29話『ミラクル教皇とフレさん──1241年』
1241年。
フレデリカの皇帝軍は公会議参加者拉致から僅か三ヶ月でローマ攻めの準備を整えた。
長引かせれば自国の聖職者を隔離しているという状況で他国からの批判が来るからであり、聖職者拉致という行動からして世間ではかなり驚かれている。
まあローマを攻める事に比べれば小事であるが、それでも急がねばならなかった。
ひとまずシチリア、神聖ローマ帝国の各都市を管理している長官や官僚にしっかり反乱を起こさせないように、いつも通りの状況を徹底して行わせる。ドイツ国内では、信心深いが保守派な年季のある貴族はそのまま待機させて若く血気も盛んな将兵を集めてこさせた。
他の国に対しては「教皇を諌める為」と進軍の理由を予め通告しており、巻き込まれたくないのか手出しをする様子は無く、一安心である。
「とゆーわけで、ローマに攻め込みまーす! ひゃっはー!」
北と南から集結した軍がローマともう20kmと離れていないグロッタフェッラータにて合流して、軍議でフレデリカは宣言した。
教皇領は、これまで教皇が嫌がらせの度にミラノなどから兵を集めていることからも分かる通り、まともな軍勢は存在しない。
当然だ。教皇の権威にて守られている土地で誰が攻めてこようか。飢饉と疫病はしょっちゅう起こったが。
ほぼフレデリカの軍を素通りさせて集め、フレデリカの宣言に大きく盛り上がったのはSSと密かに呼ばれているエッツェリーノであった。
「いえー! いえーです! 素晴らしい! 貴女こそ銀河皇帝! さあ皆さん喜んで教皇を生贄に捧げましょう! 何を召喚しますか! サタンですか!? サタナキアですか!? サタデーナイトフィーバーですか!?」
「よし、誤解されるからエッツェリーノを黙らせておいて」
「んがんぐ」
隊長がそっとモチを彼の口に詰め込み、言葉を途切らせる。
悪魔的な目的があってローマを攻めるのだと評判が広まるのはさすがに勘弁して欲しい。
咳払いをしてフレデリカがいつも通り解説を始める。
「えー勘違いしないように。我がローマを攻めるのは、何度も何度も舐め腐って邪魔ばかりして一つもいい事無い上に後世に異端裁判なんて残しそうな有名悪党叔父の七光グレゴリウス教皇をぶっ殺すためじゃありません!
ちょーっと彼が錯乱して教皇の権力を無駄遣いしてヨーロッパを騒がしているので、ヨーロッパを代表する皇帝として、教皇と並び立つキリスト教権力者として、彼には丁重にご退任なさって貰って新しい教皇と友好を結ぼうと云う作戦です」
だから、と集まった軍団長達に指を向けて叫ぶ。
レザーファッションに髪の毛を油でぎらぎらにして逆立てたり、顔をドロで化粧したりしつつ、斧とか逆十字のついたクロスボウとか持っている部下達である。
「勘違いするなー! お前らその格好でここまで来たの!? 教皇領の人達ドン引きだわ!」
頭を抱えるフレデリカに軍の者は互いの格好を認めながら頷く。
「いやー威圧進軍の集大成的なアレかと思って」
「気合入れちゃったよな。筋トレで20kgぐらい増量したもん」
「俺は食べまくって脂肪の鎧で身を包んだ」
明らかに悪の帝国軍みたいな有り様で宗教の総本山を襲おうとしている状況であった。
勿論これまで通りかかった教皇領の街には手を出していないが、顔を真っ青にして素通りさせている。
というか既にこの集団が20km圏内にいることがローマの住民に知られていて街はほぼ恐慌状態にあった。教皇だけに。
「そういえばフレさん。次に選ばれる教皇にあてはあるのか?」
「無いでーす」
「いまいち不安だな……」
