17話『友と学問にフレさん──1224年』
ヨーロッパ最古の大学と云えばボローニャ大学が挙げられる。
設立は1088年。
学びたい者達が組合を作り、教授役の聖職者へ授業料を支払って呼び集めて始まったとされている。まあ、大雑把に云えばだが。
そして1170年にパリ大学が作られる。この辺りからヨーロッパで大学ブームが発生してあちこちに大学が作り出されるのである。イングランドでもまずオックスフォード大学ができて、それに対立するケンブリッジ大学が作られる。
1220年代。フレデリカにとって一番最近にできたのは1222年のヴェネツィアのパドヴァ大学だろう。ボローニャ大学から多くの教授を引き抜いて作られたこの大学の話を聞いてフレデリカは、
「クソぁ! 先を越されたあああ!!」
思いっきり毒づいた。
そして1224年。フレデリカ主導でシチリア王国に作られたのが[ナポリ大学]である。
「大学説明会を始めまーす! 司会は後援者であるフレデリカちゃん、解説は学長のロフレドさんでお送りします」
「法的に学長だ。宜しく」
眼鏡を掛けたロフレドが手を上げて集まった者に応えた。
大学説明会にはシチリアの多くの貴族、聖職者、或いは学ぶ意志のある一般人が集まっている。シチリアのみならず神聖ローマ帝国やフランスからも客は訪れていた。
フレデリカがいつものボードを用意しながら解説をし出す。
「えー、まずこのナポリ大学がこれまでの大学と違う点だね。例えばボローニャ大学やパリ大学なんかは、学生の授業料と教会からの支援金で運営していました。しかし」
ボードにX印を付ける。
「このナポリ大学では授業料が無料! 運営資金はすべてシチリア王国の国庫から出されます!」
おお、と観衆からどよめきが漏れる。
つまりはこれまでのヨーロッパの大学は、宗教団体が後援する大学ばかりだったのだが、フレデリカは初めて国立大学を作ったことになる。
と、云うのも当時の知識人とは即ち修道士であり、学校とは修道院……多くの知識をほぼキリスト教会が独占していたので、学ぶ為には聖職者に頼るしか無かった事も関係していた。
それ故に大学で教えられるのも宗教学や神学がメインであり、ロフレドのような法律学は肩身が狭い立場であったのだ。
しかしこのナポリ大学を支援するのはシチリア王国、つまりは幼い頃からどっぷり学問の徒であったフレデリカである。
「この大学で教える科目は法学、哲学、論理学、弁論学、修辞学、医学……特にローマ法やアリストテレスは必須科目だよっ!」
彼女の趣味と実用全開である。
「ここでお便りの声!」
フレデリカが手を向けると懺悔部屋のような小さな囲まれたところに、薄いカーテンが仕切ってあり反対側に光源があるのか椅子に座った影だけ見えている誰かが居た。
カーテンに『プライバシーの為に音声は変えてあります』と書かれている。
「学問は学びたいけど、聖職者にはなりたくなくて……」
カーテンの向こうの誰かが云う。誰かってまあ、隊長だが。
当時の事情では宗教大学で学ぶのだから当然進路は聖職者一択であったのだ。
フレデリカは応えた。
「大丈夫! 当大学で学んだ後はその後も学問を究める学者コース、シチリア王国か神聖ローマ帝国の官僚になれる就職コースと卒業後の進路も保証されています!」
再び説明会に来た生徒候補らから歓迎の声が上がった。
学びたい者が誰でも聖職者になりたいわけではないのだ。特権階級ではあるものの、制約も多いのが聖職者である。
そこでフレデリカは学者として研究費を提供するのと、官僚として国に仕えさせる方向を示した。
つまりは自分の好きな大学を作ると同時に国で使える人材を確保するのがナポリ大学の目的でもある。その為に必要な学科を揃えているのだ。
「ちなみにナポリ大学では教師に聖職者が一人も居ない。法的にな」
どこからか笑いが漏れた。ボローニャ大学からロフレドを中心に芋づる式に非聖職者の教員を引っ張ってきて、かつイタリア中の在野で研究している高名な学者を連れてきたのだが全員が俗人であった。
先ほど述べた通り、教授と呼ばれる者の九割は聖職者であったこの時代にわざわざ一人も含めない方針だったのだから集めるのも大変だっただろう。
「はい続けてのお便りでーす!」
