16話『別れと内政だフレさん──1222年』
1221年から1222年。
カプア憲章を制定した後のフレデリカの行動はとにかく忙しい。
嫁のコスタンツァをひとまずシチリアのパレルモへ移してから南イタリア、シチリア島をひたすら二年程も巡回し続けた。
新たに法を敷いたならばそれがちゃんと行われているか王として確認する必要があったのである。
ところで、カプア憲章を出した時からフレデリカがさもシチリア王のように振舞っているが、本来はハインリヒが王なのではないかと疑問視されるかもしれない。
しかし実質彼女がシチリア王として統治する、というだけではなく公文書でもシチリア王フレデリカ、と名乗っちゃってるのである。
ハインリヒは公文書内だと[シュワーベン公ハインリヒ]とドイツ貴族扱いである。
こっそりシチリア王に戻るという、イノケンティウスが生きていたらできないようなことまでしているフレデリカであった。
ともあれこの時期は忙しい。町に滞在するのは1日か2日ですぐさま馬に乗り次の町へ向かう。ついてくるのは隊長とベラルド、ヘルマンの三人組と書記やら秘書やら連絡員、政務官……とにかく、政府機構が馬に乗って移動しているようなものであった。
旅程の記録は細かく残っていて列記すると本一冊分にはなる。
ひたすら国内を走り回りつつ、貴族に法を順守させ、領民の訴えを聞いて、税の監査を入れて……と、法のもとに集権国家へシチリア王国をさせようとしているフレデリカは非常にマメに動き回っていた。
そして第五次十字軍がアル・カーミルによって得ることは何もない状態で失敗に終わったのに頭を抱えている教皇から再三に十字軍要請が届くのを引き伸ばしながらこれらの内政を行っていた。
「統治まだ?」
「まだ」
「十字軍まだ?」
「まだ」
「はよ」
「まだ」
と云う感じのやりとりを延々、時にはヘルマンやベラルドに理由を捏造して貰いつつ行っていたのである。
さて、フレデリカのこれまでの生涯を思い出せば判ることであるが、ローマにて神聖ローマ皇帝を戴冠しそのまま南進をした彼女。
実はこの時に初めて南イタリア地方に足を踏み入れたんである。
シチリア王として本格的に、というかある程度活動したのは14歳から17歳のわずか三年。その間に襲われる危険性を冒してシチリア島の外である南イタリアへ行く事は無かった。幼い頃は中部イタリアに居たが、小さすぎて外を見ることもなかったのだ。
当時はこの辺りをプーリア地方と呼び、十字軍やエルサレム巡礼の為には重要な土地でもある。中東方面へ行くのに、イタリア半島を靴で云えば踵あたりから船に乗るのが普通のコースだったのである。
そんなわけでフレデリカも要所として南イタリアを回ったのだが、これが結構気に入ったようでフォッジア──踵の少し上の脹脛のあたりで3ヶ月ぐらいは滞在した。
「この辺り笑っちゃうぐらい豊かだねー隊長」
「ああ。そうだな」
平原にて、馬を並べながらフレデリカは隊長と会話をしていた。
「農作物は沢山取れるし海の幸は取れるし動物も多い」
「フレさんの好きな鷹狩りもこうしてやれるわけだ」
隊長の無骨な篭手にはイーグル号と名付けられた赤い頭の鷹が乗っている。
フレデリカの趣味を語る上で外せないのがこの鷹狩りである。
「鷹狩りは総合競技なんだよ! まず鷹の育成から始まって、教育、乗馬、射撃……色々修めて初めて出来る趣味なんだ」
「まあ、猟が禁止されてる聖職者のベラルドとヘルマンは参加できないけどな」
「ちぇー」
と、まあ彼女の趣味をやるにも、平原が多いこの土地は最適なのであった。
「確かに過ごしやすいだろうな。ここに比べればイギリスなんて魔界レベルだ」
「ドイツも土地によっては飢饉がデフォだったりしたよねー……」
この時代のヨーロッパでの豊かさは、基本的に南が上である。土地の暮らしやすさも、文化水準も。
「だから我がいい国にしてさ、コスタンツァとハインリヒをまたこの国に移してのんびり統治出来るようにしてあげないとね。できる夫と父スタイルとしてはさ」
「……そうだな」
隊長から見ても。
コスタンツァやハインリヒは政争やら戦争やら、忙しい事業を行えるような人物ではないと見ていた。
何もない平和な状況で平凡に生きていく。それ以上のことをするのは、少しばかりトンチキな人間でなければならない。武力があるとか、カリスマがあるとか。
