第8話 雪が溶けて触れる熱
「天野…」
どうしてここに…そう思っていると、周りが再び騒ぎだした。
「あっ天野さ~ん!!」
「おっイケメン登場じゃーん!!天野っちも誘っちゃう?」
―――こいつら本当うるさい
お前彼氏いるのに媚売るなよ、とか、天野にまで声かけんな、とかいろんなことが頭の中に浮かんで益々疲れてしまい、思わず顔を歪めてしまうところだった。
「ここで何してるんですか?」
「ゆきちゃんが転勤しちゃう前に飲みに行こうって誘ってるんだけど、ノリ気じゃなくってさあ~!!天野っちからも言ってくんない?」
そうにやにやした顔で言う先輩の表情は最悪だ。これで自分は人気があるとか思ってるんだから、余計に厄介なんだ。
「あ、そういうことですか…月村」
「っ…、な、なに?」
天野に急に声をかけられて、無防備にしていた私は思わず過剰に反応してしまった。
「さっき、お前に会いたいって言ってたお客さんが来てたから、会いに行った方がいいと思うよ。最後のあいさつになるかもしれないし」
「え、そうなの?」
「ああ。…そういうことで先輩たち、大事なお客様なので、こいつ連れて行ってもいいですか?」
そう言って笑う天野の目は笑っていなかったし、声もいつもよりも低くて、なぜかわからないが機嫌が悪いようだった。それをどことなく感じたのか、先輩たちは私がさっき何を言っても引かなかったのに、天野の一声ですんなり頷いていた。
「あ~…そういうことなら仕方ないっか~、全然っいいよ!!」
「「「うんうん」」」
いつも穏やかで優しい人がすごむと迫力があって、効き目があるんだな、と私は違うことを考えていたので、天野が近くに来ていたことに気がつかなかった。
「佐々木も、こいついいよな?」
「あぁ、俺の用事は大したことないから」
「じゃあ、行くぞ月村」
「えっ?ちょっ、」
天野は私の腕をつかんで私を引っ張るようにして歩き始めた。急に歩き始めるのでつんのめりながら、必死について行くと、後ろから佐々木が声をかけた。
「天野っ、」
その一言に天野は立ち止まって振り向いた。
「わかってるよ」
「ん、ならいいんだ。じゃあな月村」
「えっ、ああ、うん。それじゃあまた…」
一体何の会話をしているのかはわからないままだったが、それが何かを聞くことは出来なかった。天野に期待をしてはいけない、そう心に戒めていたから。
「ねえ、お客様って誰のこと?」
「………」
「ねえちょっと!!天野!!早いよ歩くの!それに聞いてるの?!」
私が話しかけても天野は振り向かずにただ歩くだけで、何を考えているのかがわからなかった。いつも優しくて穏やかな天野だからこそ、こんな風にしているのを見たことがなくて不安になってしまう。
「あ、天野…ねえ、」
「………、ここなら大丈夫か」
「え?」
「入って」
有無を言わさぬ口調に反抗することが出来なくて、素直に従ってしまった。
「う、うん」
―――ばたん
めったに使うことのない会議室に何の用事だろうか。それに天野の言っていたお客様のことはいいのだろうか。
「ねえ、ここに入ってよかったの?お客様待たせちゃったら悪くない?っていうか、もう帰っちゃったかな?」
「大丈夫だよ、それ嘘だから」
「は…」
「あのままだと堂々巡りだったから、適当に嘘言って連れだすしかないと思った」
「う、うそ?!」
天野が嘘をつくなんてめずらしくて思わず驚いてしまったけれども、天野なりに気を使った結果だったのかもしれない。
「そ、そっか。なんかありがとう。気使わせちゃってごめんね…?」
「………」
「でもそれなら別にここに入らなくてもよかったんじゃない?」
「話があったから」
「話…?別に話すことなんてないでしょ…?」
「話すことなんて、ない………?それ本気で言ってるのか?」
「っ…本気も何も、」
―――ダンッ
天野が机を叩いた音だった。そして、私を睨みつけるようにして言った。
「おかしいだろっ!!俺はお前に話すことがたくさんあるぞ!!なんで俺を避ける?なんで普通にしない?なんで………転勤のこと話してくれなかった?!」
「そっそれは…」
「お前にとって俺はそんな存在だったのか…?転勤のことすら言う必要のない存在なのか?このまま、逃げるようにして俺の前からいなくなるつもりだったのか?!」
「そんなことっ」
「あるだろっ!!今まで…3年間の俺たちの関係は何だったんだ?お前にとっては取るに足らないものだったということなんだろ?!」
「………」
怖い、そう思った。こんな天野なんて見たことがない。私にはいつも優しくて厳しいことを言っても、決して怒鳴ったりすることのない人だったから。
「なあ、月村…なんでなんだ?なんで転勤しようと思った?」
「………」
なんで、だなんて。天野と離れたいと思ったから、これ以上、つらい思いをするのは嫌だと思ったから。でも、そんなこと言えない。
「っ、あ、新しい土地で、新しいことをしたいと思ったから。もっとスキルアップしたいって…」
「それならここにいたって出来ることだろう?わざわざ転勤なんてする必要ない」
「なんでそんなことっ、別に私のことなんだから、いいでしょっ…天野には関係な」
「関係ないなんて言うなっ!!俺たちの関係なんてそんなものだったのか?!俺はお前とただの友達だなんて思ってない!!」
「っ?!?!?!」
「月村、お前だってそうじゃないのか?!」
「やっ…やめて、離してっ!!」
―――どうして?なんで私、天野に抱きしめられているの…?
