~鬼の住まう山~ 三話
照彦の声を合図にして『蛇』と対峙する俊二とあずさ。『蛇』の体長は五mほどで、深い緑色の鱗が月明かりを気味悪く反射させていた。
彼は照彦たちの邪魔にならないようある程度距離を取り、自分たちの担当の『蛇』を引き離す。ずりずりと腹を擦る音が不気味で、嫌に耳に残る。
「行くか」
「うん」
手に持った『地聖』を握り直し、先手必勝とばかりに『蛇』に向かって駆ける。それを鎌首をもたげた『蛇』が牙で迎え撃った。
「――!」
予想よりもずっと速い攻撃に驚きはしたが、かろうじて右に避ける。あともう少し反応が遅れたら、あの鋭い牙で噛み付かれていただろう。おそらく毒を持っていると思われるので、噛み付かれたらそれが致命傷になりえる。
「あずさ、多分毒持ってるから気をつけろよ」
『蛇』を挟んで反対側の場所に立つあずさに声をかける。『蛇』は彼らをきょろきょろと見比べている。おそらくどっちを攻撃しようか迷っているのだろう。
「なんで毒持ってるなんてわかるのぉ?」
「この『蛇』は魔獣だ。ってことは誰かが喚びだしたってことだ。わざわざ毒のない蛇よりは毒のある蛇を喚びだそうとするだろう。それに、『毒がない』って油断してるより『毒がある』と思って警戒しておいたほうが無難だ」
想定するのは常に最悪の状況。そうしておけば突然の事態に陥っても動揺は最小限に抑えられる。日頃からそう考えているのは、やはり命がけの日々を過ごしているからだろう。
そして、その『蛇』たちに毒は当然あった。人を、それも『退魔士』を殺そうとするのに毒を持たない蛇を差し向けるなんてことはない。殺すための蛇であり、毒なのだ。
『蛇』の視線が定まった。狙いは――俊二。
彼がそのことに気づいた瞬間、先手を打つべく動く。噛み付きの速度はさっき見て理解している。今度は一太刀入れられる、そう考えての行動だ。
彼の予想通り『蛇』が噛み付いてくる。そしてそれを右に避け、すれ違い様に地聖を凪いだ。渾身の一撃、とまでは言わないが、タイミングの合った鋭い斬撃。しかし。
「ってぇ……なんて固い鱗だ」
剣を振るった右手が軽く痺れていた。攻撃を受けたわけではなく、ただ反動を受けただけなので大したことはない。が、それでも彼はショックを受けていた。
ぬらりと光る深緑の鱗。俊二が打撃を与えた場所にはうっすらと切り傷がついていたが、それはかすり傷のようなもの。中々のタイミングでの攻撃でこの程度なら、並みの攻撃ではそう簡単に傷を負わないだろうということは容易に想像がついた。
長期戦の予感。このままでは致命傷を与えるのは難しい。少しずつダメージを蓄積していくしかないだろう。口の中で小さく舌打ちをする。
「俺がつけたあの傷あたりを重点的に攻撃していこう。少しずつ削っていくぞ」
「うん。でもぉ、そう簡単にやらせてくれるかなぁ」
あずさの言うとおり、『蛇』はじっとしているわけでも反撃しないわけでもない。あの鋭い噛み付きを避けて攻撃するのはそれなりに難しいことだろう。
「あ、そうだぁ」
「なんだ?」
「こうすればいいんじゃなかなぁ」
いつものようにゆったりと『蛇』に向かって歩いていくあずさ。そして射程距離に入った瞬間に剣閃が走った。一拍おいてのた打ち回りだす『蛇』。声にならない悲鳴をあげ、苦しそうに暴れていた。
「これなら攻撃されないと思うよぉ」
「両目を潰したのか……」
彼女の動作はあまりに自然で、そして速かった。俊二でさえ目で追うのがやっと。しかも、何より殺気がまったくなかったことが脅威だった。
攻撃をするときには、まず意識を必要とする。相手を傷付けるという行動は、ほとんどの人間にとってストレスだ。だからこそ『自分は今から相手を傷付けるんだ』という気構えが必要となる。そうじてこれが相手に向けられると『殺気』と呼ばれるものになる。
しかしこの殺気が先ほどのあずさからは感じられなかった。先日『猿』を倒したときは出会い頭だったため殺気がなくてもおかしくはなかったが、今回のは別だ。
(おっかねぇ……)
俊二はそう思った。殺気なしで相手を傷付けるなんて芸当は彼には出来ない。
殺気なしで傷付けることが出来る、ということは場合によっては相手に気取られずに一方的に先手が取れるということだ。
「これであとは少しずつ攻撃していけばいいんじゃないのかなぁ」
「……そうだな」
今はそんなことで考え込んでいる時間はない。先ほど自分が提案した策で『蛇』を打ち倒すことが先決だ。それに何よりあずさのこの『特性』は大きな武器になる。そのことで考えることなど必要ではないのだ。
「一気にケリをつけるぞ!」
「わかったよぉ」
「……ふぅ、なんつうしぶとさだ」
「中々死ななかったねぇ」
二人がようやく『蛇』を仕留めたのは、両目を潰してから十分以上経ってのことだった。視覚を奪ったとはいえ、防御力はともかく攻撃力はさほど変わらない。そして獣の凶暴性は逆上したことによって上がっていた。だが何より苦戦したのは、彼らの言っていた『しぶとさ』だった。蛇特有のあのしぶとさ、生命力の高さは他の同程度の大きさの生物の中でも群を抜いている。更にあの固い鱗のため、仕留めるのに時間がかかってしまったのだ。