彼女はきっぱり云って面倒そうに手を振りながら、
「我の名目は大工の息子も云ってる、『皇帝のものは皇帝のものへ、神のものは神のものへ』ってやつなわけ。だから聖務だけをちゃんとやってくれる教皇なら何も言わないけどね」
「そうだったな」
「望みを云えばホノリウスの爺さんあたりが一番我にあってたと思うよ。十字軍さえ無ければ保守派で堅実な教皇かつ、押しに弱かったし。イノケンティウスはちょっと怖い人には怖いからね」
フレデリカはグレゴリウスこそ、完全に敵対してしまったものだから排除の方向で動くが、キリスト教の指導者と云う立場については信仰心などゴミに捨てているように興味が無かった。
というか自分が口出ししたら拗れるのは目に見えているので、グレゴリウス以外ならひとまず誰でも良いと思っている。
政教分離が一番だと思っているので、逆に政治の自分が宗教に口出しすべきではないと割り切っているのだ。
物凄く希望的なことを云えば、部下でありすっかりフレデリカ流なベラルドか、面倒事はやらない主義なグイエルモあたりがなってくれれば嬉しいのだがそのどちらも枢機卿ですら無いので選ばれはしないだろう。
「まっ、とりあえずグレっちには故郷の都市アナーニででも大人しくしてもらおうか!」
「一足早い[アナーニ事件]だな」
「なにそれ?」
「いや、なんだったかな。ふと思いついた」
隊長も詳しく説明する気は無いのか、軽く首を振った。
関係の無いことだろう。しかし、妙な胸騒ぎを覚える隊長はローマの方角を睨む。
フレデリカは気楽に、
「条件はすべてクリアされた! 後はイレギュラーさえ無ければ……!」
そんなことを云って全軍を進めるのであった。
******
一方でローマの住民から上がる声には、
「グレゴリウス教皇があんな悪魔皇帝を呼び寄せやがった!!」
「教皇を追放しろ!」
まあ、地味に方向性としては間違っていない感じではあったが。
グレゴリウスはラテラノ宮殿に篭もりっきりになり、
「どうしてこうなった……奴は神を恐れぬのか……」
と、嘆きにくれている。
聖堂の祭壇に跪き、手を合わせて悲嘆にくれる。
「儂は何一つ間違ったことをしておらぬのに、何故あの小娘は逆らう。何故諸侯は助けに来ない。儂にばかり何故試練が訪れる」
ローマに続くラティーナ街道にはもう皇帝軍が迫ってきている。
「奴ら悪徳の輩がこの神聖なローマに足を踏み入れるのか! 偉大なラテラノの大聖堂を荒らし、敬虔たる儂を殺すのか!」
涙さえぼろぼろと零しながら、手を合わせて主に祈る。懇願と云う祈りの種類を、神に捧げた。
「神よ! どうか、この儂の、清く曇りなき行いに報いてくれ! キリスト教を守ろうとした、教皇たる儂を守ってくれ! どうか、あの不届き者の悪魔を食い止めたまえ! 神よ!!」
もはや──彼は震えながらそう叫ぶ以外に打つ手立てが無かった。
もしその姿をフレデリカが見ていれば、心底軽蔑した上に馬鹿笑いをしただろう。
『神に祈って助かるわきゃねえだろ!』
と、とても楽しげに彼女は告げたはずだ。
だが──。
だが、だ。
彼の信仰心からか、単なる天命か、記すことも憚れる陰謀か。
奇跡は起きる。
彼の望みを叶える、奇跡は確かに起こるのである。
あるいは、神が応えたのかもしれない。
グレゴリウスは大いなる光に包まれている感覚に顔を上げた───。
*****
ローマに向かって進撃するその先頭は、フレデリカと隊長が進んでいる。
もはや目と鼻の先でローマが確認できる位置に来たときであった。
フレデリカは一瞬、ちらりと何かが光った気がした。
(目の錯覚?)
