35話『魔王的存在のフレさん──1247年』
1247年。
教皇と明確に敵対した事によって。
フレデリカの統治する土地はかつての教皇領すら含むようになった。
これは奪いとったというより、教皇が居ないのでその土地での治安が悪化するし経済は麻痺しているので管理しているのである。
図らずもイタリア半島のほぼ全てをこの時期に手中に収めていると云える。
もちろん統治している都市の中には教皇派も居るが、イタリアでフレデリカが手を付けていないのはミラノとそれに属する数都市、海戦したことなど知らん振りをして交易を再開しているヴェネツィア、インノケンティウスの生まれ故郷であるジェノバ、それにローマぐらいである。
「ジェノバとヴェネツィアは割とどうでも良いとして、せめてこの時期に北部イタリアを完全なものにしたいねえ」
「そうだな」
教皇はほぼ追い詰められたままで、フランスにも亡命を拒否されている。
何度も呼びかけるのだが、ルイはその度に「フレデリカとの関係を改善しろ」と告げて近頃は「十字軍の準備で忙しい」と教皇を二の次にしている。
さしものフレデリカも、軍で教皇を攻めて殺害する、とまでは考えなかった。いや、考えはしたのだがデメリットが半端ではない為に実行に移すことは無いとしていたのだ。
彼女は隊長と二人だけの時にぽつりと思いを零すことが多くなった。
「コンラートはしっかり王としてやれている。エンツォも我には勿体無い立派な統治者だ。他の息子も娘も結婚していった。だから我は、次の世代の彼らに受け継がせないとね、なるべく楽になるように」
「……そうだな」
隊長は考えたように告げる。
「全部終わって引き継ぎを済ませたら隠居して、二人で旅にでも出るか」
「いいね、それ」
「バグダッドの[知恵の館]とか行ってみたいよな。館自体を香木で作ってるらしい」
「ははは、燃やされたら凄い臭いしそう」
※後にモンゴルに燃やされた。
ともあれそんなことを時折語り合うようになった。
冗談ではなく、本当にそうなればいいと二人共思っているのであった。
まあ、やたらめったら忙しい時に「これ終わったら温泉旅行にでも行こう」などと言い合うような逃避めいた状態であったが、それでも。
******
前に発生した若手幹部大逆事件に於いて。
ひとつ不可解な点があった。
それは、参加者のほぼ全員が高級官僚の大貴族であると云うのに、それに官僚ではあるが精々一都市の長官であり、俗人のテバルドが巻き込まれたと云うことだ。
フレデリカへの人質、と云うが関係は彼女の家庭教師だった男の息子と云う、客観的に見て人質の価値が微妙なラインである。
攫って監禁していた陰謀者達はその不可解さに気付かなかった。フレデリカも、それどころじゃないので不審に思わなかった。
なればこそ。
テバルドを攫った理由はあるのである。
テバルドが長官をしていた都市はパルマである。
ここは歴史深い街でローマ時代からあるエミリア街道沿いに発展してきた街である。
住民は皇帝派と教皇派にここも分かれていて、しかしテバルドが管理をしている間はそのバランスが保たれていて皇帝派が主流となり、フレデリカの統治を受け入れていたのだ。
しかし彼が居なくなったことで、教皇の陰謀が炸裂した。
再び現れるのは教皇の妹の夫、オルランドである。彼は教皇派の人間と煽動役の枢機卿を連れてパルマに入った。
「イスラムと手を結ぶ異端皇帝に手を貸すな! かつてロンバルディアの一員として、十字軍に赴いた誇りを思い出せ!」
そう云ってパルマの住民を正しきキリスト教徒に戻させたのである。
