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神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第四章『破門皇帝フレデリカと教皇の戦い』
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24話『ハインリヒとフレさん──1232年』


 1232年初頭。

 フレデリカがメルフィ憲章を発布してから僅か半年で、教皇グレゴリウスは[異端裁判所]の設立を宣言した。このことが彼を悪名教皇ランキングで上位に食い込ませる業績になる。

 前々からやるつもりはあったのだろうが、明らかに彼女に対する牽制であることは疑いようがない。

 その後数百年先にまでヨーロッパに影響を及ぼし続ける後ろ黒い、異端審問に魔女裁判はここから明確に始まったのである。

 異端と異教の違いは、異端は同じ箱で腐るみかんであるのに対して、異教は隣の箱のみかんだ。隣の箱に居る者は改宗すればこちらの箱に移せるが、同じ箱の中で腐っていくみかんは周りにも害悪を為す。故に、排除しなければならない。

 この時グレゴリウスが制定した異端に関するお触れから一切要項が削られることはなく、むしろ後年になるに従い異端者に該当する例や、火炙りなどの刑罰の具体化を進めてどんどん苛烈になっていく。


 ヨーロッパの暗黒時代だとか。

 財産目当てで裕福な者が異端にされたとか。 

 美しい女が嫉妬を買い魔女にされたとか。

 いや異端審問は金や手間がかかるからあんまり行われなかったとか。

 農村部では記録に残っていないだけで散々やっていたとか。

 まさかの時のスペイン宗教裁判だとか。


 諸説様々にあるだろうが、まあ省いてしまおう。

 なにせフレデリカに対抗する異端裁判所だが、彼女としては、


「はぁ~? シチリアと神聖ローマ帝国は一向に国内法で裁きますが何か?」


 ローマから異端裁判所の派遣を拒否したのだから、彼女相手に使うことなどできはしなかった。

 

「まーとにかく、教皇がうるさいから国内の皆も、イスラム教徒ならイスラム教徒っぽい格好、ユダヤ教徒ならユダヤ教徒っぽい格好で過ごすよーに」


 と、指示を出す程度である。

 宗教は自由だが、それを他国で信じるのならば信仰心に見合った格好をしろと云うまっとうな意見である。イスラム教徒はターバンを巻かせるし、ユダヤ教徒はダビデの星マークを服に付けさせている。

 そんなことを云う、神聖ローマ皇帝がターバンを愛用していたというのだからおかしな話だが。

 よほど隊長に光るデコを指摘されたのを気にしているのだろう。

 ともあれ、フレデリカを異端と断定しようが、彼女を攻める事のできる勢力は居ない。若いフランスのルイ王、フレデリカファンクラブで早速アウグスターレ金貨を手にして飾っているイングランドのヘンリー王などはもっての外である。

 ちなみにローマにほど近いヴェネツィア共和国でもこの異端裁判所は鼻を引っ掛けるような対応であった。

 もうこの辺りになってくると、人気者の神聖ローマ皇帝にしてシチリア王、エルサレム王のフレデリカと嫌われ者のグレゴリウス教皇の対立図が殆どの者に見えてきてしまっていたのではないだろうか。

 勿論、グレゴリウスとて考えなしに異端裁判所を作ったわけではない。


「プーリアの街、ルチェラにドメニコ派の修道僧を派遣する」


 と、通達してきたのである。

 ドメニコ派と云うのは以前に述べたが、キリスト教の歴史を編纂する学問に詳しい僧である。 

 ただ学問と云うのはキリスト教が残してきた記録と云うだけで、世間に明るいわけでもあらゆる学業に詳しいわけでもなかった。

 しかし歴史に則り、誰それの行動は反キリスト的で間違っていると指摘するのは得意であったのだ。記録されている事こそ正しく、それにそぐわない人間は間違っているのだと云う固い考えがあった。