そんなことはフレデリカに任せてしまえばいいのだ。この欧州一変な皇帝に。それに従う変人な家臣団に。
二人が感慨に耽っていると、早馬が近づいてきた。
フレデリカに連絡の馬が来るのは珍しいことではない。カプア憲章でも、最高裁としての役目は王にあるとしてあり、いかなる身分の者でも上訴の権利は認められているので彼女に訴状が届く事もあるのだ。
しかし、この度やってきた報告は……彼女の思いを無為にするものだった。
「フレデリカ様! コスタンツァ皇后が……!」
1222年。
皇后コスタンツァは高熱を出して、プーリアから遠くパレルモの地で死去する。
*****
すぐさまフレデリカはプーリアでの仕事を中断してパレルモへ駆けつけ、葬儀を執り行った。
三十九歳と云う若さで亡くなった皇后の遺体は皇帝と変わらぬ作りをした皇后の衣で包み、宝石を散りばめた冠を被せたまま石棺に収められた。
顔はあくまで安らかなままで、眠っているようにして棺に入っている。
「──姫」
そう一言呟いた隊長は、フレデリカが振り向くとマントを翻して立ち去っていった。
大司教ベラルドによって行われる葬儀の中で──彼の姿は無かった。
フレデリカ自身が用意した石棺は、ローマ帝国時代のような作りで貴婦人を入れるには無骨すぎる形であったようだ。
だがそこには彼女が命じた通りの言葉が刻まれている。
『皇后でありシチリア王国の王妃であったコスタンツァ、ここに眠る。あなたのフリードリヒ、ここに記す』
彼女の夫としての、敢えてフレデリカではなく、フリードリヒと刻んでパレルモの主協会に葬られた。
予め述べるが、これよりフレデリカの運命は三度の結婚を繰り返す事になる。
しかしフレデリカの父と母が眠るパレルモの教会に葬られたのは──最初にして最良の妻であったコスタンツァのみであった。
彼女は十も年下の娘と結婚するに関して、戸惑いこそあったものの不満を口にした事は無かった。
シチリアに置いてフレデリカがドイツに行くとなれば留守を守り。
ドイツに来いと言われれば馳せ参じた。
そこからローマへ皇后として連れて行かれても。
それからフレデリカが忙しいのでパレルモに置き去りにされて、死の淵に会えなくても。
彼女はフレデリカへ恨み事を口にすることは一度も無かった。
そう云う妻であったのだ。
パレルモの港……。
十三年前になる、コスタンツァと己が船で降り立った場所に隊長は来ていた。
海風を浴びながらただ海の果てを見ている。
彼の背中にフレデリカは声を掛けた。
「隊長」
「フレさんか。どうした」
「……約束、一つ果たせなくなったね」
「そうだな」
短く彼は返事をした。
しっかりとした気楽に生きられる国をつくり、コスタンツァとハインリヒに楽をさせる。
そう思って働いていた矢先のことであったのだ。
彼女がローマで皇后と認められ、わずか二年後である。
「隊長は……コスタンツァと我より昔からの付き合いだったんだよね」
「ほんの少しだけだがな。一介の騎士と、王家の姫だ。そこまで親しくはなかった」
「コスタンツァが死んで、泣いたりしないの?」
「騎士は涙を流さない。泣いた者に手を伸ばし、守るのが騎士の役目だ……だからフレさん」
隊長は振り向いて、フレデリカへ歩み寄り、頭に手を載せた。
「泣きたいのなら泣くがいい」
「……たとえ泣いても、きっとこれからもやることは変わらないんだ。でも、少しごめん」
フレデリカは誰にも見られないようにして、少しだけ涙を流した。
コスタンツァが死んでも内政は続けなければならない。誰かの為にと理由を付けたが、自分のやりたいようにする為に。
それでも──恐らくは見透かしていたコスタンツァは、大事な妻だったのだ。
「……一つだけ、姫が死んで安心している事もあるんだ」
慰めるように隊長は告げる。
「俺達がやってる事は教皇に喧嘩を売りつつ国を作っている。こうなれば教皇から破門を食らう未来もあり得るだろう。姫はきっと、そうなってもフレさんを見捨てないが……敬虔なあの子を、破門された夫と信仰の間で悩ませたりしなくて済んだ」
「……そうだね。きっと、彼女は神のもとに召されたよ。……我はいけないかもね」
既に涙も止まったフレデリカがいつもの笑顔で云う。
「よっしゃ立ち直った! これぐらいでへこたれる面の皮の厚さのフレデリカちゃんじゃないんだよっ!」
隊長は安心したように息を吐いて、
