表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第二章『神聖ローマ皇帝フレデリカと内政』
15/43

14話『十字軍の話だフレさん──1218年』



「あまり詳しくは語ると長いし、みんな知ってるだろうが凄く簡単にこれまでの十字軍を説明しよう」


 隊長がいつものボードの前で、フレデリカや他重臣達に解説を始めた。

 眼鏡と学帽は気分でフレデリカが付けさせたものだ。眼帯眼鏡萌えとか言っていた。意味不明だが。

 ヒソヒソとフレデリカにヘルマンが問いかける。


「ひょっとして隊長殿は解説好きなんでござるか?」

「グイエルモの影響を受けてるからね……あれで学問好きなんだよ隊長も」

 

 第一回と板書して説明を始めた。


「まずは一回目の十字軍だ。1095年ぐらいだから今から120年程度昔だな。イタリア半島の隣、バルカン半島にあるビザンツこと東ローマ帝国が中東のイスラム国家セルジューク朝にちょっかいを出されてたので教皇に他の国の軍隊を呼んで追い返してくれと頼んだ」


 ざっと描かれた地図の、ビザンツへ沢山の矢印を引く。


「すると教皇のテンションがマックスになって呼びかけ、何故かヨーロッパ中から民衆が集まってきた。まあ、十万人ぐらい」

「民衆? 援軍ではなく?」

「民衆だ。着の身着のままでやってきて、いきなり十万人分の食料をビザンツは用意する羽目になったので、ソッコーで中東に十万人捨ててきた」

「出だしから駄目臭い……」


 教皇が大々的に呼びかけたのも、[カノッサの屈辱]によって発生した教皇と皇帝のせめぎ合い──支持者の奪い合いによって結果的に権威が落ち込んだのを勢いで誤魔化そうとしたという側面もあるだろう。

 フレデリカの呆れた言葉に頷く。


「ビザンツも援軍頼んだのに暴徒がやってきてビビっただろうが、意味不明だったのは更にそれを送られたセルジューク朝だな。なんか十万人のイナゴが発生して好き勝手に世紀末状態。まあ、所詮民衆なので陽動には引っかかるわ偽情報は掴まされるわ撤退もできないわで壊滅。何しにきたんだろうなこいつらって思っただろう」

「棄民政策レベルだね」

「続けて民衆十字軍に対して諸侯十字軍と呼ばれることもある本命の参戦だ。有名な武器は敵の生首を投石機で投げつけるアタック」

「そこはアデマールが使ってたロンギヌスの槍にしときましょうよ!」

「ロンギヌス笑」

「捏造乙」

「酷い扱いだ!」


 厨二っぽい話が大好きなヘルマンが涙目になった。

 隊長が彼に哀れんだ目線を剥けながら云う。


「その聖なる槍は突然味方の下っ端兵士が『そこら辺に生えてたよ! ロンギヌスの槍!』と持ち込んできたものだしな」


 フレデリカも補足する。


「当のアデマールは『ねえよ!』って主張したんだけど周囲が『でかした!』と凄く盛り上がっていたので仕方なく黙っていたんだってね」

「で、勝ったり十字軍側で足を引っ張り合ったりビザンツから足を引っ張られたりヴェネツィアから足元を見られたりしながらも、いい感じに相手のセルジューク朝が3つぐらいに別れて内乱してたのでなんとかエルサレムは落とした。被害も殺した数も半端ないがな」


 隊長が黒板に第二回と続けて書く。


「次は1147年に起きた第二回十字軍だな。地味なので不人気十字軍と密かに呼んでいる」

「興味薄いなあ」

「第一回はエルサレム奪還が目的だったのだが、こっちはエルサレムはまだ普通にキリスト教徒のものだったしな。十字軍国家──十字軍で奪った中東の都市国家だな、それが襲われたから教皇が慌てて軍を派遣したのだが、やはり目的がいまいち掴めずに多くの十字軍はエルサレムでお参りして帰っていった」