 それが異端裁判には持ってこいの人物なので、当初は彼らドメニコ派が異端裁判官として活躍をしていたのだ。

 教皇の申し出にフレデリカは、


「ルチェラは異端じゃなくて異教の街じゃん。異端裁判は認められないよ」


 そう返した。

 ルチェラは前に、シチリア島で反乱を起こしたサラセン人二万人を移住させたイスラムの街で、聖地巡礼の途中にありフレデリカの王宮からも近い場所だ。

 異端裁判はあくまで異端を狩り尽くすのみで、異教徒を攻める十字軍ではないのだ。

 教皇は続けて告げてくる。


「彼らはイスラム教徒へキリスト教の布教を行う為に行くのである。メルフィ憲章に保証されているように、聖職者が布教を行うのは当然のことだ」

 

 教皇からのその申し出に、フレデリカは派遣を認めた。


「ま、これで我が拒否したら宗教弾圧みたいだしね。それに改宗は個人的なことだから」

「一応、再度ルチェラにはあらゆる宗教が自由であり、布教も邪魔してはならないと通達しておこう」

「うん。お願い隊長」


 そうしてルチェラの街に修道僧が訪れたのだ。

 なにせキリスト教の総本拠から近い場所にあるイスラムの街に修道僧を送り込むのだ。

 

「奴らには殉教覚悟で行ってもらい、フレデリカを責め立てる材料となって貰わなくてはな……ぐふふぅ」


 グレゴリウスの狙いはそれであった。

 なにせ異教で凝り固まった地に行かされる布教者の多くは死を覚悟して送り出される。故に、成功すればこの上ない名誉と天国行きが確約されているのである。

 ルチェラの街で石打ちにでもあってドメニコ派の修道僧が死すれば何よりであった。


「教皇! ルチェラから報告が届きました!」


 助祭が部屋に駆け込んできたのに、黒い笑いを消して神妙に聞いた。


「報告によればルチェラに向かったドメニコ派の修道僧は……」

「ぐふふぅ……」

「少なからず改宗させるのに成功して、ルチェラの街に教会を建てたそうです」

「優秀ー!」


 グレゴリウスの予想以上に優秀な布教者達であった。

 イスラム一色の街に、彼らは確かにキリスト教を広めて一部のサラセン人を教徒にしたのである。

 勿論、それで迫害が起きぬように──信仰は個人の自由として約束されていることが条件でこの街に移り住んだ者達は仲間の改宗さえ受け入れた。

 図らずも、教皇などの凝り固まったキリスト教信者が最も嫌う、キリスト教とイスラム教が共存している街に変わったのである。

 

「ぐ、ぐう、いや、サラセン人がすぐに改宗したキリスト教など異端に近いはず! 再度ドメニコ派の派遣を要請しろ!」

「拒否されました! もう送って街に居るだろって!」

「おのれえええ!!」


 ──と、微妙に異端裁判はフレデリカに届かない状況になるのであった。

 なおフレデリカの拒否を無視して送られてきた異端裁判官は何故か気がついたらパレスチナに送り込まれていて、聖地巡礼をするという神かくしめいた事に会うのだが、聖地を巡礼するのは敬虔な教徒として否定しがたいので問題は起こせなかった……。




 *****



 1232年。

 歴史的に見れば重大な異端裁判所が設立された年。

 その矛先となったフレデリカには一切通じないのであったが、彼女を襲った別の問題はより身近で、更に深刻であり、意外なものであった。

 フレデリカは相変わらず都市間を移動しながらメルフィ憲章での改革を目の当たりにして、土地土地で起こる訴訟問題の上訴を解決し、法律をより良く書き換えながら過ごしていた。

 彼女の周りには常に百人以上の官僚や書記官などが常駐し、また連絡の馬が書状の山を載せてあちこちへ走り回っている。

 武官の代表であるヘルマンは外交へ趣き、護衛の隊長が秘書代わりとなって非常に忙しい時期を過ごしていた。

 眼鏡を掛けて書類に目を通していた隊長が次第に苦々しい表情になるのを、フレデリカは見逃さなかった。


「隊長? 悪い報告」

「ああ」

 

