1 落雷に導かれて
「―――ああもう!鬱陶しいッ!!」
バシャバシャと水音が軽快に跳ねる音にさえ腹が立つ。されど、たかが小娘一匹叫んだところで自然界の王様には勝てないのだ。
天気は雨。言いたかないが雨は雨、それも土砂降りだ。雨雲はどこまでも広がっており、視界の許す限り空は真っ黒。昨日の天気予報はキャスターさんがにこやかに「爽やかな快晴になるでしょう」と断言していたのに、何故か外は水がたっぷり入ったバケツを誤ってひっくり返してしまったような天気だ。時たま口に入る水滴が若干しょっぱいのは私の気のせいではなかろう。
濡れた前髪が額にはりつき、軽く唸って手で払った。その拍子に、手にもった黒く長い荷物が危なかしげに揺れた。おっと、とギリギリで支えなおし、辛うじて水たまりに墜落するのは逃れた。が、そのかわりに口からため息が洩れる。
目に少々かかる程度まで伸びた前髪は払っても払ってもだらりと垂れ下がる。たまに水と共に目に当たってチクチクするのが実にいやらしい。試合前に体力温存しておきたいのに、雨で目は霞むし足は重たいしジャージはベショベショだし、メンタル面もフィジカル面も散々だ。
どこまでも果てしなく続きそうな道のりと、目の前を遮る雨のカーテンに、私は虚ろな目でつい数分前の出来ごとを思い出した。
X X X
「―――じじいー、私の四朗どこー?」
「じじい言うなゆーとろぉが!おじいちゃんと可愛く呼べ!」
「うるせークソジジイ。いいから私の四朗どこだっつってんの。もう電車でる時間なんだ、こちとらこれでもかなり急いでんだよ」
チッと舌打ちしながらドタドタと廊下を走る。じじいがまた怒鳴るが軽く無視した。時刻はAM7時30分ジャスト。ちなみに後20分程で電車は出る。チャリを飛ばせば5分で着く最寄りの駅があるのでそこらへんは問題ないが、これを逃すと次の電車は一時間後。そうなるともうアウトだ。
座布団を蹴飛ばし、そこら中に広がった剣道雑誌をポイポイと投げるが、マイ竹刀(愛称:四朗)は見つからない。昨日じじいが食後の運動と称して道場でブンブン振り回していたのは知っているのだ。
だが当のじじいはといえば、「はぁ、じじい扱いが悪いのー。どこやしたかな…ここら辺にポイしといたんじゃがのー?」とゴソゴソ呑気にやっている。蹴り飛ばしたいくらい腹立たしいが、生憎そんな時間も惜しい。
「もう、早くしてよー。四朗ないと困るじゃん、私試合に出れないし…」
「お、あった!」
「…陽菜、四朗、ソファの上にあったけど」
じじいが叫んだのとほぼ同時に、障子の向こうからエプロン姿の弟、安蒜が顔を出した。手に持っているのは最近新品になって戻ってきたばかりの竹刀、…四朗だ。
あれ、おかしいな。二カ所で同時に見つかっただなんて…、と首を傾げると、じじいは気味悪くぐふふと笑いながら黒い棒状のものを取り出した。高らかにパンパカパーンと持ち上げ、四朗を持った私の両手の上にさらにそれを追加する。重量からして、明らかに竹刀ではない。
「え、何コレ」
「ふっふっふ。お前にもこれを渡す時がきたんじゃのー。陽菜、お前この前の土曜日が誕生日だったな?少々遅れてしまったが、誕生日ぷれぜんとじゃ!ささ、遠慮せんで受け取れぃ!」
「貰えるもんは遠慮なく貰うけどさ…」
ふんぞり返るじじいをジト目で見つつ、手渡されたものをじっくり観察した。ズシリと重い感触、そして見慣れたフォルム、歴史の教科書で見たような柄、…これは日本刀か?ご丁寧にピンクのリボンがかけられているそれを鞘から抜くと、スラリとした刀身が現れた。蛍光灯に反射してキラリと光る。
…のを確認した後、私はそれをポイと投げた。