軍人ではなく、都市の住民がかつて第一次十字軍の民衆十字軍──通称棄民イナゴ戦法──に参加したことを誇るパルマの住民が、あっと云うまにクーデターを起こして都市を教皇のものにしてしまったのだ。
慌ててエンツォと共に駆けつけたフレデリカ達であったが、
「またこれかよおおお!!」
「籠城の構えだな」
以前にブレッシアにやられたと同様に、一切城壁の外に戦力を置かずにパルマは閉じこもってしまっているのである。
籠城すればフレデリカに勝てる。その知識を利用されている。
「反乱者の砦ぶっ壊したようには入れないんだよねー下手したら暴徒全員相手にしないといけないから、降伏して貰わないと困る」
「都市を攻めても中の機能が残らなくてはな」
攻めあぐねるフレデリカに、中でざまあみろと高笑いが聞こえてくるようであったが。
「我が失敗を繰り返すと思うのかよ! さーて皆さんやっちまうぞー!」
「ヒャッハー種籾だー!」
「明日より今日なんじゃー!」
と云うわけでフレデリカは真っ先にパルマの周囲にある畑の麦を収穫させて、火を付けた。
周辺が焦土と化し、こっそりと畑の収穫に出ることを不可能にさせる。
「そして包囲だと士気が下がりまくることを考慮して、ローマ風に行こうか!」
フレデリカが考えたのは、
「都市の外で野宿するのが辛いなら外に街を作っちゃえばいいじゃない」
と、云う作戦である。
古代のローマ軍が移動する度に道路を敷いて、駐屯地に街を作るようにしていたことから立案した。
パルマの近くにヴィクトリアと云う急造の街を作らせたのである。
寝床はあるし教会もある。兵を養えるだけの大台所もある。サラセン人の女踊り子まで呼んでいる。
食料はパルマの農地を奪い取った分と、イタリアの大部分を平定したことから税制に余裕があり運びこむのも楽であった。
「よっしゃ余裕の包囲体制出来上がりじゃーん!」
そしてエンツォに率いらせた遊軍を使い、パルマにやって来るミラノなどの補給部隊をシャットアウトすることで、完全な兵糧攻めの状態が完成したのである。
しっかりと降伏してきたとき用にヴィクトリアには食料も備蓄しておいた。
「ここ制圧すれば他の都市も籠城効かないってビビるだろうね」
「そうだな。そうなればあと一歩だ」
「よし、暫く我も滞在するからあれこれ準備を整えるよーに!」
そうしてヴィクトリアにはフレデリカの執務室まで作られて、皇帝用の椅子やら机やらも運び込まれる。
その間にもパルマの住民は兵糧攻めによる飢えが進みつつあった。
街道上の交易拠点であるパルマはミラノのように大きいわけではない。そして、突発的なクーデターだった為に予め準備ができていたブレッシアのように籠城の物資も乏しかったのだ。
フレデリカの遊撃隊にミラノからの救援は撃破され続けられて、誰も入ってこれずに外の状況もわからないとなると不安が渦巻いていた。
しかしその不安を利用する動きがある。
オルランドその人であった。
「我々を苦しめるのも魔王フレデリカの残虐な戦によってである! 魔王を許すな! 魔王を殺せ!」
「魔王……」
「おのれ……魔王……」
苦しみは容易く憎しみに変わっていく。
もし煽動家が紛れていなければ降伏も早かったかもしれないが、恨みを糧に彼らは予想以上に粘った。
しかしそれでも食料はやがて底を突き出し始める。
包囲が始まって半年。フレデリカ陣営は余裕であり、パルマは限界状態になりつつあった。
それでも彼らが直接打って出てフレデリカと戦うことは選べなかった。
これは北部イタリアだけでなく、漠然と多くの諸侯や教皇などが考えていたことだが、
「直接フレデリカと正面から戦うと負ける」
と云う認識があったのだ。
これも妙な話だが、細かい一部隊同士のぶつかり合いはともあれ、フレデリカは真正面から軍と軍がぶつかり合う戦争など殆どやった試しはなかったのだがそう思われていた。
