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神聖じゃないよ! 破門皇帝フレデリカさん  作者: 左高例
第一章『シチリア王フレデリカと集う仲間』
1/43

プロローグ『少女はシチリアの鐘に笑う──1194年』

 1194年──。

 イタリア半島東部にイエージと云う街があった。

 地中海沿岸と云えば沿岸だが、海に面している港町と云うわけでもなく優れた名産品や格式高い大聖堂があるわけでもない、変哲もない街である。

 12月26日。キリストの生誕祭も終わって人々にはまだ祝日気分の残る日である。イエージの広場には街中の人がひしめき集まっていた。

 広場には天幕が掛かり、イエージの婦人はその中に入っている。周りには男や子供が集って取り囲んでいた。

 さながらサーカスの様な奇妙な風景がある。

 天幕の中にはある貴婦人が重大な問題を抱えて篭っていた。

 神聖ローマ皇帝であるハインリヒの皇后であるコスタンツァが、産気づいてここで出産を行なっているのである。

 そもそも彼女は、夫がシチリア王に戴冠する為の式典へ向かう行軍に、護衛の騎士らを連れて後から付いてきていた──皇帝一行は反乱の多い地方を通るために同行は危険で、しかも身重だったからだ──のであるが、その途中で出産の日が訪れた。

 コスタンツァ皇后は今年で40歳、そして初産となる。

 彼女は周りに指示を出してイエージの街中の者を集めさせた。

 その理由は周りを警護している兵士が声を張り上げて説明していた。


「今日この場でコスタンツァ皇后は御子を出産なさるからなー! 本当の子供か怪しいとかババア無理するなとかそんな連中が出ないように貴様らは証人となるのだ!」

「ババア大丈夫かよ!?」

「ババア頑張れよ!」

「今ババアにババアっつった奴誰だー!? ババアはババアなりに傷つきやすいんだぞ! ババア趣味なハインリヒ皇帝にも謝れ!」

「おらああ!!」


 天幕から椅子が吹っ飛んできて兵士の頭に直撃し黙らせた。

 青ざめた壮絶な表情の貴婦人が肩で息をしながら、天幕に捕まりつつ怒鳴る。

 コスタンツァ皇后である。彼女は周囲を睨みながらドスを効かせた声で云う。


「ハインリヒのアレな趣味はともかく……今誰か私をババアって呼んだか……!」

「コスタンツァ様って乙女だよなあー」

「こう、まさにお姫様って感じだもんなあー」

「わかりやすいんだよアホ!」


 別の椅子をぶん投げて地元の名士二人に深刻なダメージを与えるコスタンツァである。

 すると彼女は、


「うっ……」


 と、力んだのが悪かったのかうずくまったので慌てて天幕の中の女官達が引き入れた。

 はらはらと幕外の男たちはそれを見守りながら──やがて。

 中から元気な産声が聞こえて、女官と婦人達の祝福の声が溢れ出てきた。

 それを聞いて集まった民衆達も大喜びである。何の特徴も無い街だが、そこから神聖ローマ皇帝の嫡子が生まれることとなったのだ。

 そのような事情を抜きにしても、新たなる子供の誕生を素直に祝う敬虔な信徒達であった。


 ともあれ……。

 こうして生まれた子供には、血縁的には祖父である英雄にして偉大なる皇帝の名を付けられた。

 その名はドイツ風に云えばフリードリヒ。王としての世襲権を持つシチリア王として考えればイタリア風にフェデーリコとなる。

 だがこの物語では、ドイツ語、イタリア語、ラテン語、フランス語、アラビア語など多くの人物によって喋る言葉は異なるが全て日本語に──現代での言葉へ変換して、また単語なども勢いで入れ替えて表記する為に、統一して主人公の名前はこう記す。