「地味すぎる……」

「戦い自体はあったが、碌な結果でもないので省こう」


 そして第三回へと話は移った。


「1189年。約30年前だからここあたりが有名だな。華の第三回と呼ばれる十字軍だ。アイユーブ朝の大人気君主スルタンサラディンがエルサレムを始めとして十字軍国家を凄い勢いで奪いとった。強すぎる。

 さすがに教皇も焦ってヨーロッパの英雄大集結だ。後世に無双的なゲームが出るならこの時代でやるだろう」

「微妙に宗教がらみは面倒くさそうだけど」

「イスラムの大徳サラディンにその弟にして策謀家アル・アーディル。エクスカリバー持った獅子心王リチャード、抜け目のないフランス尊厳王フィリップ。そうだな、騎士ユニットとして参加したという逸話の残るロビンフッドや、サラディンが率いる数千の兵に百数十の軍で立ち向かったテンプル騎士団総長のジェラールも出しておこうか」

「妙に隊長生き生きしてるでござるな」

「ああ見えて意外と物語好きなんだとこのベラルド聞いております」


 フレデリカが手を上げて質問をした。


「あれ? 我の祖父のフリードリヒは?」

「ああ。[赤髭公バルバロッサ]フリードリヒ1世だな。リチャードと並んで超主力だと思われていたんだが、何故か中東入りしたら即死した」

「即死!?」

「水浴びに行ったら死んだらしい。滑って頭を打ったとも、中東入りを恐れたイスラム側にアサシンされたとも言われている」

「ドイツ至高の王とか呼ばれてたよね……末路があんまりだ」

「そんなわけでメインはリチャードVSサラディン兄弟だが、さすが強いリチャードは勝ちまくる。捕虜も殺しまくる。奇襲したのに何故か奇襲した側が負ける。正直イスラム側もドン引きしたので焦土作戦で十字軍を枯渇させてある程度の条件で休戦協定結んで撤退させることに成功した。第三回は派手だが失敗だったんだな」

「ほー」


 そして第四回。


「第四回1202年で15年前。つい最近だな。話した通り元々ビザンツの首都コンスタンティノープルから協力要請を貰って始まった十字軍だが、四回目でそのコンスタンティノープルを十字軍で攻め滅ぼすことに成功した」

「本末転倒すぎる……」

「サラディンの弟、アル・アーディルがスルタンとなったんだが、こっちはカリスマは兄よりは低いけれど賢い。ヴェネツィアと裏取引して十字軍をビザンツ送りに仕向けた。参加する連中も中東あたりに行って死にかけるより、近場なビザンツの領地を奪ったほうが得だから容赦なくモヒった結果、教皇に破門を食らっている」

 

 隊長はチュートン騎士団の面々を見回して云う。


「そして今から起こるのが第五回十字軍。ハンガリーのアンドラーシュ王がメインだが、ドイツからはチュートン騎士団を派遣することになるだろうな」

「こんな負け戦に我の騎士団を行かせたくないんだけど……」


 フレデリカが嫌そうな顔で云うが、ヘルマンは快活に応えた。


「いや、これは行かねばならぬのでござる。我ら聖騎士団は異教徒と戦う剣にして盾。それ故にヨーロッパ中から信頼を受けているのでござるからな。フレデリカたんの為だけの騎士ではござらんのは、残念至極でござるが」

「あーでも団長は残ってくださいよ? 外交官として幹部なんだから」

「そうそう。俺ら下っ端が行ってきますんで」

「……かたじけのうござる」


 ヘルマンは周りの騎士に申し訳なさそうな顔をしたが、皆は笑い飛ばした。

 本当は団長の彼が最前線に立ちたいし、何度もそうしてきたのだがそうも行かないわけがある。

 フレデリカの側近となった彼は神聖ローマ帝国の外交を司る重要な役目があるのだ。教皇ですら無碍にできない権力を持つチュートン騎士団の団長であり、ドイツ名門貴族であるヘルマンはどこに行ってもVIP待遇で非常に有利な外交ができる。

