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神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第三章『エルサレム王フレデリカと十字軍』
20/43

19話『新教皇と破門食らうフレさん──1227年』

 シチリア海軍と神聖ローマ帝国海軍はほぼ同じ存在で、神聖ローマの海港はジェノバから、シチリアの海港はパレルモを中心に無数にある。

 その提督がアンリ・ディ・マルタである。

 名前の通りマルタ島出身でジェノバの海賊をしていたのだが、フレデリカに抜擢されて海軍の総司令官になっていた。

 一応海軍大臣と云う身分に関しては国内での反発を防ぐ為にシチリアの貴族に就かせているが、実質の海軍トップは彼であり、また文句のつけようもない働きをしていた。

 十字軍に向けた船団を新たに用意していてブリンディシの港では海軍の声と材料の丸太が飛び交っている。


「お前ら! 船の用意はできたか!」

「この船超助かる!」

「文房具屋の兵士が改良してくれました!」

「でかした!」

「あったよ! 船に積むワインが!」

「やっぱり頼りになるな……」


 などと声を掛け合いながら、十字軍を載せる船を作り上げていた。

 

「中々順調だな」

「よお隊長。視察か?」


 アンリに話しかける隊長に、丸太を持ったまま振り返って尋ねた。

 彼が振り向く動きと同時にぶおんと振られる丸太を屈んで避けながら隊長は港に並ぶ船を見る。


「浅瀬でも渡れる船底が低い船。大したものだ」

「おうよ、これでエジプトだろうがナイルだろうが遡上出来るぜ」

「出来るというのを見せつけるだけだがな」


 フレデリカが注文を付けたのは浅瀬でも使える船と云うことで、アンリが船大工に作らせたのが底の浅い船であった。

 エジプト近海は砂地により遠浅になっているので普通の軍艦では乗り上げることが多く、船がまだ海に止まっているのにやむを得なく上陸部隊を下ろして海を進ませるということもこれまでの十字軍では発生している。

 その点この船ならば岸までしっかり付けられるのでそのまま上陸できる。


「しかしよう、海賊のオレが今や提督って出世し過ぎな気がするんだが……」

「いい事じゃないか」

「女の子にモテ過ぎてちょっと破門食らいそうな勢いで困るぜ。色んなタイプに好かれまくってな。提督LOVEのタグつけちまおうか」

「寝言は寝て云え」


 バッサリと吐き捨てる隊長であるが、幹部連中を思い浮かべながら云う。


「まあ……確かに出世頭だな。シチリア一の大司教のベラルドは元から大司教だし、ヘルマンもチュートン騎士団団長なのは変わらない。ピエールの奴は修道士から書記官だから中々出世しているか」

「あんたはこう、騎士団長とか将軍とか領主になりたいと思わないのか?」

「柄じゃない。俺はフレさんの騎士で手一杯だ。領地なんて貰っても管理出来ないからな、フレさんに返すだろう」


 隊長は苦笑して肩をすくめる。

 しかし、とアンリは思う。例えば将軍などは他の者でも出来るが、フレデリカの話し相手になっていつも守ってやれる隊長の代わりになれる者は居ないだろう。

 有能か利用価値があるのならば部下をガンガン出世させていくフレデリカが彼を手放さないのもその理由かもしれない。

 

「ん? イスラムの船だ」

「来たか。ファクルディーンだ」

「ああ、また使節団の迎え入れだったのか。作りかけの船隠しとくか?」

「見せていいそうだ」


 そう云って馬に乗り去っていく隊長を見送って、アンリはぽつりと呟いた。


「ちょっと勿体無えかもな。戦争続きの君主だったらもっと活躍できてただろ、隊長」


 フレデリカは殆ど戦争を起こさない。此度の十字軍にさえそれを行おうとしている。

 彼女の懐刀ではあるが、抜かれない名刀は誰にも知られる事はないだろう。きっと彼はそれに不満など持たないのだろうが。




 ***** 




 北部イタリアで睨みを効かせた後は再びフォッジアの宮殿に戻ってきたフレデリカである。

 ファクルディーンと十字軍についての交渉を具体化させていく。

 これから攻めると云う相手に交渉するというのも妙な話だが、


「なあなあで済ませよう」


 と云うことであった。


「我はエルサレムを開放したという実績を作りたい。アル・カーミルは十字軍に攻められないという状況が欲しい。この二つがそれぞれの勝利条件なのさ。別に我もアル・カーミルも異教徒を殺したいじゃない」