再びカーテン。その裏に座っているのは別にさっきの男と変わっていないが、質問が続く。
「授業料は無料なのはいいけど、ナポリで暮らす金が無くて……」
「それも大丈夫!」
フレデリカは意気揚々と応えた。
「ナポリでの借家は学割が利くようにしてまーす! 更に生活補助に奨学金制度を導入します!」
「奨学金とは?」
「まず奨学金第一種! 複数の教授から認められた成績上位者には国庫から生活費が出されちゃうんだなこれが!」
「しかしフレさん、俺は無愛想でツッコミ系だから教授受けが良くない気がするんだ……」
「そう云う人には奨学金第二種! 低利子で生活費を貸しますので返済は卒業後、官僚になって返してくださいねー!」
「なんというか発想がフレさんだけ未来行っちゃってるよなマジで」
カーテンの向こうの隊長も素が出ている。
このほぼ現代と変わらないような奨学金制度を、13世紀で沸いて出た様に提案して自分の作った大学で適応したフレデリカである。勿論ヨーロッパ初の画期的な制度だ。
後世に[一人だけルネサンス]とか[早すぎて空気読めてない]などと評価されることになるフレデリカの功績はこのナポリ大学について語られることが多いほどであった。
革新的なスタイルの大学の宣伝は、フレデリカの熱意と共に行われた。
「ナポ大へ入ろうー♪ 入ろうー入ろうー♪ ナポ大へ入れば冬でも南国ー♪ いえーい! きらっ☆」
喜びの舞いでアイドル的アピールも欠かさないフレデリカに、集まった教授や生徒一同は大盛り上がりで欧州初、俗人の大学の誕生を喜ぶのであった。
隊長が「フレたんイェイイェイ」コールの続く会場でぼそりと云う。
「まあフレさんそろそろさんじゅ……」
「少女ー!! 美少女オーラ出てるからー!!」
信じてやって欲しい。フレデリカさんは幾つになっても美少女だということを。
彼女が作成した大学のパンフレットはシチリアどころか神聖ローマ、他国へも配られた。
だが当然ローマ教皇の目にもついて、神学とまったく切り離された学問所の設立を問答無用でやっちまった彼女へホノリウスは抱えすぎて潰れるのではないかと云うぐらい頭を抱えるのであった。
「十字軍いけやあああ!!」
「自国の若者たちの修学意欲を果たせないのは心苦しく思っていて、この大学が上手く機能するまでとても遠征に行けそうにないね……」
「そろそろ無理があると思ってるじゃろ」
「まあ、実は」
しかしそのあからさまにアレな理由をきっちり表現を曖昧に変えたり美辞麗句で相手をおだてるようにして、教皇の怒りを沈めつつ更なる延期を可能にした援軍が現れた。
ナポリ大学の教育方針に感動してボローニャ大学を飛び出し、フレデリカの書記になったピエール・デッラ・ヴィーニャと云う男である。
とにかく彼は名文家であった。フレデリカが悪筆と云うわけではないのだが、彼女の幼少期のエピソードで隊長から指摘されたように、簡潔に書いてしまう癖があるのだ。
そこを何倍にも膨らませて相手を撹乱しつつ読んでいて気分が良くなる文章に変えてしまうのがピエールの仕事である。
「フレデリカ様の為なら悪魔だってホメてみせるっすよ」
「本当に変なの集まるなフレさんの周り」
こうしてすっかり再び騙される教皇サイドであったが、十字軍急げと云う催促は途絶えなかった。
******
フレデリカの学問好きは様々な方向に手を伸ばしている。
本人は忙しいので一箇所に留まり勉学に励むと云う事は中々できないので、手紙でやりとりをしたりする。
中でもピサに立ち寄った時にある老人に出会った時は反応が素早かった。
「レオナルド・フィボナッチ先生ですよね! ファンですサイン下さい!」
「なんや」
「フィボナッチ先生!! 貿易商なんかで時間を潰してる暇はありませんよ!! 我が支援するので学問のみに打ち込んでくださって構いません!!」
「なんやなんや」
「論文できたら送ってくださいね!! はい支度金!!」
凄い勢いでフレデリカが仕事を止めさせた学者はかの有名なフィボナッチである。
有名なと云うと、前に述べたこともあるがヨーロッパにアラビア数字を持ち込んだ人で、彼が論文に纏めた数字についての記述はキリスト教会からは「イスラムの使う悪魔の数字」と呼ばれたがまずヴェネツィアで導入されて中東知識大好きなフレデリカが治めるシチリアにも入ってきた。