 おまけに交渉事の腕前がべらぼうに良かったので、ベラルド共々すっかりフレデリカに仕事を酷使されているのであった。

 そんな彼が戦死でもしたら発展途上の神聖ローマ帝国はにっちもさっちも行かなくなる。


「で、隊長。この十字軍勝機はあるの?」


 視線を隊長に戻すと、彼は難しそうな顔をした。


「なにせまだ起きてないからな……敵の君主がアル・アーディルのままならば難しいとは思うが」

「隊長ならどうする?」

「まあ……俺は直接殴り合いが専門で戦争指揮はやったことがない素人考えだが」


 隊長はイタリア半島とビザンツから線をそれぞれ引いて自分の考えを述べた。


「十字軍は遠征した上に気候も厳しいから徐々に士気が低くなる。だから速攻で終わらせる為に二軍に分けて片方をエジプトに、もう片方をエルサレムに差し向ける。なにせエルサレムは土地が悪いから大軍を置いておけず、敵の主力はエジプトにある。

 そこでエジプトを包囲して睨みを利かせているうちにエルサレムに送った軍で速攻で制圧。敵からしても正直なところ、エルサレムよりエジプトが大事だからな。ヨーロッパ諸国だってローマと自分の国の首都が同時に攻められれば、教皇から救援を求められても軍は多分送らないだろう。そしてエルサレム周囲に軍を駐在できる補給路を作って要塞化する……ぐらいだな」

「ははあ……なかなかいい作戦だけど、十字軍って軍隊なところに問題があるよね」


 フレデリカの指摘に彼は頷いた。


「そうだ。十字軍は基本的に各国の混成軍団だからな。そしてどう考えてもエジプト包囲軍よりエルサレム開放軍の方に皆行きたがるに決まっている。だから提案しても実現はしないだろう」

「世知辛い世の中ですなあ。それで、今回の十字軍は国主体ではなく教皇主体で集めているのですが……まあ、集まりが悪いことでとこのベラルド微妙な気分になります」

「それこそ第一回十字軍の時のように、攻め込んだらイスラム側が内部分裂しまくって居れば話は別だろうが……」


 早くも不参加組の間では失敗くさそうな気配が流れている第五回十字軍である。

 ぶっちゃけフレデリカもフランスも英国も気付いているのだ。

 中東なんて離れた土地要らないってことに。

 第一回から三回までの熱は薄れ、そんなことより英国はマグナ・カルタのゴタゴタ、フランスは英国から分捕った大陸領と異端の楽園になってる南フランスの統治、そして神聖ローマ帝国は内政が大事なのである。

 

「エルサレムを開放するって名誉はともかく、エルサレムは別にねー……荒野じゃん。落としても今度は奪い返されないようにそこに軍を置かないとならないから余計に金も掛かるし。十字軍国家のあたりに、ドイツやフランス規模の国を作らねば管理なんて無理無理」