 フレデリカ。

 後に神聖ローマ皇帝となる、[彼女]の名前であった。


「……女の子だよね」

「うん」

「まあ、いいか」


 女ならば王に為れないと云うことはなかった中世ヨーロッパの時代に、フレデリカは生まれた。



 


 *****



 1201年。

 シチリア島と云うと、よくイタリアの形が長靴に形容されるがそれが蹴っ飛ばした石のような位置にある島である。

 現代でこそイタリア領であるが、当時は独立していて多数の民族が入り乱れ、地中海交易の拠点にもなっていた色鮮やかな国であり、シチリア島と南部イタリアを合わせた地域を[シチリア王国]と呼んだ。

 支配者の民族も度々に代わり、その度に住人の力関係は変化するがだからと云って断絶や追放をするわけでもなく、教皇が支配する教皇領近くにあると云うのにイスラム系の住人さえ住んでいる場所であった。

 ドイツ系、フランス系、アラブ系と様々な人種。そして交易に訪れる商人達と中東やイタリアの物品が行き交う街がシチリアの首都パレルモであった。

 そこに──正確に云えばその[ノルマンニ宮殿パラッツォ・デイ・ノルマンニ]と呼ばれる城に、4歳の時にシチリア王に戴冠させられたフレデリカは住んでいる。

 

「──いよっし! 脱出成功! 遊びに行こっと!」


 のだが、その当人は警備の網をくぐり抜けて脱出していた。

 フレデリカ、6歳の頃である。

 彼女は4歳でここに連れて来られて一年はてんやわんやと本人も混乱する状況に対応するのが精一杯で、もう一年は家庭教師についた神父に常識を教えこまれることで費やして、そして今抑え切れぬ好奇心と共にノルマンニ宮殿を脱出して街に出かけるのであった。

 現在は6歳の少女だが、見た目は太腿の膨らんだズボンにシャツの上から地味なチェニックを羽織り、[赤髭公(バルバロッサ)]と呼ばれた祖父に似た赤みがかったブロンドの髪は長く伸ばしてツーサイドアップに括り紐で纏めて、頭に深くターバンを被り少年のような仕草であった。

 そもそも彼女はこの年齢では当然だが、突然王にさせられた様なものなので遊びたい盛りなのである。

 いや、王族として生まれたのならばこの年まで生きればそれなりの指針が見えているものだったが、殆ど彼女は両親に構われる事無く育っているのでどうもその辺りの機微が鈍いのである。或いは、鋭い故に奔放に振る舞う。

 ターバンを押さえながら宮殿に続く街道を疲れも知らぬ足取りでパレルモの街に駆けて行く。


「いやーグイエルモは話が判る教師で助かるね! 聖職者の堕落バンザイだよっ!」


 走りながらちらりと宮殿を振り返り、家庭教師の司祭を思い浮かべながら云う。

 グイエルモ、と云うのが彼女の教師だ。

 この時代は知識人或いは学者と云えば大体聖職者と決まっていて、グイエルモは教皇直々にフレデリカの教育係に派遣されてきた男であったのだが。


「世俗のことばっかり教えてくるグイエルモも悪いっていうかさ。興味が湧くよそんなん」


 と、フレデリカが云うようにグイエルモと云う男は名門の出ではなく、また上役の前では従順で敬虔な信徒であるものの、その目の届かぬフレデリカの前では神学や聖書、教皇の教えのみならず彼女が興味を持ったことは自由に教えるのであった。

 おまけに寝そべりながら聖餅をもしゃもしゃと食べてワインを飲むのが安息日という自堕落な一面も見ていた。

 それを教皇に手紙で書かれたくなければ……と、子供っぽい脅しを掛けたらグイエルモは餅を食いながらあっさりと遊びに行くことを見逃してくれたのだ。

 彼としてはフレデリカが外で問題を起こしても「いやー未来の皇帝は元気ですね」と報告書を送るだけで済ます算段であり、実際それでなんとかなる。任務を受けたのは家庭教師であって護衛ではないのだから。俗人出身の彼はこれ以上出世も見込めないので気楽に過ごしていた。