 短く返事をする。

 彼に云えば率直に状況を説明してくれるのが常であるのだが、と首を傾げたフレデリカに書類を渡した。

 そこに書いている内容は複数の署名があり、多方面から上がった確実な事であることが示されているものである。

 内容は、


『皇太子ハインリヒが自領内で放埒な政治をして領民や司政官が迷惑をしている』


 ──フレデリカの長男、ハインリヒの反逆行為についてであったのだ。

 

 ここで嫡子であり、次期ドイツ王と決められたハインリヒのこれまでの人生と、その時のフレデリカの行動を振り返る。



 1211年。フレデリカが16歳の時にコスタンツァからハインリヒは生まれた。

 1212年。フレデリカはドイツへ神聖ローマ皇帝になる為に出向き、ハインリヒはシチリア王に任命されてシチリア島で母と共に留守番をすることになった。

 1216年。フレデリカはドイツを駆け回って纏め上げ、ハインリヒとコスタンツァをドイツに呼んだ。

 1220年。フレデリカは神聖ローマ皇帝に戴冠する。コスタンツァもローマに連れて行き、ハインリヒはドイツ王に任命されて残る。

     この際に学問にも明るく、人柄も良く、公平で優しい家庭教師エンゲルベルトにハインリヒを任せた。実際に父以上に父のような人物であったようだ。

 1222年。フレデリカは十字軍の準備をしつつ南イタリアを統治していった。コスタンツァが死去し、ハインリヒは深い悲しみに覆われる。

 1225年。十字軍の準備が本格的に忙しくなる。ドイツではエンゲルベルトが暗殺される。また、ハインリヒの嫁が酷くて鬱になる。



 そのあたりからハインリヒが崩壊する兆しはあったのだろうが、フレデリカは丁度破門を喰らうわ十字軍には行かねばならないわで非常に忙しく、ドイツの息子に気を使う暇も無かったのであった。

 なにせドイツはイタリアなどより封建領主の基盤は強固であり、逆に云えばすぐに独立自治をし始めるイタリアよりは現状維持が楽なので後回しにしていたのである。

 ハインリヒも嫁とは義務だからと子供こそ作ったものの、夫の精神薄弱を罵り浮気までかます嫁であったので、鬱気味で年下だったハインリヒの精神は急速に悪化していく。

 開き直って女遊びにふける程度に精神が強ければ別だったのだが、その女遊びも末期的であった。

 ハインリヒは下層の、安い売春宿に居る借金漬けで明日にも死にそうな三流娼婦めいた女しか抱けなくなっていた。

 明らかに下だと見下せる女しか相手にできないのである。

 精神が奴隷ハーレムとか目指そうかなモードだ。

 そして、この時期にそんな彼へフレデリカへの反逆を唆す存在があった。

 そう、まさかの時のミラノさんである。極秘裏に接触したハインリヒに呼びかけた。


「誰かの言いなりになる明日は嫌なんだ! 君の命はあの人じゃない! 君だ! 今だ!」


 今だに敵対を続ける都市国家ロンバルディア同盟。それにそんなことを云われて、ろくに考えもせずに、そしてろくな考えもなく反抗を開始したのである。

 ミラノからすれば内乱が起こってロンバルディア同盟を攻める戦力を削ってくれれば御の字とやったのだろう。

 その背後にはフレデリカに敵対するグレゴリウスの手引きがあったと考えられる。

 ともあれハインリヒは、フレデリカに逆らうように税率や裁判を無視して自分の領地を統治とも言いがたい、悪政を敷いているのであった。


「ドイツ諸侯会議を行う! ハインリヒも呼び出せ!」

 