「しかしフレデリカたんはやるって宣言したのではござりませぬか?」

「やるよ? でも今は無理。あれやこれや下準備も必要で、引き伸ばせば伸ばしただけ成功率は上がるからホノリウス教皇をのらりくらりと躱して行こう!」


 恐らくはそのときのフレデリカの作戦をその場の神聖ローマ帝国で誰もが思いつきもしなかっただろう。

 それに彼女からしても確証があるわけではなかった。だが、可能性はあると判断していた。

 唯一、フレデリカに思考の近い隊長だけが、


「トンチキなことを考えているんだろうな」


 と、予想していたのだが。





 ******




 1218年。

 様々な期待と諦念を乗せつつ始まった第五回十字軍。

 この戦略目的はまずスルタンが主軍を置いてあるエジプトを制圧することであった。

 エジプトならば地中海からの船を使って物資の輸送や援軍を送りやすく、カイロに居る君主アル・アーディルを倒せばイスラム側の混乱が発生してより有利になる。

 隊長はエジプトとエルサレムの同時攻略を考えたが、戦力を集中させて各個撃破を行うのも立派な作戦である。

 そして十字軍への追い風は起こった。


「……やれやれ」


 アル・アーディルの息子、アル・カーミルは溜め息混じりに城壁の外、北の方角にターバンを押さえながら目を向けた。

 風が生ぬるい空気を運んでくる。嫌な熱気だった。眼鏡を正しながら眉を潜めた。

 片手に本を持った痩せ気味の中年である。ひょろりとした体型とサラディン譲りの細面で実年齢より若く見える。


「何もこんな時に攻めてこなくてもいいのにな、彼らも。君もそう思うだろ、ファクルディーン」


 彼はげんなりした声で背後に居る太守の男へ話しかけた。

 アル・カーミルに比べてがっしりとした体付きでいかにも武人風の男である。日焼けした肌に焦げ茶色の髭、顔つきも精悍だ。比べれば、君主であるカーミルはどこか陰気と云うか、学者然とした雰囲気であった。

 ファクルディーンは首肯しながら、


「よりによって、このような時にアル・アーディル様が急死してしまうとは……」

「全くだよ。こんなんじゃ学問も文通もできやしない。フランク人にも困ったものだ」


 そう、隊長がよもやと好条件で上げたとおりにイスラムのアイユーブ朝は絶賛混乱中であった。

 基本的には彼、アル・カーミルが新たなスルタンとなるのだが兄弟親戚がこじらせるのはイスラム国家の伝統のようなもので、アル・カーミルの弟や叔父が一部の軍を得たまま自領へ篭ってしまっているのである。

 そもそも先代のアル・アーディルも、兄のサラディンが死んだ時は後継者争いが酷く──十六人程子供が居たので──結果、弟のアル・アーディルが勝利して三代目スルタンとなったのである。

 サラディンの次男が正当な後継者と目されていたのを奪ったとも言われているが、アル・アーディルは公正でアイユーブ朝の発展に大きく貢献した兄にも劣らぬ賢王であったとされる。

 それが死んでやはり十字軍という明確な敵が居るので目立っていないが、内乱状態にあった。


「援軍は送ってこないだろうし、まだ敵の士気は高いから戦うべきじゃないな。やり過ごしながら時間を稼ごう」

「分かりました、スルタン」

「賢者は歴史に学ぶ──と自賛するわけじゃないけどね。十字軍なんてそのうち内部の不和で崩れていくから。僕らは負けない程度に戦えばいいさ」


 微妙に覇気の無い新たなスルタンに、ファクルディーンはやや不安に思いながらも云う事は真っ当である。

 ここで下手に敵と兵力をすり潰し合う戦いを繰り返せば、たとえ十字軍を追い返せても今度は内乱で負けてしまうだろう。それを危惧している。


「貧乏くじを引いた身では慎ましく戦おう……ああ、そうだ。ファクルディーン。斥候で敵の船を調べさせてくれるかい?」

「は。恐らくはディムヤードに攻め込むと思われますが」

「どれ位岸に近づくか確かめさせておいてくれ。それによって、ナイル川を守るかどうか決まる」


 エジプトの沿岸やナイル川は堆積する砂で浅瀬が多く、エジプト軍ならばともかくヨーロッパの海軍がそれを考慮して船を用意しているかどうかだ。

 ナイル川を通って来られたらカイロまで船で兵力や投石機などの攻城兵器を運搬される事になり非常に危険だ。


「港に降りてから陸路で攻めざるを得ないならば補給線の破壊。精々嫌がらせをさせてもらうよ。僕は強くないからね」


 ──こうして、イスラム側の事情もあり第五回十字軍は意外に戦局を有利に始めるのであった。

 しかし。

 懸念がそのままに問題へと変わるのにはそう時間を必要としなかった。

 この十字軍はイノケンティウスが提案してホノリウスが呼びかけた、教皇主導となる十字軍の予定であった。

 これによる利点は戦後の領地問題に関わらない教会サイドが指揮権を持つことで、隊長が提案したような二面作戦なども可能になるという理屈であった。

 と、云うのは完全に教会側の思惑であり、参加していた諸侯や騎士は普通に自分らの利益の為に戦っている。

 エジプトへの橋頭堡となる地中海の港都市ディムヤート攻略が上手く行きそうと見るやいなや、教会は作戦に口出しをするための大司教や宗教騎士団を派遣して手柄を横取り、また今後は指示に従うようにと上から要求してきたのだ。