 

「よーしっ! 街で部下を見つけるぞ! あと本! 文字の練習だから買うのも許してくれるよねっ」


 6歳にしてフレデリカは既に、シチリアの地で使われるイタリア語と神学系や聖書のラテン語を自在に使いこなせる。

 更にはアラビア語も学びたいのだがさすがにグイエルモもそれは知らず、学ぶには図鑑か何かを購入するかアラブ人を招くしか無い。フレデリカは遊びたい盛りと同時に、自分が今最も物事を記憶できる期間であることを自覚していた。その時に言語学を学ぶことは有用性がある。

 何はともあれ、今まで外に出ていた経験といえば2歳から3歳の頃にイタリア中部のスポレートで暮らしていた経験ぐらいしか無い彼女は楽しそうに外を満喫し歩みも早く向かうのであった。

 

 パレルモの街はシチリアの首都だけあって、古代から幾度も戦火を受けて支配者が変わる度に街の様相を変えている。

 しかし古い建物も残り古都と云った雰囲気がある。

 そもそもフレデリカが暮らすノルマンニ宮殿からしてもイスラム風、アラビア風の作りがあるので町中にもそれらしい建物が混在している。

 道を行く人も金髪の線の細い人種も居れば黒髪の彫りが深い人種も居る。ターバンを巻いたアラブ人もいるし赤毛も珍しくはない。

 町中で意気揚々と歩くフレデリカが特別に目立つわけでもない、人の多い街なのである。

 そもそも四歳の頃にこの国の王になったフレデリカの姿を知る一般人は殆ど居ない。せいぜいが、名を受けた通りフリードリヒ赤髪公に似た赤毛という情報ぐらいだろう。

 

「そんなわけでフレデリカちゃんは自由に振る舞うのでした。ヘイ! おじさん! そこな食べ物をおくれ!」

「あいよ」


 と、フレデリカは市場でにこにこと笑いながら露天商で売っていた、宮殿で見たことのない果実を購入した。

 小遣いは家庭教師の財布からギッている。対価として、


(フレデリカちゃんの直筆、教皇の似顔絵を入れておいたから大丈夫でしょ)


 そう判断する。

 教皇にそれを送れば非常に喜ばれること請け合いだ。

 ところで──。

 彼女は出会ったことのない、後見人としている教皇を軽く思っている。

 だがこの時代、彼女が人生の若いうちに付き合うことになる教皇はイノケンティウス3世と云う男である。


 通称──[最強の教皇(ラスボス)]


 歴代教皇で最強ランキングをつけたら必ず上位に入るレベルの、38歳にして教皇になったローマの巨人である。とてつもない権力を持っていて彼が後見人となったことでフレデリカの最低限な身の安全はヨーロッパ中で確保されている。

 イギリス、フランス、神聖ローマ、イベリア半島のレオン、カスティーリャ、ナバラやその他各地の諸侯に大司教などはイノケンティウスに声をかけられるだけで泣いて謝る勢いだ。

 そんな彼なのだが弱い者には甘かったりする性格をしているので、フレデリカの奔放も基本的に許している。

 実際に、教皇に対してグイエルモ以外からも「フレデリカちゃんがやんちゃ過ぎる。半端ないレベルで」と何度も手紙が送られているが叱りの一つもしたことはない。まあ、彼は非常に忙しかったのでスルーしていただけかもしれないが。

 見たこともない教皇のイメージを浮かべながら指についた果汁を舐め取り、果物の滓を道端にポイ捨てする。


「それにしても美味しかったね。これ、なんて果物?」


 フレデリカが店主に問うと、彼はすっと目を伏せて暗い声音で、


「まあ、果物ってことにしておけばいいじゃありませんか」

「なんでそんな反応が返ってくるんだよっ!? 何を食わせたの!?」

「安いよ~不自然に安い果物今日限りだよ~」

「だ、駄目だこの場にいては嫌なことを気にし過ぎそうだ」


 フレデリカは慌ててそこから離れる。

 世の中には知らないことが多い。果実の名前と形すら知らないのであればこれから困るであろう。


(グイエルモに図鑑とか教えてくれるように頼まないと)


