時渡りの姫巫女 なんちゃって小話(おっさん
ぐすんと鼻をすすりながら涙を拭うと、真っ赤にこすれた手の平が見える。
盛大に転んで怪我をするなんて、あまりにもかっこわるすぎる。ジンジンと痛む手の平とひざ小僧。
いつもならそのくらいで泣いたりしない。最近ではこんな派手な怪我はなくなったとはいえ、なんだかんだいっても遊んでいればよくあることだ。
でも、今日はたった一人での出来事。しかも、怪我だけならすぐに怪我を川で洗って帰ればいいのだけれど、帰るための肝心な足をひねって、まともに歩けない。
怪我は痛む、ひねった足は痛くて歩けない、その上、一人……。最悪だった。
姫巫女様だったら、きっと、こんな時、剣士様が助けてくれるんだろうなぁ、きっと。それで、だっこしてくれて、家までつれて帰ってくれるんだわ。
リィナは先日祭りでみた少年剣士を思い出す。去年の剣士役より若くなっていて、とてもかっこいい剣士だった。
十になったばかりのリィナには新しい剣士役の少年はとても大人びて見えた。何でも領主様の息子でヴォルフ様と言うらしいことは、女の子の間で噂になっている。
ヴォルフ様。
心の中で彼を描いて、私の剣士だったら、などと思う。
彼がもし剣士様で、自分が姫巫女だったのなら、どんな風に助けてくれるのだろうか。少なくともこんな悲しい状況にはなっていないだろう。
あんな剣士様が。
思い浮かべる少年剣士が自分を助けてくれる姿を想像すると、それはとてつもなく素敵で、なのに現実は悲しいぐらいにひとりぼっちで、誰も助けてくれなくて。
剣士さま、助けてください。
どうにもならない現状で、片足を引きずり、涙のにじむ目をごしごしとこすり、心の中で彼を呼んでみたりする。
下を向いて足を引きずって歩いていると、ぽふんと誰かの足にぶつかった。
「ご、めんなさ……」
顔を上げたところで、リィナは口を開けてぽかんとその人を見上げた。
「……おや? 君は……」
その人もまた、驚いた様子でリィナを見下ろしている。そして、リィナよりも早く驚きから立ち直ると、
「おちびちゃん、ずいぶんと派手に転んだな」
そう笑って、大きな手でリィナの頭を無造作になでた。
「おじさん、だぁれ?」
リィナは大柄なその男を見上げた。年の頃は三十代半ばも越えているだろうか。彼女の父親よりも年上のようだ。
「……ヴォルフ様に、にてる」
リィナの言葉に男はおやと目を見開いて、「そうか」とうれしげににこりと笑った。
なぜそんな笑顔を向けられるのかわからずにいると、男は少しかがんでリィナの手首をそっとつかむ。
「盛大にすっているな。痛かっただろう?」
一人で心細くなっていたところで、優しげにいたわる男の声はリィナを安心させて、涙がこみ上げてくる。
「ほかには?」
手のひらの傷と、膝の傷、それからひねった足を確認すると、男はぽんぽんと撫でるように背中をたたき、それからひょいっと小柄な少女を抱き上げた。
「ひゃっ」
突然のことに、リィナの涙は一瞬で引っ込む。男はそんなリィナの様子を楽しげに見ながらいった。
「さて、かわいいおちびちゃん。かわいい未来の姫巫女を守る役目を、俺に許してくれないか?」
「みらいの、ひめみこ?」
「ああ。君は、必ず姫巫女に選ばれる。俺は君の剣士と言うには、少し年をとりすぎているが、今だけ、俺が君の剣士を気取らせてもらおうか」
からかうように片目をつぶってみせる男に、リィナはクスリと思わず笑いを誘われる。
「ようやく笑ったな。俺のかわいい姫巫女は、笑っていた方がいい。このかわいい笑顔を守るために、俺はいるのだから」
父親と変わらない年の男に、幼いながらもリィナはドキリと胸がはねる。男の何気ない表情や動きの一つ一つに、あこがれのヴォルフの印象が重なるのだ。顔立ちも、どこか似ている。……と言うよりも、ヴォルフが大人になったのなら、きっとこんな感じだろうと、想像してしまうような、そんな男だった。
もう十歳にもなるリィナを軽々と抱き上げ、大切そうに腕の中に納めると、川岸まで連れていき、傷口を丁寧に洗った。
「しみるか?」
「だいじょうぶ」
リィナは歯を食いしばって痛みをこらえる。
