Nowhere!
6、7年前に四人で合作した「ロボット戦記物」のアンソロジー短編集の担当パート抜粋のため、「細けぇ設定はいーんだよ」という飛ばしっぷりですが、物語は単体で完結してます。
投稿の練習のためだけにUPしましたが、楽しんで貰えれば幸いです。
この戦争をなんのためにやっているのか、分からなくなっても、相変わらず戦争を続けてる連中がいるのも現実で、そいつらになんで戦争してるのかと尋ねれば、
「戦争が続いてるからさ」
と答える。
ばかばかしい。だいたい、祖国はもう降参してるんだ。義理堅く戦争を続けてやる必要がどこにある?
「ゼンガー・ヴァイヒ少尉」
軽く咳払いをして、フーデル中佐が注意を喚起する。心情が顔に出ていたらしい。もっとも、それは中佐も同じことで、それ以上は言わなかった。
中佐は周囲を見渡すと、
「命令は以上だ」
短く締めくくった。あるいは、周囲から沸き起こる困惑を無視するための短さだったのかもしれない。
命令と言うのは、要は提示された位置――つまりヤース市内の西側で、あるかもしれない強襲揚陸や落下傘降下に対して防衛戦を行えという簡単なものだ。
街の東や南北で六倍近い敵と睨み合ってる連中と比べれば、遥かに気楽な任務だった。が、それでも困惑は否めない。
中佐の視界内で訓示を受けていたのは、パタグラム公国海軍の黒い制服を着た士官たちなのだ。
「質問は?」
おそらく中佐がもっとも恐れた言葉を口にした途端、参集していた士官たちはいっせいに手を上げた。
偏頭痛の表情を浮かべながら、仕方なくフーデルは一人ずつ指名していく。四十歳とは思えない薄い頭髪は、さらに余命を短くすることだろう。
ウンラインは野戦砲の運用方法が分からないと言い、キュンメルはそもそも照準の仕方が分からないのだと主張し、リュトヴィッツは陸戦をやらせるならそれなりの訓練がなくてはできないと言って同意を得た。おい待てこっちはガソリンがなくて練習もできないんだと言ったのはエッターリンで、そもそもなんで砲塔の旋回が手回しハンドルなんだと疑問を述べたのはイェーデだし、いいじゃねえか大砲があるだけましだろこっちは鉄砲かついで突撃しかねえんだと罵ったのはラングだった。
そして、ついに言ってはならない事をのたもうたのはニーマックだった。
「中佐、自分の乗務していた艦は、まだヤース湾にあります」
そうだそうだおかしいじゃないかなんだって陸に上がって戦わなければならないんだ。
「私は命令に対しての質問がないかと訊いたのだ! だれが現状を討論しろと言った!?」
ついにフーデル中佐の怒気が爆発した。頭から吹き出た蒸気で薄い髪が一掃されるんではなかろうか、と無駄な心配をするほどの怒りように、場は水を打ったように静まり返った。
「とにかくッ! 貴様らは命令に従って、持ち場を死守しろッ!」
捨てゼリフにしては不恰好で、命令にしては無茶なことを言い置いて、中佐は会議室から出て行ってしまった。こうなると、どうしようもない。
参集していた将校たちは互いに押し付けがましい視線を投げかけて、ばらばらと部屋を出て行った。
おれにしても、これ以上、ここに居ても仕方ない。フーデルのおっさんは気の毒にな、などと考えながら外に出る。
戦隊本部にしている建物は古い居酒屋で、石造りの堅牢さを見込まれて抜擢された。中佐より気の毒なのは、ここの店主か。
外に出ると、風が潮の臭いを運んでくる。それに熱気のこもる記憶が呼び覚まされても、それは終わった戦争だと感じるだけだ。市井に戻れば「戦争屋」などと呼ばれるが、おれだって無分別に殺し合いをしたいという欲求など持っていない。
