~不穏の始まり~ 三話
急いで甚吉森の自宅へと帰ると、そこに当てにしていた人物たちは予想に反していなかった。
「おいおい」
「どうしよっかぁ?」
父親である泰蔵はまだ帰ってきていなく、今朝までいた兄の健一も仕事に出かけてしまってらしく不在だった。
つまり、報告すべき人間がいない。仕方なく健一の携帯電話にかけてみたが留守電にすらならず、「おかけになった電話は……」というお決まりのメッセージしか聞けなかった。一応メールで報告を送ってみたが返信は望み薄だろう。
「ごめぇん、私着替えてくるねぇ」
「わかった」
俊二の部屋に行くあずさを見送って、一人思考の海に潜る。
選択肢は二つに一つ。このまま二人で行くか、明日以降健一たちと一緒に行くかだ。前者は戦力の不足、後者は時間の遅れがネック。一長一短でどっちが良いというわけではない。それにこのまま誰の了解も得ないまま二人で行くのも多少気がかりではある。別に怒られるのは構わないが、処罰は避けたいところだ。
「ふぅ……」
大きく息を吐き出して頭を整理する。
そして何故早急な対処が必要なのかをもう一度思い出して、結論を出した。
「おまたせぇ。……どうしたのぉ」
「いや。それより、やっぱり戻ろう。あいつが魔獣を使って何するかわからないし。準備は大丈夫か?」
「うん、おっけぇだよぉ」
これから戦闘に臨むとは思えないほど能天気に返事をするあずさ。だが今は返ってそれに安心した。
何よりも優先すべきことは一般人の身の安全。その為なら最も効果的で迅速な対応を。ならばやることは唯一つ。一刻も早く戻り、魔獣の被害が出る前にあの男を捕らえること。その為だったらある程度の危険は覚悟しなければならない。
俊二は腹を括ると玄関へと走り出した。目指すは石立山。後ろについてくるあずさがとても頼もしく思えた。
先ほど石立山から戻ってきたよりも速い時間で到着した二人は、まず目撃した場所の周囲の探索から開始した。もしかしたら二人が姿を消したあとに戻って来てるかもしれないという予想もしていたが、それは思い過ごしだったようでなんの痕跡もなかった。
「いなさそうだねぇ」
「でも近場にいる可能性はあると思う。まさか今日中にまた来るとは思ってないだろうからな」
自分たちもこんな早くまた戻ってくるとは考えていなかった。自分たちでさえ思ってなかったのだから、相手もきっとそうに違いない。
「でもぉ」
「ん?」
「もしかしたらあの後私たちが探してるかも、って思ったら遠くに逃げるかもねぇ」
「……確かに」
それは考えていなかった。確かにそういうふうに考えてる可能性はある。彼が考えていたのは、二人が撤退したということを知っていることが前提の考え方だった。
そして驚くべきことはそれをあずさが指摘したことだ。きっと深く考えていないのだろうが、時折鋭い指摘をするので侮れない。彼女と一緒にいると毎日が新鮮で飽きることはなかった。
「まぁそれでも探索しないといけないことには変わりないんだけどな」
そう言って探索範囲を広げていく。こうなったら虱潰ししか作戦はない。自分の浅はかにため息を吐きながら森の中を丹念に歩き出した。
「――いた」
「あ、本当だぁ」
やっとのことであの痩身の男を発見したのは、日が落ちてから間もなくのことだった。ゆうに数時間経過していて、そろそろ帰ろうかと思っていたときの遭遇に思わず笑みがこぼれる。ここまで頑張った甲斐があったというものだ。
場所は元いた石立山から随分北に行ったところで、ある意味あずさの予想が当たったと言えるだろう。男の臆病さ加減を表しているといってもいい。
さて、どうするか。男はしきりに周囲を警戒しながらさらに北を目指して歩いていく。相手の実力はわからないが、魔獣を使役していた以上決して見習いレベルではない。もしかしたら自分たちよりも上かもしれない。ただあの逃げっぷりを見るとさほど実力は離れていないと俊二は考えた。
この時点であの男が一般人ではないことが確定している。何故なら、この男が街道を使わず山中を移動しているのがその証拠だ。
「よし、後ろから奇襲しよう。俺は左後方から、あずさは右後方からで」
「うん、わかったぁ」
離れて機を窺う俊二とあずさ。きょろきょろと周囲を注意していた男が前を向いた。
(――よし!)