彼女の戦略は交渉と威圧と奇襲。だいたいそれらで解決してきているのだが戦上手と思わせているのも、フレデリカのプロパガンダ戦略かもしれない。
そんなこんなで、ヴィクトリアの街にフレデリカが居るだけでパルマの住民は打って出られなくなっているのである。
1248年。
パルマの限界も近いとフレデリカの気が緩んでいた。
そしてその日はとても良い天気である。
「よーしフレちゃん鷹狩りにでも出かけちゃうぞー! 隊長ついてこーい!」
「仕方ないな」
そう云ってフレデリカは隊長やマンフレディなど手勢を連れて鷹狩りに出かけていったのである。
エンツォは部隊を引き連れて巡回中で、ヴィクトリアにはベアトリーチェの実家であるランチア伯とタッデオが留守番をしていた。
タッデオがフレデリカを見送り、やれやれと彼女から押し付けられた自筆の[鷹狩りの書]を開き眺める。
「どうも私は鷹狩りの趣味だけは合わないのだが」
「ははは、側近のタッデオ殿でもそんなところがあるか」
鷹狩りの書──正式名称は[鳥類を使った狩りをする上での技能書]とでも訳されるそれはフレデリカが書き記した渾身の一冊である。
内容は鷹狩りで狙う獲物の種類、生態などの記録から使用する鷹の育成方法、行動分析。鷹狩りの攻略法や論理から餌の種類、紐の結び方まで何でも載せている。
おまけにちょっと張り切ったようで全ページフルカラー、表紙には大粒の宝石すらあしらっていた。
「これでも読んで気分だけでも味わおう」
「あのお方も『長続きできそうにない趣味ならするな』と無理に連れて行くことはしないからな──」
それから。
フレデリカが乗馬で離れて一時間以上経過しただろうか。
パルマの城門が──突然開き兵士が叫びながら打って出たのである!
「この"瞬間"を待っていたんだー!!」
フレデリカがヴィクトリアから離れるそのときを待ち構えていたパルマ兵の強襲であった。
そこで慌てるような軍ではない。
「ランチア軍、迎え撃つぞ!」
ヴィクトリアに残していた軍を率いるのはランチア。
いかにエンツォと兵を分けていて、フレデリカの護衛にいくらかついていったとは云え相手は所詮一都市の飢えた兵だ。
ここで打ち破れば降伏まで一直線になると奮起して立ち向かった。
しかし──。
飢えに苦しみ憎悪の炎を燃やしていても、パルマ軍の動きは統一されていた。
強いのではない。
ランチア軍をヴィクトリアからおびき出して引き離すのに成功したのである。
こうなればヴィクトリアには僅かな守りしか居ない。
そこへ──。
「地響き……なんだ!?」
陣地に残ったタッデオが兵に確認を急がせた。
すると、
「パルマの暴徒化した住民が突っ込んできます! その数──無数!!」
「なにぃ!?」
老若男女問わず。
パルマの総勢ほぼ全ての住民がヴィクトリアに特攻をしてきた。その手には農具や斧、棒など持てる武器を持ち、飢えと狂気に満ちた顔で雪崩れ込む。
住民の数は正確には不明だが、四万人程だっただろう。動けぬものを抜いても二万人が恐怖を捨てて攻撃に出たのである。
「うおおああああ!!」
「殺せ!」
「燃やせ!」
「奪え!」
「攫え!」
「魔王を滅ぼせえええ!!」
ヴィクトリアの街はすぐに火が付けられ、食料庫は襲われ、サラセン人の踊り子は暴行を受けて奪われた。
そして残ったタッデオは──。
「貴様ら!!」
皇帝の執務室で窓から入り口から入ってくる暴徒相手に剣を振るい続けていた。
しかし部屋を埋め尽くすような人の群れに、数の暴力には勝てない。
「触れるな! それは皇帝の椅子だ! 貴様らが触れていいようなものではない!」