しかしその隣を進む隊長から苦悶の声が上がった。
あの戦場を真っ直ぐに突っ切ろうとも傷ひとつ負わない男からである。
「ぐうっ……! があ、っつ……」
「……? 隊長? 隊長!? どうしたの!?」
彼は眼帯で隠していない右目を押さえて、馬上から転げ落ちた。
馬に乗りながら睡眠をとれる男が、である。
明らかな異常事態に進軍が止まる。
隊長が憎々しげに呻いている。
「くっ……ついでの様にやりやがった、ヤー公め……!」
「隊長! 医療兵! 医療兵を呼べ!!」
フレデリカも馬から下りて駆け寄る。
彼が右目を押さえていた手の隙間から、黒黒とした墨のような血が滴り落ちた。
不安そうに彼を抱くようにして見るフレデリカは慌てて思う。
(眼病!? そんな兆候は……!)
駆け寄る医療兵と、仲間の幹部連中を手で制して隊長はよろめきながら立ち上がった。
手を離して目から流れ出た血が涙の跡のようになって、彼の黒かった瞳は色素が抜けたように白く濁っていた。
隊長自身も殆ど片方の視力が無くなったのを感じている。
ローマから上がった莫大な光に見えたそれが目を貫いたようである。
物理的な、と云うよりも別の何かが。
「隊長!!」
怒鳴るようにフレデリカが隊長にしがみつくが、彼は左目を覆っていた眼帯を外して、ローマを睨んだ。
「俺のことより、ローマの様子が変だ!」
「え……?」
隊長に気を取られていた皆が、再びローマを注視する。
もっとも高い塔から白い煙が上がっている。
火事ではなく、狼煙のようだ。
「コンクラーヴェを始めた……ってわけじゃないよね?」
「──大変です!」
先遣隊として先に行かせていた騎兵が大慌てで戻ってきた。
彼は下馬もせずにローマを指さして報告をする。
「──グレゴリウス教皇が死去! 今、まさにローマは弔いの真っ最中にあります!」
「な、なに!? 死んだのあのおっさん!」
なんというタイミングだろうか。
後数時間と掛からずにローマに突入すると云う段階になって、グレゴリウスの死が発表されてローマ全体で葬儀が行われているのである。
偽装の死ではない。本気で彼は奇跡的かつ、フレデリカにもっとも嫌がらせになる時に死んだのであった。
フレデリカのローマ侵攻理由は[教皇グレゴリウスを諌める]である。その副次効果として破門解除や、北部イタリアへの干渉をやめさせる狙いがあった。
諌める相手が居なくなった、キリスト教の総本山を攻める理由が捻出できるだろうか。
いやそれよりも、曲りなりに宗教の代表者の葬式を行っているところに軍を突っ込ませることなどできはしない。キリスト教の守護者と云う名目の神聖ローマ皇帝は、特に。
彼女はローマに向かって叫んだ。
「ガッデムゥゥゥ!!」
フレデリカはまたしても戦う前に軍を引かざるを得なかったのである。
視力を失った目を押さえながら、隊長は息を荒らげて、
「まさに神様の馬鹿野郎、だな。意外に信心って効果がある……もんだ」
隊長が苦しげに云う。フレデリカは全軍を撤退させることを号令した。
ひとまず南イタリアへ向かいつつ、サレルノの医学校から腕の良い眼科医を呼び寄せることを忘れない。
「くそっ、こうなれば次の教皇が選出されたらすぐに交渉を再開してやる!」
と、意気込むのであったが。
フレデリカの軍が教皇領を進攻した恐怖から、という理由も一つあるだろうが。
──次の教皇が選出されるのは、なんとこれより22ヶ月後になるのであった。
「せめて破門解いてからにしろよクソアーメン!!」
フレデリカの破門は放置されたままだが。
******
教皇が出てこない問題。
これはフレデリカの破門はともあれ、これまで教皇との戦いで死ぬほど忙しかったフレデリカにとって、事実上の休戦となって割と自由に過ごせた。