「敬虔な姫を、あんなローマの武将でも入れそうなごっつい棺に入れるなんてありがた迷惑だっただろうよ」
「むっ! 素敵なデザインじゃん! 我が死んだ時もあんな感じのローマ式に入れて貰うんだからね!」
「主教会も戸惑ってただろ……」
お互いに少しばかり皮肉げに笑い合う二人である。
そんな彼らを、やや遠くからベラルドとヘルマンが見ていて仕方なさそうに顔を見合わせた。
フレデリカと、隊長の接点はコスタンツァだったのだが。
居なくなっても強い絆は結ばれているようである。
ふと、影が差した。
船が入港してきたのである。掛けられた旗はシチリア王国と、神聖ローマ帝国の印が付いている。
「おーいフレデリカちゃんよ、客を連れてきたぜぇ」
船に乗っていたアンリ──シチリア王国の海軍長官が困ったような声を掛ける。
ジェノバからパレルモへやって来た船から、一人の小さな子どもが下りてやってきた。
なんというか、スゴイ子供であった。
流れる水のようなサラサラの金髪をした、青い瞳に真っ白の肌。あどけない顔だが涼しげに引き締まっている。一言でヘルマンが称するに、
「び、美ショタキタコレですぞ……」
と、呻くような美少年である。
降り立った瞬間後光が差した気がして、振り向いた港の水夫が腰砕けになった。
港に居た女は一斉にブリッジした。
見た目だけではなくオーラが半端ない、神話にでも出てきそうな超絶美少年の登場である。
フレデリカも思わず身構えた。
「げ、え、エンツォじゃないか、もしかして」
「皇帝陛下」
「ひっ」
耳を強制和姦されるような声音で話しかけてきたので思わず背筋を泡立てるフレデリカ。
「ハインリヒ殿下の命により、代わりに参りました」
「そ、そうか。ハインリヒは?」
「皇后陛下の身罷られた御報告に、体調を崩されまして……」
母が亡くなった連絡を受けた息子のハインリヒは、精神的な動揺を大いに受けてシチリアまでとても旅ができない状態になってしまったのである。
そこで、彼と親しかったエンツォと云う、年下の少年を一人で派遣したようであった。
しどろもどろになりつつ対応しているフレデリカを置いて、ベラルドとヘルマンが隊長に近づいて尋ねた。
「あのショタは一体誰でござるか、隊長」
「このベラルドも知りませんなあ……」
「ああ。そういえば二人はドイツに居た頃、あっちこっちに走り回らされてたから知らなかったか」
フレデリカの側に常に居た隊長からすれば見知った相手……というか前に見た時はもっと小さかったので一瞬判断に迷ったのだが、知っていた。
二人に解説する。
「やつの名前はエンツォ。フレさんの息子だ」
「はて? コスタンツァ様にもう一人お子がおりましたか?」
「……いや、あれは庶子だ」
「庶子ってことは愛人の子供ー!?」
二人が、目の毒な程に美オーラを出している少年にたじたじになっているフレデリカを見ながら叫んだ。
彼女は言い訳がましく怒鳴る。
「仕方ないだろー!? どうしようもなかったんだよ! こんちくしょう!」
「それはいいがフレさん。当の息子の前で叫ぶべきではないぞ」
「はうあっ! い、いやエンツォ、我はちゃんとお前も愛して……ふあああっ」
「フレデリカさんがあまりの聖なる完全美のオーラに浄化されかけてる!」
「灰になりそう!」
と、まあそんな勢いで美形なエンツォである。
なにせ当時彼と出会った人男女問わずすべてが、子供の頃から死ぬまで記録にマジ美形と残している程であった。
まさに神話級の美形である。父親と似ているとも云うが父親役のフレデリカに残る歴史上の容姿についてのコメントは「もじゃ毛」「デコ」「小物っぽい」などだった。ダンテも神曲で出落ちの地獄キャラとして扱った。
しかしエンツォは超絶美形として扱われてるあたり多分全然似てないのでは。子供がこれなのは愛人が相当美人だったのだろう。
「ちなみにフレさん、プーリアあたりでもレズ愛人志願に絡まれてるからな」
「レズ多すぎ問題でござる……」
「ヨーロッパも末法の世ですなとこのベラルド神に祈ります」
ところでと、ヘルマンは声を潜めて隊長に尋ねた。
「……ちなみにもしかしてですが、エンツォ殿の片親は、実は隊ちょ」
「すまん手が滑った」
「鎖骨にヒビがー!!」
下衆な勘ぐりをするヘルマンに鉄槌を下す隊長である。
ベラルドはそっぽ向きながら、
(髪の色が隊長に似てるからこのベラルドもそう思ったとか云えませんなあ……!)