このタイミングで飛び出そうとしたとき、軽い音が森に響いた。勿論その音に反応して男が振り向く。俊二とあずさの姿を確認すると驚愕した表情をしたが、今度は先ほどとは違い逃げるようなことはしなかった。
「まさかここまで追ってくるとは思いませんでしたねぇ」
ぼろいローブを翻して構える男。意外に隙がない。思っていたよりも出来る相手のようだ。
「ごめんねぇ、俊二ぃ」
「気にするな。それより今は目の前の相手に集中しろ」
あの音が、彼女が木の枝を踏んで折ったものだということは既に把握していた。というか響いた瞬間注意しておけば良かったと後悔したのだ。まぁ注意したところで本当に予防できたかどうかはわからないが。
「君らは北斗七星の者かな。ならば私を追う理由はないのでは?」
「あんたが何者であろうと、魔獣を使役してる時点で脅威なんだよ。その力を使わずに四国を出るって言うなら見逃してもいいけどな」
目的はこの男を倒すことではなく、あくまで周囲の人たちの安全だ。何もしないで出て行ってくれるなら深追いするつもりはない。しかしそんな俊二の言葉に男は嘲笑で答えた。
「ふふふ、それは無理な話ですねぇ。私は新たな拠点を四国に作ろうと思っているので。さて、私をどうしますか」
「ふざけるな。その口ぶりからして北斗七星に入るってことはないだろう? それですることっていうのはどうせろくなもんじゃない」
組織に入らず行う実験・研究はどれも外法に近いものが多い傾向にある。つまり組織に入ったら出来ない、禁じられた研究だからだ。この男もそういった『外法士』に違いなかった。
「私の実験を否定するとは……まったく、何処に行ってもこういう輩はいるものですねぇ。ならば、実験の成果というのを見せてあげましょう!」
大きく両手を掲げると、出現したのは十数匹の猿の魔獣。前に見たのと同じ魔獣だ。俊二は襲い掛かるときに既に両手に握っていた『地聖』を改めて握り直して構えた。
「行くぞ!」
「うん!」
先手必勝とばかりに敵中に突進する。先ほどの『猿』を見て、受けに回るとその俊敏な動きで翻弄されるのがわかったからで、それならこっちも積極的に動いていくほうが有効だと判断したのだ。
虚を突いた動きで、まず一匹を仕留める。そのまま二匹目にかかるが、さすがにそれは避けられた。囲まれながらも的にならないように動き回る。
「えぇいっ、やぁっ!」
すぐ傍ではあずさが剣を振り回していた。全然当たっているようにはみえないが、実はもう二匹を倒し今まさに三匹目を屠ったところだった。
信じられないが事実なのがなんとも言えない気持ちになる。狙った『猿』には簡単に避けられるが、たまたま剣の軌道上にいた別の『猿』に命中して仕留めているのだ。向こうからすれば、ノールックで切られているようなものだ。殺気も視線もないので避けることがすこぶる難しい。使役者たる男もこの展開は予想外だったようだ。
「なんだとっ!?」
驚いている最中にも『猿』の数は減っていく。それが更に信じられないといったふうに首を横に振る。男が我に返ったのは『猿』が全滅したそのときだった。
「な……こんな若造と小娘なんかに……。せっかくこんな場所にまで逃げてきたというのに、こんなヤツラに……!」
驚愕から怒りに変わる表情。息の荒くなった俊二と、全然なんともなさそうなあずさが、おかしな行動に出れないように注意深く警戒する。何かやろうとした途端飛びかかれる間合い。これでは容易に動けないだろう。
「これでも、くらえっ!」
「な!?」
予想以上の速さで術を放つ。飛びかかろうと足に力を入れるのが精一杯という早業だった。俊二とあずさを分かつように氷の塊が大地を凍らせていく。ソフトボール程度の塊が雨のように降り注ぎ、さすがに直撃したらまずいので不本意ながら距離を取らざるを得なかった。
「あ」
「追うぞっ」
形勢不利を悟って逃げ出す男。勝機はないと踏んだのだろう。しかし不意に男が足を止めた。二人に背を向けたまま、呆然と立ち尽くす。
何か起こったのかと訝しげに距離を詰めると、男の前方に黒いコートの男が立っていた。俊二もあずさも知らない男で、長身に猛禽類を思わせる鋭い眼光。そして手には黒い拵えの刀が握られていた。
「や、夜叉……」
「覚えのある気配だと思って確かめに来たらお前とはな、真鍋。まさか生きているとは思っていなかったな」
「くっ……」
「相変わらず外法に手を染めているようだな。……元は同じ組織の人間、俺が引導を渡してやろう」
「な、何故だ!」
「命を弄ぶ人間は捨て置けん。今までは組織の和を乱すまいと見逃していたが、もはや陰神はない」
「く……ならば!」
さっきと同じように氷塊を放つ真鍋。しかしそれを掻い潜って一瞬で夜叉が肉薄する。それに気づいて真鍋が構えるが、その時には夜叉は視界にはいなかった。
「ぐ……」
背後から首筋に手刀を受け、崩れ落ちる真鍋。勝負は正に一瞬だった。
夜叉と呼ばれたその男は、無表情に真鍋を担ぎ上げると、そこで初めて二人に視線を送った。
「騒がせて済まなかったな。こいつは俺が預かる。このまま四国を出るつもりだからもう危険はない」