おれの心情を映すように、昼間だというのに陰鬱な曇天が広がっている。ここ二週間、ずっとこんな天気だ。ご丁寧に雪まで降りやがる。異常気象だったが、空爆にさらされないだけマシかと言われれば、もっとマシなのはとっくに降伏を実行した連中だろうと考えてしまう。
で、後ろから近付いてくるぶかぶかの軍靴をがぽがぽ履いている足音は、おれにとっては雪以上に鬱陶しい。
「よお、ヴァイヒ戦車長どのではないですか」
片手にウィスキーの瓶を掴んで、よれよれの軍服に、奪い取ったせいでサイズの合わないメイタジューラ軍の軍靴。前の軍靴は思い出したくない用途に用いられて捨てられたらしい。
それがおれの戦車を守る、随伴歩兵の班長どのの勇姿だ。スリングで肩に担がれた突撃銃がガチャガチャ鳴っている。
おれは胸のポケットから支給品の煙草ケースを取り出して、不良軍人に投げつけた。酔っ払いは危なげなく掴み取ると、ウィスキーの瓶をおれに手渡す。
「どっから盗ってきたんだ?」
支給はワイン四分の一瓶。ウィスキーなど出るはずがない。
「人聞きの悪いことを言うなよ、ゼンガー。おれの賭博の腕を知らんわけじゃあるまい」
「奪い取って来たわけか」
煙草に火をつけるマインラート・フィッシャーを見て、おれもウィスキーの瓶を傾けた。互いに久し振りの味を堪能して、
「メイタジューラの阿呆どももだらしねえ。前の攻撃で師団司令部を叩き潰してくれりゃ、おれたちの苦労もないってのにな」
「憲兵にしょっ引かれるぞ、フィッシャー」
「どうせ、憲兵も最前線だろ。海軍も陸に上って戦ってる始末なんだからな」
おれは肩を竦めるしかない。おれの考えはフィッシャーとは違うが、言ってもこいつは聞きはしないだろう。
第六師団はヤースに駐留してから、なりふり構わず戦力を拡充している。民間人を徴用し、港湾で解隊を待っていたおれたち第七水雷戦隊を陸戦兵力に用いている。兵器はヤースで前線への輸送を待っていたものを使っているという話だ。
市民は『国民擲弾兵大隊』とか言う、胡散臭い名称で武装させられている。歩兵だけで、捨石の肉壁にされることは目に見えている。おれたちは水雷戦隊長の名前を取って、『グリューナー戦闘団』とか呼称されていた。
グリューナー少将は、なるほど老練の宿将だろうが、それも海の上でのことだった。おれたちと来ては、マニュアルと一緒に渡された未知の兵器を使って戦えと言われる始末だ。
ゴルドルーベンハイム中将とかいう師団長が冷静なら、こんな混成部隊に監視をつけないはずがない。士気が高いのは第六師団の熟練兵と少年兵だけで、市民とおれたちは身を呈して師団長閣下を守る義理も義務もないし、その意思もない。
その気分が伝染しないように憲兵を使うのは、当然だろう。もっとも、監視される方はたまったものじゃないが。
「まったく、いつから中将閣下は元首どのになられたのかねえ」
煙草をぷかぷかやりながら、相変わらず軍靴をがぽがぽ言わせているフィッシャーがぼやいた。案外、鋭いことを言うこの男が、おれは嫌いだった。
「次の戦闘はいつだろうな……」
「敵サン、こないだの攻撃でえらい目にあったからビビちまって、次の攻撃に向けて必要以上の準備してるんだとよ」
ごまかすようなおれの言葉に、不良はへらへらと答えた。で、自慢げに、
「南方方面軍を大々的に投入するんだとさ。五個師団、兵員十万ってのがもっぱらの噂だけどな」
などと言う。おまえの軍じゃなかろう。
「死なんように気をつけんとな」
囁いたフィッシャーの肩に、ひらりと雪が舞い降りた。
自分の持ち場に帰ると、三人の部下が戦車に群がっていた。戦車には黒い字で『ヴィルシンクⅢ』とペイントされている。おれたちの乗り込んでいた重巡洋艦『ヴィルシンクⅡ世』から取った名だ。この程度が、陸戦をやらされる海軍兵士のささやかな反抗だった。