 フレデリカは指示を出して1232年の春に北東イタリアの都市アクィレイアで緊急会議を開いたのである。

 さすがにフレデリカの剣幕を、連絡役が伝えたのだろう。おどおどとしながらハインリヒもその会議へ姿を表した。

 彼女は本題だとばかりに、諸侯が見守る中で息子へ歩み寄り書状を渡す。


「ハインリヒ!」

「はあ……」


 げっそりと、暗い顔をした彼と再開するのも久しぶりであった。

 その様子は頭に血が上ったフレデリカを醒ますには十分であり、隊長も表情を渋くした。

 彼女はゆっくりとハインリヒに告げる。


「ここにお前がやらかした違反事項を列記して、それの改善方法をちゃんと記した。これに書かれている通りに部下に指示を出せばちゃんと運営できる。信頼できる部下が居ないなら云え、官僚を派遣してやる」

「はあ……」

「いいか。難しいことは云わない。指示されたことをしなさい。お前が思いつく改善点があるなら手紙で送りなさい。周りの部下の云うことをしっかり吟味して決めなさい。いいかい? 神に誓って出来るか?」

「……ハインリヒ、神に誓って……」


 覇気の無い声ではあったが、彼はそう認めた。

 フレデリカはわけがわからないよ、と云う様子で、ドイツ諸侯へ他の連絡事項を告げていく。

 彼の気苦労など、フレデリカには決して感じぬことなのだ。

 幼く手出しができないのに二つの勢力に狙われまくっているわけでも、17で生きるか死ぬかの旅に出て賭けに負ければ破滅する危機を何度も乗り越えないと生きていけないわけでもない。

 生まれながらの王子で、父の後を継ぐだけなのだ。

 云われたことを云われた通りにこなせば良い。何故それができないのか。フレデリカは、それがわからない。

 もう一人の息子、エンツォはフレデリカの軍に付いてきながら彼女の期待には十全以上に応えているのだからハインリヒも大丈夫だろうと思っていたのだ。

 わからないから──神に誓って、改善を行うと告げた彼を許してしまったのである。

 許すとは機会を与えること。選択の自由性を任せること。

 信用して、捕まえた手を離すことでもある……。




 *****


 


 1235年。

 前にハインリヒを呼びつけてから三年が経過した時期に、フレデリカはドイツへ軍を引き連れて向かった。

 ドイツ諸侯から、ハインリヒが錯乱したように法を変更し続け、何か目的でもあればともかく何がしたいのかまるでわからない状態で非常に困っていると報告があったからだ。

 アルプスを越える際に再びミラノ軍が街道を封鎖しているようであった。

 フレデリカは酷く冷たい声で指示を出す。


「退かせろ」


 槍の穂先に斧がついたような武器ハルバード──戦場で流行したのはまだ先の時代だが存在はしていた──を両手に二本持った隊長と、抜剣したヘルマンにエンツォが前線に出て即座に蹴散らす。

 ミラノを中心にしたロンバルディア同盟軍は一千の精鋭に挑まれて散り散りに逃げ出していった。

 もうこの連中にはうんざりであった。大方、ハインリヒの反乱行為にも加担しているだろうが、それにしても意味のわからない政策を繰り出す息子を理解できそうに無くてフレデリカは苛立っている。