「昔、異国の王様にわしが仕えとった時の話じゃ。戦争で手柄を立てたわしにと、王が褒美にくださったのがこの刀。名は…ああ!!何しとんじゃぁぁぁああ」
「ホラ話は酒の席だけにしといてくださーい。もう時間だから。私これから剣道の試合だから。真剣じゃなくて竹刀で試合するから。あーゆぅおーけぇ?」
「せめて受け取るとかせんのか!?」
「あ、安蒜。お弁当ありがと。じゃぁ行ってきまーす」
「…行ってらっしゃい」
「コラ待て陽菜ぁぁあ!話がまだ終わっとらんぞ!!」
わめくじじいの傍をダッシュで離れ、相変わらずの仏頂面の弟に見送られながら自転車へ駆け寄った。しかしハンドルに手をかける直前、息をきらしたじじいが私を捕まえた。…手にはさっきの日本刀が握られている、どうやらまだ諦めてないらしい。人の話を聞かないじじいめ、時間が迫ってるとさっきからずっと言ってるじゃないか。何だ、耳に悪魔でも取り付いてんじゃないのか。
「…これは、持って、いけ、」
「あのね。銃刀法違反って知ってる?孫を犯罪者にしたいの?それにそんな重いもん持ってたら自転車に乗れないし、」
「いいから、持っていけ」
はっきりと強い口調で言われ、私は思わず口をつぐんだ。じじいの顔がいつになく真剣で、何だか逆らえない雰囲気だったから。
「これは護身刀だ。肌身離さず持って置け」
私が気圧された瞬間を見逃さず、じじいは日本刀をぐいと押し付けるとスタコラと家の中に入ってしまった。
後にポツンと残された私。そして後わずかで電車が出るという時間。家の中へ戻ってじじいを問い詰めるのももう無理だし、置き去りにしようと思ってもこんな高そうな物を放り投げておくわけにはいかない。日本人特有のもったいない精神がここでぐいぐいでしゃばりやがる。
「…仕方ない、腹をくくるか」
スポーツドリンクがたっぷり詰まったスポーツバッグをよいしょと自転車の荷台に乗せ、肩ひもを肩にかける。その上から四朗の代わりに日本刀を入れた袋をかついだ。…迷った末、やはり刀を持ち運ぶのを人に見られるのは悪いだろうということで、四朗には我慢してもらって、手に握って持っていくことにした。少々危なげだが、仕方あるまい。もとより帰ったら日本刀はじじいに返すつもりだ。
荷物の用意を素早く終わらせ、自転車にまたがる。時刻は見ていないが駅に私が着くのと電車が着くのと、どっこいどっこいだろう。よし、フルスロットルだ。どういう意味かはよく分からんがフルスロットルのフルアクセルだ!ランニングで鍛えた私の脚力なめんなよ!!――――
―――――ザァァァァァアアア
「え」
泣きっ面に蜂、とはまさにこのこと。ペダルに足をかけた瞬間、さっきまでの曇り空から一転、空は雨で埋め尽くされた。慌てて車庫へ戻るが、少しの雨宿りでは効果は期待できそうにない。
なんてこった。こっちは刀二本所有、重いスポーツバッグは荷台に乗せただけ、それに竹刀は手で持っている。竹刀は絶対に濡れてはならないし、日本刀は尚更だ。鉄さびなんか出来ようものなら、じじいに何てどやされることか。さらに視界の悪い中、自転車を全速力でこぐのは無謀な行為といえる。
…つまり、何が言いたいかっていうと、走って行くしか道はないってことだ。あぁ悲しきかな。じじいは運転免許をもっていないし、弟はまだ高一。私が移動手段にマイチャリ(愛称:綾子)を愛用してるのは言わずもがなだ。
くそぉぉおおおと内心叫びたい気持ちを抑え、四朗と日本刀をひとくくりにして合羽でぐるぐる巻きにし、脇に抱える。イライラして作業が少し遅れてしまった。自分はずぶ濡れになってしまうがこの際それは置いておこう。水もしたたる良い乙女だ。あれ、男だっけか。細かいことはスルーだ気にするな。
時刻を見ると、長針は8の少し手前を指している。間に合うか…?
