、代わりに指揮をとれ……やり方は、父に習っただろ……共にな」


 彼は必死にそう伝えた。

 ジョバンニは無理だとか嫌だとか泣き叫びたくなった。彼は今はただのリカルド付きの医者なのだ。しかし、その医者としての役目さえ今果たせなくなってしまっていた。

 友達をまた見捨てたような後ろめたさを感じて、背筋が冷たくなる。

 だがそれでも。

 自分は大それたことなどできない小役人気質だが。

 死にゆく友を安心させてやりたかった。


「わかった、俺がやる。必ず勝つから……見てろよお!」


 彼は涙を拭い、近くの騎士に指示を出し始めた。

 即座にリカルドの部下達も指揮系統の変更を受け入れて、ジョバンニの指示に従い反乱軍への反撃に出る。

 薄れゆく視界の中で友が必死に声を張り上げて戦場を変えていくをのリカルドは見ていた。


(ありがとう……そして)


 思うのは、息子や娘を想い、決して弱さを見せないようにして皆の先頭を歩くようだった、危うい皇帝。

 彼女はきっと自分の死で嘆くだろう。だから、


(支えてやってください……すみません、父よ)


 そうしてリカルドの命は戦場に散った。


  


 それとほぼ時を同じくして。

 イタリア中部北のボローニャにエンツォは少数の手勢を連れてきてやって来ていた。

 ボローニャからは降伏の意志を見せている。


「ここを陥落させたとなれば、皇帝陛下の不安も少しは晴れるだろう」

「そうですね」

「それにボローニャ大学は多少の学問の偏重があるとはいえ、父も認める名門だ。ナポリ大学との交流も深まれば喜ばれる」


 エンツォは大歓迎の中で街に迎え入れられた。

 ボローニャの人々は笑顔で彼を迎え入れる。彼も年は三十を越えているが、その美しさには限度を知らぬように皆を魅了していた。


「ようこそいらっしゃいました、エンツォ様!」

「いえ。皇帝は寛大なお方です。そしてボローニャの方々を害することは良く思っておりません。故に、降伏を感謝します」

「ははっ、それでは細かい打ち合わせや書類などがありますのでこちらに」


 そうエンツォは市庁舎に案内された。

 市庁舎にある塔の一番上、多くの本棚が並び仮眠ベッドなども揃っている執務室を見てエンツォは、少しフレデリカの部屋に似ていて微笑んだ。

 剣を腰から外し、そこの応接机にエンツォが座った瞬間である。

 大きな音を立てて、入り口の鉄扉が閉められた。


「なっ!?」

「すみませんっ!」


 案内をした侍女がエンツォの剣を窓から放り捨てる。

 部屋には彼と彼女しか居ない。外からエンツォの護衛に来ていた騎士達の悲鳴が聞こえた。

 ボローニャ軍は少数だが、街の中に入った少数の騎士を奇襲して殺害する程度には人数は居る。


「どういうことだ!」


 エンツォは侍女に掴みかかって問いかけた。

 彼女は目に涙を浮かべ、頬を紅潮させながら応える。


「エ、エンツォ様を捕らえられれば皇帝は攻めて来れなくなるから、軍の弱いボローニャではこうして騙し打ちをするしか……」

「馬鹿な。降伏までして騙し打ちなど、後世の恥になるぞ」

「教皇様が、後で歴史は書き換えるから大丈夫だと……」

「くっ」


 エンツォは彼女を話して、拳を壁に叩きつけた。

 教皇の策略であったのだ。騙されて檻の中に自ら飛び込んだ己の迂闊さを呪った。

 彼は完璧な男であったとフレデリカは称する。

 その完璧さの中には、フレデリカのように謀略奸智に長けて嘘やハッタリを平然と行い疑いと脅しを持って相手に接することが無い、という評価もあったのである。

 つまり、エンツォは心が綺麗すぎて人を疑う能力がやや欠けていたのだ。

 この街の殺気すら感じさせない、エンツォを完全に歓迎するムードも騙す助けになっていた。

 何せ彼らは本当にエンツォを殺す気はない。彼を捕らえていれば街の安全が保証されるのだから歓迎もする。それでいて魅惑の美青年とあれば尚更だ。

 彼は窓から身を乗り出して周囲を見回すが、わざわざ高い塔に案内しただけあって飛び降りれそうにはなかった。

 

「なんということだ……」


 憂いた目で、遥か遠方を眺めるエンツォの美しさに侍女が失神をするのであった。





 *****




 

 リカルド戦死するもののキエーティ地方の反乱は鎮圧。

 エンツォがボローニャに捕縛される。

 これらの出来事は1249年の5月にほぼ同時に発生してフレデリカに報告された。

 彼女はわなわなと震える。隊長が立ち上がって、どうにかしようとするが、フレデリカは叫びを上げるだけであった。


「なんてこったああああ!!」


 そして報告に来た部下を指さして、


「リカルドの葬式にはベラルドを派遣させること。ベラルドなら指示を出さなくても、いいようにやってくれる。我はエンツォ解放交渉に出向くから準備しておいて」

「はっ」


 頭を下げて連絡員は部屋を出る。

 扉が閉まると、フレデリカは隣に立つ隊長の腹に顔をうずめて怯えるようにびくびくと震えだした。


「う、くっ……リカルドが死んだ……くそ、エンツォまで……」


 隊長は沈んだ顔で、声も無く泣いている彼女の頭を撫でてやることしかできなかった。

 