終戦まで沈まなかった奇蹟の不沈艦にあやかって、という意味もないではない。不安なのだから、験をかついでおくのも悪くないだろう。
戦車の横で教本を見ている男に声をかけた。
「どうだ、はかどってるか?」
「やあ、隊長、お帰りなさい」
そう答えて、砲手にされたフリッツ・ベークが若い顔を綻ばせた。苦笑を浮かべたフリッツに、おれも同じ種類の笑みを浮かべてしまう。
「なんだか、急に年を取った気分ですよ」
「まだ二十歳だろ。……艦の主砲が懐かしいって?」
「それもありますけどね。戦車の照準は距離が分かりにくいですし――」
言いながら、フリッツが砲塔の上を仰ぎ見る。釣られて見ると、そこには少年兵の二人が喧嘩していた。終戦直前に徴兵されたヨハネス・ハルペとゲオルグ・バルクだ。
ゲオルグの方が年上なのだが、ヨハネスに対して先輩風を吹かせるのが、同輩のヨハネスには許せないらしい。よく喧嘩しているのを見かける。
それを見て、納得した。
若いながらもフリッツは、何度も海戦に参加した熟練兵だ。その彼から見ると、二人が子供にしか見えないのも仕方ないだろう。
「なにやってる、ヨハネス、ゲオルグ!」
戦車長として、仕方なく仲裁に入ったおれを見て、フリッツが忍び笑いを漏らす。おまえが止めろ、と言ってやりたいのを我慢する。
「こいつがトロいんで注意したんです!」
怒鳴り返したのはゲオルグで、ヨハネスは怒気で顔を赤らめているばかりだ。
「ヨハネスは装填手だろうが。それを注意するのは、フリッツだ!」
横でフリッツがぎくりとした表情を浮かべたので、ささやかな溜飲を下げて、ゲオルグを睨んだ。
「おまえは無線の操作、覚えたんだろうな?」
「だ、大丈夫です!」
意地と体面で答えたゲオルグに、
「練習してるところを見てません」
ヨハネスが告発者に回る。頭痛がしそうだ。泥沼の喧嘩になりそうなので、おれは二人を降ろして、一発ずつ殴る。
「足を引っ張り合う暇があったら、練習していろ! 死んでからじゃ後悔もできんからな!」
「少尉も苦労が絶えませんなあ」
フリッツがすかさずちゃちゃを入れる。こいつも殴ってやろうかと思ったが、自分が神経質になっていることも自覚しないではなかったので、踏みとどまる。
「ヘルムートは?」
最後の一人、操縦手の姿が見えなかったので、気持ちを落ち着けるために尋ねた。このメンバーの中ではおれとヘルムートが古参兵だ。もっとも、おれたちも三十には届いていないのだが。
「中で、いつもどおり黙々とやってますよ」
極端に口数の少ないヘルムートは、文字通り黙々と行動する。質実剛健と言うべきか。彼に限って言えば、不安はなかった。
「ところで、戦況はどうなんです、ヴァイヒ少尉?」
こいつにはフィッシャーの方がウマが合うに違いないと思う。極端に陽気と真面目の境界線が引かれていて、陰気が存在しないところがそっくりだ。
「遊ぶ時は遊び、学ぶ時は学ぶ」などとのたまう教育者に見せてやりたい二人なのだが、見せても眉根をひそめて、「曲解している」と答えたことだろう。
「包囲してる連中、本腰を入れるらしい。陸軍の連中が気張っちまったせいで、敵サンを本気にさせたんだろうよ」
「そいつは嬉しいお言葉ですな。いっそのこと、『ヴィリー』で脱走してみますか?」
『ヴィリー』とは『ヴィルシンクⅢ世』の愛称だった。旧式の『ウィリバルト』中戦車は、こうして見ると角張って無骨な外見が「愛すべき爺さん」に見えなくもない。
海軍の整備兵たちは、この旧式の戦車にべたべたと追加装甲を貼り付けてくれた。装甲鋼板は『ヴィルシンクⅡ世』の装甲板をばらして間に合わせたらしい。