「ほんとに、我慢強い子だ。だが、痛いときは泣いてもいい。悲しいときも、辛いときも、時には泣きながら乗りこえるときがあってもいい。頑張り屋のおちびちゃんは、特にな」
男は静かに話しながら、リィナの傷口を洗い終えて水を拭き取ると、近くに生えている草を揉み潰し、傷口に当てる。
そして今度はひねった足に別の草を取ってきてあてがうと服の裾を破り、しっかりと足を固定していく。
「立ってごらん?」
男に言われて立ち上がると、さっきよりひねった足の痛みはましになっていた。
「今日一日はそれを外さないようにな」
リィナが肯くと、男はそのまま小さな体を横抱きにする。
「じゃあ、家の近くまで送ろうか」
「だ、だいじょうぶっ」
もう歩けるからと体をよじると、男はダメだと首を横に振った。
「さっき言っただろう? おちびちゃんの笑顔を守るために俺がいると。俺の可愛い姫巫女が怪我をしたんだ。君は甘えていればいい」
包み込むような笑顔で、包み込むように抱き上げられて、大きな手でぽんぽんと頭を撫でられ……、すると、さっきまで我慢していた涙がぼろぼろと溢れた。
声を上げて泣くと、それで良いと、背中を優しく撫でられて、更に涙が溢れる。
こんなに泣いちゃダメだって泣き止もうと頑張ると、気にするなと微笑まれてまた泣いて。
ゆっくりゆらゆらとゆられながら思う存分泣いてみれば、涙が止まる頃には、家の近くについていることに気付いた。
思いっきり泣いた後は、びっくりするぐらい、心も軽くて、悲しい気持ちもすっかり消えて、代わりに嬉しいような気持ちがいっぱい溢れてくる。
「この辺りか」
眼を細めて辺りを見渡した男が、ぽんぽんとリィナの背中を叩き、一度大切に抱きしめるように腕に力を込めた。けれどその抱擁はすぐに終わり、リィナは下におろされる。
「じゃあな、おちびちゃん」
「おじさん、ありがとう」
リィナが礼を言うと、男は笑って
「今だけは君の剣士の代わりをさせてもらうといっただろう? おじさんじゃなくって、剣士様って言ってみな?」
おどけて言う様子がおかしくて、リィナは笑いながらもう一度言い直す。
「ありがとう、剣士さま!」
「どういたしまして、俺の可愛い姫巫女」
そして男は、リィナの額に軽いとキスをした。
リィナが驚いたのは一瞬。すぐにくすぐったそうに笑うと男の頬にキスを返した。
「また、あえる?」
ヴォルフに似た男は、楽しげににやりと笑った。
「どうかな。じゃあ、もう転ぶなよ」
男が手を振るので、リィナもつられて手を振った。そしてなんだか物足りなさを感じながらも促されるまま背を向けたときだった。
「……で、逢おう」
男の楽しげな声がした。
「え?」
よく聞こえなくて振り返ると、さっきまでそこにいたはずの男がいない。
「おじさん?」
声をかけても現れない。
「……剣士さま?」
もしかしたら、この問いかけだったら、からかうように笑いながら出てきてくれるだろうか? さっき出会ったばかりの人がいなくなった、それだけのことでたまらない不安感に襲われる。
どこ?
もう一度男を呼ぼうとしたときだった。
「リィナー!」
道の向こうで母親の声がした。リィナはほっとしてこわばっていた肩の力が抜けるのを感じた。
「おかーさーん!」
叫んで大きく手を振る。
少し楽になった足を引きずりながらゆっくりと歩く。
夢のようにかき消えた彼を思いながら振り返るが、やはり彼はいない。でも、痛みが薄れたこの足は確かに彼の存在を示していて。
また、あえると良いな。
ヴォルフによく似た男を思って、リィナは心の中でそっと願ったのだった。
「ちっこいおちびちゃんが来ていたぞ。全く、無節操に渡りまくっているじゃないか」
からかうように男が言うと、彼女は「あら」と心外そうに胸を張る。
「無節操じゃないですよ!いつだって、私は、唯一人の元にしか、行きませんから」
男は「そうだな」と、楽しげに笑い、彼女は「そうなんです」と、自慢げに胸を張る。
自分にとって遠い過去の日のその出来事は、ただ、それだけのこと。
「未来でまた逢おう」そうかけられたあの日の約束は、確かにこうして、果たされている。