「………なあ、本当のこと教えてくれよ。俺、このまま月村と離れることなんて出来ない………!」
「んっ…!ちょっ」
天野が体を屈めて私の首元で話すのでそのたびに吐息がかかって、なんともいえない気持ちになる。体温を、熱を直接感じてしまうから。
「ねえっ、離してっ」
「………嫌だ、本当のことを言ってくれるまでは離さない」
「なんでっ」
どうしてこんな…こんな状況駄目なはずなのに…嬉しいと思ってしまうんだろう。
触れあえることにどうしようもないくらい胸が騒ぎだして、もっと触れてほしい、もっと強く抱きしめてほしいと想いが溢れだす。
天野に触れられるだけで自分でも感情が上手くコントロールできなくなってしまう。
―――でも、このままじゃ、駄目
「天野っ…!!こんなこと駄目だよっ!天野にはっ…」
「俺には?」
「大事な人がいるでしょう?!なのにどうしてこんなことするのっ?」
「どうしてって、なあ、なんのこと言ってるんだ?」
「なんのことって、彼女のことに決まってるでしょ?!」
「彼女…?」
「そうだよ、前に社食で会った、可愛い女の人…彼女って聞いたよ」
「社食で会った人…?」
「だから、その人のためにもこんなことしちゃ…」
「待て…!!俺には彼女なんていない!!それも勘違いだ!!」
「何言って…」
「俺が好きなのは、月村なんだっ!!俺はこの3年、お前しか見てこなかった…!お前が好きで、大事で、離れたくなかった。だから、ずっとそばにいたんだ!!」
「え…」
私を好き?何言って…
「伝えたことはなかったけど、わかってると思ってた。月村も何も言わずにそばにいてくれたから…それでも、昇進したらちゃんと告白しようと決めていた」
「………」
「これからもずっとそばにいてほしいって…なのに…!!なぁ、他に好きなやつでも出来たのか?!俺じゃだめだったのか…?」
―――そんな風に思ってたなんて…知らなかった
「俺は遅かったのか…?月村…」
「っ…ち、ちが」
「ごめん…こんなことして…無理やりだなんて、最低だな俺。何してるんだろうな…」
力が弱くなって、体に巻き付いていた腕のぬくもりが、首元にかかる吐息が遠ざかって行った。
「ごめん…俺このまま一緒にいたら何するかわからない…出るよ」
「えっ…」
「ずっと好きだったよ、月村。俺はお前を愛してた…」
そう言い残して天野は出て行ってしまった。
「…あいしてた?天野が私を…?そんな…彼女もいない…?」
信じられなかった。私の一方通行だと思っていたから、天野が私のことを大事にしてくれているのはわかっていたけど、それは恋愛感情じゃないって、言い聞かせてたから。
でも、好きだって愛してたって言ってくれた。
その思い信じてもいいの…?私は…
―――私は何も伝えてない。
今のままの関係を壊すことを恐れて殻に閉じこもって、天野の大事な人を知ることが怖いからって逃げた。そして、自分の思いを封印して、天野の気持ちまで否定しようとしている。
―――このままでいいの?
意地っ張りで強情で可愛くない女のまま?好きって気持ちまで否定して、自分を愛してくれる人まで、信用出来ないの?愛されたい、そう思ってたんじゃないの?
―――あのぬくもりにもう一度触れたい
あたたかかったあの体温にもっと触れていたい、そう思った。もっと強く抱きしめられたい。鼓動を感じていたい。
「私はこのまま変われないの…?」
―――変わりたい
「もっと自分を好きになりたいっ」
このままじゃだめなんだ。私の気持ち、ちゃんと伝えなきゃ。愛されたいなら、愛を伝えなきゃ。
努力しないとだめなんだ。私は結局今まで甘えてばかりの駄目な女だったんだ。そんなことも気がつかずに、天野の優しさに包まれていた。
美人だから、とかそういうんじゃない。ちゃんと中身を見てくれる人はいる。素直になったら駄目だなんてことはないんだ。
過去は過去、今は今。
だって、どんな私だって、きっと天野は受け止めてくれる。
「はぁっはぁっ、あ、天野っ!!」
「…月村?どうして…」
「私…私も、天野のことが好きなの!!こんな意地っ張りで強情で素直じゃなくて、可愛くなれない私だけど、天野のそばにいたい。もっと一緒にいたい、そばで笑いたい。自然な私でいたいの。天野のそばでそんな私になりたい…!!」
「………」
「今さらかもしれない、今頃言うなんてずるいかもしれない。それでもやっぱり、天野の隣に私がいたいの。他の人に渡したくなんて、ない」
「…月村」
「あなたのことが大好きです…そばにいさせてください」
「………それが、本音か…?」
「うん…」
「そうか」
天野がほらって言う風に両手を広げて私を招いた。
「そばにいたいんだろ?こっちにおいで」
「?!」
「どんな月村でも受け止めるから。強がらなくったっていいんだ。そのままで、―――好きだから」
―――そのままの、私
そっか、そうだ。天野はこんな私でも受け止めてくれる。きっと、どうしようもなく可愛くなくったって素直じゃない態度を取ったって、気がついてくれる。
―――本当は、寂しくて、つらくて、頼りたくって、素直になれない私でも
「うんっ…!!」
大きく笑っていつでも私を照らしてくれる、私だけを見つめてくれるヒマワリがそばにあるなら、きっと私は。
―――もっと自分を好きになれる
ぽふっ
「捕まえた」
「捕まった…?」
「「あははっ」」
この人のそばなら、もっと美しく、咲き続けられるような気がするんだ。
たくさんの笑顔を受け取って、マーガレットはもっと上を向いて大きくなれる。
隠し続けていた、心に秘めた愛、それが芽生えてくるのは、もうすぐのお話。