「戦車だかトーチカだか分かりませんな」というのが、フリッツの品評だった。
「敵サンの砲撃にずたぼろにされるか、味方に後ろから撃たれるか、どっちかだぞ。こんだけ装甲つけて、鈍足になっちまったからな」
「夢のある話で……。まあ、おれらは正面には回されんでしょう。火事が収まるまで待ちますか」
「飛び火せんとも限らんがな」
フリッツの陽気にあてられて、つい分別臭くなってしまうのが疎ましい。いつの間にか、舞い落ちる雪の量が増えていることに気付いて、おれたちは宿舎に向かった。
宿舎とは言っても、接収した民家だ。賢明にも戦火に焼かれる前に逃げ延びた市民は少なくない。そうした空家を小さなグループに分かれて使っている。
二階のベッドで陸軍教練書を呼んでいると、階下からヨハネスが「夕飯です」と声をかけてくる。
「少しの間に、ずいぶん世帯じみたな」
食卓を囲んで、食事を始めるグループを見ると、そう実感する。同時に、開戦当初の秩序だったパタグラム軍は、もう存在しないのだとも思い知らされる。
焼き固めたビスケットに野菜のスープ、薄切りの冷肉とチーズ。それにコーヒーと砂糖がついてくる。
それが戦闘団本部の管理小隊から支給される給食だった。管理小隊の前身は、想像通り各艦の厨房を預かっていた調理士官たちだった。もっとも、これでは腕の振るいようもないだろうが。
コーヒーに砂糖をすべて投入する連中を見ながら、おれはブラックのコーヒーをすする。なんと言っても代用コーヒーだ。すさまじくまずい。おれの砂糖はヨハネスのコーヒーにぶち込まれて、黒い砂糖湯の一部となっている。
おれと同じようにブラックで飲んでいたヘルムートが、砂糖をそのまま口に流し込んでいるのを見ると、さすがにぎょっとする。
「敵サンはもっといいもん喰ってるんでしょうね」
教本片手にビスケットと野菜スープ、交互に手を出すフリッツがぼやく。
「ビスケットじゃなくパンだろうな」
「ソーセージの代わりにちゃんとした肉だってあるぜ」
ヨハネスとゲオルグが言い合う。一般家庭なら、そのぐらい贅沢でもないだろうが、戦場では戦友の次ぐらいに重要なのが食事だった。
「ついでに女も、な」
悪戯っぽい眼で付け加えたフリッツに、おれは溜め息を堪えて一睨みをくれてやる。
「子供の前で滅多なことを言うな」
「こ、子供じゃありません、少尉!」
この時ばかりは意気投合して共闘する二人に、おれはくじ運の悪さを呪った。比喩でも何でもなく、本物のくじ運だ。
なんと兵員の割り振りを、士官によるくじ引きで決めたのだ。第六師団はグリューナー戦闘団を創設して、装備を与えはしたが、それ以外はなにもしてくれない。どう割り振ってよいかも分からず、ガンルームでの会議の末、くじ引きに決めたのだ。まさか、こんな貧乏くじを引くことになろうとは思わなかったが。
「認めて欲しかったら、それなりの仕事をすることだ」
おれもまだ二十代なんだ、と言いたいのだが、言ったところで効果があるとは思えない。
「おまえもなんとか言えよ、ヘルムート」
話題を相棒に振ろうと思ったのだが、いかなる状況でも沈黙を守る「鉄壁ヘルムート」が口を開くはずがない。対空機銃分隊で攻撃機の機銃掃射が掠めた時、「危なかった」と呟いた声に、現場にいた同僚が驚愕したという逸話があるぐらいだ。さすがに嘘だろうが。
その食卓へ、お隣のフィッシャーさんが乱入してくる。
「おいおい、暗い連中だな。もっと楽しく食事ぐらいできんのかよ」
「無分別に楽天的な奴よりマシだ」
「無愛想な奴だな。せっかく人がいい話を持ってきてやったってのに」