なにせヴェネツィアは、フレデリカに先んじて二年前にボローニャ大学から神学以外を教える教授とそれを学びたがる生徒を呼び寄せて大学を作ったように、そこまで熱心にキリスト教を重視していない。
[まず第一にヴェネツィア]
それがスローガンなのでヴェネツィアの役に立てば何でも取り入れる国なのである。
ともあれ、貿易商をしながら学問をしていたフィボナッチはこうしてフレデリカがスポンサーとなり学業に集中することとなる。
彼はイタリア数学史に燦然と輝き残る『算数学』を後に書き上げて皇帝に献上するのであった。
そんな中でも掻い摘んだ疑問を語り合うには、手近な隊長の役目だと幹部連中から押し付けられていた。
この眼帯の騎士はとにかく率直に応えて、どこからその知識を得たのかと疑問になる程であった。
彼も様々な知識に関しては知り合いの学者を通して学んでいるようだが、それを自分なりに解釈しているので時には頓珍漢になることもある。
だが答えに窮しないと云うだけでも……そしてもうフレデリカの人生で半分以上は共に居たのだから話相手には彼が最適だと周りも思っている。
こんな会話を繰り広げているのを皆は見守っていた。
「隊長隊長~」
「なんだフレさん」
「宇宙の中に我らの住む大地があるんだけどなんでこの大地は下に落ちないの?」
「宇宙に終わりが無いように、落ち続けてるんだが限りが無いんじゃないか。あったとしたら本当の地面に叩きつけられた時が見ものだな」
「天国てどこにあるの?」
「昇天って云うぐらいだから空だろう。見えないからと言って無いとは限らないからな。ただ居心地はよくなさそうだ。イエスも帰ってきた」
「天使って普段何の仕事してるの?」
「俺が一番好きな天使の仕事はモン・サン・ミッシェルの教会でな。夢の中で司教に聖堂を建てろってお告げしたのに、司教が気のせいか悪魔の声だと思って二回スルーしたら三回目でミカエルがブチ切れて司教の頭蓋骨を指でぶち抜きやがった」
「例えば我が死んだ後で生きてる隊長と連絡取れるかな?」
「冥界通信機ぐらい誰か作ろうとしそうなものだ。技術の発展を期待しよう」
「なんで海の水は塩辛いの?」
「逆だ。普通水ってのは塩辛いもんだ。雨とか川は上澄みでな」
「地球の中心には何があるの?」
「岩だったら残念だな。フレさんの好きな砂糖を掛けたスパゲッティの怪物でも居てくれれば面白い」
「全知全能の神って全知全能の神さえ持ち上げられない石を作れるの?」
「それは全知全能の神に直接質問しないと正確な答えが返せないだろう。何せ考えて答える俺が全知じゃない」
などと、正確ではないかもしれないが、質問を馬鹿にしたり曖昧に濁したりせずに自身の考えをしっかり返してくれる隊長であった。
誰が見ても、上司と部下。皇帝と騎士と云うより親友のような関係の二人であったようだ。
「ところで隊長。人間の鳴き声ってどんな声かな?」
「質問の意味がわからん」
「いや、だからさ。動物って別に学習しなくても鳴き声は出すじゃん? じゃあ人間って言葉を教えなかったらどんな声で鳴くのかな。……そうだ! 赤ん坊を連れてきてさ、一切無言で育てて見たらいいんじゃない!? ビッグアイデア!」
「何そのサイコの発想」
隊長は溜め息をついて、フレデリカの手を引いた。
「仕方ない。人間の鳴き声が聞ける場所に連れて行ってやる」
「あるの? それじゃ宜しく」
そして二人は街に出ると、怪しげですえた臭いのする下町へ足を踏み入れた。皇帝と騎士の来るところでは明らかに無いが。
そんな中でゴロツキが店の前で棍棒とボウガンを持って警備している、大きめでしっかりした作りの建物に辿り着いた。
「ここは?」
「かなりハーブ……ごほんごほん、ハードなプレイ内容の風俗店だ。ちょっと言葉も忘れて人間じゃなくなってるぞ。見学してこい」
「ええええ!? な、なにそれ怖い! 隊長も付いてきてよ!?」
「駄目だ。俺はこの街での風俗組合で出禁食らってる。──おい、お前ら」
「へ、へえ! なんですか旦那ごめんなさい勘弁して下さい!」
隊長に必死に頭を下げるガラの悪い店番である。
「皇帝陛下が[見学]したいそうだ。丁重にな」
「ど、どうぞフレデリカ様~」
「入るの!? ねえ我入らないと駄目なの!?」
「フレさんが知りたがったんだろうが」