ひとまず治めた北部イタリアや混乱の残る南部イタリア、ドイツなどの問題というか、維持統治をしながら比較的だがゆったりと日々を過ごせるのであった。
まず彼女は目を病んだ隊長を、ザッカリーアと云うユダヤ人の、サレルノでも随一だと呼ばれる医者に見せた。
「……ううーむ、白内障にも見えますが、その下の瞳孔も一切反応しませんね。完全に失明状態です。中東の強い日差しが原因かもしれませんが……とにかく、今の医療では……」
「そんな……」
何故か、当人ではないフレデリカが泣きそうな顔をした。
隊長は肩を竦める。
「そうか。まあ、わかってはいた。俺の事は良い。片方の目は無事だからな。フレさんにメガネでも作ってやってくれ。近頃、眉根を寄せて字を読んでいるだろう」
残った青い左目をフレデリカに向けながらそう云う。
しかし、彼女は沈んだ顔のまま椅子に座っている隊長の顔に触れて、涙が浮かぶ顔を向ける。
「隊長、昔、覚えてる? 目が黒いうちは味方だって……君の綺麗な黒い目が、こんなに……」
「なんだ、懐かしいことを覚えているな。フレさん」
苦笑しながら、不安そうにしている彼女の頭を撫でて隊長は応える。
「目が潰れようとも俺はお前の側にいる。だからそんな顔をするな」
「……うん、隊長。ありがとう」
そうして、フレデリカは技術者と眼科医にかかりこの平穏な時間のうちにメガネを作らせるのであった。
隊長はそれから、白く濁った右目に眼帯を当てて、青い左目で物を見るようになった。
その夜──。
サレルノの郊外、特に変哲の無い広場で一人、隊長は弓を握っていた。
引き絞り、ぽつんと太めの幹をした木に掛けた的に射る。
弦を固く張ってある弓から打たれた矢は、的のやや左に外れて命中した。
「むう。やはりズレるな……」
彼が立ち方や構えを変えながら片目で狙いをつけていると、声がかかる。
「──隊長ですか?」
「エンツォか。どうした、こんな夜更けに。馬の足音はしなかったが」
エンツォの金髪は夜でも月明かりでよく目立つ。
弓を戻しながら隊長は向き直った。
「夜中に出て行く影があったので足跡を追って徒歩でついてきました」
「そうか。まあ、特訓中だな」
右目を隠した眼帯を軽く撫でながら、云う。
「前までは、眼帯こそつけていたが覗き穴もあってな。両目で戦っていたのだが、これからは片目だ。見ての通り、矢の狙いも外れる」
「歴戦の、隊長程の方でも特訓ですか。いや、しかし……」
ふと、エンツォは気になって声を窄めた。
弓の訓練をする若い騎士は珍しくないが、隊長が訓練をしている姿はそう違和感を感じない。
二十代半ばになる、エンツォ自身と隊長はそう変わらないか、むしろ隊長の方が年下であってもおかしくない風体をしていたのだ。
エンツォが記憶しているもっとも昔に出会った時と変わらない姿で、眼帯の位置だけ変わっている。
ヘルマン団長は病と心労もあったが老いた皺を見せていた。ベラルドもそうだ。アンリも屈強な体はともかく、白髪だらけになっている。
昔から居る面子で若さを保っているのは、フレデリカと隊長だけであった。
だからつい尋ねた。
「隊長は何歳でしたでしょうか」
「17歳だ」
「そうでしたか」
「信じるなよ。冗談だ。正確な年は忘れた」
素直に頷くエンツォに、半眼で隊長は呻いた。
誕生日か、最低でも洗礼された日を大事にするキリスト教徒からすれば生年月日を忘れることなど無い筈だったが。
「皇帝陛下と同じく、隊長も若々しいままなので気になって」
「フレさんの美少女オーラとやらは侮れないな。どうなってんだあれ」
苦笑して、近くにあった岩に腰掛けながら隊長はエンツォにも座るように促した。