 ファクルディーンをいつもの幹部会議に引っ張りこんで、改めて全員に解説をするフレデリカ。

 教皇が聞いたらまた寿命を縮ませ怒鳴りそうな内容である。

 ファクルディーンは挙手して発言する。既に何度か、アル・カーミルとフレデリカの使節に立ってエジプトとシチリアを行き来し会談している彼もだんだんフレデリカのノリに馴染んできているようだ。

 余談だがこの使いっ走りみたいな扱いを受けているファクルディーンは太守エミルと云う、立派なアイユーブ朝に於ける封建領主である。それがメッセンジャーしているのである。


「そういえば以前も似た目的でアル・カーミルに対談を求めて来た人が居ました。アッシジのフランシスとか云う……」

「あの聖なる托鉢僧か。会ったこと無いけどなんかいい子ちゃんで我苦手っぽーい」

「ベラルドが絶対合わないようにって云ってたよな、何故か」


 とまあ、異教徒を死なせず十字軍に越させない、エルサレムをキリスト教徒の者にするという条件を達成するにはアル・カーミルを改宗させるのもある種の手ではある。ただその後アイユーブ朝で凄まじい内乱が起こるだろうが。

 フレデリカはそんな現実味が無い手段は取ろうとしない。


「スルタンはフレデリカ皇帝にエルサレムを渡しても構わないと云っております」


 此度の来訪で初めて告げた、アル・カーミルの意志に会議場がどよめいた。

 

「ただ幾つかの条件の元で、ですが」

「伺おうか」

「エジプトには絶対十字軍を寄越さないこと。以前の十字軍で破壊されたディムヤードは復興の途中ですから」

「ふむ」


 まずこの[なあなあ十字軍]とも云える状況で、フレデリカが既に友人になっているアル・カーミルの本拠を攻めてくるとは彼も思っていないだろう。

 だが十字軍とは普通、複数の国や諸侯が集い進軍するものであるので、統率がとれてない場合にエジプトを再攻略へ向かう軍勢が起こらないとも限らないことを危惧したのだろう。

 ファクルディーンは続ける。

 

「次に、エルサレムをキリスト教徒のものとしても、岩のドームを中心とする東側はイスラム教区として残すこと」

「なるほど、全部あげると云うわけにはいかないよねそりゃ」

「どういうことっすか?」


 書記官ピエールが首を傾げた。隊長が説明を補足する。


「アル・カーミルはエルサレムを保有している価値は薄いと、フレさん同様に思っている。だが手放したとなると全イスラム教徒が彼の敵に回ると云うぐらい風当たりは強くなるだろう。それ故に、キリスト教徒のものとしつつも実質は両宗教が共同で管理する宗教特区にしようと提案しているのだ」

「実際、今でも巡礼者はエルサレムに入るのを認められているからね」


 両方の宗教に取って重要で、かつ皇帝などの管理者にとっては面倒臭い場所なので共有してしまえと云う考えであった。

 合理的だが、それ故に熱狂的な信者には受け入れられない危険性を持っている提案である。

 

「それと、エルサレムの都市はキリスト教徒のものとしつつもその周りの領土はイスラム側のままで、しかし沿岸にある十字軍国家はその存在を認めてこちらから攻撃しないようにするということです」

「まあ、当然かな。エルサレム行きの人が攻撃されないように注意する点はあるけど、その辺りはチュートン騎士団が警護に当たるわけだし……」


 これらの条件からしても、アル・カーミル側から譲歩している点が多いだろう。彼はエルサレムの半分を差し出し、それによってイスラム教徒からの人気を幾らか失う。友情にしても損をしているように見える。