 まだ小遣いはあるフレデリカは足の向くまま店に顔を出して色々な物を見て、時に購入した。持ち歩くには不便だった為に食べ物が多い。


「おばさーん、ワインちょーだいな!」

「あらあら、坊やまだ早いんじゃないの?」

「いいのいいの。はい代金」


 と、最初に金を払ってしまうと困ったように酒屋の女はワインを半分あまり、葡萄汁で割ったジュースのようなものを持ってきた。

 子供に配慮したのだが、初めて飲むワインにフレデリカも気づかずに飲み干してそれでもほろ酔いで店を出る。

 城の女中に見られたら修道院に叩きこむぞと怒鳴られる有り様だが、グイエルモから聞いた話では、


「イノケンティウスのおじさんはワインで神の血を聖別作成したって云うしー……っていうかなにそれ魔法?」


 などと教会の者が聞いたら卒倒しそうな発言をしながら昼間から酔いどれて買った焼き菓子を齧りつつ、パレルモの港へと足を伸ばした。

 潮風が吹いている。

 北沿岸に面するパレルモには多くの船が停まっていて、また水夫が絶え間なく動き回っていた。

 シチリア王国の船だけではなく、イタリアのコミューンと呼ばれる自治都市の船も見られる。ジェノバやピサの印章がついた船はイタリア近海を航海する護衛船として有名だ。

 

「まあ確か、北部イタリアは危ないんだっけ?」

 

 フレデリカが聞きかじりの知識で首をかしげる。

 アルプス山脈の南、イタリア北部も神聖ローマ帝国の一部であるのだが、自治都市と云う名目を掲げて支配を拒否している都市がいくつもある。

 確かに、そうなれば神聖ローマ皇帝の嫡子であったフレデリカにとっては危険な地域と云えよう。

 

「確かミラノは爺さんに滅ぼされたりソッコー再起して逆襲したり……っていうか自治都市の範疇超えてるよねあいつら」


 父のことはよく覚えていないが、既に伝記的偉大な存在になりつつあり自身と同じ名を持つフリードリヒ1世に関係ある為にそれは覚えていた。

 ハインリヒこと先代の神聖ローマ皇帝、彼女の父親はフレデリカが3歳の時に急死した。周囲の人間が総ツッコミ入れるぐらい急に死んだ。

 出会ったのは一度きりで、フレデリカの記憶では彼女が2歳の頃アッシジの街で皇帝ハインリヒは厳かに、


「貴様に洗礼を与えてくれるわーッ!」


 と、序盤のボスか師匠みたいなことを云って水をぶっかけてくるオッサンという印象しか残っていなかった。そこでキリスト教の洗礼を与えられたのだが、思い出してもなんとも言えない記憶であった。

 その1年後に急死して、慌てた母親がシチリア王にフレデリカを継がすように教皇と掛けあって更に1年後、フレデリカが4歳で母親のコスタンツァもこの世を去っていった。

 女児であるフレデリカがシチリアの王──というのも奇異に感じるかもしれないが、女王はそう珍しいものではない。それにハインリヒが先代のシチリア王であるが、元々シチリア王の継承権を持っていたのは母親のコスタンツァの方であったぐらいなのでその娘が王位に付くのは不思議ではなかった。

 王として若すぎると思われるかもしれないが、実質の管理責任者は教皇イノケンティウスが現在は持っており、フレデリカはお飾りのようなものであった。

 

「うーん、繁盛は良きことかなー……イスラム側からもじゃんじゃん船が来てくれれば嬉しいんだけど、海賊やら何やらで安定してないんだよね」

 