執務室の机をひっくり返され、フレデリカの持ってきた様々な道具を奪われる。価値もわからない暴徒は椅子などの装飾に使われる宝石をひっぺがして奪い取る。
体を押さえこまれそうになりながらも剣を振り回し、血の噴水で部屋を汚しても暴徒はひるまない。
やがてフレデリカの鷹狩りの書にまで暴徒の手が及んだ。
「貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様ァァァァ!!」
剣をもぎ取られて、体を床に叩きつけられてもタッデオは暴れる。本を奪う暴徒に、全身をぶつけてでも奪い返そうとする。
「皇帝の物に手を出すなァァァァ!!」
──叫びは虚しく、暴徒の鬨の声にかき消されて云った……。
報告を受けてヴィクトリアに急ぎ戻ったフレデリカが見たのは、灰燼に帰した新造の街だけであった。
陽動を受けてしまったランチアが跪き詫びるが、それよりも彼女は信じられぬと見回して声を漏らした。
「タッデオは……」
執務室だったところには何も残っていなかった。
ショックを受けている彼女ではなく、隊長の元に兵から報告が届く。
「タッデオ様が……」
「……そうか、今行く」
「待って」
フレデリカが呼び止めた。
「タッデオが見つかったの? 我も行く」
「構わんが───酷い状態だそうだ」
「……それでも」
タッデオの死体はパルマの城壁に吊り下げられていた。
わざわざそうしているということは、フレデリカの側近であることに気づいたのだろう。
全身を切り刻まれて服を真っ赤に染め、憤怒の表情で死に絶えている顔にもあちこちをえぐられて潰された傷が残っていた。
「下にいけ。ロープを切る」
隊長は弓を取り出して従者に指示を出した。
彼の一矢は狙いを外さずに、タッデオを吊り下げる縄を切った。彼の体が落ちてくるのを、従者が布を広げて受け止めて連れてきた。
「……タッデオ、ごめん」
「……」
隊長はなんとも云えない不甲斐なさを感じて、何も云えなかった。
パルマ軍の、攻めこんでくるタイミングを見計らう技量が神がかったものがあったのもそうであったが……飢えた民衆が弱るのではなく、凶暴化へと向けた相手の手腕もあるだろう。
隊長は苦しげに歯を食いしばっているタッデオの頬に触れた。
「……もう怒らなくていいんだぞ、タッデオ」
法を学び、冷静な判断を下すことを第一としていたタッデオだったが。
フレデリカの事に関しては敵に怒りをぶつける熱さを持っていた。それが、目の前で何もかも奪われ尽くしたのだから怒りは尚更だっただろう。
隊長は凝り固まっているタッデオの顎をほぐしてやると──彼の歯に罅が入る程に食いしばった口が開いた。
横を向いて居たタッデオの口から、血まみれの石ころが出てきた。
「これは……」
隊長が水筒から水を掛けて、布で拭う。
それは宝石であった。
フレデリカの書いた、鷹狩りの書の表紙についていた宝石を口の中に隠して、奪われないようにずっと歯を食いしばっていたのである。
「あ、ああ……」
フレデリカはその宝石を拾って、握りしめた。
「これ……を、守ろう、と……」
がっくりと項垂れて彼女は、
「いいから、逃げろよお……」
彼がずっと守ろうと抗っていた印を受け取り、フレデリカは俯いて囁いた。
急造の街が燃えても、皇帝の椅子や冠が壊されても、鷹狩りの書が奪われても。
タッデオと云う男が生きていてくれた方がどれだけよかっただろうか。
リヨン公会議で教皇を前に一歩も引かず、フレデリカの弁護をした男は失われたのである。
嘆いても彼は帰ってこない。フレデリカは暫くして立ち上がり、軍を纏めてクレモナの街に引き返すことしかできなかった。