 だがそれ程に、十字軍と云う西から蛮族が攻めてくるイベントが鬱陶しい証明かもしれない。

 少なくともフレデリカがエルサレムを管理している間は十字軍は発生しないのだ。


「飲めない条件じゃないね。───ところでファクルディーン」

「なんでしょうか」

「ひーとーつ聞きたいんだけど……」


 フレデリカは笑顔のまま、彼の肩に手を乗せた。


「……今、エルサレムを領土に持ってるのってアル・カーミルじゃないよね? その点どうなの?」

「う……」


 幹部全員から見つめられて、脂汗を浮かべるファクルディーン。

 イスラム圏で最大勢力を持っているスルタン、アル・カーミルだがその本拠はエジプトのカイロにある。

 だが、エルサレムを領土にしているのはダマスカスに居を構える彼の弟、アル・ムアザムなのである。

 しかもこの時点ではエルサレムを譲渡することを弟に告げていない。確実に拒否されて下手すれば内戦となりかねないからだ。聖地を売り渡そうとする兄と守る弟となれば、少し名目が悪い。

 弟のものを勝手に担保に出してしれっと交渉しているアル・カーミルも抜け目ないのだが。


「皇帝の同意が得られ次第、弟を説得に向かうとのことで……」

「ふうん? 別に我はいいんだけど。エルサレムは譲渡されたという前提で動くよ、そこんところ宜しく」

「は……」


 微妙に言葉を濁すファクルディーンである。

 弟が素直にエルサレムを渡すかどうかはアル・カーミルの説得に掛かっている。兄弟仲は悪くないのだが、中近東の情勢が問題だった。

 現在の最高君主であるスルタンはエジプトのカイロに居るアル・カーミルであるが、スルタンはダマスカスに置くべきだと云う勢力がアル・ムアザムを担ぎあげて対立を煽っているのである。

 この時勢にイスラム同士が戦う事は避けたい。隙を十字軍に付かれかねないからだ。

 しかし、もしアル・カーミルが弟の説得に失敗した場合はエルサレムでフレデリカの軍とアル・ムアザムの軍が衝突することになるだろう。

 その際には恐らく、彼女はアル・カーミルから「エルサレムを譲渡された」と云う文書を公開するに違いない。それは避けたい事態だ。その場でフレデリカが撃退されても不和の種はイスラム中に飛び散る。


(本当に大丈夫なんでしょうね、スルタン……!)


 冷や汗を浮かべながらファクルディーンは祈るのであった。


「一応確認の為に、こちらからはベラルドをアル・カーミルの元のカイロに送るよ、道中宜しくね」

「危惧してたのは何年前か。マジで中東に単独で行かされることになりましたなあこのベラルド」


 ぼやきながらもすっかり旅慣れた様子で準備を始めるシチリアの大司教で国のNo.2なベラルドであった。




 ******




 1227年。

 フレデリカが十字軍の出発を約束していた年である。ちなみに十字軍行く行く詐欺が開始されたのがホノリウス教皇に変わった1216年からと考えると11年越しの出発になる。

 さすがに一度本格的に準備を始めれば延期するのが逆に億劫になり、フレデリカは着々と軍の準備をしていた。

 その様子に安心したのか、教皇ホノリウスが眠りについた。


「後は任せたぞ……ウゴリーノ」

「儂にお任せあれ……ぐふふ」

「最期まで悪役っぽいなお主……」


 そしてすぐさまコンクラーヴェが行われて、次の教皇になったのはウゴリーノ枢機卿こと、グレゴリウス9世である。

 彼はイノケンティウスの甥であり、痩せた老人でおっとりとしていたホノリウスと違い体格もよくて髭がもっさり生えていて、暗い目つきで不敵な顔つきをした中年である。

 そう、散々これまで「悪役っぽい」などと描写された彼であった。

 助祭らも、


「順当だけど順当過ぎて怖いよね」

「ぐふふぅイノケンティウスもホノリウスも倒れた。これからは儂の時代よ……とか思ってそうだよね」


 などと噂話をしたりする。

 歴代ローマ教皇において悪い意味で有名番付を作ればトップ10に入れるぐらい有名なのがこのグレゴリウスである。異端審問とか大好きで中世ヨーロッパを恐怖のどん底に叩き落とす異端、魔女狩りが本格的に始まる時代であった。