 頭を酔いでぐらぐら揺らしながら、港近くの階段に腰掛けてフレデリカはぶつぶつと呟いている。

 そんな彼女を少しばかり離れた位置で見ている男たちが居た。

 日に焼けた肌に潮で傷んだ髪の毛、船乗り風の格好をした男である。


「貴族の子供……だよな?」

「懐からでけえ財布出してるの見たぜ」

「近くに騎士とか居ねえな……やるか」


 海辺に用のない人間が一人で行けば──当時は高確率で人攫いに会う。

 初めて外に出かけているフレデリカはそのことを知らないのだ。とはいえ、知った後でも何度と無く従者を連れずに街に遊びに出かけていたと記録が残っているのだが。

 貴族の子供ならば捕まえて金目の物を奪って人質の金を要求するか他所に売り払う。見たところ、肌は白いし髪も整っている可愛らしい子供だ。政治利用するにしても慰み者にするにしても高く売れるだろう。

 教皇が後見しているとはいえ、このシチリアでもフレデリカを利用しようとする貴族は多く存在している。

 シチリアの実権を握ろうとするドイツ系の貴族とイタリア系の貴族の争いである。フレデリカを傷つけこそしないだろうが、その身柄を確保することは大きな意味を持つ。

 ともあれ、男の三人が麻袋を持って後ろからフレデリカに近づいていった。

 と、その時。


「よー嬢ちゃん」


 フレデリカの正面から話しかける男が居た。

 16歳ぐらいだろうか。少年と言ってもいい年頃の、上半身裸に首へ布を巻いて頭に編笠を被っている軽薄な表情の男であった。

 船乗りだろう。日に焼けた肌をしていて、筋肉がうっすらと浮かんでいる。肩には材木らしい丸太を担いでいるが、ふらつくような様子も無い。

 目をぱちくりとさせてフレデリカは言葉を返した。


「その帽子なに? 珍しいね!」

「おいおい、いきなり帽子のことかよ……こりゃ中国からの行商人が持ってきた笠だ。軽くて濡れてもすぐ乾いて便利なんだぜ?」

「へえーいいなー」

「でも嬢ちゃんの髪型には似合わねえだろうよ。ターバンってのはウケるけど」


 などと指で笠を叩いたり、フレデリカの髪を指さしたりと動きを交えながら少年は会話をした。

 そして自然と、その指をフレデリカから少し逸らしてその背後──忍び寄っていた男たちへ向ける。


「で、そのオッサン共は嬢ちゃんの知り合いか?」

「ん?」


 フレデリカが振り向くと、固まった表情で船乗りたちは足を止めている。

 彼女はぽんと手を打って彼らに言った。


「あ! もしかして家の人? 変装してこっそり付いてきてくれてたの?」


 その言葉に、三人は目配せをして媚びたように笑った。


「へ、へえ。それで坊っちゃ……嬢様? をお迎えに……」


 即座に爆笑を返した。


「くははははは! んなわけ無いじゃん馬鹿じゃないのなんでちょっとでも騙せるかなーって思うわけ!?」

「オッサン達、そのナリで貴族の家臣はねえだろ」


 指をさして笑い声をあげるフレデリカと少年。二人はひと通り笑うと「いえーい」とハイタッチをした。6歳の子供なフレデリカに階段の下から腰も曲げて合わせてくれる少年である。