自分に喝を入れ、私は荒れ狂う空の下、勢いよく足を踏み出した――――
と、ここで冒頭に戻る。
「はぁぁああ四朗ごめんねぇぇえ」
私がふがいなくてごめんね!今日は早く起きるつもりだったのに目ざましが悪いんだよー!まさか5時で針が止まってるとは露知らず、二度寝しちゃったんだ。チクタクチクタク聞こえないとは思ってたんですよえぇ。まさかまさかの展開だよね。漫画かと思ったわマジで。別に食パンくわえながら走って誰かにぶつかってそこからトキメキ☆が始まるわけでもなく、うるさいじじいとドライアイスことマイブラザーに舌打ちされたんだけなんだけどね!
合羽に包まれた愛刀と今ではただのお荷物状態の高級刀が水災害にあってないことを祈りつつ、足を進める。靴に水が入ってぐしゅりと音を立てる。重いスポーツバッグが雨音と呼応するように膝の裏にガンガン当たってかなり痛い。会場についたら真っ先にさすろう。絶対赤くなってる。
そうこうしている内に駅の外観が遠くに見えてきた。閑散とした駅内には誰もいない。もともと無人駅だから駅員はいないのだが、朝はサラリーマンや学生で賑わう印象が強いのでなんだか不思議な違和感を感じる。
時計を見ると電車の出発時刻まではあと少し。これならば電車が来たと同時に滑り込みできるだろう。こういうときに時間にうるさい日本っていいよね。電車は何らかの影響で遅くなることこそすれ、元来時間通りに来るように配慮してあるのだ。外国はそうじゃないところもあるらしい。わお、変な時に愛国心が生まれてきた。
遠くで落雷の音がする。雨で霞む目を薄く開けると、ピカッピカッとその名の通り光が落ちてくる様子が垣間見られた。そうする間も、雨足はいっこうに弱まる気配がない。
目的地が見えたことに余裕ができ、私は少しペースを落とした。毎日ランニングしているとはいえ、雨にうたれつつ重い荷物を持って走るのは流石にキツイ。息もきれてきた。
息を整えつつ、ラストスパートをかける心の準備をする。手前の電柱に辿り着いたらまた走ろう。そう心にきめて、後数歩の道のりを踏みしめる。
お約束だが、私はこのあと後悔することになる。
ここでペースを緩めたことを。
平坦な土地で一人だけポツンと歩く私が周囲より飛び出ていたことに気づかなかったことを。
弾けた光に、思わず空を見上げたことを。
「――――!?」
目を見開いて抱えた刀の包みをギュッと抱きしめた瞬間、私の体に衝撃が走った。ビリビリと体が痺れる感触に、ぼんやりした脳内で自分が雷に打たれたことに今更ながら気づく。
え、もしかして、死ぬの?死亡フラグ?死亡フラグ確定ってやつ?ていうかフラグどころかフラグ立った瞬間に死亡確定してんじゃん未来が近ぇよ。今まさに私に降りかかってんですけど。立つんならもっと早く立てよ遅ぇよバカ。
存外落ち着いた…というかいつもどおり阿保な思考全開だった。自分ほんと神経図太いなとひとりツッコミ。突然な出来事のせいかロクな走馬灯も流れないし、しんみりしたBGMも流れないし、それに普通泣き叫ぶとかするだろう自分。涙のなの字も出ないとは。何て冷めた女だまったく。
…まぁ、心残りはひとつ、あるけれど。
じじい、弟に続いて最後にチームメイトと盛り上がる試合会場を思い浮かべる。だが温かいをレベル一段階あげたような光に包まれたかと思うと一転、どこまでも続く深い穴に落ちていく感触に身を任せながら私は考えることを放棄した。
そんなこんなではぁじまーるよぉーーー(エコー)
他の2作品に加え、忘れまいと思わず執筆を初めてしまったzげふんごふん。でも我慢は体に良くないって言うもんね、ね、ね?
これはじっくりじっくりかなりじっくり進めたいと思います。一話分もボリューム増でいきたい…!書きたいこと多くて困りますマジで。
それでもよろしければ、末長くお付き合いいただけると嬉しいです。