 ともあれ彼は前教皇から引き継いだこととして、


「儂はホノリウスより甘くはないぞ! 神聖ローマ皇帝! 十字軍に行く準備はできているのか!」


 早速催促してきた。これが4月の頃である。


「あーウッセウッセ。云われなくても準備してんだろ!」 

「早速フレさんを苛つかせてる。中々やるな、あの教皇」

「なんでこんな準備してる最中にやれって命令されるとムカつくんだろうね」


 出発の予定日は8月15日。聖母マリアの昇天記念日であり、フレデリカとコスタンツァの結婚記念日でもある。

 エジプトに送ったベラルドが帰ってこれるか微妙な期日であったが、出発に合わせて準備はなんとかできそうではあった。

 

「よし、いざブリンディシへ!」

 

 そうしてフレデリカがイタリア半島踵の港、ブリンディシに辿り着いたのだが……。

 そこは、出発を見送ったり付いてきたりする数万人の巡礼者で溢れかえっていた。


「きゃー! 皇帝陛下の登場よー!」

「頑張ってください応援してます!」

「ファンですサインください!」

「エルサレムまで一緒に行きます!」

「イスラムの奴らぶっ殺してやりましょう!」

「フレたんイェイイェイ~」

「ところでフレ隊本描きました!」

「馬鹿フレデリカ様はベアトリーチェさんとだろ! ヘテロとか無いわ!」

「フレたんイェイイェイ~!」

「ナポリ大から見に来ました!」

「ヴェネツィアから船で来ました!」

「マカロニ大明神」

「今の心境はどうですか!」

「参加する兵数少なく無いですか?」

「その分俺らが頑張るんだよ!」

「エンツォ様が神々しすぎて脱糞しました」

「一方でフレデリカさん」

「アナタハーカミヲーシンジマスカー?」

「病院から抜けだして応援に来ました。ごほっごほっ」


 フレデリカは予想外の事態に混乱している!

 そして皆の熱狂に応えるようにとりあえず壇上に登って、


「皆ーありがとー!」

「イェイイェイ───!」

「キラっ! 私歌うね! 銀河の果てまで──!」

「歌うな!」


 思わず一曲歌いかけて隊長から止められた。彼は珍しく慌てた顔で告げる。


「人が集まりすぎた! 昨日まではそうでなかったのに一斉に来たせいでブリンディシの処理能力は限界だ。糞尿は垂れ流され病院から来たやつまでいる。おまけに今は8月だ」

「え? つまり?」

「疫病が流行った」

「はうあっ」


 フレデリカはバッドステータス疫病に感染して倒れた。

 抱き起こす隊長、総崩れになる民衆。そしてフレデリカの軍まで病気は蔓延。

 出発どころの騒ぎでは無くなったのである。


 この後少し延期して一週間後に再度出発しようとしたが……やはり軍にまで広がった疫病の問題で無理であった。

 更に一月延長して無理に出発したものの船の上は病人だらけでやっぱり無理だと引き返すことになった。


「疫病舐めてたわ……」


 フォッジアの王宮に戻り、今だ力の戻らないフレデリカは隊長に温泉に入れてもらいながらげんなりと呟いた。

 馬にならば乗れるが、もう隊長のおんぶが移動手段になるほど彼女も弱っているのである。


「健康なのは俺と、遠征慣れしたチュートン騎士団と、海慣れしたアンリぐらいだな」

「……と、とりあえず十字軍には出発したってことにしないと不味いから……ヘルマン!」

「イエアアア!」

「なんだその返事」


 風呂場の外で奇声が聞こえる。ヘルマンだろう。彼は清く正しい童貞なので入れない。


「チュートン騎士団と健康な兵士を連れて、ガレー船で先に出発して後詰で来る部隊の準備させといて。上陸する場所は説明しといた通り」

「はっ。クレタ島、ロードス島、キプロス島を経由してアッコンでござるな!」

「うん。お願い」


 そして続けて呼ぶ。


「アンリー!」

「ここに居ますぜー! 絶対中には入りませんぜー!」


 ヘルマンの隣に居るらしい提督から声が上がった。

 