 莫迦にされて、怒り心頭になったのは三人であった。


「が、ガキ共! 調子に乗るなよああああーッ!」

「らああああーッ!!」


 船乗り達は雄叫びを上げると世紀末救世主の如く薄く質の悪い傷んだシャツを盛り上がった筋肉で破り弾けさせた。いや、正確にはちゃんと手で破っているのだが雰囲気的に。

 血管の浮いた分厚い筋肉を露出させて、指先まで分厚い皮で覆われた指を向けて云う。


「人間は普段三割程の筋肉しか使っていない……だが船乗りになれば十割使用できるのだ」

「貴様らには辛く厳しい明日を用意してやろう……今日より明日なんじゃ」

「うっわあ……なんかグロい」


 呼気も荒く言ってくる船乗りに、立ち上がって身を引きながらフレデリカは云う。

 少年が前に出たまま不敵に嗤い、暗い銀色の目を向けながら拳を前に出した。


「下がってな。船乗りパワーの前じゃあ一般人なんざ藻屑同然だ」


 拳を握ったり開いたりしながら、自身よりも体重が倍近いような相手三人に相対する格好だ。

 筋肉モリモリマッチョマンの船乗りはパワーアップした状態で低い声を出す。

 

「小僧……貴様も船乗りだろうが数の差の前には如何ともし難い戦力差を教えてやる……」

「お前初めてか? 力抜けよ……」

「セーラーシチリアがお仕置きしてやろう……」


 離れたフレデリカは図々しく、少年の背後ではなく横から戦いを観戦しようと回り込み焼き菓子を頬張っている。

 周りの行き交う水夫達も足を止めて喧嘩を見る者も居た。港での喧嘩など日常茶飯事だから気にしない者も多いが。

 少年は笑ったまま、一歩足を寄せて接近する。


「確かに侮れねえけどよ、世の中には船乗り特攻な力もあるってことだ」

「なんだと……?」

「そらよぉ!」


 先頭の船乗りが疑問の言葉を口にした瞬間に少年の振り下ろした、担いだままだった巨大な丸太が男を叩き潰した。


「ッ~~!?」


 声も発せずに地面に叩きつけられる男を見て唖然とした二人目の顔面に容赦なく丸太の突きが入れられる。

 まともに食らった男は頭蓋骨を陥没させん威力で後ろに吹き飛ばされた。

 三人目。腰だめに構えた丸太を横薙ぎに振るうと、それを防御しようとしたのだろうが両手両足がへし折れる音を立てて殴り倒された。


「ぶっ壊すのに容赦しねえことだ。それが海賊流だぜ」

「海……賊……」

「海賊に襲われたくなきゃ金で雇える海賊に頼め。マルタ島出身、ジェノバのアンリ・ディ・マルタでェす。どうぞよろしく」


 少年──海賊のアンリはそう云って、脇腹を押さえて倒れている水夫のこめかみを蹴りぬいて再び丸太を担ぎ直した。

 周りで見ていた水夫がざわめく。

 ジェノバの海軍が強力なのは海賊を雇い入れているからだというのは知られている。いや、海賊と海軍の違いが殆ど無いのだ。

 ジェノバでは都市内で常に権力争いが起こっており、敵方の船を一方が海賊行為して奪い船員は奴隷に売り飛ばしたり、追放された一門が海賊として戦力を揃えて攻め込んできたりと戦い慣れている。

 イタリア一凶悪な海賊都市国家。それがジェノバと云う地中海のギャング的存在である。

 故に下手に糾弾すれば己の船が海賊にマークされかねない為に、誰もアンリに物を云う水夫はおらずに倒れた男たちもそのままに喧嘩見物から去っていく。

 そんな彼に、


「凄いなあ、アンリって云うの? 海賊かー物騒だねー」

「おう。マルタで生まれてジェノバで暮らし、陸より船の上の方が長く生きてんだ。ま、あいつらが手を先に出してなかったら嬢ちゃんを引っ掛けてやろうかと思ったけど気が変わったぜ。俺が悪事をするのはいいが、俺の前で俺より先に悪事をする奴は許さん」