などと思うのであった。隊長もエンツォも金髪である。フレデリカも分類すれば金色だが、赤みがかっている。
一同の内緒話は聞こえず、ふぁーっと美少年オーラが出ているエンツォを見ながらフレデリカは思う。
(コスタンツァが死んじゃって、下手にドイツにエンツォ残してたら良からぬことを企む奴が出ないとも限らないんだよなあ……)
庶子とは云え、ハインリヒと年も近い自分の息子だ。見た目もそうだが、殆ど自発的にドイツから旅をしてきただけあって健康で利発である。
母親の訃報に体調を崩したハインリヒをやや不安に思うが、それに比べて、と云うのもあれだが。
(エンツォは聡明っぽいしこのカリスマ系オーラ持ちだから、こっちを持ち上げようとする輩が出るだろう、きっとこれから成長すれば)
それではハインリヒの為にもならない。
一応述べておくが、フレデリカとしては自分の子に贔屓した愛情を傾けるわけではない。
ただ正当な皇太子であり、先に生まれたハインリヒはドイツやシチリア王を継ぐのが順番として当然であるし、庶子であるエンツォにもどこかしらの領地を与えて然るべきだと立場を考えているだけだ。
「とりあえず……主教会のコスタンツァに墓参りでも行こうか」
「はい、陛下」
フレデリカの後ろに付き従ってエンツォはパレルモの街を歩いて進んだ。隊長らも護衛としてついていく。
だが、エンツォ以外の四人はマッハで頭を抱える羽目になるのであった。
街を歩く皇帝は目を引くだろう。
そして皇帝に目が行った者は、その後ろを歩く皇帝の子の美少年へ目を向ける。
黄色い悲鳴と卒倒する婦人が状況ガス発生かと思うぐらい相次いで、港から主教会までの道を恍惚な顔で気絶している女性が続いた。
「あかん」
「あかんてフレさん」
「新たな信仰が生まれそうな勢いですなあ」
「イケメン無罪と云うけどこれ明らかにイケメン有罪な状況でござるよ」
エンツォのオーラで女性がやられまくるのであった。
墓参りを済ませたフレデリカは一行を渋い顔で頷き合って、エンツォに話しかける。
「エンツォ、君はまだ年若いけど我の軍についてきなさい。我の背中を見て、仕事を覚えて行こう。ドイツに居るよりそれが良い」
「はい、喜んでお供します。陛下」
「うわー素直な上に不安を顔に見せないこの子供と思えない胆力。大物かこの子は」
遠く離れたドイツでは何に巻き込まれるかわからない上にハインリヒの為にもならない。
下手な教育係を付けても危険なので、フレデリカは自分の軍に入れて実地で教育することに決めたのである。
更に彼女の軍には当人以外女は居ないので、彼の犯罪的美しさに卒倒する程では無い利点もある。男の子でも良いよねって者も居るかもしれないが、隊長の目を光らせておけば問題ない。
「しっかり領地で家庭教師を付けるのと、連れ回すの。どっちが最良の子育てなんだろうね。我わかんない」
嫡子のハインリヒはドイツに残しているものの、優秀な教師である大司教エンゲルベルトを側近につけている。
ハインリヒの穏やかすぎて薄弱とも云える精神と、母を失った悲しみをエンゲルベルトが何とかしてくれることを祈るしかフレデリカにはドイツに戻って子育てを行う暇がなかったのだ。
自分ぐらい図太ければ、親が居なかろうが教皇を敵に回そうが独立独歩でやっていけるのだが……。
「そうだな。誰とて、フレさんと同じようには行かないだろうから」
──こうして、フレデリカの軍が行くところに麗しの貴公子がついてくるという話はシチリアのあちこちで残ることとなるほどに、やはり目立つエンツォであった。