「疫病でマジ無理延期しますって内容書いた書状を教皇に持って行って。これじゃ来年の春ぐらいまで無理臭いよ」

「ま、そうだな。少なくとも夏に出発するのは止めたほうがいいぜ」


 アンリも頷いたようだ。とりあえず無理なものは無理なので、教皇に事情を説明せざるを得ない。

 隊長がフレデリカを見ながら云う。


「俺は?」

「隊長は我のお世話!」

「別に俺が教皇のところに行ってもいいんだが」

「じゃあアンリが我をお風呂に入れたりする?」


 浴室の外から大声で文句が飛んできた。


「ざけんなあああ! 隊長お前がやれフレデリカちゃんの世話は! クソエロ!」

「……だって。アンリ提督が拒否ったので隊長は任務続行でーす」

「はあ、わかった」


 ため息混じりに頷くのであった。


「とりあえず我は元気になったらナポリの西にあるポッツォーリへ向かうからアンリとはそこで落ち合おう」

「いいが、なんでポッツォーリに?」

「あそこは温泉があるから療養に」

「気楽すぎる……」


 そんな感じで、部下に指示を出してフレデリカはしばらく怠惰に隊長から世話をされて過ごすのであった。


 そして書状を持ってローマに入ったアンリだが、他に健康な者が居なかったとはいえ少しばかり選択を謝ったかもしれない。


「こんちーす。シチリア海軍のアンリ提督でっす。フレデリカちゃんからお手紙運んで来ましたぁ~」


 ガラの悪い丸太担いだ海賊風の男がそんなことをラテラノ大聖堂の前で云うのである。

 番をしていた助祭らは、顔を見合わせて頷いた。


「帰れ」

「酷ッ!?」


 元海賊なアンリはとにかくガラも悪いし、身分こそ提督だが聖職者でも貴族でも無いので門前払いを食らったのである。

 これがチュートン騎士団のヘルマンならば教皇も無碍にはできないのだが、アンリでは無理であった。かと言ってヘルマンをここに向かわせたら中東方面に出発させたチュートン騎士団の指揮をアンリが取れるわけでもないので選べない選択であったのだが。

 また、教会に顔の利くベラルドもエジプトからまだ戻ってきていないのである。

 

「だから教皇にさあ、手紙届いてんだからせめてこれ見せろって!」

「……一応確認を取ってみる」


 助祭の一人が大聖堂に入ってしばらく待ち、やがて出てきた。


「ダメだそうだ。手紙の受け取りを拒否した」

「なんで!?」

「申し開くことがあるなら皇帝本人が来いとのことだ」

「こちとらガキの使いじゃねえんだぞオラアアアア!! 手紙受け取るまで動かねえぞコラアアアア!!」


 あんまりな扱いの上に、病気で歩くことさえままならないフレデリカを呼びつけようとした教皇に苛立ってアンリは座り込みを始めるのであった。

 そしてフレデリカが「温泉気持ちええ。ところでアンリ遅いね」などと待っている間に事態は進行した。

 

「ぐふゥ……」


 髭面のグレゴリウスが喉を鳴らして腕を振り上げ、一同に発表する。


「破門執行ッ!!」


 フレデリカの[破門]が決定されたのである。


「皇帝フレデリカは再三の教皇から要請に関わらず十字軍の延期を繰り返し教皇、引いては神への忠誠に欠ける! かの小娘がこれまでやってくれたのは誰のおかげだ!? シチリアの王になれたのも、ドイツの王になれたのも、皇帝になれたのもこの教皇からの援助あってのこと! それに報いるのは当然であるのに拒否をしている!!」


 そう大々的に公表し、理由を書いた文書をイタリア中の教会に張り出すように命令した。

 フレデリカはキレ気味に教皇に文書を送りつつ、更に世間にそれを公表して反論の形を取った。この文章に関しては編集を頼んでいるピエールを通さずに。


「教皇が助けてくれてたっつーけどさあ、我がシチリア王だった頃何一つ支援貰った覚えねーんですけど? むしろ教皇がシチリア代わりに統治するとかそんなことしてないせいで諸侯が好き勝手やってそれを直すのに今苦労してんだろうが!