「うっわあ自己中~」

「なあにそのうちアンリ様の名も地中海に轟かせ、海賊王に俺は成るってか? ぎゃはっ」

「くふふー王になったら我と同格だね」

「うん?」


 フレデリカは笑いながら顔を近づけて、ターバンを解き赤い髪を曝け出して云う。


「どうも。シチリア王のフレデリカちゃんでぇす」


 その目を──6歳にしてはやたら据わっていて深い色をした瞳を向けられて、アンリは固まった。

 新たな王となった者は少女で、祖父譲りの赤いブロンドをしていると聞いたことはあったが……。

 周囲にがちゃり、と護衛騎士の金属鎧が鳴ったような幻聴が聞こえた。アンリの背中に冷や汗が浮かぶ。

 

「海賊かー? んんー? なんなら騎士に叙勲してあげようかー?」

「いえあの、用事を思い出したので……」

「遠慮せずに城に来いよ未来の海賊王」

「ぎゃ、ぎゃははは! それじゃあな嬢ちゃん! いい女になったらまた誘ってくれ!」


 そう云って──何かヤバイ政争に巻き込まれるかもしれないと危険信号が脳内で鳴り響いたアンリはダッシュで逃げていくのであった。

 その後姿を見ながら、フレデリカは、


「ぷっ」


 と、息を吐いて笑いながら大げさに肩を竦めた。


「ま、半分は本気だったけど半分は冗談だし……今日のところはこれで帰るか」


 そう云ってまた──誘拐されかかったとは思えない足取りで道を戻り始めるのであった。

 

「それにしても、攫われそうになるなら対抗手段考えないとなー……大きな声を出してこの人痴漢ですとか事案発生とか先に挨拶運動とか。よーしこれから頑張るぞー!」


 パレルモの大聖堂の鐘が鳴り響く音を聞きながら少女は笑う。


 後の神聖ローマ皇帝、現シチリア王フレデリカ───自由気ままで周りの者の頭痛の種になった彼女の子供時代は、シチリアの首都で様々な人や文化と出会いながら過ごされていく。





 *****

 




「き、教皇……」


 ローマ、ラテラノ宮殿は法王庁の本拠地だ。そこに悠然と座る男に、おずおずと書面を差し出す聖職者が居た。

 物怖じした態度を取っているが単なる三下の坊主ではない。赤い衣を着ている怯えた男は、服装ですぐに枢機卿としれた。

 教皇に次ぐ聖職者の首級である彼をして怯えさせるのが椅子に座る男である。

 顔立ちは均整が取れていて姿勢も正しいびしりとした印象を与えるのだが、眼力がとてつもない光を放っている。それに呼応しているように、全身から聖霊めいた波動が放出されている錯覚すら覚えた。

 欧州最強のラスボス──イノケンティウス3世である。

 彼の前に立てば枢機卿だろうが王だろうが乞食だろうが等しく信徒の矮小な一人であることを否応なしに自覚させられる。

 ゆっくりと口を開き反響する声で返す。


「なぁぁんだぁぁぁ……」


 吐いた息がゴッドブレスユー。

 そんな勢いさえ覚えそうな気絶寸前の状態で枢機卿は手紙を差し出す。


「シ、シチリアのグイエルモから最近の報告が届きました。フレデリカさんの近況です」

「ぬぅぅぅ……どぉぉれぇぇい」


 それを受け取ってその場で開き、イノケンティウスは確認をしていく。

 学習意欲が高くて聖書の書き取りさえもうできることや、市井に関して興味を示して政治や経済の勉強もしていることなど、教皇としてはしっかりキリスト系の教育と、王としての熱意ができていることに満足を覚える内容であった。

 そして折りたたまれた一枚。

 フレデリカが描いた想像図の教皇似顔絵が挟まれていて、それを見たイノケンティウスは、


「くはぁぁぁぁ……」


 ──と、笑った。

 枢機卿と教皇の側に控える侍祭は一斉に身をすくませて、


「ひっ……今の笑みだけで十字軍が1000人は増えたな……」

「マジかよ教皇ハンパねえ……」


 ローマの巨人はまだ見たことも無いフレデリカの成長を、遠くローマの地から壮健であれと祈っているのであった……。



 

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