~鬼の住まう山~ 一話
北斗七星にとって久しぶりとなる事件はもう既に先月のこと。そうは言っても実質三日しか経っていないが、当事者たちにとっては僅かながら振り返ることが出来るようになった頃合いでもある。
五月一日、朝倉俊二と剣あずさに一つの罰が通達された。先の一件での独断専行が咎められたのだ。
俊二本人としては連絡を取りたくても取れなかったことが原因と言いたいことだが、組織としては処罰を下さなければならない。俊二は『七星』の家柄だが、本人はまだ立場的に周囲の構成員の退魔士たちと変わらない。今回の行動を許してしまうと他の者が追随するかもしれないし、したときに処罰を下しにくいという背景があった。
無論俊二もそれを理解していたので特に何も言わず従った。それくらいは当然とも思っていたので、彼としてみれば拍子抜けしたほどだった。
「あはは、楽しいねぇ」
「楽しい……か」
あずさが楽しそうに箒で庭を掃く。だだっ広い土と砂利の庭で、生えているのは雑草しかない。なんとも家主のイメージそのままだと俊二は思った。彼は彼女を見習ってまた箒を動かしだす。朝から燦々と差す陽の光さえなければだいぶ楽なのだろうが、まるでそれでは罰にならないだろうと太陽が言っているかのような雲一つない晴天だった。
「よぉ、調子はどうだ」
「あ、照彦さぁん」
「……絶好調ですよ」
げんなりとした調子で言う。まだまだ先は長い、こんなところで弱音は吐きたくなかった。昨日の夜到着して、朝からやっているが未だに終わりは見えない。ただこれは俊二のペースが遅いわけではない。あずさは遅いが、それ以上にこの庭が広すぎるのだ。正直今日一日で終わるかわからない。
「お、そりゃ良かった。まぁ頑張ってくれ。ここ数年まともに掃除なんかしてなかったからな」
「そうですか……」
あずさに照彦と呼ばれたこの男の名前は鬼城照彦。高知・愛媛の西、四国の西端を領土とする『七星』の一人だ。彼の住む拠点は愛媛県宇和島市・鬼ヶ城山。長身でがっしりとした体格で、気の良いおっさんというのがしっくりとくる。年齢は三十六、未だ独身。健一や俊二、碧たち若手の兄貴分でよく相談に乗ってもらったりしていた。
「この罰は俺が言い出したんだが、いやはや正解だったな」
「……自分で言い出したんですか」
顎の無精髭をしごきながらニタニタと笑う照彦。それに対して俊二はため息を吐いた。
「まぁまぁいいじゃねぇか。あの会議の流れだったらもっとキツイ罰の可能性もあったからな。そこを俺が助けてやったんだよ。少しは感謝してほしいね」
「一応、ありがとうございます」
「ありがとうございますぅ」
会議の流れは父である朝倉泰蔵から聞いて知っていたので、照彦の言葉に嘘はない。むしろ厳罰が下されそうになったところに、強引に照彦が割って入ってこの罰になったのだ。照彦自身がそのことを軽く言っているのでわざわざ訂正はしないが、感謝は勿論していた。
「それにしても四国も物騒になったなぁ。俺もホント久しぶりだよ、こんな事件は」
四国は基本的に平穏で大きな戦乱に巻き込まれたこともないし、他の組織に戦争を仕掛けたこともない。『北斗七星』はある意味閉じた組織で、他組織との外交活動はほとんどと言っていいほどしていない。本州の白神会や九州の神党とは、時々使者が来て応対するがこちらから送ったことはここ数十年ない。四国の北に位置する中国地方の陰陽陣は互いに不干渉を決め込んでいた。
故にわざわざ中立の北斗七星を攻めようとする組織もなく、また四国内部は平穏だったため現役の北斗七星の退魔士は『戦』というものを知らない者も多かった。
「まぁこれ以上何か起こることはないと思いますけど。あの陰神の残党も四国を出たようですし。そんなイレギュラーなことなんてそうそう起こらないですよ」
「ま、そうだがな。この分じゃ流れの退魔士やら外法士だか来てもおかしくはない。大きな戦乱とは無縁の四国で身を潜ませようと思うヤツラがいてもおかしくはない」
「流れの退魔士なんてほとんどいないじゃないですか。陰神の残党はともかく」
「まぁな。だがフリーの退魔士ってのも少しはいるぞ。傭兵紛いのヤツがな。《紅の天災》なんていい例じゃないか」
「《紅の天災》って……実在するんですか? もう伝説の域じゃないですか」
「伝説って言ってもここ十年くらいの話だけどな。まぁ見た者は消されるって言うし、謎が多いのは確かだが」
それは退魔士たちの中で語られる一種の都市伝説だった。
曰く、《紅の天災》はヨーロッパで山一つを消したことがある。
曰く、《紅の天災》は中東のテロ組織をたった一人で壊滅させたことがある。
曰く、《紅の天災》は地球の温暖化に多大なる影響を与えている。
ヨーロッパの退魔士の家系では「いい子にしないと《紅の天災》が来るわよ」と言って子供を躾けるとか。
その正体を見た者はなく、国籍・人種も不明で、一説には美少女だとも言われている。ちなみにその説を提唱したのは白神会の現総帥らしい。
「《紅の天災》なんて四国に来たら、四国が沈没しかねないですよ……」
「はは、そうかもな。まぁ気をつけるこった」