怒りパワーでパルマの城壁でも壊せないかと思ったが、そうも都合良くはいかない。
「オルランド……ぶち殺してやんよ……」
怒りを込めた宝石を胸に、フレデリカはパルマの都市を敗戦の形で後にする。
──そして、タッデオが守ろうとしたフレデリカ直筆の鷹狩りの書はここで歴史から姿を消すのである。
反皇帝な者にはその価値を認めることもできなかったか、わからなかったかして鷹狩りの書がどうなったかは定かではない。
******
「敗戦処理とは即ち戦うことなりbyフレデリカー!」
フレデリカの敗北で北部イタリアの教皇派が活気づくのは抑えきれないことであった。
あちこちに残党の如く集まり軍を形成して、都市を落とすか再び教皇派に寝返らせようと活発な動きを見せ始めている。
「また反乱か困るなあ……」
「しかし動きが明確だと云うことは」
「うん。籠城されたりレジスタンスされたりするより狩りやすい!」
パルマの敗戦にめげずにフレデリカは即座に軍を編成して、エンツォを再び主だった遊軍として各地に起こった反乱軍を鎮圧に掛かった。
とりあえず戦えば功績を上げるエンツォである。彼の進む先では教皇派軍は次々に破れ、捕らわれていく。
「あんまり殺り過ぎたら反発を招くからなあ。あとで纏めて隔離するんでエンツォ、捕獲できる分は捕獲しといてー」
「任せて下さい皇帝よ」
「エンツォが頼もしすぎる……庶子なのが申し訳ないレベルだけど……」
「お気になさらずに。私は皇帝の下、そしてコンラート、マンフレディを立てて手助けをしていきますので」
「眩しい! なんか眩しい!」
能力値はオールAな上に性格まで完璧な息子である。
ともあれ、エンツォが当然のように北部イタリア反乱軍を制圧して回るのに、別の軍を率いているランチアもまた鬼気迫る勢いで活躍をしていた。
「それがしが迂闊に計略に乗ったせいでタッデオ殿を死なせた……なれば彼の仇を討つ覚悟で挑まねばならぬ! 許せとは云えぬが、見ていろ友よ!」
「うおおお!!」
兵も士気が高く、ほんの数ヶ月で反乱のほぼ全域を二つの軍が平定するのであった。
そしてバラバラでは勝てぬと教皇派が集まりを見せる動きにあった。
その旗本は教皇の妹の夫、オルランド。
彼に率いられて軍にも遜色ない数の教皇派軍が集合したのである。そしてまた、フレデリカも二人の将軍を集めて彼らと対峙した。
軍議が開かれると同時に、ランチアが勢い良く立ち上がる。
「皇帝陛下! このランチアにオルランドを打ち破る前衛をお任せ頂きたい! タッデオ殿を死なせた責務として、命を掛けて彼の者を打ち取りますゆえに!」
「落ち着きなよ、ランチア。さて、隊長はどう見る?」
フレデリカは隊長に目線をやり尋ねた。
「まあ、十中八九罠だな。相手は恐らくフレさんとまともに交戦をする気はない」
「そう云いますと?」
「進軍をしたら軍を引いてこちらを引き寄せて行くのではないだろうか。奇襲に丁度良い山や森が撤退ライン上に何箇所かある。逃げながら奇襲を繰り返して被害を増やし、最終的に本隊はパルマの城内に逃げ込む作戦だと思う」
「ふーん。じゃあ軍を分けよう。軍団を分けて、それぞれ南北から奇襲可能な箇所を先行して騎兵部隊が強襲しつつ、正面から追いかける歩兵部隊に合流。奇襲班はエンツォに任せて正面の部隊はランチア。我と隊長は騎兵を連れてこっそり相手が撤退していく最終ラインあたりに先回りして退路を塞ぐ。おーけい?」
「わかり申した!」
「お任せください」
「エンツォ。奇襲箇所を潰すのにはサラセン人の弓兵を使え。火矢を打ち込ませるようにしよう。奇襲しようと云うやつは派手に襲われれば応戦能力を失う」
「はい」
そうして作戦を立てた。
