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神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第四章『破門皇帝フレデリカと教皇の戦い』
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34話『残す人と残る人とフレさん──1246年』




 フレデリカ及びエンツォ暗殺計画の概要はこうである。

 復活祭の日は家族で集まるキリスト教でも年で最も大事な祭日の一つだ。

 その日はフレデリカも北部イタリアを統治するエンツォと、団欒というか報告を聞いたり顔を合わせたりする為に同じ城に居ることがここ数年の恒例であった。また、警備もこの日は緩くなる。

 そこに重職であるパンドルフォとジャコモが訪問しても特に不思議には思われないだろう。その場でどうにかこうにかエンツォとフレデリカを直接暗殺する。その後なんやかんやで脱出逃亡に成功する。

 直後、南イタリアのターラント城に集めている協力者の貴族が軍を用いて混乱しているシチリア王国の各所を制圧に掛かる。

 なおパンドルフォとジャコモの二人は戦場で近衛騎士隊長の暴れっぷりを目にしたことはないし、復活祭どころかクリスマスや風呂場まで隊長が同行してるのも考慮に入れていない。

 バレた時点で──いや、バレてなくても中東でアサシンを瞬殺した隊長に取り押さえられていたかもしれないが、とりあえずはリカルドとジョバンニの報告で計画は実行のひと月前に判明してしまった。

 そこでどうなったか。

 隊長はリカルドの報告を読み上げた。


「パンドルフォとジャコモは身一つで逃げ出したようだ」

「カスかよ!」

「おまけに仲間に知らせることなく、協力者どころか妻子すら置き去りにして」

「ゴミ以下じゃん!」


 そう、逃げたのである。リカルドとジョバンニが共に走っている姿を斥候が目撃して、それを聞いた二人は情報漏洩を悟って潔くダッシュで逃亡した。

 逃亡先はローマである。激怒した皇帝が攻めこんで安全と云える都市はミラノとここの他になかった。そこで隠れ潜むように路上生活者に落ちる。

 彼らが教皇を頼ろうにも連絡を送っても一切返事は来なかった。そして、パンドルフォとジャコモの歴史はそこで途絶え二度と表舞台に立つことはなかった。フレデリカからしてもあまりに無様で、探すのも面倒になり捨て置いた。

 しかしとにかく、まだ南イタリアにはフレデリカ暗殺の報告とともに各地へ侵攻を開始する軍が、首謀者の逃亡も知らずに待っているのであった。

 

「と云うわけでぶっ殺します。何か意見は?」

「……」

「……」


 他の幹部、共に学んだであろうエンツォなどからも異は唱えられなかった。

 皇帝を暗殺し卑しくもその混乱に乗じて王国を奪おうと画策した者達である。首謀者であろうとなかろうと、実行者なのだ。

 しかし、そのメンバーの名簿を見ても会議に集まった誰もが顔を背けたくなるだろう。

 皆フレデリカに学んだ、彼女の生徒である。息子同様で、顔を知らない相手は居なかった。

 ゆっくりと挙手をしたのがエッツェリーノである。


「なんなら、私めが行き反逆者共を引っ捕らえて来ましょうか……」


 直接フレデリカが手を掛けるのは辛かろうという彼なりの不器用な思いやりであった。

 しかし彼女は首を振る。


「いいや。エッツェリーノもエンツォもフェデリーコも行かなくていい。我と隊長が軍を率いていく。投石機を船に積ませて向かわせるように。軍は街々にアピールしつつ陸路を南進」


 そう指示を出した。

 フレデリカとエンツォ暗殺計画については、もはやイタリア半島のつま先あたりにある砦に篭もる反乱者よりも先に南イタリアの住民が失敗を知っていた。

 動揺する住民達を安心させるように、フレデリカが軍を進める。

 投石機の準備が砦の周辺でなされて、ようやく失敗に気づいた反乱者側は紛糾した。


「ここで投降しても死罪になる! こうなれば戦い、ある程度向こうにも被害を与えて条件付きの投降を申し込むしかない!」


 そうして城外に歩兵と騎士を出してフレデリカの軍を迎え撃った。

 