 ドイツ王になるために協力してくれたのは実家のホーエンシュタウフェン一門だし一番邪魔だったオットーを支援して皇帝にしたのって教皇でしたよねー? お前、自分の支援があって我の今の地位があるって、これまで我に協力してくれたドイツイタリアの貴族や仲間達の前で言えんの?」

 

 これを発表した瞬間、教皇とフレデリカの対立は完全かつ明確なものになったに違いない。

 グレゴリウスは恐らく、かつてあった[カノッサの屈辱]と呼ばれる神聖ローマ皇帝が教皇に雪中土下座をするような展開を思い浮かべていた。

 温泉でぬくぬくとしつつ手紙で済まそうとするフレデリカを破門にしたが、あの少女が泣きべそ掻きながら土下座して靴でも舐めてくれればいやらしい笑みと共に許しただろう。「ぐふぅ儂の前ではフレデリカもただの小娘よ」とかそんな感じで。

 しかしそうはならなかった。

 抵抗できないので脱衣して転げまわり相手を引かせる、無力な子供時代のフレデリカでは無いのだ。

 彼女が謝ると云うことは仲間全てが恭順すると云うことだ。それこそ、教皇の云う通りにこれまで協力してくれた貴族全てより教皇を重きに置いていると認めることなど断固として頭を下げるつもりはなかった。それにもとより信仰心がフグの刺身より薄い娘だ。


「破門なんざ痛くも痒くもねえんだよ!」

「ならば食らわせてやろう! 更にもう一発破門!!」


 完全にノーガードで殴り合いだした二人だが、破門されて即座に二重破門を食らう神聖ローマ皇帝である。

 十字軍前に何やってるんだこいつら。

 しかも今度は強力かつ具体的になった。


「一つ! フレデリカが滞在した地では結婚、葬式、洗礼式、ミサなどを行うことを禁止する!

 二つ! フレデリカの領地に住む者は皇帝に対して税を治める必要はない! 徴兵にも応じるな!

 三つ! フレデリカの軍を教皇は十字軍と認めず、その物資を奪うことも妨害することも許可する!」


 グレゴリウスは「ぐははは」と大笑いしながらその内容が書かれた破門状を再びイタリア中に貼りだす。


「ざまあみろ小娘が! この教皇様に逆らうからだ! ぐふはははははああ!」


 教皇のその苛烈とも云える破門にヨーロッパは震撼した!

 そして世間の反応は……!

 

 むしろ逆にドン引いた。



「やり過ぎじゃね……?」

「フレデリカさん病気なのはマジなんだし……」

「十字軍もちゃんとやろうとしてたし……」

「二回目の破門の理由が『教皇に忠誠心が足りない』ってのも変じゃね……?」

「あの凄まじいイノケンティウス様ですらそんな理由で破門したこと無かったのに……」

「っていうか、むしろ教皇が十字軍を邪魔してないかこれ……」

「フレたんイェイイェイ……」


 

 破門を食らうと部下の離反や領地の反乱が起こるのが常であるのだが。

 なんとフレデリカの軍から離れた者はおらず、領地では変わらず税も収められていた。

 軍についていくシチリアの大司教など聖職者も破門のとばっちりを食らうにも関わらず、フレデリカの十字軍についていく予定を変えなかった。

 彼らは本来ならば教皇側の人間なのだが、すっかりフレデリカに毒されている上に現場での苦難を知っていて「そもそもエルサレム開放が一番大事なのに何云ってんだあの悪党顔の教皇」と陰口を叩く始末である。