月が出ている。彼らはそれを見上げて、隊長がぼやく様に告げる。
「……俺の右目には悪魔グレモリーが取り憑いていてな、対価で老いを奪われていたおかげだ。この前、たまたま降臨してたヤの字がつく奴に見つかって視力ごと消滅させられたがな」
女悪魔グレモリー。少女の味方であり、契約者に現在、過去、未来を見通す力を与えると云われる存在だ。
荒唐無稽──。
と、まではその時代云えない。悪魔も呪いも神も魔術も信じられていた頃だ。
「信じるか?」
ただ、悪魔憑きとなれば火炙りは免れないだろう。冗談でも自分がそうだと云うべきではないのだが──エンツォは頷いた。
「信じます。エッツェリーノなら喜びそうですね」
一瞬、隊長はきょとんとして。
そして吹き出すように笑いをこぼして、大きく肩を竦めた。
「……なんとも即答するやつだ。冗談だよ。俺の右目は、ただの強い日差しを浴び続けた白内障で、体は健康に気を使った若作りだ。論理的に考えて当然だろう」
「そうでしたか」
どちらにせよ彼は頷いて納得する。
悪魔だろうがなんだろうが、彼が皇帝を守る騎士だと云うことは変わりない。
自分に取って教師とも云える、大人の男であると云うことも。
エンツォにとっては隊長はただ信頼している人間なのである。そのあり方はいつまでも変わらないだろう。
「悪魔の瞳なんて云ったらフレさんは無駄に喜んで設定盛りそうだから黙っていてくれよ」
彼は笑いながら、持ってきたモチをエンツォに投げ渡して一つは自分で齧った。
「まあ、折角暇がとれたんだ。久しぶりに物語でも聞かせてやるか」
「お願いします」
「そうだな、弓に纏わると云えばインドの神話だな。あそこは戦闘力が頭おかしいから俺もあやかりたいものだ。一瞬で空を埋め尽くす数の矢を放つ上に、その降り注ぐ矢を炎の塊とか岩とか武具に変化させる魔法まで使うアルジュナとかな」
「軍が一発で滅びませんかそれ」
「相手も頭おかしいから問題ない。インドの敵は数十億単位で攻めてくることも珍しくなくてな、ガンダルヴァとか──」
などと、久しぶりにエンツォと語る隊長であった。
エンツォも嬉しそうに彼の話を聞く。
異国や異教の話を昔から聞かせてくれる隊長にフレデリカと共に聞き入るのは昔から楽しみであった。
(暫くはまた、軍から離れなくてはなりませんから……)
と、惜しむように彼の物語を聞き入るエンツォである。
──それから暫くして、エンツォはサルディーニャ島の王に任命されてその要地となる島の統治を行うのであった。
*****
「今のうちに統治統治っと。教皇の邪魔が入らない間に北部イタリアをいい感じにしとこう!」
ざっと彼女はあちこちの都市に送る長官などを見直して決定させておくことにした。
「北東部はこれからもエッツェリーノに任せるよ!」
「お任せくださいフレデリカ様! 二度と消えぬパンデモニウムをこの地に!」
「いやそこまではいいから。あと、無茶しないようにエッツェリーノには庶子だけど我の娘であるセルヴァッジアちゃんをお嫁にさせちゃう」
「ぶしゃあああ!!」
「うわ」
突然何か吹き出して卒倒したエッツェリーノに、幹部連中が引く。
彼はぴくぴくとしながら恍惚な表情で、
「これはもはや崇拝より……愛! フレデリカ様の娘君を、この、この不肖エッツェリーノの生贄にしてくれるなど……!」
「いや生贄じゃないから」
つま先で突っつきながらフレデリカは云う。
だがそれを見ていたまだ少女と云って良い年頃の小さな娘が顔を赤らめつつ、
「そんなところも素敵ですエッツェリーノ様……」
「愛してます! セルヴァッジア様!」
「きゃっきゃっ」
「うふふ!」