とか言いながら、勝手におれのビスケットをかっぱらって口に放り込む。それどころか、空き椅子を引っ張ってきて座り込んで、すっかり食卓に入り込むつもりだ。まあ、いつもの事だが。
「いい話ってのはなんだ?」
素早くビスケットの残りを口に放り込んで、フィッシャーに訊いてみる。どうせ、ろくでもないことだろうが。
フィッシャーはビスケットを掴み損ねた手を宙に泳がせてから、何気ない表情を装って、その手で髪をかきあげた。
「早く話せ」
「せっかちだな。まあ、いいさ。どうせ明日には分かるだろうしな。どうやら、中将閣下は降伏するつもりがないらしいぜ」
掛け値なしの凶報だった。おれはあまりのことに呆れて、ろくに反応できなかった。すると、フィッシャーは面白くなさそうな表情をする。
「あまり驚かんなあ」
「驚いてる」
「まあ、おれらには関係ないでしょ」
口を挟んだのは、教本に目を向けながら、こちらの会話を聞いていた器用な男だった。相変わらず、食事も続行中だ。
「おれらより早く、師団司令部にぶち当たりますからね」
「そいつは甘いぜ、フリッツ。なんで戦力が不足してるってのに、おれたちは港側を守ってんだと思うんだ?」
「それ以上、言うな」
軽い舌が吐き出す結論があらかじめ見えてしまって、おれは制止せざるをえなかった。考えてみれば自明のことだが、おれなどはともかく、ヨハネスやゲオルグには分からないだろうし、知らせるのは酷というものだ。
「分かってるって。そんな人を殺しそうな眼で見るなよ」
ちょっと肩を竦めた不良軍人は、おれの取り越し苦労を笑うようにふざけた表情を浮かべたままだ。
なにがなんだか分からず、少年兵二人は小さくなっていた。相変わらずマイペースなのは、六人のうち半分だけだった。
半分は緊張し、二人は白けて、一人はもとから無口なために、屋内は妙な沈黙に支配されていたが、それを破ったのはヘルムートだった。もちろん、しゃべった訳ではなかった。
食卓の上にチェス盤を置いた音が、沈黙の終了を告げたらしかった。
「よおし、今日こそは勝つぜ」
無責任に言い放った「客人」と、ヘルムートが駒を並べ始める。
結局、その夜、フィッシャーは連敗記録を二十六に伸ばした。フリッツはフィッシャーに一勝して対戦をやめてしまい、「勝ち逃げ」と不本意なそしりを受けることになった。
翌日はけたたましい砲撃の音に叩き起こされる事になった。朝の早くからご苦労なことだが、睡眠不足のおれたちに少しは気遣ってもらいたいものだ。
軍服のまま、規則で軍靴も抜けずにベッドに納まっていたのだが、やはり身体の痛みに慣れることはない。
「年寄りは朝が早いもんでしょう」
フリッツの憎まれ口も、不機嫌そうな口調を隠せていない。
すぐに臨戦態勢に入ってしまい、朝食は戦闘食のビスケットとチョコレートだけになってしまった。キャンディーを頬張りながら、『ヴィリー』に乗り込む。
「戦闘準備!」
ヘッドフォンを略帽の上からかぶって、喉の声帯マイクで伝える。すでに始動したエンジンの唸り声で、車内だとこれを通さないと聞こえにくい。
「ゲオルグ、本部から連絡は?」
「え、はいっ、砲撃終了と同時に敵軍が侵攻する可能性があるそうです。命令があるまで現状で待機。それから、定時報告は怠らないように、だそうです」
「ここなら、敵サンも来やせんでしょ」
敵が見えるまでは暇な砲手が気楽にのたまう。相手にしてもいられず、砲塔から上半身を乗り出すと、東の方でもうもうと煙が上がっているのが見えた。着弾の粉塵なのか、火災が起こっているのか、見当がつかない。
「慌てなさんなよ。部下を三人、偵察にやった。なにかあれば戻ってくるさ」
フィッシャーが煙草をくわえて戦車の横に立っていた。『ヴィリー』の周りを彼の部下が固めている。