 聖職者だけではない。騎士も船乗りも従者も飯炊きも、そしてフレデリカへの恩から十字軍に参戦したイスラム教徒であるサラセン人からも、誰も脱落者は出なかった。

 複数の年代記録者がこの史実を残していて、彼らは教皇派であったのでフレデリカから離れた者がいれば記録に残した筈だが……本当に、破門を理由に去った者は誰一人として居なかったようだった。


「馬───鹿ァ! くふひゃひゃひゃ!! 教皇顔真っ赤ぁ! お前の破門が一番なまっちょろいんだよぉ!」


 フレデリカは手を叩いて大笑いした。

 まさに、彼女を支えていたのは教皇の権威ではなく、周りの仲間と云う証明でもある。

 これまで延々と続けてきた人気取りの成果でもある。無論、アイドル的なフレデリカへの信奉で反乱を起こさなかったと云うよりは、彼女が王であれば国内の諸侯は権益を保護されて、国民は税は安く裁判が公平であり、産業や学問を振興するのだから支持されるのも当然だ。


「よし! それじゃあ改めて破門十字軍の幹部会議を開くよ!」


 フレデリカはヘルマンとベラルドを除いたいつもの面子を集めて軍議を始めた。

 アンリが少し気まずそうに──恐らくは、ヘルマンが行っていれば破門にならなかっただろうと自分の対応の拙さを自覚しているのだ──挙手して尋ねた。


「破門されてるのに十字軍には行くのか?」

「モチのロン。逆境こそ偉業は輝くものだよ! というかアル・カーミルとも約束してるしね!」


 いいか?と周りを見回して告げる。


「逆境こそチャンス。欠点には利点がある。我が幼い頃に世話になった家庭教師の教えだよ! 破門されてるけど今だからこそ利点がある! はい隊長!」


 話を振られて、隊長は告げる。


「そうだな。破門の効果は薄いが、欧州全体の流れとしては[静観]だ。フレさんと教皇には触らないでおこうとな。だから他の国からの援軍には期待できない。参加したら破門だしな。だが逆に、指揮系統はフレさんの一軍のみしか居ないから楽になる」

「正解! ついでに云えばあの山ほど居た一緒に行きたがりの巡礼者も、破門十字軍には付いてこようとしないから行軍に邪魔な巡礼者が居なくなるよ」


 さらに、とフレデリカは続ける。


「教皇が認めてない十字軍を成功させたならその功績は誰のものか? 我のものになるわけよ! エルサレム開放王として一躍大人気スター! そうなりゃあの悪ヒゲ教皇も破門を解かざるを得ない! くふふ、あの顔が屈辱に歪みながらしぶしぶ我を許す言葉を口にするのを見てみたい……」

「顔が少女か悪党かってだけで精神性は似てる気がするな」


 隊長が云うが、無視された。

 

「それじゃあ改めて、破門十字軍の流れを説明するね! この十字軍に連れて行く兵力は三千人で出発します!」

「ちなみにこれは、華の第三回十字軍に比べてヨーロッパ総合兵力の10分の1か20分の1に満たない」

「そう、これじゃまともに戦争できないのですが問題はありません。平和的にアル・カーミルと交渉してエルサレムを貰って帰るだけなので。ただ、一応イスラム側を威圧する為にびしっと三千人の精鋭を見せつけるんだ」

「いつもの脅し作戦だな」

「これにより最低限の戦費と被害で和平を結んで十字軍を終わらせるのが目的になるよ」


 この三千と云う兵力はまさにフレデリカの手勢と云うべき、直轄軍で指揮権は統一されている。

 地上ではヘルマン、海上ではアンリがそれを指揮することになる。王であるフレデリカが直接と云うには彼女は戦場経験が少ないので、使える部下に任せると云う方針であった。


 フレデリカは大きく息を吸って、皆を激励する。


「──いいか諸君、一人も殺さず、誰も死なさず! おとぎ話のヘタレ英雄が泣いて叫びながら求めるような、馬鹿げたハッピーエンドを目指して平和の戦争を始めるぞ! わかったな!」