「あ、はあ」
「ありがとうございますぅ」
急な展開に面食らうが、あずさはそんな様子は微塵もなく、普通に感謝していた。そんな彼女を見て夜叉が小さく笑う。そして背を見せて歩き出した。
「あ……」
夜叉の行く先には二人の女性がいた。年齢は俊二たちと同じくらいだろう。外見が良く似ているので姉妹だと直感した。そして夜叉は姉妹を引き連れ、もうこの場所には用はないといった感じで姿を消したおそらく先ほど言ったようにこの足で四国を離れるのだろう。
「なんか……最後置いてけぼりだったな」
「そうだねぇ。でも問題は解決したんだからいいんじゃないのぉ」
「まぁ、な」
『猿』は退治したが、メインディッシュとも言うべき真鍋を自分たちの手で倒せなかったので消化不良の感は否めない。肩透かしを食らった気分だ。
なんとなく気の抜けた気持ちのまま、このままこの場所にいても仕方ないので甚吉森に帰ることにする。許可を得ないまま来ているので、出来るだけ早く帰って事後承諾の形で終わらせたい。そうすればさほど辛い処罰は下されないだろう。あずさも同行しているので出来るだけ穏便に済ませたいという気持ちもある。
「じゃあさっさとかえ――」
「どうしたのぉ?」
「…………」
ズボンの右ポケットで振動する携帯。このタイミング、間違いなく兄からだろう。見覚えのありすぎるその名前を確認すると、ため息を吐いてその電話を切った。
「まさか陰神の残党が四国に来ているとはな。さすがに予想していなかった。よく追い払ってくれた」
「でもまぁ最後に上手く纏めたのはその黒いコートの男なんだけど。俺たちはろくに何もやっちゃいないよ」
健一のお説教を聞き流して、一息ついたところでようやく泰蔵が口を開いた。
あの後甚吉森に帰還し、居間で待っていた泰蔵、健一、碧の三人に事情を説明し終わるとまず始まったのは健一の説教だった。帰ってくるまで待っていろ、もし相手がその男だけじゃなかったら、自分よりも数段上の実力の持ち主だったらなどと色々言われたが、正直全部どうでもよかった。ちなみに隣で同じく正座しているあずさは終始笑顔で聞いていた。そしてようやくお説教が終わって出たのが先ほどの泰蔵の労いの言葉だった。
「それに夜叉といえば《漆黒の侍》と呼ばれる陰神でも名うての実力者だ。そんな男が四国にいるのは懸念があるが、俊二の聞いたところすぐさま何処かに流れそうだな」
「そうですね、父さん。元々陰神は《鬼人》羅堂道元のカリスマが大きな影響を持っていたと言われてます。羅堂が倒れた今、一枚岩でなかったことが表面化して一気に瓦解したのでしょう。俊二の報告は信じられると思います」
四国きっての情報通と名高い健一の分析に狂いはない。組織のトップが死亡しただけで簡単に霧散してしまった原因を正確に捉えていた。
「このことは私から雄斗に報告しておこう。もしかしたらまだ別の陰神の残党が潜り込んでいる可能性もある。そのうちまた連絡があるから注意しておきなさい」
「はい」
「わかりましたぁ」
離散した陰神の残党がどれほどいるかはわからないが、俊二はもうそんなことはないだろうと考えていた。元々陰神自体の構成員は少ないはずだし、大半は白神会との決戦で捕縛されたと聞く。今回の一件はあくまでイレギュラーだろう。それにあの夜叉と呼ばれた男は以前同じ組織だったからという理由で外法士を見逃したりはしないだろう。もしかしたらこれまでも秘密裏に今回と同じことをしていたかもしれない。
「じゃあ俺はあずさを送っていくよ」
「うむ、頼んだぞ」
「ありがとう、俊二ぃ」
本心から送りたいのではない。ただこのまま残っていればまた健一のお説教が再開される恐れがあったため、ほとぼりが冷めるまで時間を置いておきたかった。
そそくさと手際良く外出の準備をして玄関を出る。外はもう真っ暗だ。いつもはこの時間なら泊まっていくあずさだが、さすがに今日は帰ったほうがいいだろう。あずさも父である雄斗に自分から報告しなければならない。
「今日は、楽しかったねぇ」
「そうか? ……いや、そうだな」
思いもしない方向に行ったが、確かに波乱万丈で楽しかったと言えなくはない。少なくとも退屈ではなかったのは確かだった。
星空の下、あずさが満面の笑顔を輝かせる。
「こんな日がずっと続けば良いなぁ」
「……そうだな」
さっきの言葉を繰り返す。
お互いこんな日々がいつまでも続いていくことはないと気づいている。願っても祈ってもそれは叶わぬ願い。
あずさはいずれ北斗七星の当主となるか、誰かを婿に貰うかするだろうし、俊二も健一が当主となったらそのサポートに奔走しなくはならない。それはもう数年後、すぐのことだろう。
「せめて、それまでは」
「そうだねぇ」
言葉にしなくても通じるものはある。二人はいつしか足を止め、夜空を眺めていた――
「不穏の始まり」完
どうも榎元です。
ついに「南天に七星は瞬いて」連載、そして第一話終了です。
四国の地で過ごす俊二とあずさ。二人がどんな人生を送ろうとするのか見ていてください。