「サラセン弓兵。矢の雨を降らせろ。投石機は門を狙え」

 

 戦争が始まる。フレデリカのアウトレンジを意識した猛攻。怯めば矢の雨が一瞬止み、チュートン騎士団が機動力を活かした突撃をして引き返し、再び矢と岩が降り注ぐ。

 一方的な攻勢になる。

 フレデリカのこれまでの戦術は消極的なものが多く、相手の降伏を勘定に入れて味方の被害を少なめようとしていた。

 だがこの戦いに寛容はなかった。


「──岩がいいところに当たったな」


 門の脇がへしゃげて隙間ができている。慌てて中から木などで補修をするが、強度は比べるべくもない。

 

「隊長。進むから守って」

「承知した」


 フレデリカは徒歩で戦場を真っ直ぐに歩み進んだ。

 その脇には隊長が居る。フレデリカはそれだけで、矢も槍も恐れるに足らないとばかりに城門へ向かい突っ切る。


「大将首貰っ──」


 フレデリカに特攻してきた騎士の頭が弾け飛んで死んだ。

 同時に歩兵が二人、槍でつきかかってくるが、槍が届く前に両方共頭が砕けて死んだ。

 隊長が持っている武器は、チェーンフレイルのような長い鎖の端に鉄球がついた武器を二本両手に持っている。

 槍よりも長く、遠心力と重量を活かした武器の攻撃は敵陣に入るに連れて激しさを増した。

 フレデリカを中心に鉄鎖がうなり回転を続け、それらは的確に間合いに入った相手を一撃で殴り殺し、投げつけられる矢や石を弾き飛ばした。


 鎧の上から心臓を打たれ即死。


 顎から上を吹き飛ばされ即死。


 首に大穴を開けられ即死。


 鎖に絡め取られた剣が自分に突き刺さって即死──。


 鎖の暴風が血煙が舞わせる中で行進を行いつつ、フレデリカの声が響く。


「反乱をした奴に対してこう思うんだ。

 お前らがそれまで大きくなるのに、どれだけ我の国のパンが必要だっただろう。

 どれだけ他人が時間を掛けて勉強を教え込んで、愛情を掛けられて期待を込められて育てられたのだろう。

 それを無駄に散らすなんて、それらを与えた人にどう責任を取るのだろう」


 隊長は鉄球の嵐を止めて、血で赤く染まった鎖鉄球を引きずりながらフレデリカの隣を歩く。

 もう近づく者は居なかった。兵士は死体の山に怯えている。


「あっ……あれは……」

「スペインのレコンキスタ兵装──[ナバラの鉄鎖]じゃないか……」

「俺達は、異教徒並の扱いか……」

 

 とても同胞に向けるような威力ではない猛威に震え上がった。

 フレデリカは暴風の中心にいながらも続けて語りかける。


「そして、そいつに与えた分のパンと時間と愛情を他にやつに上げていれば違う結果になったのかな?

 そいつに与えた分を貰えなかった、嫡子のハインリヒやコンラートに申し訳ないなってそう思うんだ」


 城門前まで来て、隊長は再び鎖を振るった。

 鉄球が補修したばかりの穴を完全粉砕する。

 フレデリカがゆっくりと中に入ると、中の兵士はがたがたと震えている。


「開門」

「ひっ……」

「開門しろ。そしてお前らの手で反逆者を引っ捕らえろ。嫌なら向かってこい」

「や、やります! 開門! 開門!!」


 そうして砦は陥落し──。

 裏切った貴族は逃げた首謀者2人を除き、すべて捕縛された。

 陰謀に加担した重要職者は6人。フレデリカは彼らの前で叫んだ。


「テバルドとルッジェロはどこだ!」

「ろ、牢に……二人共逆らったから……」

「逆らったのはお前らだろう、クズが!」


 怒りに任せて一人を蹴り倒して、フレデリカは隊長と共に砦の牢獄へ向かった。

 そこで二人は同じ牢に入れられ、生きていた。

 生きていたが……。


「……おや? 小さい足音に大きな音。フレデリカさんと隊長さんですか。申し訳ありません、説得に失敗しましてな」

「う、うう……ごめんなさい、皇帝陛下……」


 フレデリカの手から力が抜けた。

 顔を向けた二人は──その目を拷問かリンチでも受けたように、焼き潰されていたのである。

 牢獄の扉が破壊された。隊長が腕力で無理やり壊したのだ。

 