ふと気がつくとあずさの姿見えない。俊二がきょろきょろと見回すと、日陰になった縁側で寝息を立てている彼女を発見した。寝顔は実に幸せそうだ。
「普通寝るか……?」
「まぁ嬢ちゃんらしいっちゃらしいな。昔から変わらん」
顔を見合わせて笑う。そして照彦が言葉を続けた。
「嬢ちゃんは寝かしておきな。じゃあ庭掃除頼んだぞ」
「……そう、なりますよね」
高らかに笑い声を上げながら庭から家屋に入っていく照彦。その後姿とあずさの寝顔を見ながらまたため息を吐く。
「まったく……。さて、気合入れていくか」
真上の太陽を睨んで、箒を握りなおした。
結局日没まであずさは起きなかった。ずっと幸せそうな寝顔と意味不明の寝言を繰り返し、俊二が声をかけるまで夢の中だった。
庭掃除のほうも終わらなかったが、こっちは照彦の好意で四分の一を残して終了となった。精一杯やったが、残念ながら無理だったのはひとえに彼女が眠ってしまったからだろう。まぁ彼は責めるつもりはない。これもいつものことだと理解していた。
照彦から夕食の用意が出来ているというのを聞いて、あずさと共に居間に移動すると、照彦は誰かと電話中でこちらに背を向けていた。どうしていいかわからず、とりあえずテーブルについて待つことにする。
「そんな気にしなくても……えぇ、えぇ。いや、大丈夫ですから」
しきりに何か誘いを断るような仕草。苦笑い交じりで受け答えをする照彦。
「見合いなんていいですよ、雄斗さん。跡継ぎには妹の息子をって考えてるんで……。はは……えぇ、それじゃまた」
「勇人さんから、お見合いの話ですか」
「お父さん、そういうの好きだからねぇ」
引きつった笑いを張り付かせてどすん、と椅子に座る照彦。疲労がにじみ出ていた。
「もう何十度目かわからない見合いの話だよ。俺は別に結婚するつもりなんてないんだがなぁ。雄斗さんや泰蔵さんは結婚したほうがいいって押してくるからなぁ……」
「それだけ照彦さんのこと気にかけてるんですよ」
「そうですよぉ」
「そりゃわかってるんだけどな。俊坊も嬢ちゃんもそろそろ結婚を考える時期だろう。雄斗さんや泰蔵さんが何か言ってくるんじゃないか?」
「俺にはあんまり関係ない話ですよ。そもそも俺より先に兄さんの話からでしょう。それまでは何も言われないと思いますし、それに俺は長男じゃないんで跡継ぎどうこうは関係ないですから。『七星』じゃなければそうそう跡継ぎ問題は出てこないですよ」
彼の言った通り俊二は次男なので朝倉家を継ぐことはない。というかもう既に半分くらいは健一が当主のようなものだ。二、三年前から泰蔵の仕事を代行することも増え、着々と世代交代の準備はなされている。
「だってよ嬢ちゃん」
「……なんであずさに話を振るんですか」
「いや、だってなぁ」
言いたいことはわかるがわかりたくない。みんなそういう風に見てるんだな、と思い当たってため息を吐いた。
「ため息を吐くと幸せが逃げるって言うぜ?」
「別にいいですよ、そんなの。幸せの総数なんてわからないんだから気にするだけ無駄ですよ」
「そりゃそうか。ところで健一と碧はどうなんだ。結婚は近いのか?」
いかにも興味津々といった表情に俊二は苦笑いした。さっきまで自分の身に降りかかりそうなことだったのに、もう他人のその話で笑っている。良い意味でも悪い意味でも自分は自分、他人は他人なのだろう。
「来年、だっけぇ」
「ああ。よく覚えてたな。圭吾が来年十五になるからそれに合わせて圭吾に家督を継承させるそうです。結婚も同時期になるんじゃないかと」
二年前に碧の父親が亡くなったときは年齢の問題で碧が継いだが、碧の弟の圭吾も来年には十五になる。本来なら十八まで待ちたかったようだが、健一と碧の結婚の問題もあり、早まったのだろう。
「それにしても付き合いだしてから結婚まで十五年か。随分長いことかかったな」
「まぁ碧さんのお父さんが亡くなったのが一番大きかったですね。そろそろ結婚、と考えていたらでしたから。仕方ないことですけど」
二人が結婚を考えていた時期に噴出した前当主の死と後継者問題。それは結婚を遅らせるのに十分な問題だった。碧が期限付きで当主となったのもこういった背景があったからだが、当の二人は結婚が遅れたことに関しては特に問題だとは思ってなかったらしい。
「嬢ちゃんはどうだ? 雄斗さんに何か言われたか?」
「うーん……特に何も言われてないですよぉ。ただ『自分で継いでもいいし、誰かを婿にとって旦那に継がせてもいい』とは言ってましたけどぉ」
思い出すように言うあずさ。それを聞いてまた照彦がにやにやと笑い出した。
「だってよ。俊坊にもこれで『七星』の目が出てきたわけだ」
「親父や兄さんの仕事を見ていて、やりたい仕事とは言えないですよ」
「なんだ、罰は俺の仕事の代わりのほうが良かったか?」
「それこそ勘弁してください……」
まったく、と小さく息を吐いて呟く。隣のあずさは始終にこにこと笑顔を浮かべていた。きっと自分で『七星』の、というか『北斗七星』を継ぐ気はないのだろう。
「さ、料理が冷めちまう。俺の手製で味は保証しないが量だけは山のようにある。好きなだけ食ってけ」
照彦の言葉通り、味はいまいちだった。