「他の人は……」
離れていたため他の者たちの様子はわからない。嫌な予感を感じながらも二人は急いで先ほどの場所まで走った。疲れてはいたがそれどころではない。
程なくさっきの場所まで戻る。其処には四人の倒れた鬼ヶ城山所属の退魔士たちと、ずたずたに切り刻まれた、おそらく一匹の『蛇』の残骸。バラバラなのになぜ一匹だと想像がつくのかというと、その残骸の中には一つしか頭部がなかったからだ。そうなるとあとの二匹はどうなったのだろうか。とりあえずそれは後で考えることにして手近な場所にいた顔馴染みの退魔士のところに駆け寄る。
「ぐ……」
「大丈夫ですかっ!?」
「俺、は大丈夫だ……後の三人を」
彼の声に俊二はやや後方に横たわっている三人の男たちを見つけた。ぐったりとしているようで身動きしているものはいない。
「あずさ、そっちを頼む」
「はぁい」
彼の指示に従ってあずさが順に三人に傍に行ってしゃがみこむ。その間に彼は此処にいないもう一人の男の行方を尋ねた。
「照彦さんは?」
「鬼城さんなら、向こうの方へ……『蛇』二匹と」
すぐに救援に行かなくては。そう考えて立ち上がると倒れていた三人の様子を見ていたあずさと視線が合った。やや沈んだ表情。彼女がこんな表情をするのはとても珍しい。だからそれだけで理解してしまった。あの三人は全員事切れているのだと。そのあと彼女は静かに首を振ったのを横目で見ると、彼は全速力で駆け出した。もうこれ以上犠牲者を出さないために。
「照彦さんっ!」
俊二が彼を見つけたのはそれからすぐのことだった。庭を建物沿いに行ったところで、ここもそれなりの広さがある。戦うには十分な広さで、だからこそ照彦はこの場所を選んだのだろう。
「ふぅ……」
「うわぁ……」
照彦の前には二匹の『蛇』の死骸。それもぶつ切りだ。あの固い鱗を簡単に切り刻んでいた。そして大きな斧を担いで一つ大きな息を吐いて、俊二に振り向いた。
「いくらしぶといと言っても、俺の相手じゃないな」
「……マジですか」
笑って言う照彦。その光景を見て、俊二は彼の通り名を思い出した。
《金剛鬼》。両手持ちの斧をいとも簡単に扱う、鬼が城山の主。その名は正に、鬼ヶ城山を統べるに相応しい名だった。
「それにしても、俺程度なら何とかなるが並みの退魔士たちじゃあ辛かろうな。結構なレベルな魔獣だ。この間俊坊たちが相手したのもこれくらいのヤツだったか?」
「そう……ですね。俺たちのときは『猿』でしたけど、『力』は確かに今回の『蛇』とそう変わらないと思います」
「ふぅん。それなら同じ敵って可能性もあるのか」
「いえ、それはないと思いますよ。あのとき確かに夜叉が外法士を連れて行ってますから」
それは二人で確認したし、夜叉のあの様子だと彼は嘘だとも思えなかった。
「ふむ、そうか……。それなら同程度のレベルの術士の仕業ってことか。で、その外法士はお前の印象だとどの程度の使い手なんだ」
「あの男……そうですね、ぱっと見弱そうでしたけど、結構な使い手だと思いますよ。あのレベルの魔獣を十数匹同時に使役していましたからね。正直あの時は相手が悪いだけだったと思います」
「《漆黒の侍》夜叉か……。まぁそれが正しいんだろうな。おそらくヤツは日本でもトップクラスだ。きっと俺でも勝てないだろうな」
苦笑する照彦。それは心底思ってることで、表情に微かに自嘲の色が見えた。
歯が立たないだろうことは俊二とて同じ。自分よりも上の照彦が言うからには、それは揺ぎ無い事実だ。
「……いつか、同じレベルまで行きたいですね」
自分にもその可能性はあるはず。それを信じて今は邁進するしかない。才能無き者は努力で補うしかないのだ。
「ほ、大きく出たな。まぁまずは俺を超えるところからはじめな。くっくっく」
豪快に笑う《金剛鬼》。超えられるものなら超えてみせろと言わんばかりだ。
「超えてみせますよ。いつか、必ず」
俊二は笑わずに、それに答えた。
今回のこの鬼ヶ城山の一件は前回の石立山の件とは無関係と思われたが、それでも別の陰神の残党による事件が濃厚とされ、各拠点には厳重な警戒態勢が言い渡された。
近年、退魔士といえども死亡事故はほとんどなかった。しかし今回の一件では三人が死亡、一人が重傷と近年稀に見る大きな犠牲者を出してしまった。これにはさすがに北斗七星当主・剣雄斗も動かざるを得ず、この処置がなされたのだ。
強くなりたい。もっと強くなれるはず。
彼はそれだけを信じて前に進む。その先に守れるものが必ずあると信じて。
次は必ず、守り抜く。
誰もがこれで終わりだとは思っていない。黒幕を倒すまで、この襲撃は終わらない。
夜明けの石立山。彼は朝日に地聖を掲げ、誓う。
その光景を彼女だけが見守っていた。