勝手に持ち場を離れさせるのは問題だが、イレギュラーな軍隊なのだ。どうせ戦力になるかも分からないのなら、状況を少しでも把握しておくのは悪くない。
その時、ヘッドフォンからゲオルグの声が聞こえた。その内容を、フィッシャーに伝える。
「戦闘団の左翼が敵の攻撃にさらされてるらしい」
「左翼ってえと南だな。敵サン、主攻正面を変えてきたか? 救援に来いって?」
「戦隊本部からは判断は任せると言ってきてる」
「だろうな。素人じゃ判断つかん。おれたちにしても理詰めで動くには、知識が足りん。となりゃ、感情で決めた方がマシだと思うがね……」
言いながら、偵察に向けた部下を連れ戻して来るように、別の部下に命じている。現場にあっては、戦いを生業とするだけに、その反応は早い。
おれは声帯マイクを外して、フィッシャーに声をかける。マイクがなければ、車内の連中に声は聞こえないだろう。
「おい、煙草を一本よこせ」
フィッシャーはおれがくれてやった煙草ケースから一本取り出して、おれに寄越した。それをスパスパと性急にふかす。心を落ち着かせようとしているのか、それとも決断のための踏ん切りなのか、自分でもよく分からない。
「陸軍のバカどもならともかく、僚友を見捨てられん。とりあえずはそれだ。……師団長殿は脱出するつもりなんだろ?」
かなり重要なことを訊いたつもりだったのだが、フィッシャーは躊躇したりはしなかった。可愛げのないやつだ。
「だろうな。いま捕まれば、間違いなく戦犯で絞首刑か銃殺刑だ。その上で、こんな戦場になるはずのない場所に、それなりの装備をした人数を配置してるんだ。しかも、港にはまだ船がある」
「ムカツク話じゃないか。部下も市民も関係なく捨て石。おれたちも死ぬ思いをして生き残って来たんだ。中将閣下の盾になるのは癪だな」
おれはさぞ人の悪い笑みを浮かべていたのだろう。フィッシャーが応えるように同じ笑みを浮かべた上で、うなずいてみせた。
「よし。行くか。部下を二、三人出して、周りの連中を説得させる。その後はどうする?」
「とりあえず左翼に突撃して敵の攻勢を叩く。その後で突進しながら敵サンに降伏だ。中佐も説得せにゃならんかな?」
「一端の指揮官らしく見えるぜ、ヴァイヒ。よし、それでなんとかしよう。貸しを作ってる奴は幾らでもいる。正面は任せた。後ろはおれに任せろ」
「決まりだな」
マイクを装着しなおして、
「左翼の連中を助けに行く。ゲオルグは戦隊本部へその旨を伝えろ。ヘルムート、『ヴィリー』を出せ! グリューナー戦闘団左翼へ向けて前進!」
ポンコツ戦車は凄まじい唸り声と黒煙を吐き出して、亀が這いずるように動き始める。陸に上がってから、初めて感じる充足感に、おれは思わず口元を緩めていた。
南進する『ヴィリー』に、次々と部隊が合流してくる。新式装備の完全機械化部隊に比べれば、その動きは余りにも遅い。その代わり、対戦車砲や野砲を引っ張った連中まで合流してくる。
「聞いたぜ、ヴァイヒ! 話に乗ってやる!」
「今から貴官の指揮下に入る!」
「貸しにしとくからな、返せよ!」
口々に叫ぶ連中は、どいつもこいつも満面の笑顔を浮かべている。まったく物好きな連中だ。わざわざ死に急いでいることを分からないわけじゃなかろうに。
もっとも、言い出したおれがいちばん酔狂なんだろうが。
「前方に交戦中の部隊を確認!」
前衛に出ていた歩兵が走り寄ってきて叫んだ。
「野砲は進軍停止! 援護射撃を!」
もう通信システムどころではない。狭い路地にぎっしりと部隊がひしめきながら進んでいるのだ。叫べば、だれかが聞き取って伝えてくれる。
なにしろ、バカどもが酔狂でやってることだ。士気だけは底抜けに高い。