 露骨に不和の種である。

 そしてその隙をついてアル・カーミルの軍勢は攻撃を受けるディムヤートの救援を行う。

 都市を囲む軍勢を後ろから殴りつけては逃げ出す小規模なものを繰り返すのである。軍勢を無駄に使うわけには行かなかった。

 夜討ち朝駆けとやってくるアル・カーミルにも疲弊するが十字軍は怯まなかった。


「まったく、困ったものだ」


 アル・カーミルはディムヤードへの斥候からの報告書を読みながらうんざりと呟く。

 都市内部は投石機や封鎖によりどんどん状況が悪くなっていく。疫病で倒れる者も現れだしていると云うことだ。

 だが十字軍内部での喧騒もかなり大きくなってきている。なかなか落ちない都市に補給を気にせずに襲ってくるアル・カーミルの軍勢。聖職者は顔を赤くして叫ぶだけで役には立たずに軍人を苛立たせるだけだ。

 

「……芽吹いた種に水をやろうか」


 別段、悪いことを企んでいる顔ではないのだが。

 当然のような顔でぼそりとアル・カーミルはそんなことを云って書類を纏める。

 

「ファクルディーン」

 

 側近である彼を呼んで文書を見せる。

 

「和睦を呼びかけてみよう」

「彼らが受け入れるとは思えませんが」

「交渉の条件は『僕がエルサレムをキリスト教徒に返還すること。それによりディムヤードへの攻撃の中止』だ」

「ス、スルタン!?」


 彼はなんと云ったか。

 このイスラム教圏、最大の君主はあっさりと聖地を交渉の材料に持ってきたのである。

 ファクルディーンは絶句して、目の前に居る眼鏡の奥に気だるげな雰囲気を感じる彼を見た。


「当然だが、十字軍国家ややる気のない欧州の諸侯騎士は喜んで受けたがる。逆に聖職者連中は確実に拒否する。それで彼らの対立はより深まる」

「たっ確かにそうですが……もし受け入れられたとして、スルタンの立場が危険になる交渉ですよ」


 なにせ聖地と港町一つを交換すると云っているのだ。破格なんてものではない。

 だがアル・カーミルは薄笑いを浮かべながら。


「そうだね。でも、もし彼らが受けても──それでディムヤードの人たちが助かるなら別に構わないさ」

「……」


 彼は再び真顔に戻り事務的に説明をする。


「何度も云うけど、気持ち的には受けたくても本当はこれは受けることはできないんだ。なにせ、彼らの目的はエルサレムを安全に守れる環境だ。カイロに僕らが居る状況ではどうやっても安全とは言えない……だから、これはただの彼らへの煽り」


 このアル・カーミルと云う男。

 先々代のスルタン、英雄サラディン程の人徳や味方を鼓舞するカリスマは無い。

 先代にして父親のアル・アーディル程の政治や謀略の才能も無い。

 昼行灯な学者みたいな存在で兄弟の中でも地味な男であった。

 だが、


(異質な何かがある、この人には)


 ファクルディーンはそう思い、彼の[和睦]の作戦に頷いた。



 やはりと云うか和睦は拒否され、それはアル・カーミルの予想以上に聖職者側を煽る結果となった。


「聖地は貴様ら汚らわしいイスラム教徒と! それと戦った我ら尊いキリスト教徒の血で染めて取り返さねばならないのだ! 誰が異教徒と交渉などするものか!!」


 そしてその発言は十字軍全体の士気を向上させ……なかった。十字軍国家の諸侯や騎士は冷ややかに、普段は安全な教会で過ごしている聖職者連中を見た。

 どうしようもなくグダついてきた第五回十字軍の最中。

 アル・カーミルの軍でこのような小さな事件が発生した。


「スルタン!」

 

