~立ち込める暗雲~ 一話
堂ヶ森の襲撃後、直ちに四国中央から東部に残る石鎚山・陣ヶ森・竜王山・甚吉森・剣山も警戒態勢に入った。特に堂ヶ森から最も近い石鎚山にはすぐにも襲撃があるかもしれないということで、石鎚山の管理人である天野宗佑は瞬時に指示を出し、石鎚山にある拠点を半ば要塞のように堅固にした。どうやら陰神の残党が出たときから警戒をし、もしもの時の為にある程度準備をしていたらしい。それがこんなに早く役に立つとは想像もしていなかったようだった。
しかしそんな迅速な準備とは裏腹に、襲撃は一向になかった。もう既に堂ヶ森が襲撃されてから一週間が経つ。
その間、配置された石鎚山の退魔士たちは油断を怠ることなく警戒し続けていた。楽観主義と思われている天野の厳命で、他の七星たちは首を傾げていたが天野配下の退魔士たちはきちんと彼の考えや性格を理解している。楽観主義のその下地の現実主義を。よく誤解をされているが彼は楽観主義ではない。物事に対して緊張感を持たず、落ち着いたところもあるが軽い感じで取り組むが、それは全て自分の重ねてきた準備の自信の裏返しである。そのことが石鎚山の退魔士たちには浸透しているため、周囲の評価とは全く違う信頼をしていた。
「なんだか物々しいな……」
「うん。ちょっとイメージと違うかもぉ」
天野の本拠地である石鎚山は四国中央部から西に行った場所にある。標高は一九八二mで、これは近畿以西で最も高い山である。山岳信仰の山としても有名で役小角や空海も修行したとされ、日本百名山、そして日本七霊山の一つである。
曇天にそびえるように建つ霊峰石鎚山の拠点。それは彼らが持つ天野宗佑のイメージからかけ離れていた。
無論山にあるとは言え、おおっぴらに警護の退魔士を置くことは出来ないので人は居ないが、今入ってきた厳重な鉄格子を思わせる正門とその内側にある詰め所だけで他の拠点とは別格の警護体制を敷いているのがわかった。
初めて来たのだが、俊二は勝手にほのぼのとしたざっくばらんな雰囲気の場所だと思っていた。しかしそれは責められない。他の大部分の退魔士もそう思っていたのだから。勿論隣に居るあずさも含めてだ。
周囲の見渡しながら正門を抜けて玄関に向かう。と、不意に玄関の扉が開いた。
「ようこそ、石鎚山へ」
現れたのは予想通りここの管理人である天野だった。今年で三十になるが未だ若々しい。彼はいつもと同じように柔和な笑みを浮かべて二人を迎えた。
「こんにちは、天野さん」
「こんにちはぁ」
ずっと違和感を覚えていた俊二だったが、天野の普段どおりの表情を見てようやく落ち着いた。やっと見慣れたものを見れたという安心感だ。
「わざわざこんなところまで申し訳ないね。よろしく頼むよ」
「いえ。頑張らさせてもらいます」
「よろしくお願いしまぁす」
俊二たちはこれまでの経験を買われ、最も襲撃がありそうな石鎚山の警備を任命されていた。堂ヶ森の大樹は未だ怪我が酷く寝込んでいるが、鬼城照彦が警護をしているのでそちらの方は心配はいらなかった。
他の場所も各管理人を中心に迎撃態勢を整えている。最も危険と思われる石鎚山に彼らが出向となったのは、彼らよりも手練れの者は管理人しかいなかったからだ。管理人たちはまず自分の拠点を守らねばならない。そこで白羽が立ったのが彼らだったのだ。
だが実は反対意見もあった。それを唱えたのは俊二の兄である健一で、彼曰く『これまで二回襲撃があったが、もしかしたらそれは拠点襲撃が目的ではなく俊二、もしくはあずさを目標にしたものかもしれない』とのことだ。確かに今回の一連の襲撃事件に全て関っているという観点で考えるなら、それも一つの可能性だと言えるだろう。特に俊二はともかくあずさは北斗七星の盟主の娘。狙われる理由はそれだけで十分だ。
しかし戦力的に考えた場合、七星たちに準じる力を持つ二人を遊ばせておくには人員不足が深刻だったのだ。そこで襲撃の来そうな場所に他の七星と組ませて配置するという配置に落ち着いた。