痩せているので少し若く見えるが割と中年なエッツェリーノが少女を抱きしめて幸せそうにくるくると回り出すので、隊長が思わず呻いた。
「事案発生だな」
「う、うん」
「フレさんの娘ってひょっとして趣味が悪いんじゃ」
「そう……かなあ?」
微妙に嫌な身内をゲットしたフレデリカであった。
「えー……で、北西部イタリアはサヴォイア伯に睨みを効かせて貰いつつ、サルディーニャ島を纏めあげた後のエンツォにも頼みたいけど……」
「纏め上げました」
「早ッ!? 激早いんだけど!? エンツォどうなってるの?」
とりあえず、何を任せても期待以上に成果を上げるのがエンツォと云うフレデリカの子の中でももっとも年上で優秀な男であった。
「それで、真ん中の中部イタリアは、我の息子のフェデリーコに任せてみよう!」
フレデリカが指示を出したのは、アンティオキアのマリアと云う愛人との間にできた三番目の息子、フェデリーコであった。
まだ年若いが既にフレデリカの進軍には連れて周り、政治教育は済ませてある。
彼は温和そうな顔立ちをして立ち上がり、声に応えた。
「わっかりましたー。任せてくださーい」
「頑張れ。特にボローニャに近いフィレンツェが寝返らないか、我の息子であるお前が直接統治に向かうことで効果が期待できる!」
「はーい」
「大丈夫かな……」
やや間延びした呑気そうな雰囲気である。
しかしフレデリカがこれまでの教育の通信簿を取り出して見ても戦いは並だが、政治や調停のバランスに優れる、と書かれている。
フィレンツェは非常に面倒くさいと云うか、議論対立大好きな国民性があり皇帝派教皇派だけでなく、教皇派でも別れて対立しているような土地であった。現代でもフィレンツェっ子と言えばイタリア内で扱い面倒くさい的な印象を受けるぐらいだ。
難しくとも、フィレンツェの農業や毛織物の生産力は高く国として纏めなければならない重要な都市である。
(別に我がフィレンツェに入りたくないわけじゃないけど……)
やけに的中する隊長の占いで、[フィレンツェで死ぬ]とあったのを彼女は覚えていた。
「ところでー僕と勉学仲間だった人を官僚につけていいですか父上ー?」
「うん? 能力がしっかりしてればいいけど……誰?」
フレデリカが尋ねると、フェデリーコは会議室の外に待たせていた一人の男を連れてきた。
聖職者のようだ。修道服を身にまとい、誠実そうな顔立ちをした青年である。
彼は皇帝の前までやって来るとおもむろに袖から何かを取り出した。
白い拳ほどの塊であるそれを口に含んでぐいっと噛んで伸ばして咀嚼する。
「モチうめえ」
「既視感感じるー!?」
皇帝の目の前でモチを食べ始めたのだ!
モチをもっちもちと食べている青年は改めて挨拶をする。
「グイエルモ・フランチェスコの息子、テバルド・フランチェスコです。お土産のモチをどうぞ」
「くふ、くはは、なんだ、懐かしい感じがするよ! グイエルモの子供かあ! いいよいいよ、あの有能だった癖に隠居教師の代わりに、たっぷり使ってやるからね!」
「わかりました、モチが食べられればまあなんでも」
フレデリカは涙を浮かべる程笑いながら彼の手を握ってぶんぶんと振り回した。
子供の頃に散々世話になり、様々な知識と知恵を学ばせてくれた家庭教師の息子を歓迎して迎え入れるのであった。
──余談だが、そのフェデリーコもテバルドも共に有能でフレデリカの統治に尽くした。
特に、おっとりとしたフェデリーコであったが何故かフィレンツェを含むトスカーナ地方の統治に素晴らしく成功し、教皇領に近いのにここから反乱が起こることは無かったのである。
その能力だけならば或いはフレデリカやエンツォ以上だったかもしれない……。