背中を押して風俗店の中に叩き込み、隊長は向かいにあった如何にも下層の酒場で馬のションベンみたいな味のビールと屑野菜が腐ったような漬物を食いながら待って、一時間程。
フレデリカがふらふらと頭から湯気を立てながら出てきた。
目を回し気味な彼女に近寄って聞いた。
「鳴き声はどうだった」
「ぶ、豚っぽかった」
「良かったな。知識ゲットだ」
こんな感じにフレデリカの知識探求の暴走を止めたりするのも隊長の役目であった。
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ところは変わりエジプト、カイロ。
宮殿の風通しの良い涼しい部屋でのんびりとしながら手紙を読んでいる髭の男は、アイユーブ朝のスルタン、アル・カーミルである。
彼は書かれた丸文字の手紙に笑みをこぼしていた。
『親愛なるアル・カーミルへ。いつもお返事ありがとうございます。中東の学問もさながら、君の知識の深さには毎回驚かされて勉強になることばかりです。天文学などこちらでは教えていないことばかりで我自ら学びに行きたいぐらいです。そういえばアル・カーミルはバグダッドの[知恵の館]には行ったことありますか。我も行きたいけど中々情勢が自由を許してくれません。お互い生まれつき皇帝は大変ですね。そう言うところも何か繋がりというか共感というか、友情な感じがします。これからもお手紙待ってます。───フレデリカ』
すっかりフレデリカと文通友達になってるアル・カーミルである。
しかもキリスト教の最高位な皇帝と、イスラム教の最高位な君主のやりとりとは思えないぐらい二人の手紙は学問やら日々のちょっとしたこと、料理、詩などの話題をやりとりしているのである。
彼はにっこりとしながら部下を呼んだ。
「ファクルディーン」
「はい、スルタン」
「ちょっと書庫から天文学に関する本を全部持ってきてくれるかい? フレデリカに天文学の色んな概要を教えて、本もプレゼントしてあげたいんだけどね、僕もほらすっかり頭から抜けちゃってて……ははは、勉強のし直しだ」
「しかしスルタン。専門的なことならば学者を呼びましょうか」
側近のファクルディーンの言葉に、アル・カーミルはゆっくりと首を振った。
「友達から本を送られるのに、『自分は理解してないけど専門家がこれ良いって云ってた』って本を渡されるのと『自分のお勧め』を渡されるの、どちらが気分がいい?」
「は、はあ。しかし完全に友達ですな、神聖ローマ皇帝と」
「なんというか似たような性格なのかもね。馬が合うというか……」
アル・カーミルはぽんと手を打ってファクルディーンに告げる。
「そうだ。本を送るついでに他にも持って行ってもらおう。ファクルディーン、君が直接彼に会ってきてくれるかい? いつまでも文章だけの関係でい続けるのも、まあ平和な世ならいいんだけど。僕の代わりに一度会って、フレデリカを見て来てくれ」
「了解しました」
「なら何を彼女にプレゼントしようかなあ……おじさんの気前の良いところ見せないと。エルサレムとか持って行ってくれない?」
「無理です!」
と、十字軍に行くと言いつつ、十字軍で攻める側のイスラム教スルタンとはすっかり仲良しになっているフレデリカであった。
ファクルディーンは、
「本当に大丈夫かなこの皇帝同士……」
不安になりつつも、アル・カーミルが送るプレゼントを馬車に詰め込み、船に載せてシチリアへ向かう……。
******
ファクルディーンが率いる使節団はイタリア半島の踵、ブリンディシに向かう途中でシチリア海軍に補足された。
丸太を持った筋骨隆々の海賊長官が凄みを聞かせたが、
「私達はアイユーブ朝の使節であり、戦闘の意志は無い。積み荷はフレデリカ皇帝への献上品だ」
「げっ、マジかよ。これ襲ったら確実にヤバイっつうか」
アンリは顔色を変えて、むしろそこから先を丁重に警護してブリンディシに入港させた。
そこからフォッジアにあるフレデリカの宮殿までも送って隊長らに引き継ぎ、フレデリカへ合わせた。
しかしファクルディーンはフォッジアに出来た真新しい宮殿を見回しながら思う。
作りや庭園、噴水に温泉。そして働くターバンを巻いたサラセン人。まるでイスラム風の建物なのである。
もしや皇帝はイスラム教徒なのでは?