「これほど堅牢な石鎚山に攻め込んでくるなんて考えられないですよ。きっとそれが原因で襲撃がないんでしょうね。まぁ大船に乗った気分でいればいいですから」
既に一週間が経ったが未だに襲撃はない。彼の言うとおり恐れをなしたのだろうか。当初は襲撃されていない拠点の中で最も近いとはいえ、四国全体の三分の一ほどの距離があるため時間がかかっているのではと思われていた。しかし一向に襲われないことで段々と緊張感が薄くなってきている退魔士もちらほらと見え始めている。この石鎚山はともかく、ここから南東にある陳ヶ森はその傾向が顕著だった。
天野の自信はこの緊張感の持続にも表れていた。普段からの鍛錬の成果。それが石鎚山の構成員にも沁み付いている。
「まぁでも油断してると来るかもしれませんよ」
「それはそれで。むしろ来てもらった方が事件の解決が早まりますから」
にっこりと微笑む天野。実力も自信も、立場も上の彼がそう言うのならもはや俊二に挟む口はない。
「ではしばらくよろしくお願いします」
「お願いしますぅ」
「はい、こちらこそ」
こうして二人は石鎚山に滞在することになった。
天野と石鎚山の様子に油断や不備はないが、それでも一抹の不安は拭えなかった。
そんな状況の中、動きがあったのはそれから更に三日後のことだった。
そろそろ昼食を取ろうかと天野とあずさ、そして俊二の三人が広めの和室に集まり座ろうとした時。どたどたと板張りの廊下を踏み鳴らして襖を開けたのは、天野の信頼も厚い本山というがっちりとした身体をした三十代の退魔士だった。
「天野さまっ、動きがありました!」
「来たか!」
「いえ、ここではなく陳ヶ森に襲撃との連絡ですっ」
「陳ヶ森だと……! 堅牢なうちの拠点を避けて陳ヶ森に狙いを変更したのか……!」
天野の表情が苦いものに変わる。予想外の出来事だったのだろう。
「天野さん、どうします」
「そうだな……」
俊二の言葉に逡巡する天野。高速で思考を巡らせているようだ。
俊二自身にも予想外だが、石鎚山に襲撃が来なかった場合の対処は指示されていない。そうなると今この場の最高権力者、つまり天野の指示に従うことが最も円滑に進むだろうと彼は判断した。そして。
「――陳ヶ森に救援に向かう!」
大きな、張り上げるような声で天野は高らかに宣言した。そして即座に指示を出す。一刻の猶予もないのだ。
「本山、すぐに出る。車の準備を。三分で出るぞ!」
「はっ!」
本山もその指示に従うべく即座に走って行く。その動きに迷いはない。
「俺たちも行きます」
「行くよぉ」
「いや、君たちは念のためここに残ってくれ。襲撃されなかったとはいえここを空にするわけにはいかないからね」
「ですが……」
「頼む、何人か残すからその者達と一緒に警備をしてもらいたい」
確かに石鎚山を放置することは出来ない。何人かは残らないとならないだろう。だが何故それが俊二たちなのだろうかと疑問に思う。
「……出来るだけ君たちには戦場に立って欲しくはないからね。狙われてるという噂もある。今回陳ヶ森が襲撃されたことでそれは噂に過ぎなかったことがわかったけれどね。……だから残ってもらいたいんだ。頼む」
「天野さん……」
それは七星の一人としてというよりも、一人の年長者としての言葉だと彼は感じた。俊二はもう二十三、あずさも二十一で子供という年齢ではない。しかしそれでも幼い頃から見てきた天野にとっては大事な弟妹のようなものなのだろう。
「……わかりました。あずさもいいか?」
「うん、いいよぉ」
「ありがとう、二人とも。ここは任せる。陳ヶ森は任せてくれ」
言い終わると同時に部屋を飛び出ていく天野。一刻も早くという気持ちが前面に表れていた。
「俺たちに出来るのはここを守ることだけだ。残った人たちと合流しよう」
「そうだねぇ。もしもの時の対応と受け持ち決めなきゃ」
俊二はあずさに振り向くと、彼女はいつものように微笑んだ。