少年期から若者に成長すればその美しさも一層高次元のものになり人気はより高まる。フレデリカも開き直ってダブル握手会とか開いて自分と息子の列の差に枕を濡らしたりするアイドル路線をやったりした。
余談だがこのエンツォと云う庶子。軍についていきながら学問を専門家と語り合える程に修めて、詩を歌えば周りの者を感動させ、フレデリカの趣味である鷹狩りも共に行い、統治能力や軍の指揮、戦闘に関しても才能があったと言われている。
「どう云う血が絡んでこんなチート息子が生まれたのかまるでわからない……」
フレデリカも思い悩みつつ、後には彼を重用して愛情を注いでいたようであった。
*****
さて、この頃コスタンツァの死と同時にシチリアで大きな問題が発生していた。
ここで育ったフレデリカがやたら人種、宗教的に奔放であった理由として、シチリアは欧州で希少なキリスト教とイスラム教、ヨーロッパ人とアラブ人──イスラム教徒の中東系人種を当時はサラセン人と呼ぶ──が共に暮らす国であったこともある。
首都のパレルモでも大手を振ってターバンを巻いたサラセン人が町中にあるモスクに入っていくし、この地に戻ってきたフレデリカの軍で幹部会議に参加する者にもサラセン人が入っているぐらいだ。
上層部サラセン人にとってはむしろフレデリカが王で立場が上がってバンザイ状態であったのだ。
しかしながら、下層の農民サラセン人には根深い不満と被差別意識が残っていた。
と、云うのもこのシチリア王国はその支配者を、大雑把に云えば『ギリシャ人→アラブ人→ノルマン人』と入れ替わっている。
つまりサラセン人が支配して、キリスト教徒がむしろ下層だった事もあるのに今では貧農と云う状況が不満の種なのである。
その不満の種を利用して国内で反乱を起こさせたのが北アフリカにあるイスラム国家ムワッヒド朝であった。
周知のことではあるが一応解説すると、この時代に欧州と関わり深いイスラム国家は二つ。
・北西部アフリカを支配してスペイン方面から欧州を制圧している主にレコンキスタされるムワッヒド朝。
・エジプトから中東エルサレム方面を持っている主に十字軍をされるアイユーブ朝。
である。
さて、その前者のムワッヒド朝とシチリア島は目と鼻の先にある為にちょっかいも出しやすい。
そこでこのサラセン人の内乱騒ぎを起こさせたので、フレデリカはすぐさま軍を派遣した。
「とりゃー! 行くぞー! 我が騎士よー!」
そうして内乱の鎮圧を行うことにしたのである。
両軍すり減らし反乱者を根絶やしに……と云うわけでもなく。
「首謀者はムワッヒド朝だね。隊長さんやっておしまい!」
「承知」
まず彼女は蜂起したシチリア国民であるサラセン人を武装した軍で威圧して足止めを行う。
いかに不満を叫び、農具や石を手にした暴徒とはいえ目の前に突きつけられた槍衾には怯む。
蜂起の目的はもちろん、フレデリカを打倒して王権を奪うのではなく、自分達に利益を齎す為なので軍と本気でぶつかり合うにはいささか頼りない武器しか無いのである。
そこに隊長が突っ込む。
「行くぞ」
両手に武器を持たずに独特の歩法で暴徒の群れに正面からぶつかった。
いや。
ぶつかったように見えたが、無数にひしめく群衆の合間を、幽霊が素通りするように伸ばされる腕や立ち塞がる体をすり抜けて駆けていく。
周囲の目線と僅かな動きを全て把握して虚を突く動きで集団をあたかも無人のように進んでいるのだ。
「うわっ遠くから見ててもバグって当たり判定消えてる様にしか見えないし」
「あれは見て覚えた拙者の神回避を行いつつ前進を行う隊長の歩法[ガイストステップ]!」
「知ってるのかヘルマン!」