この疑問を覚えたのは、イスラム側だけではなく教皇側にも、彼女の生涯を通して存在していた程の疑惑であった。実際は無神論に似た醒めた宗教観を持っていたのではないかと思われるが。
ややあって皇帝が姿を表わす。
女帝だと云う噂は聞いていたが……思ったよりも少女であったのだ。
「ようこそ太守ファクルディーン! 我が神聖ローマ皇帝フレデリカだよっ!」
「初めまして、皇帝フレデリカ。我が主アル・カーミルの手紙と贈り物を持ち参上しました」
今回の接触は外交ではない。
あくまで非公式な親交の一つであるのだが、こうして皇帝とスルタンが直接的とも云える接触を持ったのは初めてだった。
ともあれ親書をフレデリカに渡すファクルディーン。
彼女はふむふむとその内容を読む。
『親愛なるフレデリカへ。君の学問への熱意は驚嘆に値する。思慮の深さ、疑問の鋭さは中東に居る学者をも驚かせている。僕も君と会話を楽しむのにすっかり勉強をやり直して、その面白さを再確認しているところだ』
「ふふっ」
嬉しそうにフレデリカは笑いながら読み進める。まずその様子にファクルディーンは驚いた。神聖ローマ皇帝が翻訳も通訳もせずにアラビア語を読み解いているのだ。
てっきりアル・カーミルと文通をしている時も、誰か翻訳して送っているのかと思ったのだが違うようだ。
子供の頃に多数の言語を習得したフレデリカは欧州の主要な言語は全て使えるし、アラビア語も得意としている。
手紙の内容には天文学に関する中東、中国からの書物とそれに興味があるのならば、と前置きして贈り物を書かれていた。
「贈り物?」
「はい。こちらになります」
馬車をフォッジアの宮殿内に直接通して、布の被された大きな物を荷台から下ろした。
フレデリカが興味深げに見ている中、布が外される。
同時に彼女は床に膝をついた。
「フレさん!?」
「ほ……ほああああ!! ほあああああああ!!」
「落ち着け皇帝! あーちょっとファクルディーンさんこれオフレコで」
「は、はあ」
叫びだしたフレデリカを押さえながら、隊長は周りを気にしつつファクルディーンの口止めをする。
フレデリカは這いずるようにしてファクルディーンが持ってきた巨大な道具に抱きついた。
「これは水時計! しかも歯車がついてる最新式じゃないか!? うにゃあああああ中東の科学は世界一ィィィィ!!」
「あー、いや確かに凄い物だが皇帝がする態度じゃねーぞフレさん」
ファクルディーンは冷や汗を掻きながら皇帝の奇行を見守っていた。
この時代は時計と云えば水時計で、水時計と云えば中東である。そして毎日忙しく働きまわり、気がつけば時間を忘れて仕事や読書に打ち込むフレデリカからしてみれば時計がどれほどありがたいものか。
「これ持ち越して強くてニューゲームするううう!!」
「クリアアイテム扱いするな」
メッチャ喜ぶ皇帝であった。
少しばかり気まずそうにファクルディーンは言葉を掛ける。
「あ、あのフレデリカ様?」
「おっ……おほん。見苦しいところを見せたね」
「この天体宇宙儀もスルタンからの贈り物なのですが」
続けて渡されたのは、精巧な作りをしていて星の位置に宝石を散りばめた綺羅びやかで豪華な宇宙儀であった。
フレデリカは危うく漏らしかけた。がくがくと口から泡が溢れる。とてつもない秘宝であった。少なくとも、フレデリカにとっては。
そして声を潜めて尋ねる。
「……ひょっとしてアル・カーミルは天使か何かなの?」
「その発言は宗教的にヤバイのでちょっと……」
頭を掻き毟りながら転げまわるフレデリカ。もうなんか壊れかけのリアクションであった。日頃の鬱憤が暴走して弾けまわるようだ。
「優しいおじさんすぎるじゃんなんでこんな宝物をくれちゃうわけ!? 我の何が欲しいの!? 北イタリアぐらいならくれちゃうよマジで特にミラノのクソとか!」