 ドイツにたどり着いた彼女を待っていたのは諸侯や住民からの歓迎であった。

 フレデリカは法に厳しく、貴族や領主も法で裁く厳格さを持っているが、それでもしっかりと統治をしている。

 ハインリヒのわけがわからない状態には領民も耐えられないのであった。

 ウォルムスの城に居を構えてフレデリカはハインリヒを呼びつける。その際にハインリヒはまずフランス王ルイに亡命を求めたが、


「ハインリヒ王子。貴方がやることは逃げるのではなく、フレデリカ王と話し合うことだ。罪があるのならば許しを請うことだよ」


 キラキラした眼差しに定評のある聖王ルイからまっとうな意見を云われた。

 次にミラノに逃げ込もうと使者を送ったが、


「戦いたくない……! 戦わせないで……!」


 そんなことを云われた。

 フレデリカと全面戦争は避けたい──だが嫌がらせの戦闘は一方的に続けたい──ミラノからも拒否をされた。

 とうとう動こうとしないハインリヒに、フレデリカは部下を送ることにした。


「ヘルマン。連れてきて」

「御意にござる」

「……俺も行こうか」

「いや、隊長は駄目だ」


 申し出た隊長をフレデリカは留めた。

 暗い目付きをしている彼を見据えて、フレデリカは云う。


「君は、ひょっとしたらひょっとするけど──ハインリヒを逃してやるかもしれない」

「……」


 かつての主、コスタンツァの一人息子。隊長がどう思っているか、フレデリカはわからなかった。だから、怯えるように拒否をした。

 隊長はそれに異を唱えず、黙ったままヘルマンを見送った。

 やがてヘルマンに連れられてやってきたハインリヒは三年前にあったときより酷い状態になっていた。

 フレデリカの前に出た途端、尻もちをついて顔を背けて、歯の根も合わぬ程に震えている。

 父親代わりだったエンゲルベルトを暗殺され対人恐怖症になり。

 嫁のマルガリータが夫を罵るばかりで支えようともしない年上の悪妻で女性恐怖症になり。

 そして、皇帝という重圧を自らに課してくるフレデリカで父親恐怖症になっているのだ。

 後世の歴史家が口を揃えてハインリヒをこう称する。


『同情すべき点はあるが、精神の薄弱さは明らかに王の器ではなかった』

  

 フレデリカは──恐らく当時の欧州でも最上級に精神がぶっ飛んでいる彼女は故に息子が理解できない。


「ハインリヒ」

「う、あ、うううう……」


 呼びかけただけで自らの身体を抱くようにして怯え悶える理由がわからない。


「どうしてお前は云われた通りにできないんだ。難しいことなんて何も無かっただろ。難しかったならば周りに聞けばよかっただろ。自分で学べばよかっただろ。怖いなら鍛えればよかっただろ。敵は仲間を作ってやっつければよかっただろ。何故なにもしなかった」

「そんなこと……僕にはできないよ……」


 ハインリヒのどうしようもない言葉に、フレデリカは声を荒らげて云う。


「できなかったら周りを頼れよ! 我だって何でもかんでも出来るわけないんだ! でも仲間と一緒になってやってきたんだぞ! お前はなんで仲間が一人も居ないんだ! 反逆をするにも、誰もついてきてないじゃないか! 皇帝になるんだったろ!? 皇帝は一人じゃなれないんだぞ!?」

「僕だってなりたくてこんな生まれになったんじゃない!!」


 叫び返す。涙を流しながら床に這いつくばったまま、ハインリヒは怒鳴った。


「あんたみたいに何でも自分で決めて、それが成功して、皆から人気者になって仕事を完璧にこなして誰にでも負けないなんてそんな皇帝になれるわけないじゃないか!

 ぼ、僕だって頑張ろうとしたぞ! でも無理だよ! ドイツ語を覚えるのに精一杯でラテン語の本を読めとかフランス語で外交しろとかそんな沢山言葉を使えって時点で挫折しかけたよ!

 どっさりと渡される書類なんて読むだけで一日で終わらないし、できないって言うと怒られるんだから読まないでサインするしかないだろう!

 体を鍛えろって云われても子供の頃乗馬したら落っこちて足を打ち付けたまま、古傷が治らないでまだ痛むんだから無理だよ!