「戦況はどうなってる!?」
「左翼の連中はトーチカに拠って交戦中! 敵は正面にFATMAN、歩兵! 多くはないぞ! 敵陣からの砲撃なし!」
「各個判断で押し出せ!」
少し間を置いて、後方から砲撃音が聞こえた。なんだかんだと言いながら、やる事はやるのが海軍の連中だ。
その砲撃が次々と着弾する。大半は建物を崩しただけに終わったが、一部は敵軍の中に落ちて、榴弾が歩兵を薙ぎ払う。
「おい、どいつだ! 徹甲弾じゃない、榴弾使え!」
そんな声も聞こえたが、それどころじゃない。こっちもやることがある。
「ヨハネス、榴弾装填! フリッツ、いけるか?」
「榴弾装填、ヨーソロ!」
「やれます!」
「榴弾装填、完了!」
「よし、撃て!」
ドッ、と衝撃を伴う音が襲う。ポンコツ戦車は鈍足で走りながら、でたらめに榴弾を発射する。砲身がぶれるので、精密射撃などできないが、それでもなんとか敵の近くに着弾する。
「ヴァイヒ、FATMANをやってくれ! 周りはおれたちが払う!」
横を走っていた歩兵が叫んだ。すでにFATMANがしっかりと視認できる距離まで接近している。その腕の機関砲が火を噴き、前衛を担っていた歩兵が数人、倒れる。
密集したおれたちは、敵からすれば七面鳥撃ちだろう。どこにぶっ放しても多少は当たる。
「徹甲弾、装填しろ! フリッツ、FATMANだ! あの木偶スケを狙え、射撃のタイミングは任せる! ゲオルグ、前衛にFATMANが何体いるか訊け!」
言いながら、自分の双眼鏡で前方を観察する。左翼の砲火は微弱で、それを補うようにおれたちの方から火線が乱れ飛んでいる。
さすがに敵は訓練を受けた陸軍だけあって、動きが鋭いように見えた。だが、如何せん数が違う。勢いもこちらにある。
「押し切れるか?」
資料で見る限り、FATMANという奴はたいした兵器ではないように感じたが、実際に対峙すると巨大な人型というのは厄介に見えた。
『ヴィリー』が再び射撃。が、それはFATMANを掠りもしない。砲塔旋回がハンドルでは仕方ない。加えて、おれたちは陸の上では新兵だ。
その時、後方で破砕音が響いた。後列で悲鳴が上がる。
「後方から敵襲!」
路地を通って裏に回ったFATMANと随伴歩兵が味方の列へ切り込んでいる。『ヴィリー』からそう遠くない位置。
「包囲して叩き潰せ!」
叫びながら、砲塔に据えられている旋回式の重機関銃を引っ張って後ろに回す。トリガーを引くと激しいリコイルとともに弾丸が高速で発射される。排莢がリズミカルに飛び跳ねる。
しかし、重機関銃でもFATMANの装甲面を打ちぬけない。むなしく火花を散らして弾丸が弾かれる。が、幾らかは衝撃を与えているらしい。こちらに振り向いたFATMANが機関砲を発砲する。
凄まじい音がして、砲塔の増加装甲に着弾する。装甲を止めていたボルトが弾け飛び、装甲がずれ落ちる。その装甲をさらに機関砲弾が叩いて鋼板を吹き飛ばした。
そのFATMANの足元に突撃した兵士が吸着爆弾を叩きつけた。爆発が起こり、FATMANの姿勢が崩れる。そこへ、後列の戦車が徹甲弾を叩き込んだ。
見事に胴体を打ち抜かれたFATMANは活動を停止。中の人間は半分ほどを残して原型を留めていないだろう。
奇襲をした敵兵たちは左右前後から取り囲まれて、瞬く間に殲滅される。
「よし、押し出せ! 一気に払う!」
前方を向いた瞬間、なぜか敵の戦車が主砲を発射したのが目に留まった。それが直感というものなのかどうか、分からない。
次の瞬間、凄まじい衝撃に襲われて、おれは砲塔から転がり落ちていた。
直撃、という言葉が脳裏を掠める。