「すまんな。助けにこれなくて」

「いえ。自分で選んだことですから……」

「すまん」


 云って、隊長は壁に付けられた鎖を引きちぎった。

 続けてやって来た兵士に、フレデリカは云う。


「……治療できるところに連れて行って」

「了解しました」


 二人は運びだされた。

 それでも暫く、フレデリカと隊長は牢獄に残ったままだった。

 

「くそ、くそっ! グイエルモになんて云えばいいんだよ! 死んだエンリコになんて詫びればいいんだ! 息子を預かっておきながら、こんな……!」


 フレデリカの家庭教師と、重臣の息子であった、テバルドもルッジェロも良い若者であった。フレデリカは彼らの能力に相応しいように、役職をつけたつもりであった。

 その結果が陰謀に巻き込まれ、失明してしまったのだ。


「……だがな、フレさん。俺は思う」


 隊長は目元をこすっているフレデリカの頭に手を置いて、云う。


「きっとそこに居たのが、テバルドではなくグイエルモの旦那でも、ルッジェロでなくエンリコでもきっと……同じく説得しようとしただろうよ」

「……」

「あいつらは、正しく父の志を継いだんだ。フレさんの教育よりも、尊い心を」

「そんなことをさせたのは……グイエルモ……我は……良い教師になんてなれなかった……」 


 少しの間。

 彼女が意識を切り替え、平常に戻す時間まで、隊長は静かに佇んでいた。

 

 そうしてやがて気分を無理やり戻し、


「反逆者への残虐お仕置きターイム! ひゅー!」


 6人の受刑者の前でフレデリカは大々的に宣言する。誰も彼も、親戚の子供とでも云ったような関係の知り合いばかりだったが、それ故に許しがたい。

 裁判は既に有罪。続けて刑法の発表が行われる。法律の専門家タッデオも同席して最高裁判長のフレデリカが宣言する。


「えーまずは[大逆罪]。国のトップを殺害する企てで掛けられますが、これは普通の殺人罪より遥かに重い。だってそうだよね。国のトップが死んだら洒落にならない数の人間が迷惑をするし、戦争だって起こる。国家に所属する全員に敵対したわけだ。なんて悪人!」


 おどけた様に告げて云う。


「大逆罪なのでまず財産を完全に没収。その後に熱した鉄棒で目を潰す。手足をへし折って馬で引き回す。ここまではまず前提段階ね?」


 彼女の宣言に、「ひっ」と誰かが息を飲んだ。

 

「ひっじゃねえよ。お前らテバルドとルッジェロの目を潰しただろうが。一方的にやられる痛さと怖さを思い知りながら後悔に溺れておっ死ね。その後はまあ色々あるけど。右から斬首、絞首台、磔、石打、毒蛇刑、コンクリ詰めでナポリ湾にちん。以上法に則った諸君らの刑罰です! 裏切らなければよかったのにね!」

  

 フレデリカの申し出た処刑には優しさを一切見せない苛烈なものであった。

 それと、と続けた。


「砦に居たお前らの妻子にも咎は及ぶわーけーでー。はい! ご対面!」


 フレデリカが合図を出すと、彼らの妻や小さい子供が不安そうな顔で連れられてやって来た。

 それに慌てて頭を床に擦り付ける者が現れ、習って他の者も謝る。


「申し訳ありません皇帝陛下! 妻と子は見逃してください!」

「私らが巻き込んでしまっただけで、罪は無いんです……!」


 にっこりと彼女は笑顔で応える。


「駄☆目」


 妻子の方へ向いて彼女は罪を問う。


「お前らは夫に命を掛けたんだろう? 夫が作り出す、我を殺した後の未来に賛同したんだろ? 王たる我より夫を優先したのなら、王の庇護を与える理由はないよね。この中に、夫を諌めたりしたか、逃げ出そうとしたけど夫に監禁されていたとか主張する人が居るなら申し出でろ」