 何か成功しても『皇帝陛下から出された低い目標だから当然』とか『皇帝陛下の皇太子なら当然』とか云われて、失敗したら『皇帝陛下なら失敗しなかった』だ! やりがいなんてあるか!」


 息子の嗚咽混じりの反論に、フレデリカは──。

 やはり、理解が追いつかないまま、彼を哀れそうに見ていた。

 彼女は息子が、やれと云われたことをできないのがわからないし、できないままにしているのがわからない。

 皇帝ならば人気者にならねば戴冠できないので人気取りをするのは当然だ。

 八カ国語ぐらいを自在に使える彼女は言語習得の難しさを知らない。だが最低でラテン語ぐらいは勉強しなければならないとしても、他は通訳や翻訳を呼んできっぱり諦めると宣言すれば良い。

 書類に目を通すのも彼女は速読ができるが、分量が多いならば秘書を使って効率的に分けさせるべきだ。

 足に障害が残っているのは仕方がないとしても、それで卑屈になるのは自分の気持ち次第だろう。フレデリカは女で身体能力が劣っていても、それを恨んだことなど無かった。

 大体、親がどうこうと周りから云われていちいち思い悩む状況が、殆ど親の居なかったフレデリカにはわからなかった。

 それらの問題が彼女に降りかかっても、精神力ではね退ける強さをフレデリカは持っている。

 ハインリヒには──それが無いから、父親に云われた内容と真逆のような行動を取るようになってしまったのだろう。


「ぼ、ぼ、僕はただ、何もしないでシチリアにいれればよかったんだ……偉大な父親なんか必要なかった……なんで僕を誕生させたんだ! 僕は、生まれなければよかったんだ……嫌だ、嫌だ……」


 だが、泣きわめきながら云う息子に──フレデリカの心は冷えきっていった。

 生まれなければよかったと、コスタンツァの子が云うのである。

 初めての妻の子が。

 見ていられなかった。

 彼女は腰に帯びていた剣を抜き放った。


「ハインリヒ。お前は忠誠を誓った皆を裏切り、国を荒らした。その罪は法で照らし合わせると死罪となる」

「……」


 彼女の前に身を投げだして顔を押さえているハインリヒからは、もはや何の声も出なかった。

 集まっている諸侯が呻く。


「生まれてきたことを嘆くのなら、死を与えよう。父とは呼べない身ではあるが、皇帝としてお前を裁く」


 彼女は歩み寄ると、冷徹な表情で剣を振り上げ──ハインリヒの首元に振り下ろした。

 剣が──止まる。

 誰の目にも映らないような凄まじい速度で、ハインリヒの傍らに滑り込み跪いた隊長が指二本でフレデリカの剣を受け止めていた。

 岩に刺さったように、押すも引くもできない。


「──!?」


 ハインリヒが信じられないように横に居る彼を見上げる。


「皇帝に三つ進言をする」


 大きくはないが、その場に居る誰もが聞こえる声で皇帝の刃を──絶対的な裁判者の裁定を止めた隊長は告げる。


「一つ。皇帝は処刑人ではないので行うべきではない」


 最高裁判長を兼ねるのは皇帝であり、上訴先でもあるが……刑を執行するのは別の者なのは、法治国家では当然であった。


「一つ。この太刀筋では人は殺せない。やりたくないならやるな」


 次の言葉は皇帝に意見と云うより、フレデリカ個人へ向けた強い言葉であった。

 彼女の、冷徹な仮面に動揺が走る。

 そして隊長は摘んだ剣の刃先を己の首に触れさせて、彼女を見上げて告げる。


「最後に。近衛騎士隊長の命を掛け、コスタンツァ様の子であるハインリヒ皇太子の助命を願う」

「やめろっ!!」


 フレデリカは剣を無理やり隊長の指から引き剥がして投げ捨てた。

 呆然としているハインリヒに、仮面を捨てて涙目になっているフレデリカは宣言をする。


「──っ! お前はもう何もしなくていい! ハインリヒを廃嫡して、シチリアに禁固刑に処する! 新たなドイツ王として、ヨランダとの子コンラートを指名する! 以上終わり解散!」