ぐらぐらする頭を無視して立ち上がろうとして失敗して、装甲の上で足を滑らせる。ついには『ヴィリー』の上から転がり落ち、それでも上下左右の感覚が失調していた。
「どうした?」
ようやく四つん這いで前を見ると、『ヴィリー』から吹き上がる煙が見えた。
「車体に直撃した!」
這い出してきたフリッツが応じた。どこかにぶつけたのか、頭から血を流している。
「三人は!?」
「無事だ」
聞き慣れない、無愛想な声が答えた。見上げると、緊急用ハッチから脱出したヘルムートが二人の少年兵をハッチから引っ張り出している。
いちばん直撃箇所から近かったはずのヘルムートはなぜか無傷で、ヨハネスとゲオルグは気絶しているらしい。どうやら、重傷者はいないようだ。
「大将、『ヴィリー』はもうだめだ」
不沈艦の奇蹟がおれたちをも守ったのか、それとも装甲を貼り付けてくれた整備兵のおかげか。老いぼれた戦車が自分の命数を使い果たして、おれたちの未来を守ってくれたという事だけは事実だ。
「とにかく進むぞ」
ふらふらしながら立ち上がり、戦車から降りたヘルムートが気絶した二人を両肩に担ぎ上げていた。
「無事か?」
だれかが肩を叩く。戦闘音と喧騒の中で、なぜかがぽがぽ言う軍靴の音が聞こえて、おれは安堵するより呆れてしまった。
「なんとかな」
「そいつはなにより。前が開けたらしい」
「よし、前へ押し出すぞ。街の外に近付いたら、降伏する」
そこまでは覚えているのだが、その後の事はよく分からない。気を失ったおれを担いで行ったのがフィッシャーだというのは、担いだ本人から恩着せがましく、しつこく聞かされた。
初春というには寒い夜に、おれたちは毛布にくるまって地面に座り込んでいる。
メイタジューラ軍から支給されたコーヒーは、紛い物の代用品とは違って、本物の味がした。周囲でも同じように武装を取り上げられ、一ヶ所に固められた戦友たちがコーヒーを飲んでいた。そのさらに外円では武装したメイタジューラ兵がおれたちを監視している。
「無茶したわりに、そこそこ上手くは回ったな」
呑気に言ったのは、コーヒーにブランデーを流し込んでいる不良軍人だ。その酒をどこから持って来たのか、ブランデーを入れるなら紅茶だろとか、指摘する気力もない。
「まあ、そうだな」
ヨハネスとゲオルグは地べたで眠り込んでいる。子供だけあって、順応力は高いらしい。本人たちに言えば、猛反発するだろうが。
ヘルムートは瞑想するようにじっとしている。これからの身の処し方でも考えているのだろうか。
フリッツは傍の連中を集めて昼間の戦闘における戦果を確認し合っていた。もっとも、主砲でFATMANを撃破したという話は、ごてごて旧式の『ヴィリー』が目立つだけに嘘だとすぐにばれていたが。
おれはと言えば、熱気が冷めると、昼間の活力が嘘のように気力が減じている。今はただ、このコーヒーを味わっていたいと思うだけだ。
とりあえず、あの地獄の釜の底からは脱出はできた。他がどうなったかは分からない。中佐の姿も見えないし、グリューナー少将はおれたちの不祥事で師団長から何らかの罰を喰らったかもしれない。
ただ、それらを確かめようという気力がなかった。
分かったのは、今日のメイタジューラ軍の攻撃が大規模な威力偵察であって、それでも、ヤース市の深部へと食い込まれたらしいということだ。
この戦いもそう長くはないだろう。おれたちには、もう関係ないことだが。
祖国の勝利を願いながら、命令に従って戦ってきたおれたちの軍歴も、ここで終わる。最後の最後に重大な命令違反をぶちかましはしたが。
それに関して、ただ一つ言えることは――
「まあ、すっきりはしたな」
おれがそう言うと、さすがにフィッシャーが呆れたような顔をしたのだった。