 

 だが、彼女の呼びかけに応える者は居なかった。申し訳が無さそうな顔で、最後の別れとなる夫を見ているのみである。

 溜め息をついて云う。


「そっか。我人望無いな~……関わった妻子を幽閉刑に処す。二度と外に出れると思うな」

 

 そうして、反逆者の妻達もひとつの砦に押し込められるのであった。

 しかしフレデリカが罰を行ったのは、以上の陰謀者とその妻子のみであり、一族郎党を罰すると云うことはしなかった。

 

「勘違いしないでよね! これ以上やるとシチリアの統治役が居なくなるからなんだからね!」

「無理にツンデらなくても」

「っていうかこの騒動で逃げたやつ合わせて高級官僚が何人も消えたという大打撃が酷い……くそ、オルランドとか云うカスめ……」


 フレデリカは、彼らあてに送られてきた教皇の書状を破り捨てたい衝動に堪えながら見ていた。

 さすがに名前がインノケンティウスとは書いていないが、出した場所がクリューニーな上に法王庁の封蝋さえ付いているのでもろバレである。

 唆したであろうオルランドは何処かへ逃げて影も形もなかった……。


 それから事後処理の忙殺度はこれまでの何倍にもなった。


「ええと反発を招くから陰謀者として処分したモッラ家とサンセヴェリーノ家の穴を、別の名家で埋めて……いい加減封建領主級の高官が足りなくなったなあ。ドイツから呼ぶか中層階級を上に回すか……」