 彼女は告げるだけ告げて、大股で歩み去っていった。

 集まった諸侯はほっとしたような、フレデリカの様子に哀れんだような空気を見せた。

 ハインリヒも騎士に立ち上がらされ、連れて行かれるがその際に絶望しか映っていない瞳で、隊長に、


「なんで殺してくれなかったんだ……」


 と、ぼそりと告げた。隊長は、何も返さなかった。

 立ち尽くしている隊長に、ハインリヒから見えないところに居たエンツォが歩み寄った。


「隊長」

「エンツォか。姿を今まで出さなかったのはよかった。お前が居ればハインリヒが余計に悪くなる」

「……何故、ハインリヒはああなってしまったのでしょうか」


 幼い頃は友人であった、異母兄弟を憂う顔で思いながらエンツォは悩んだ。

 彼もまた、才能と云う力を持つ人間の一種だ。エンツォの気持ちはフレデリカより想像はできても、きっと完全には理解できないだろう。

 

「さあな。人は生まれも力も親も選べない。生き方や死に方を選べるかも怪しい。理不尽なんてどこにでもあるものだ」

「ハインリヒを助ける人が居れば……」

「違ったかもしれないな。だが俺は……フレさんを助けるので精一杯だった」


 隊長は僅かに目を閉じて、祈る。


(すまないな、姫)


 息子と夫を託して死んでいった、コスタンツァに謝る。

 守るにはあまりに二人は離れすぎていたのだ。 

 彼にできたのは、父が子を殺すという直接的な行為を止めることだけであった。


「……皇帝陛下は、隊長に救われてると思いますよ」

「そうだろうか……だがフレさんの機嫌を取らないと、怖いな」


 隊長はため息をつきながらいつもの表情でエンツォの頭を撫でた。

 ともあれ、彼女の出した決定に逆らうと云う形を取らせたのだ。このままではぎくしゃくとしかねない。


「何かプレゼントでも送ればどうでしょうか?」

「プレゼントか……フレさんが喜びそうなもの……」


 隊長は最近決済した書類を思い出して、手を叩いた。


「よし、レズを送り込もう」

「隊長のことも時々わからなくなりますね本気で」


 ───ハインリヒに終身刑を言い渡して、すぐの事であった。

 イングランドの王女イザベルと、フレデリカの人生三度目となる結婚式が行われたのは。


「隊長の馬鹿野郎はどこだああああ!!」

「にゅふふフレデリカ様愛してますわ~!」

「どんな判断だレズ追加ってー!!」


 まとわり付く王女はかのジョン失地王の娘であるが、かなり美しい女性でしかもレズであった。

 フレデリカのファンでもある今のイギリス王ヘンリーから送り込まれたのである。


「っていうかすっごい昔に占いで相性の良い相手はジョン王系とか隊長が云ってたのこれ!?」

「YES」

「そこに居たか隊長ー!!」


 彼にYES枕を投げつける。隊長は受け止めて冷静な顔で解説を始めた。


「ヨランダが亡くなってからフレさんの妻枠が空いてたものでな。あちこちから縁談が来てたから一番良さそうなのを選んでおいた」

「一番良さそうなのがこれってどれだけ暗黒時代なんだよ」

「くんかくんか! フレデリカ様のお腹甘い匂いがする!」

「服に顔を突っ込むなあ!」


 フレデリカにベタベタとまとわり付くイザベルを引き剥がそうとするが、しつこい。

 この結婚の時、イザベルは21歳でフレデリカは──彼女の年齢はまあともあれ、フレデリカよりもかなり年下なのだが、絡んでいるとどう見てもイザベルが年上にしか見えない体格差なのであった。