ランチアが軍を進めるとやはりオルランドは軍を引かせながら間合いを取る。
一気に攻め立ててやりたい気持ちを押さえて、友の仇を見据えながら回りこむ味方を待ちつつゆっくりと彼は進軍をした。
進む。奇襲ポイントに煙が上がった。一気に燃え広がるような仕込みはしていないが、火の矢が大量に降り注げばそれだけで奇襲部隊は壊走していく。
味方を増やしつつランチアは足を徐々に早めていく。
「何故だ。伏兵はどうした!?」
オルランドは焦りながらも敵を引きつけると云う仕事をこなしている筈だと思いながら軍を急がせる。
最後の奇襲地点を奪い取ったエンツォから合図の狼煙が上がった。
ランチアは襲いかかる鷹のように馬を走らせた。
「突っ込めェ!! 小賢しいカラスの手先を打ち倒すぞ! 仇を穿ち、誇りを取り戻せ!」
「うおおおお!」
加速する。騎兵を先頭として進軍速度を上昇させるとオルランド軍は一気に慌てて逃げに走る。武器を捨てる者も居た。
カラスと云うのは当時のイタリアで囁かれていた、生き汚く卑しい行動をするインノケンティウス教皇の通称である。一方でフレデリカは彼女の趣味にピッタリだが[鷹]と呼ばれていた。恐ろしいが強く、頼もしいと云う意味だ。
鷹の軍がカラスの軍を追い立てる。そこへエンツォが逆伏兵として横合いからオルランド軍へ突っ込んだ。
「相変わらず皇帝陛下の、父の作戦はぴたりと嵌まる」
応戦に出ようとしていた殿軍すらその強襲で大混乱に落ちいてもはや軍の体を成していない形でオルランド軍は逃げる一方だ。
だが、彼らの軍に立ちはだかり銅鑼を鳴らす一軍が居た。
「じゃーん、じゃーん。はい、フレデリカさんの登場でぇっす!」
「げえ──!」
背後に騎兵の機動力で回りこんできたフレデリカの一軍を見た瞬間に、オルランド全軍は更に動きを逆転させる。
フレデリカと戦うぐらいならば、前方のランチアを突破する方がマシだと思ったのだろう。
しかし敵軍団を切り裂くようなエンツォの高起動戦力と、前後から押し潰すランチアとフレデリカにオルランドはにっちもさっちもいかない。
やがて、ランチア自身が単騎突撃をしてきた。
「覚悟しろ、裏切り者の豚めがあ!」
「ひいいい!!」
人を謀略に巻き込む才能や、煽動家と共に動く能力はあったものの。
教皇の義弟と云う立場から戦士としての覚悟に欠如したオルランドは怯えた声を上げた。
ランチアが振り回すのは先端に棘付きの錘がある棍棒である。それを馬上から、肥え太ったオルランドの腹に叩きつけた。
「あの世でタッデオに詫びろ、オルランドオオオオオオ!!」
「げっ……ぐはっ……」
即死はしなかったが内臓破裂を起こしてオルランドは倒れ、彼の軍は総崩れになり討ち取られたり、捕虜として投降したりした。
フレデリカ軍の完勝である。
「ひ、ひ、ひいい……」
口と尻から血を垂れ流しながら、這いずるように逃げるオルランドの前に立ち塞がるのは……フレデリカと隊長、ランチアの三人であった。
「くーるーしーそうだねえオルランドくぅぅぅん?」
「教皇の妹の夫だからな。治療でもしてやるか」
「隊長殿。こやつはタッデオ殿の仇。同じ目に合わせてやらねば!」
「安心しろ。タッデオと同じ目に合わせつつ、医療行為をしてやる」
隊長とフレデリカ、ランチアは剣を向けた。
物知り隊長の中世医療アドバイスが来る。
「──大抵の苦しい時は血を抜きましょう。歴史ある治療法だな、うむ」
「では腹を切って血を抜いてやりますか」
「我はやられたくないけどねー」
オルランドの顔が、涙を浮かべながら歪む。
「た、たすけて……」
三人の声が重なった。
「クソアーメン」
──こうして、教皇の手先でも厄介であったオルランドは。