「要りませんって! これ親交の証ですから!」
領土を切り取って譲渡しようとするフレデリカを慌てて止めるファクルディーンである。
というかアル・カーミルもエルサレムをあげようとしてたあたり、似たものかもしれない。
「この水時計も宇宙儀もヨーロッパのどこ探しても無いし作れないじゃん……! 隊長ー! 隊長ー! なんかこれにお返しできる宝物我の国にあったっけー!?」
「聖槍ならニュルンベルクかどこかにあった気がするが要らんだろうなあ……」
「ファクルディーン君!」
フレデリカは血走った目でがっしりとファクルディーンの肩を掴む。
思わずうっと息を飲んだ。
「ちょおおっとお返しの品を探すからこのフォッジアに逗留していってね! 一ヶ月ぐらい!」
「い、いや気にしなくて良いってスルタンも言ってましたし……」
「なに? 引き止める為に皇帝を土下座らせたいの? するよ?」
「……しばらく厄介になります」
こうして足止めを食らうファクルディーンであった。
国家事業として即座の宝物探しを、隊長やチュートン騎士団、親衛隊を使って探しまくらせる。
その間、フォッジアの王宮で過ごすファクルディーンであったが。
「……イスラムっぽい」
庭園には樹木や花が綺麗に手入れされており、小川まで流れて鳥や小動物を離してある。
さすがにモスクこそ無いが、モザイク模様の美麗なタイルが城のあちこちを飾り目を華やがせる。
毎晩豪華な食事を提供されてアラブ人の踊り子や歌い手を呼び、ファクルディーンを饗した。
まったくキリスト教圏に居るというのにリゾート地みたいな感じであったのだ。
なお、あくまで来賓対応であってフレデリカ一人の場合は晩飯はモチを食ってる。彼女は必要がある時に宴を開くがそれ以外は質素なタイプであった。
さてこうして彼を留めている間にありったけの夢をかき集め宝物探す家臣団は、旅の果てに宝を巡り怪獣を倒してゲットしていた。
雪に命を与えたような白銀の芸術品。
そう報告が届いて、フレデリカはエジプトのスルタンならば雪も珍しかろうと安堵しつつ隊長の帰還を待った。
そして持ってきたのが、
「これだ」
「クマだああああ!?」
隊長が檻に入れて持ってきたのはなんと、シロクマであった。
正式にはホッキョクグマである。
OK。
別に隊長は北極まで行って捕まえたわけではない。もともとこのクマはユーラシア大陸北部にも生息している。この時代に、ドイツ北部に偶然やって来ていてもおかしくはない。それを捕まえたのである。
マジでお返しにシロクマをプレゼントしたという記録が残っているのだからそう考える他はない。
しかしながら、
「技術の粋を集めた機械のお返しが……野生動物って」
微妙にヨーロッパの限界に肩を落としつつ、ファクルディーンに尋ねる。
「喜ぶと思う? アル・カーミル」
「さ、さあ。スルタンに聞いてみないことには」
微妙な反応であったが、持ってきたものは仕方ない。
シロクマの餌を積み込みつつ、ファクルディーンはそれを連れてエジプトへ帰っていくのであった。
そしてカイロにて。
「そ、それでスルタン。これがフレデリカ様からの贈り物です」
ばさっと布を外すと、白銀に輝くベアー。
つぶらな瞳がアル・カーミルと見合って、学者然とした彼の胸がきゅんとした。
「このシロップちゃんが住めるように涼しい寝床を用意してやりなさい」
「名前つけた!? しかも可愛い感じに!?」
気に入ったようである。
史実ではこの糞暑いエジプトまで送られた不幸なシロクマの運命は語られていない。
ただ、アル・カーミルから今度はアフリカの珍しい動物がシチリアに届くようになり、フレデリカはサーカスのように街々に連れ回して人気取りに使ったと云う。
「やっぱり女の子だから動物とか好きなのかな、ファクルディーン」
「親戚の娘に対して贈り物を悩むおじさんじゃないんですから」