 突然、アル・カーミルの天幕に駆け込んできたファクルディーンに本を読みながら書き物をしていたアル・カーミルは顔を上げていつものジト目で尋ねた。


「どうしたんだい」

「キリスト教徒の修道士が突然この駐屯地を訪れてスルタンに合わせろと……」

「修道士が? 一人でかい?」

「はい。しかしその、なんとも武器も持っておらずに酷く頑固な様子なので……」

「ふむ」


 アル・カーミルはやや思案して、本を閉じながら座った姿勢のままで告げる。


「武器を持っていない僧侶を斬ったとなると悪いだろう。偉大なサラディンも非武装の巡礼者は見逃す協定をリチャード王と組んでるから破るのも気が引ける」

「しかしここは戦場ですよ?」

「うーん……破ったらリチャード王が夢枕に立つよなあ絶対。あの人、僕が小さい時に無理やり僕に騎士の受勲していったような人だから。僕、英国の騎士なんだよこれで」

「それ黒歴史にしてくださいよほんとに」


 敵味方であったのでぶつかることが多かった英国王リチャードとサラディン、アル・アーディル兄弟であるが何故か爽やかな親交があったとされる。

 息子のアル・カーミルが騎士にされたり、アル・アーディルとリチャードの妹の婚姻話が出たり、サラディンが名馬をリチャードに送ったりしていた。

 

「とにかく。僕に会いに来たんなら会おうか。連れてきて」

「わかりました」

 

 と、許可を出したので暫くするとファクルディーンが一人の修道士を連れてきた。

 その人物は今までアル・カーミルが見たことの無いような人である。普通、キリスト教の聖職者と言えば不良神父でも僧衣をきっちりと着ていて片手に聖書を必ず持っている者であったが。

 現れたのはボロ布を身にまとい、裸足であった。髪の毛は砂漠の砂でバサバサに汚れ、町中で見かければ喜捨をする相手──つまりは乞食と云った風である。


(或いは、聖者か)


 そんなことを思うと相手は下げていた頭を上げてまっすぐにアル・カーミルの目を見た。

 思わず怯むと云うか、嫌悪とまではいかないが苦手に思うタイプの綺麗な瞳である。

 自分にはない純粋な光が灯っている。


「はじめまして、スルタンのアル・カーミル様。わたしはアッシジのフランシスと申します」

「これはどうも。君から呼ばれたのだから名乗る必要はなさそうだね。いらっしゃいと云う程歓迎する内容が思い浮かばないけど、僕に何の用事かな」


 アル・カーミルはできるだけ柔らかに、しかし疑惑を載せてそう返した。

 体の小さい相手だ。裸足でこの地までやって来たのだろうか。十字軍に参加したら兵の足踏みだけで倒れそうな儚さであった。

 フランシスはきっぱりと告げる。


「恐れながら、十字軍を止める為にわたしはやって参りました。十字軍の行いは神の教えにはありません」

「ほう」


 少し面白そうな色がアル・カーミルの目に浮かび、続きを促した。


「この無慈悲な戦いが止められるならばそれは何よりのことだと僕は思うよ。教えてくれるかい?」

「無礼をお許しいただけるならば」

「いいよ」


 あっさりと拍子抜けするように彼は云うが、ファクルディーンは近くに控えたまま警戒を怠らない。

 ここでフランシスがドスを抜き放って「命取ったるわあああ!」と叫びながら突進してきてもすぐに取り押さえられるだろう。

 しかし、


(そんなことはしないだろうが……何をするつもりだ?)


