第7話 歪んだ鏡
「これから行くのか?」
「はい、今までお世話になりました。この3年間でたくさんのことを学ばせてもらって部長には本当に感謝しています」
「いや…こっちも育てがいがあって楽しかったよ。あのな、月村、」
「はい、なんでしょうか」
「あま…ん、いや………なんでもない。向こうでも、お前らしく頑張ってくれ」
「………はい、自分にできることを精一杯したいと思います。本当に、いままでありがとうございました」
「ああ、たまには遊びに来いよ?」
「はい!では失礼します」
今日が最後の出勤日だった。3年間通い続けた会社ともお別れだと思うといろいろくるものがあって、部長と話をしていて泣きそうになってしまった。つらいこともあったけど、教えてくれて、叱ってくれて、なぐさめてくれる素敵な人たちがたくさんいたから今まで頑張れたのだと思う。新しい職場でも同じような環境であるかはわからない。それを考えると不安で怖くなる。でも、悩んでばかりもいられない。それこそ、働いてみないとわからないのだから。どんな場所でも、部長が言ったように頑張るしかない。下ばかり向いていられない。上を向いて、私らしく…
「月村!!」
「佐々木…」
帰宅しようとしていた私に声をかけてきたのは佐々木だった。
「これから帰んの?荷物それだけ?」
「うん、そう。昨日で全て片づけたから」
「そっか………あのさ、」
「あーーー!!ゆきちゃんじゃーん!!」
佐々木が何かを言おうとしたときに後ろから騒がしい声が聞こえてきた。
「「あ………」」
うちの会社は基本的にみんな優しくて面倒見のいい人たちが多いのだが、2割ほど男女ともに不真面目でだらしない人がいる。仕事の出来る後輩に自分のやらなければいけないことを押し付けてさぼる人や、男に甘えて出来ることを出来ないと言って早々に帰宅する人など―――そんな人たちはそこでまとまって仲が良いのだが、私に声をかけてきたのはそのグループだった。しかも私に仕事を押し付けてきた、この間の馬鹿女もいる。
私はそのグループには極力関わらないようにしてきたので、声をかけられて思ったことは―――めんどうくさい、だった。それは佐々木も一緒で、ぼそっと「うるせー…絡まれそうな流れだな…」と悪態をついていた。
それでも社会人、思ったことを出してはいけない。私はアルカイックスマイルで返事をした。
「こんにちは、どうかなさいましたか?」
「えーーー!!なにそのよそよそしい態度、もっとフランクにいこーよ!」
「いえ、先輩に対してそんな風には…」
「さみしいじゃんね。ってか、ゆきちゃん、転勤するから今日で終わりなんでしょ?」
「ええ、」
「送別会しなきゃだめじゃんーーー。これから俺たち飲みに行くんだけど、ゆきちゃんも一緒にいかない?!あ、佐々木君も」
―――佐々木君も、って、とってつけたように言うなよ、というか、誘われても行きたくないっつーの
隣で佐々木がぶつぶつ言っていたが、とりあえず無視して、先にこの厄介な先輩たちを処理することにした。
「いえ、送別会なら先日たくさんの方々にしてもらいましたので。お気持ちだけで十分です」
「なに固ったいこと言ってんの?もういっかいやったって別にいいじゃん?」
遠まわしに嫌だって言っているのをどうしてこの人たちは気がつかないのだろうか。本当に頭が軽くてうんざりする。
「………やらなければいけないことがまだあるので、早めに帰りたいんです、すみません」
「えー!!ノリ悪くない?!」
「しょーがないですよっ!!月村先輩はまじめな人ですからっ!仕事大好きですもんね?あははっ」
そこにあの馬鹿女が会話に混じってきた。
―――はあ?!仕事が大好きなんじゃなくて、私はお前の尻拭いをいつもしてんだよ、そんなこともわかんないのかよ!!この馬鹿女!!
本当に、腹が立ってきたので、まともに会話するのもつらくなってきた。そんな私を見て、佐々木がかばってくれた。
「月村は仕事が出来るかっこいい女ですよ?みんな後輩たちも憧れだって言ってます。俺たち同期も尊敬してますし」
「そーなんだ!!えー、美人なのにすごいね!!俺たちみんな、ゆきちゃんが美人だから、もっと仲良くなりたいなーって思ってたんだよ」
そこから先輩たちが勝手にわいわいし始めた。美人だの、クールビューティだのと顔ばかりを褒める。美人なのに、って言葉に反応してしまって、結局、私は顔なのだろうかと思った。そんな男たちの会話は、馬鹿女にとって面白くなく思ったのだろう。
「美人かもしれませんけど、先輩って、ノリ悪いし、全然素直じゃないですよね~。昨日も天野さんが、荷物運んでくれるって言ってくれたのに、あっさり断ってたし~。結局、一人でどうにか出来ちゃったから必要なかったのかもしれないけど~!!」
―――天野、またその名前を、ここでも聞かされるのか
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昨日、机周りの物や仕事関連の物をつめた段ボールを次の職場に郵送するために一階まで運ばなければいけなかったのだが、自分一人でも持って行けそうだったので、そのまま歩こうとしていた。少し重くて視界も狭くなっていたので、歩きづらいとは思っていたけれども、そこで男の人に頼むとまた何か言われると思ったので、大丈夫、そう思って頑張っていた。
『月村?それ、つらくないのか?』
そう言って私の荷物を持ち上げようとした人がいた。
『っ…大丈夫!!あと少しだし、気にしないで!!』
姿が見えなくても声だけでわかる私の………声だけで私を心配しているのがわかる、私がそっけなくしても、私をずっと気にしてくれる、残酷なまでに私に甘く優しい人…
『でも、月村…』
『気持ちだけ受け取っておくから、ありがとうね、天野。それじゃあ』
そう言って私は再び逃げるようにして歩きだした。
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多分、その場面を見られていたのだろう。素直じゃない、本当その通りだと思う。普通の子なら、あそこで可愛らしく、いや、そうでなくても、男の人が気遣ってくれるならお願いするだろう。そこで、頼めない私は、どうしようもなく意地っ張りで強情で素直じゃない女なんだ。わかってはいるけど、そんなことは実行できない。それに天野の優しさに浸りたくはなかったから。
「………そうね。私はそうい女だからね、仕事頑張るしかないのよ」
「えーーー寂しいひと~!!」
「寂しいなら俺たちと一緒に遊んで明るくいこーよ!!」
―――だからってなんでそうなるのよ…
私が何を言っても同じようなことを言ってくるので無限ループのようだった。さすがのしつこさに佐々木も困っていて、二人でこの場をどうしようか考えていると、噂をした男が現れた。
「月村?先輩たちもなにしてるんですか?」