(リカルド、お前はまだ若かったが前線に出ざるを得なかったことを嘆いたりはしなかっただろう。勇敢に戦って死んだか)


 彼もまたフレデリカの鷹狩り組とも云える、武闘派の息子であった。

 王となれば必要なくとも個人武力を持つべしとは隊長もグイエルモから教えられたことで、フレデリカの息子達にも時間があれば教えたのも隊長であった。

 きっと彼は怯えなかっただろう。

 そして、


(エンツォ……)


 ボローニャに捕らわれた彼をどうすれば助けられるのか。

 隊長もフレデリカも、確実といえる方法が出てこなかったのである。

 


 それから二人はボローニャ近郊に赴き解放交渉を行うことにした。

 フレデリカが直接書いた手紙で頼む。


『そんなラッキーとも云えない方法で捕まえるってのは正直どうかと思うんだけどー? ドン引きというか腹立つわー。でも今なら返せばいいよ許すよ。何なら思いっきり権益とか保証しちゃおう。しばらく攻めない講和を結んでもいいけどエンツォ返してくれませんかお願いします』


 半分脅すような文面であったが、返答は簡潔だった。


『誰がどんな方法で捕らえても獲物の価値は変わらない』


 フレデリカの交渉に乗らずとも、エンツォが居れば攻めて来れないのだ。

 にべもなくボローニャは解放を拒否した。

 

『ならばこれまで捕虜にした教皇派の軍人3000人と交換はどうだ』


 更に譲歩を重ねる。しかし、


『誰かの代わりになどならぬ人も居る』


 それも断られた。

 3000人の味方を増やすよりも数万人の力を持つとされているフレデリカを敵に回さない方が有利なのは彼らもわかっているのだ。

 フレデリカは焦れたように、


「こうなったら……エッツェリーノ!」

「はい、こちらに」

「軍を引き連れてボローニャの周りをうろついて! でも攻撃は仕掛けちゃダメだよ」

「お任せあれ」


 再び威圧外交である。

 決して攻めさせてはいけないが、エンツォが居ることで軍に囲まれているという状況をボローニャに与えることでエンツォを手放させようとしたのである。

 しかしボローニャは固く城門を閉ざしたまま、沈黙を保っていた。

 エッツェリーノの威圧も不発に終わったのである。


「くそー! なら金か! エンツォの体重と同じ分だけの金塊を用意する! だから返せよ!」


 フレデリカはかつて幼き頃、自分の身代金とも云える価値の金が借金としてあることを思い出しながらもそう主張した。

 しかしボローニャは僅かにもフレデリカの交渉に乗ろうとはしなかった。

 大量の金があっても、数千の兵が居ても、決して引き換えにならない価値がエンツォにはあるのだ。

 

「無理に攻めることはできない……エンツォを人質に取られちゃ……」


 フレデリカは絶望的な眼差しでボローニャの城壁を見ていた。

 

「隊長、なんとかできないかなあ……」

「……俺が潜入して、エンツォを救出。それを連れて脱出か。内部やエンツォの状況がわからんからな……確実とは云えないだろう」


 そして少しでも侵入がバレればエンツォの命に関わる可能性があるのだ。

 逆に何もしなければ彼の命は確実に保証されるだろう。それがボローニャの切り札だからだ。

 これが処刑されかねない状況ならば危険を冒してでも救出する可能性に掛けるのだが──。

 フレデリカは首を力なく横に振りながら云う。


「駄目だ……エンツォを助けるためなのに、エンツォを死なせたら意味が無い……」

 