「今名づけたでござる!」
「中二乙」
「ガイストはドイツ語で、ステップは英語だ」
「あーあー聞こえなーい」
ともあれ彼が現代のバーゲンセールや、ラグビーの試合に出ればさぞ活躍するだろう。
そして予め確認していた首謀者と云うか扇動家の位置へ辿り着き、
「捕まえた」
「ひっひい!?」
がしりと背中から相手の体を確保して、今度はその暴動の大将を盾にして猛突進で再びフレデリカの陣地へ戻る。
忍者めいた動きでリーダーを囚われた群衆は、唖然と連れて行かれる彼を見送るのみであった。
こうして迅速に首謀者である、北部アフリカからやってきた扇動家を捕まえて処刑することで一旦は暴動を下火に追いやったのであった。
「しかし面倒だなあ。サラセン人は自分らが貧しいのはキリスト教徒の搾取だと思い込んでる。税率はおんなじなんだけど、もともと持ってた土地が先祖の段階で悪いところに押し込まれてるから取れ高が低いんだ」
「法的に考えて、反乱に参加したものを全員許しまた反乱を起こさせないようにするには優遇するしか無い。しかしそれでは他から不満が起こる上に、要求は際限を無くなる」
ロフレドが冷静に判断する。
更に扇動家を送り込んでくるのが一回とは限らないだろう。常にサラセン人の反乱に怯えていてはシチリア王国が衰退していく。
幹部会議はどうしたものかと顔を見合わせる。
こうなればやはり知恵者のロフレドが役に立つ。彼はこんな提案をした。
「法的に反乱を起こした者達を処分しつつ、以降の反乱を防ぐ手立てはある」
「虐殺DEATH!?」
「違う。法的に、サラセン人の貧農二万人を豊かで土地が余ってるプーリアに送り込む。そこで自分らの街でも作らせれば、不満は起こりようが無い。アフリカから扇動家も送れない。他の住民からしたら、罰で土地を引っ越しさせられたように感じて優遇とも一概には思われないだろう」
「ははあ……んじゃ、監視が利きつつ辺鄙な田舎って言われないように建設中の王宮近くにしようか」
そんなわけで二万人のサラセン人を南イタリアへ連行し、フレデリカが温泉風呂完備の王宮を建てているフォッジアの北18キロメートルぐらいのほど近い街、ルチェラに住ませることにしたのだ。
おまけにこの街で信仰の自由を約束。アラブ人達は大いに喜んでモスクを立てまくりイスラムの街へとなった。なお、信仰は自由なので彼らがキリスト教徒を迫害したりするのも勿論固く禁止させたが。
更に急に移動させてはすぐに農家を始められるわけでもないとして、仕事も提供することにした。
ルチェラでアラブ人の前に立ってフレデリカが声を張り上げる。
「若い男は我の軍に入隊してもいいよー給料出すから。軍はちょっとって人はすぐに耕作始めれる国領を貸し与えますので自分の土地手に入れるまでそこで稼いでねー。女の人は機織りの仕事を注文するからそれで。制服用だけじゃなくエルサレム巡礼者向けのお土産グッズとしても売り出すんでよろしく~」
表向きは二万人を処罰として連行したのだが、反乱者にとっては至れり尽くせりな対応をしつつ、フレデリカは一切の損を出していない。
いや、むしろ屈強で弓矢の得意なサラセン人部隊が手に入り、織物の注文はこれまでギリシャか中東に頼んでいたのを自国で補えるようになったので得かもしれない。
この恩義に報いるべく、彼女の軍にはこれからもずっとサラセン人の軍勢が加わっていた。
そしてフレデリカの下では二度と彼らの蜂起は起こる事は無かった。
教皇が恨みがましく告げてくる。
「国内のサラセン人問題解決したじゃろ」
「まだ」
「十字軍はよ」
「まだ」