 不思議とそう信頼させるような雰囲気がフランシスから感じるが、予想はつかなかった。

 そしてフランシスは告げる。




「アイユーブ朝のスルタン、イスラム教徒の最大君主であるアル・カーミル様────貴方がキリスト教に改宗すればいいのです」




 思わずファクルディーンは抜剣しかけた。

 いや、即座に斬り殺されても文句は言えないのである。イスラムのスルタンに改宗を迫るなど。

 だがファクルディーンの動きはアル・カーミルの手に止められた。いつの間にか立ち上がっていた彼が、腰に佩いていたファクルディーンの剣の柄を抑えていたのだ。

 珍しく──本当に珍しくアル・カーミルは大きく笑っていた。


「ははは、ふはっあははは……面白いことを云うね、いや、多分初めてだよそんな十字軍を仕掛けてきた人は」


 彼は片手で腹を押さえながら、ファクルディーンへ涙の浮かぶ笑顔を向けて告げる。


「論争を仕掛けてきた相手を切ったら負けだろう? 剣を収めなさい」

「申し訳ありません」

「フランシスさん。僕が君の教えを直接受け答えするのはちょっと困るんだ。だから、こっちもイスラム教の学者を連れてくるから彼と話し合う形を取ってもらっていいかな。その横で僕は君の教えを知るよ」

「……わかりました。ですが、愛は貴方を拒まないと知っていただきます」

「君がこっちの学者を説き伏せられたら、洗礼は君から受けることにするよ──ファクルディーン、カーシム先生を呼んできて」

「はい、すぐに」


 そうして。

 たった一人の十字軍を仕掛けてきたフランシスは夜通しイスラム側の学者と討論を行った。

 それは数日に渡り、その間にイスラム陣営に宿泊することになったフランシスだが、アル・カーミルから申し入れられた賓客待遇を断りみすぼらしい小屋に寝泊まりをした。

 昼間は軍事活動でアル・カーミルが忙しいのであったが、時折フランシスの姿を見かけると、みすぼらしい格好で木陰に座り、その傍らには小鳥が止まっていてなんとも幽玄な姿であったと云う。

 そして、当然だがスルタンを改宗させる事はできなかったので──フランシスの十字軍は失敗に終わった。

 またキリスト教陣営へ戻すのにアル・カーミルは護衛の兵士を付けさせてあくまで丁重に扱った。


「──それでは。わたしも勉強になりました。結果は残念でしたが、過程はそうでなかったと思います」

「そうだね。僕もそう思う……そうだ。フランシスさんは、神聖ローマ皇帝のフレデリカって知ってるかい?」

「フレデリカ様ですか? そうですね、教皇の信頼が厚く、悪い噂を聞かない、戦いの嫌いな御方らしいです」


 教皇からたかりまくって。

 人気取りの宣伝がヒットしまくり。

 戦力がないので戦わずに勝つ方策が上手く云っている。

 そんなフレデリカであるのだが、直接関わっていなければ聞こえの良い君主であった。

 フランシスはふと思い出したように、


「一度だけお目に掛かったことがあります。あれはまだわたしが、アッシジの街で信仰に目覚めて居なかった頃、まだフレデリカ様も2歳ぐらいでした……当時のハインリヒ皇帝から『半径30メートル! 洗礼スプラッシュ!』とか言われて洗礼を……なんで笑うんですかっ」

「い、いや、君もノリのいいところあるんだね」

「本当にそう言っていたんですっ」


 ポーズを付けて口調を再現したフランシスの動きと声に思わず笑いを漏らしたアル・カーミルである。


「しかしそうか。戦わずに、君のように十字軍に来るならば僕も勉強して迎え撃つんだけどね」

「本当はそうあるべきなのですが……悲しいことです」

「うん。でもまあ、君の愛が皆に届くことを異教の身ながら祈っておくよ。貴方の上に神の平穏が訪れますように」

「貴方にも、神の愛が訪れますように」


 言い合って、二人は別れるのであった。

 第五回十字軍にて剣を交わさない、平和な宗教戦争がここで起こりそして終結した。



 それからはキリスト教側に攻められていた港都市ディムヤードは陥落して破壊されるが、キリスト教側の戦力も疲弊していた。

 ナイル川を氾濫させた勢いで十字軍船団をアル・カーミルが打ち破り、捕虜の返還などを条件にまたディムヤードの都市はイスラム側が取り返すこととなり──第五回十字軍はキリスト教側が殆ど何も得ることは無く、撤退したのである。 

 

「やれやれ、やっと文通を再会できそうだ。友よ」


 アル・カーミルが取り出した書面には相手の名前が[フリッカ]と書かれている───。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