「フレさん。若い幹部の妹やら親戚やらをくっつける縁談を何件かまとめて来た」

「おお、さんきゅ! 家族同士の繋がりを横に広げれば反乱も起こしにくいしね。っていうか隊長朴念仁なのに婚姻を進めるの得意だよね」

「昔から占いで恋愛相談に乗るのが多かったからな」


 と、新たな人員の配置や部下の結束を固めるようにした。

 ついでに息子やら娘やらの縁談も何故か隊長に任せている。相手はフレデリカが指示するのだが、それ以外は。

 フェデリーコやリカルドなどをイタリアの名家と縁談を進め、娘を幹部に嫁がせたり、昨年反乱を起こしたチューリンゲン伯に嫁がせて取り込んだりした。

 やがて仕事の最中にフレデリカが一分おきに眼鏡を外して目頭を揉んだり、眼鏡を拭いたりしているのを見てさすがに隊長がスケジュールに無理やり空きを入れる。

 悩んだ末に、だがある場所に連れて行くことにしたのだ。


「……フレさん、ベアトリーチェに会いに行こうか」

「んん? 隊長、またレズを我に充てがおうと」

「いや、近頃ベアトリーチェの具合が悪いらしくてな。なんだかんだで長い付き合いなんだ。マンフレディも連れて行こうか。道中は寝てて良い」

「……わかった」


 ベアトリーチェはマンフレディの母であるフレデリカの愛人の一人だ。

 いつの間にかフレデリカの近くに居たが、彼女と初めて出会ったのはもう20年も前になる。十字軍に出発前に、北部イタリアを視察に回っていた頃にトリノで出会った。

 それから何度も近くにやって来て、愛人になっていたのだが。随分と積極性はともあれ、フレデリカのことを慕っていた女である。

 三人は彼女の住まいにしている城にやって来て、暫く滞在することにした。

 36歳になるベアトリーチェは病にあり、痩せていたが美しい娘であった。

 だが、もう長くない事は見て取れた。それでも疲れているフレデリカを宥めて、癒やそうとしている。

 フレデリカは彼女の手を取り、云う。


「長い付き合いになったけど、あんまり構えなくてごめんね。我はどうもそう云うところあるからさ。妻をいつもないがしろにして」

「フレデリカ様がノンケだとはわかっていましたわ……それでも承知で側に居たかったんですもの」

「ううー覚悟入ってるなあ……ベアトリーチェ。こんな時に云うのも何だけど、何か欲しいものはあるかい?」

「うふふ、フレデリカ様、珍しい。でもそうですわね……迷惑になるかもしれませんけれど」


 ベアトリーチェは眠そうな声でゆっくりと云う。


「わたしを妻にしてくださるかしら……それで、この子のことを……」

「うん。いいよ。ベアトリーチェは我の四番目の正妻。マンフレディは嫡子だ。もっとも、教皇は祝福してくれないから、口約束で悪いけどね」


 そう云ってフレデリカは彼女の頬を撫でた。

 安心したように吐息をついて、ベアトリーチェはマンフレディを見る。


「マンフレディ……フレデリカ様を思う気持ちを、絶やさないでね」

「……はいっ、お袋殿!」


 涙を堪えながらマンフレディは云う。

 彼にもわかっているのだ。

 母はここで死ぬ。自分を思っていてくれて、皇帝の嫡子になるようにしてくれた。

 続けてベアトリーチェは隊長に顔を向けた。


「隊長さんは……フレデリカ様をお願い……」

「……マンフレディの事は良いのか?」

「その子は、その子で頑張らないと……子供の未来は、子供のものだもの……」


 大きく深呼吸をして、ベアトリーチェは仰向けになりゆっくりと午睡するように目を閉じた。


「幸せでした……」


 そうして──。

 フレデリカ四番目の妻、ベアトリーチェ・ランチアは静かに眠りについた。 

 

「……ありがとう、隊長。我を、妻の臨終に立ち会わせてくれて」

 

 フレデリカのこれまでの妻は、急病と出産の影響で亡くなっていたのでその死の淵にはフレデリカは居合わせられなかったのである。

 それで少し、すっきりとした。

 彼女は確かに、思いを伝えて死んでいったのだ。後悔はなかった。そして、マンフレディにも勇気を与えた。

 フレデリカの忙しい苦境は続くが、彼女は考える。


(我は何を残せるだろうか)

 

 何処へでも行けるだろうと思い旅に出た、若い頃が懐かしかった。




 ******




 目を焼かれ視力を失ったテバルドは、グイエルモからの願いで彼の修道院に丁重に連れて行かれた。

 杖を手に馬車から降りた彼は、景色も想像できない状況で周囲を感じる。

 風の匂いと、修道院の鐘の音だけが聞こえていた。

 ただ青い空は幻視できて、空を見上げている。


「テバルド」


 声が掛かった。懐かしい声だ。

 フレデリカに仕える道を選んでから、長らく帰郷はしていなかった。老境にある父親の声である。

 見えないので、父がどれだけ老いたかもわからない。

 テバルドは、


(はて、拙僧は父を見上げていたか、見下ろしていたか)


 背を追い抜いたかどうかも確認できていなかった事を思い出して、彼は地面に座り込んだ。

 こうすれば見上げるだけで大丈夫だろう。


「やあ、父上。この通り失敗してしまいました」


 なるべく気楽に、彼を心配させないように。

 焼かれたので涙が流れないことを、テバルドは幸運に思った。


「拙僧が説得を失敗した人達も、目を焼かれたようです。そう思えば、彼らが受けた罰を拙僧も受けたようで、同罪ですね」

「テバルド」

「ただ、ルッジェロさんまで巻き込んだのは無念でした。ですが彼の尊い行為も……」


 座り、見上げている自分の額に固くて皺だらけの手が当てられた。


「いいんですよ、テバルド。お前はよくやりました」

「っ……でも、拙僧は」

「いいんです。モチでも食べて、ゆっくりしましょう」


 父が──。

 怒っているのか、呆れているのか、笑っているのか。

 それがわからないのがテバルドは怖いような、辛いような気分であった。


(きっと、拙僧が想像することが真実だ)


 そう思うしかなかったが──。

 ただカサカサの手で、額を撫でられて、酷く泣きたい気分になったのに泣けなかった。

 彼は差し出されたモチを手探りで受け取って、口に含んだ。


「……今日のモチは、塩っぱいですね父上」

「そうですか」


 こうして、大逆事件に巻き込まれたと云われるテバルドはその目を失ったが放免されて、父の居る修道院で残りの生涯を過ごすこととなった。

  






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