 隊長はボードを出して気にしないように解説をする。


「イザベルはイングランドの王女だからな。フレさんが結婚すればイングランドとの仲は親密になる。すると、フランスへの牽制にもなるというわけだ。フランスでは最近、ルイ王が異端を平定して国内が安定化しつつある。今のところ友好国であるものの、ルイ王は熱心なキリスト教信者だから教皇から命令を受けて敵対しないとも限らない。そこでイングランドに背後を脅かさせておくわけだ」

「ははーん。イングランドもいざとなればフランスにあった大陸領を奪い返したいだろうからね」

「後は……嫡子になったコンラートだが、もしあいつがどうにかなった場合、フレさんに嫡子が居ない状況になる。エンツォを跡継ぎにするわけにもいかないからな。つまり、子作り頑張れ」


 ばっさりと告げる隊長にフレデリカは涙目になる。


「頑張りましょうフレデリカ様~にゅふふ!」

「くそう唸れフリードリヒ棒ー!!」


 そんなこんなで、新たな嫁ができたフレデリカであった。

 しかしながら、フレデリカと云う人物は嫁が原因でミスをしたり戦場に連れて行ったりということをしない人物だったので、やはり出番はあまりないのであったが。

 




 ******





 ──シチリアに連れて来られたハインリヒは、砦や城に入れられて自由に外にでることはできなかった。

 しかし、望めば監視つきであるが庭に出たり、本を持ってくるように頼んだり、学問を学ぶ為に教師を呼んだりと云う要求には出来るかぎり応えると告げていたのだ。

 手錠も鎖も付けられていない状況であった。

 だが、彼は毎日廃人のように部屋の中で、何もしないでじっと過ごしていた。

 言葉を誰とも交わさずに、時折何かを呟いたが、意味のあることではない。

 ハインリヒはこれまでの人生の挫折と、安い風俗で患った性病も悪化して精神がほぼ崩壊していたのである。

 何もせずに過ごす彼を、少しでも慰めるように環境を変えようと数ヶ月ごとに別の砦に移送していた。

 ある日、その移送の最中。

 馬に揺られたままいつも通り宙空を眺めていたハインリヒが側の従者に聞こえる声でこう云った。


「──そこにいたのか、ははうえ」

 

 その言葉に周りが反応する間もなく──。

 ハインリヒは馬を走らせて、崖から馬ごと飛び降りて自ら命を断った。

 その報告を聞いてフレデリカはハインリヒの遺体をドイツ王の旗で包み、壮麗に葬式を上げるように指示を出すのであった。


 

 ハインリヒの代わりに、ドイツの地に留まる事になったコンラートとはフレデリカは密に手紙をやりとりするようになった。コンラートだけではなく、彼の家臣として選び抜いた者達とも手紙をやりとりして、離れていても自分の指示がすぐに届くように。

 その手紙は厳しい王としてだけはなく、不器用ながら親としての内容が見て取れる。


「コンラートへ。ラテン語が難しいみたいだけど、ラテン語は公式文書を書くのに王として欠かせない物なのでちゃんと学ぼうね。この手紙の後半もラテン語で書くので、読み解いて返事をくれたらご褒美を送るよ──」


 など、ドイツに立ち寄った時は共に馬に乗って鷹狩りに出かけるなど、離れていても気にかけるようになったのである。

 ハインリヒの育児方針が失敗だったと彼女なりに反省したのだろう。

 コンラートはこうしてドイツの地で学び、特に拗らせる事もなく、乗馬や体を動かす訓練が好きな子だったのでそれなりに諸侯から人気を集めていたという。

 また、エンツォの成長を見て、嫡子以外の庶子は皆自分の軍の後に付いてこさせて実地で学ばせる事にしたようだ。

 彼女の子供だけではなく、他の幹部や貴族の息子達もそれに参加させて、友人作りと勉強を両立させた。

 なにせフレデリカの周りは官僚だけではなく、彼女が集めた学者や医者も沢山居て学ぶのに最適だったのだ。

 こうして未来の幹部を育てるフレデリカであった……。

 

 









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