「任せろ、フレさん」

「行こうぜフレデリカちゃん!」

「やろう、皇帝陛下」

「勝とうぜ!」

「あの教皇の鼻を明かしてやろう!」

「不殺上等!!」

「おお! 我らの皇帝!」

「破門されて神聖じゃなくてもいい!」


「神聖じゃない破門皇帝、フレデリカさんに皆付いていくぜ!」


 皆の鬨の声にフレデリカは大笑して腕を振り上げた。


 

「──応! 行くぞ諸君!」





 *****




 一方で、カイロの地にて。

 エジプトに渡っていた大司教のベラルドは忙しく中東をファクルディーンと移動していた。

 時にはカイロに、ダマスカス、十字軍国家などあちこちを馬で走り回り、複雑化しているアイユーブ朝の交渉事を纏めたりアル・カーミルの説得について進展を確認したりしていた。

 フレデリカにエルサレムを譲ると言っていたアル・カーミルだが、そこを支配している弟と話がこじれていたのである。

 それを根気よく説得していたのであるが……


(もう十字軍は出発したでありますかな、このベラルド、間に合うか不安になってます……)

 

 と、カイロに呼ばれたのはエルサレム交渉についてだろう。

 やがてアル・カーミルと面会する。

 あいも変わらず野心が見えずに、どこかおっとりとした印象を覚える男である。フレデリカを動とするならば彼は静だろう。


「アル・カーミル殿。弟君への説得の結果は……」


 すると彼は悲しそうに首を振って、ため息をついた。


「残念だけど彼は最後まで首を縦に振ってくれなかったよ」

「なんと……──? 最後?」

「うん。アル・ムアザムだけどね──」


 夕食の感想でも云うように彼はあっさりと応える。


「──死んでしまったんだ。病気でね。まあ、その御蔭でシリア方面も僕が管理することになったからエルサレム譲渡には問題ないよ。話し合いで分かり合えないのは悲しいことだね」


 ぞっとベラルドの背筋が凍った。

 わからなかったが、わかってはいけない気がした。

 アル・カーミルが今どのような表情をしているか確認する気になれず、床を見るベラルドである。


「でもこれで、平和的な交渉は楽に進むと思うから──ああ、そうだ」


 平坦な声で彼は続ける。


「メソポタミア方面を治めている、アル・アスラフって弟が居るんだけどそっちはまだ[説得]してなかったか。ベラルド、僕は今からアル・アスラフを[説得]しに行くからフレデリカには宜しく言っておいてくれ」


 喉が酷く乾いて、呼吸が荒くなるのをベラルドは感じる。

 異様な圧力、と云うのは最強の教皇イノケンティウスで味わった事はあるが。

 このような得体のしれない恐怖を感じるのは初めてであったのだ。


「フレデリカには、そうだね。エルサレムのすぐ北、ナブルスの街に僕は居るって伝えておいてくれ。直接会うのは立場上難しいかもしれないけれど……」


 そう言って、早くも出発しようとしているアル・カーミルの背中に、ついベラルドは質問の声を掛けてしまった。


「アル・カーミル殿。貴方の目的は一体……」

「別に、大したことじゃないよ」


 入り口から差し込む逆光で彼の顔は見えない。

 気負うこともなく、本心かどうかも不明だがすんなりと彼は告げる。


「戦争なんかせずに本を読んで暮らしたい。好きに文通して動物と戯れて、のんびり過ごしたい。……こんなしょぼくれたおじさんの、ちっぽけな夢の為には、誰一人血を流して欲しくなんか無いだけさ」


 皮肉げな笑いを一つこぼして、ひとりごとを云う。


「そうさ。こんな馬鹿げた平和的戦争はきっと僕と君が居る時でなければできない。お互いに損して泥沼に足を踏み入れて、でも二人で支えれば沈まずに何とかなるものだ───これが僕の」





 *****





「これが我の──」





 *****







[聖戦ジハード]だ」




[十字軍クルセイダーズ]だよ」








 こうして、第六回十字軍は開始されるのであった。







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