彼の犠牲になったタッデオと同じように全身を切り刻まれ、テバルドやルッジェロのように目を焼かれた上でパルマの城壁の前に捨てられるのであった。
******
パルマで敗戦したものの、ほんの数ヶ月で北部イタリアの反乱を尽く鎮めた上に首謀者を処刑したフレデリカの挽回力は目を見張るものであった。
おまけにまともにパルマを相手にしないように、
「パルマより便利な交易の拠点を作ってしまおう作戦!」
と、中東で行った嫌がらせ都市開発のように、ポントレモリの街を北と南イタリアの交易拠点に変えてしまったのである。
一年足らずでそれらを成し遂げる彼女に、フランス南東に居た教皇はさすがに震えた。
大体安定させた上に、イタリア北西のサヴォイア伯との繋がりも強化されていたこの時期では軍団をアルプス越えさせて教皇の元に送ることすら可能であったのだ。
おまけにフランス王に再度の亡命を求めても、
「十字軍の準備が完了したので出発します。亡命? 忙しいので駄目です」
と、素気無く断られた。フランス王自ら、エルサレム解放の為にまずエジプトの戦力を叩きに出かけていくのである。
ではとフランスに僅かな大陸領を残しているイギリスに亡命を求めた。
「議会で全会一致で否決されたので、完全拒否で」
ヘンリーはあっさりと断った。そもそも彼女は、亡くなったとはいえ妹をフレデリカに嫁に出しているだけあって皇帝派だ。
逃げ場も失われて逆に危機に追いやられた教皇である。
彼の出した陰謀は、フレデリカ陣営にかなりのダメージを与えたが。
フレデリカ本人が居る限りはそうそう揺るぎようのない状況なのである。どうあっても彼女ならばリカバリー可能であるし、まともな戦争では勝てる気もしなかった。
戦々恐々としている教皇であったが、そのフレデリカ最強な状況を憂う者が居た。
「はぁ~……」
執務室で溜め息をつく、フレデリカである。
部屋には隊長しか居ない。よく手伝ってくれていたピエールも、タッデオで空いた穴を塞ぐために別の任務につかされている。
そんなわけで日々隊長と二人で執務をこなしていっているのだったが。
憂鬱げなフレデリカに、隊長が書類の束を纏めながら問う。
「どうした、フレさん」
「いやさ、今の我のネームバリュー……どう思うよ」
「……」
隊長はやや考えて告げる。
「そうだな。フレさんは戦えば勝てるし我が道突き進み、反乱は即座に治めて人気もある。一人で数万の軍団に匹敵する威圧力を持っているだろう」
「だよねー。でもさあ、なんか……わかる? 隊長」
気怠そうに理解を求めるフレデリカに、隊長は頷いた。
「安心しろ。わかっている」
他の誰もは恐らくフレデリカ一強の状況を誇りに思っているのだろうが。
隊長と、恐らくベラルドなどの最古参組はわかっているだろう。
「フレさんが官僚制を作ったのは、一番上が無能でも国を運営できるようにだろう。法治を求めたのは弱くても争いに勝てるようにだ。
例えば昔のローマ帝国だな。カエサル・アウグストゥス・ティベリウスの三代で作ったローマ帝国は万全過ぎて、暗君や暴帝が出ようとも長年の隆盛を誇った。
……フレさんは、自分のような女子供がトップでも、嫡子がいまいちな皇帝になろうとも、それでも存続するような国を作ろうと思っていたのだろう。だが今は、まさに最強皇帝の権威で成り立っている」
「うん……」
まさにそれがフレデリカの悩みであった。
国を平定する為に、ある程度自分を強く見せる必要があった。弱いままでは生きていけなかったからであったが、強いと思わせるために様々な策を使った。
その結果が教皇にすら頭を下げない、ヨーロッパ中から恐れられる覇者である。その実質はただのハッタリ好きな女だと云うのに。