 今や、息子の命を奪おうとしているのはボローニャではなく、自分なのである。

 彼女は酷い偏頭痛を覚えながら、全身がぞわぞわとしてへたり込んだ。

 嫡子はコンラートだが、実質皇帝と共に最も長い時間を過ごして、右腕的な活躍をしていたのはエンツォであった。

 幼ないながらも軍についてきたエンツォ。

 十字軍に連れて行っても弱音一つ吐かずに交渉を共にした。

 多くの弟を纏めて、多くの幹部に教わっている。

 何をやらせてもうまくやり、その笑顔で皆を癒やす人気者であった。

 大事な息子であった。


「くそう、返せよ! エンツォを返せよお!!」


 フレデリカの嘆きはボローニャの平原に響くのであった……。




 ******




 囚われの身になったエンツォにはなるべく不自由を与えないようにとボローニャ側からは最上級の扱いを受けている。

 食事は豪華に、ベッドはいつも柔らか。読みたい本があれば取り寄せ、学びたいことがあれば学者を呼び寄せた。皇帝派の者以外とは面会を自由に行えた。

 手紙を読むのも書くのも許可されている。ただ出歩くには兵が付き添い、部屋は鍵付きの鉄扉で閉ざされている。

 フレデリカが様々な解放交渉を行っている間も、彼は何度か脱出を試みた。

 鉄扉の鍵を持つ相手を魅了して開けさせて部屋から逃げ出したが、塔の構造を把握していなかったから捕まってしまった。

 扉番は離れた場所に居るように、部屋には見張りの侍女がつくようになった。

 それでもエンツォは、


「──少しだけ夢を見ていてくれ、愛しの君よ」

「ふわわわわ」


 侍女を再び魅惑で眠らせて脱出を試みた。 

 カーテンを破って編みこんでロープにして窓から出る。

 地上に行くには足りない長さだが、以前に外から来た物資の集積所が隣の建物にあると聞いていた。

 

「父ならば──やれる」


 そう言い聞かせて夜の中、僅かな長さであったカーテンのロープから飛び降りて隣の低い塔に飛び移る。

 そして窓から入り込み、姿を忍ばせて塔の中を進んで降りる。さすがにエンツォを軟禁している塔ほど警備は厳重ではなかった。

 しかし入り口は確実に人がいるし、市庁舎前には詰め所もある。

 エンツォは輸出用品目を詰めた木箱の中に身を潜めた。これならば翌日の馬車で運び出されるだろう。

 彼の思惑は成功していた。

 明けの鐘が鳴る頃には、中にエンツォが入っていると気づかれないまま、木箱は馬車に詰め込まれて出発したのである。

 

(よし……これなら!)


 彼の脱出計画は賭けであったがほぼ成功しつつあった。

 後は馬車が城壁の外に出るまでに、エンツォの逃亡が知られなければ問題なかっただろう。

 しかしその脱出はあまりに彼らしい理由で露見するのであった。

 市庁舎の周囲を巡邏していた兵長が馬車を指さして周りの兵に指示を出す。


「あの馬車を止めろ」

「どうしてですか?」

「見てみろ。あの馬車とすれ違うだけで、道の左右にいる婦人が黄色い悲鳴を上げながら恍惚と倒れていく」

「あっ本当だ! 美オーラ出ちゃってる!」


 あまりに美男子有罪な状況であった。

 マジでこんな理由でバレるという神話級美形のエンツォである。

 こうして再び逮捕された彼の部屋は、行動の自由に制限は与えられなかったが窓にも鉄格子を張られた。

 エンツォは思い悩む。


「私がこうして囚われているのは、皇帝陛下にとって迷惑になっているだろう……」


 もはや脱出をはかることすら難しい。逃げる機会はもう与えられない。

 彼にもわかっていた。このボローニャの街の人がいかに自分を頼りにして、意地でも逃さないようにしているか。

 それと同時に、人質や皇帝の息子以上にエンツォに親愛を持って留まって欲しがっているのも知れた。

 どうやってもフレデリカの交渉に乗ることも無いだろう。


「ならばいっそ、最後の奉公として命を絶って父の障害にならぬようにするべきか……」


 彼がそう思っていると、部屋の扉が開いて手紙が届けられた。

 手紙には慣れ親しんた名が書かれている。



『エンツォ。

 助けにいけなくてすまない。お前の安全を保証しながら助ける方法が今のところは無い。無能な俺を恨んでくれて構わない。

 あいつがなんとか交渉をしたが、相手はしっかりとお前の価値をわかっているようで芳しくはなかった。彼女を恨まないでやってくれ。手紙を書くことすら、辛いんだ。

 使者の話では生活の保証は十全にしてくれるということだが、どうだ。何かあるのなら手紙で教えろ。抗議をする。

 手紙に金貨を入れておいた。使って、美味いものでも食べて欲しい。

 エンツォよ。

 俺やあいつがお前に願うことはひとつだ。

 死ぬな。どんなに辛くても生きていてくれ。大人の勝手な願いかもしれないが、どうか頼む。お前の家族一同が、そう祈っている』



 手紙には、フレデリカの横顔が掘られた金貨が数枚入れられていた。

 エンツォはそれを握りしめてはらはらと涙をこぼした。


「……私はなんと、親不孝をしようとしていたのだろう」


 自害をすることを考えるなど、愚かであった。


「私が最後にできる務めは、先に死なないことだけだ。あの大切な家族を、悲しませないことだけだ」


 エンツォは鉄格子のついた窓の隙間から手を延ばす。

 指先に一瞬だけ止まった鳥が、南の空へ飛んでいった。


 

「外には出れぬ身ならば──せめて飛んで行き、伝われ私の詩よ。皇帝が愛したプーリアの地へ。父が愛した、あの黄金色の美しい平原へ……」



 ──エンツォはこうして、三十半ばにして囚われたまま残りの人生を送る事となる。

 時には遠地より詩作の噂を聞きつけやってきた詩人などと共に、詩を歌う日々を過ごした。

 後年の彼の詩には、昔を懐かむ詩や鷹狩りに関しての言葉を残すのであった……。

 

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