当時に彼女を顕した言葉はこう残っている。
[世界の驚異]
それから数百年後でさえ、[世界の驚異]と云えば他ならぬ彼女のことだとヨーロッパの知識人ならば知っている。
強さを極められる程にフレデリカには才能も気概もなかったというのに、その名だけが広まっていた。そして部下もそれに従い、皆のアイドル皇帝になっていた。
彼女の理想としては国をもっと早くに完全にして、明日から普通の女の子になりますとばかりに子供に譲位しながらその後もサポートをして、親子二代ぐらいで神聖ローマ帝国、シチリア王国の体制を作り上げるつもりであったのだが。
もう子供は王としてやれる年なのだが、状況が彼女の身を引くことを許さなかった。
「我一人で持つような国じゃ、我が居なくなったら駄目じゃん……これマジで一代記の失敗フラグ入ってるって」
「……そうだな。息子達は苦労するだろう」
だが、と隊長は慰めるように続けた。
「親の因果が子に報い、などと云うことは当たり前だ。誰も彼もが完全な状態を子供に与えられるわけではない。フレさんとて、親から貰えたものは少なく、それを掴んでいったのは自分の行動だっただろう」
「まあ……そうだけど」
「だからなんというか……」
言葉がうまく出ないとばかりに言い淀み、隊長はなんとも不器用な助言をした。
「……気にしすぎるな。親が子に残してやれるものなど、共に駆け抜けたり、手を引いて進んだ思い出で十分だと俺は思う。後は残された者次第だ。違うか?」
「わかんない。わかんないけど……それなら、少しは気楽かなあ……」
何故か泣きそうな顔でフレデリカは笑った。
隊長はどうも良い言葉が思い浮かばない自分が不甲斐ないやらで頭を掻いた。
ふと。
隊長は先程からフレデリカが首筋を無意識に掻いている行動に気づいた。
彼女の白い細首に爪の朱い痕が付いている。
「……フレさん? どうした。痒いのか?」
「え? ……痒、う、なんだか体中痒い」
「大丈夫か、おい待て」
フレデリカは急に体をむずむずとさせたかと思ったら、服の上から体中を掻き始めた。
「痒ー!? なんかやたら痒いんだけど!?」
「フレさん!」
耐え切れないとばかりに着衣を脱ぎ捨てて、腰布一枚になり体を掻き毟る。
彼女が掻いた後は朱く染まり痛々しく残る。
「かゆー!!」
「落ち着け、ええい」
「シチリア沢症候群かもー!?」
「なんだそれは! くそ、やむを得ん!」
隊長がフレデリカが自らの身体を引っ掻けないように、両手両足を押さえつけて執務室の仮眠ベッドに押し倒した。
苦しみながら彼女が叫ぶ。
「隊長の服がちくちくして痒いー!!」
「我慢しろ我慢!」
涙と鼻水を垂らしながら彼女は必死に叫んだ。
「かゆかゆ! せめて脱いでよ本当に痒い!」
「わかったから!」
仕方なく隊長がシャツを脱ぎ捨てて上半身を露わにしつつ、フレデリカの体を押さえ込んだ。
──と、同時に入り口の扉が開く。
訝しげな顔のエンツォが入ってきたのである。
「皇帝陛下、どうかなさいましたか───」
賢い彼は察した。いや、賢くなくてもわかる。
半裸な皇帝と隊長がベッドで絡み合っている。
(OK,年の離れた弟か妹発生フラグだ。お若いのですね二人共)
彼は頭を下げてそっと扉を閉めようとした。
慌てて隊長が呼び止めり。
「いや待てエンツォ!! 医者を呼んでこい!」
「……産婦人科を」
「違う! 皮膚科とかそんなのだ! 天然でボケるな!」
ようやく妙な事態に合点がいったのか、エンツォが足早に駆けていく音が聞こえて隊長は一息ついたが、
「かゆいー!」
十字軍出発前に流行った疫病以外、これまで風邪一つ掛からなかったフレデリカが、眼鏡以外で初めて医者に掛かる事態であった……。