第8話:夜の惨劇
畳の上に座ったのは、何年ぶりだろうか。
うちの家には和室がないから、2年前に家族旅行で行った旅館以来だろうか。
それにしてもくつろげない。
和室っていうのはなんていうか、もっと日本人の心を和ませるためのものなのでは……なんて悶々と思っていると
「どうぞ」
前にことりとお茶が出された。
「あ、その、どうも……」
お茶を出してきたのは勿論、この家の主、五十嵐だ。
五十嵐の家は剣道場を営んでいると小耳に挟んだことはあったが、まさかこんなに家が広いとは思わなかった。敷地面積も驚くべきだが、なんとこの離れ全体が彼女の部屋なのだそうだ。
そんな五十嵐は、今は白地に藍色の草のような模様が入った浴衣姿だった。
時刻はもう11時近くになる。
この時間だからもしかするとあれは寝巻きなのかもしれない。かくいう俺だって寝巻きの上にパーカーを羽織った格好のままなのだ。
そういった意味でも、プライベートな時間にプライベートな格好で押しかけてしまった形になってしまって、なんだか非常に申し訳ない気分になってきた。
「シアンから大方話は聞いたわ。中等ネイチャーに追われて落っこちてきたんですって?」
静かに問うてくる五十嵐。
「え、あ……はい」
恥ずかしながら全くもってその通りだった。
「すまないな。近くにダーザインの気配を感じたから応援を頼もうと思ってな」
妙に恐縮している俺を見かねてか、横に座っているオーアが口をはさんだ。
ダーザイン、とはあの青い男のことだ。シアン・ダーザインが彼のフルネームらしい。
すると
「…………」
五十嵐は心底不思議そうな顔をした。
「?」
俺が首をかしげると
「瀬川君と貴女達は一体どういう関係なのかしら。……そこの赤い子もティンクチャーでしょう? 【金属色】と【原色】が揃っていればわざわざシアンに応援を求めなくても……」
勝てたはずだ、と五十嵐は言いたいらしい。
そういえば空の上でもあの赤毛の子がそんなことを言っていた気がする。
いや、けどなあ、オーアの奴、からっきし弱いし、普通に考えて無理だと思うんだけどなあ。
「アゲハ、そっちもわけありなんだろうよ。あんまり聞くとおせっかいババアになっちまうぜ」
1人縁側で寝そべってくつろいでいる青髪の男が口を出した。
「……もう少し口に気をつけなさいシアン。後で痛い目に遭うわよ」
五十嵐がそっと、重い言葉を吐いた。
「……おおこわ。ムチはもうごめんだぜ」
男は軽く身震いしてそそくさと廊下のほうへ消えていった。
……ていうか、ムチって、何。
「まあいいわ。事情があったようだし、今日のところは不問ということで」
五十嵐はそう言ってお茶を飲み干した。
俺もつられてお茶を飲む。
が。
「……それにしても瀬川君。年上の次は幼女? 意外と節操がないのね、貴方」
「ぶ!?」
五十嵐のその言葉に思わずむせた。
「……っほ! ちが! こいつらが家に転がり込んだのは偶然だ! ていうかむしろこのガキに襲われたのは俺だぞ!?」
言ってしまってから少し後悔した。
そのことが原因で、夜中に外に出ることになって、こういう結果になったのだということをすっかり忘れてしまっていたのだ。
赤毛の少女のほうに視線をやると、案の定、気まずそうに俯いている。
すると。
「……そうだったな。クリム、後悔しているなら素直に謝れ。サツキが許せば私もお前を許そう」
オーアがそう言った。
少女は少々怯えた眼で俺を見る。
「…………」
しかし少女は固く口を結んだままで、しばらくそんな時間が続いた。
重い沈黙が続く。
あえてオーアもじっと黙っているようで、五十嵐もそれに付き合っている感じだ。
永遠にそんな時間が続くのかと思った次の瞬間、少女は目を伏せて
「…………クリムが悪かったです。……ごめん、なさい、です」
静かに、そう言った。
オーアの微かな溜め息が聞こえる。加えて俺のほうに目配せしてきた。
返事をしろ、ということらしい。
「…………いや、別に。そもそもお前の逆鱗に触れたのは俺、だったような気もするし……。もう気にすんな」
俺は視線を泳がせつつもそう答えた。
するとオーアは「うむ」とひとつ頷いて
「よくやった、クリム。それでこそ私の妹だ」
そう言った。
すると少女は見る見るうちに目に涙を溜めて
「……ねえさまああああーー」
がばっとオーアに抱きついた。
それをよしよしとなだめるオーア。
……なんだかんだで今日のことはただの痴話げんかだったような気もする。
五十嵐には余計な迷惑をかけてしまった気がするな、なんて思っていたら。
「……ひとつ気になったのだけど、あの子の逆鱗に触れるって、一体何をしでかしたのかしら、瀬川君」
さくっと、痛いところをピンポイントで突いてくる沈黙の女王、五十嵐。
……つーか夕方から思ってたんだけど、有り得ないくらい饒舌じゃないか、今日の五十嵐。
俺が何か言う前に、クリムロワが口を開いた。
「サツキが姉さまによばいをかけるとかなんとか言ったからですよ」
「ちょ!? なんかちょっと事実と違うぞ!」
思わず突っ込む。
が、真実など誰も知らないわけで。
「……ほー。それはえらく大胆なことを言ったんだなあ、サツキ」
オーアの笑顔が怖い。
「だから違うって! そこにはちょっとした誤解が!」
しかし
「『ちょっと』ということは大方は間違ってはいないということね。……貴女たち、瀬川君の家なんかよりうちのほうがずっと安全だと思うんだけど、引っ越すつもりはないかしら? 本当に」
五十嵐まで追い討ちをかける。
その顔は、俺が慌てふためいているのをどこか愉しんでいるようで。
――五十嵐のやつ、Sなのか!! そうなんだな!!
俺はそう確信した。
家に帰りついたのは深夜0時を間近に控えた頃だった。
行きと同じようにベランダから帰還したわけだが、綾の部屋をこっそり覗いてみると1人ですやすやと眠っているようだった。
「今からアヤのベッドに潜り込んで起こしてしまうのも悪いしな。仕方ないから今日はサツキの部屋を借りよう」
迷惑なことにオーアがそんなことを言い出した。
「じゃあクリムも姉さまと一緒に寝るですよ! サツキは床で寝るといいです!」
なんという理不尽。
「ちょっと待てよ、ここ俺の部屋なんだけど……」
俺が正当に抗議しようとすると
「姉さまに破廉恥な真似をした罰ですよーだ」
クリムはいかにもガキらしく「あっかんべー」なんてしやがった。
「俺がいつこの女にそんな真似したよ!?」
「この期に及んでとぼけるですか! 姉さまの神聖な胸に顔を埋めやがったのはどこの狂犬ですか!!」
「な!? あれは事故だっての!!」
こんな感じで俺たちが喚いていると。
「あーもう、やめやめ! 隣の部屋で寝てるアヤが起きてしまうだろう」
わしっと俺とクリムの頭をオーアが掴んだ。
そして。
「お前達がベッドを使うといい。私は床で寝るから」
そう言って半ば強引に、俺とクリムをベッドに押しやった。
「ね、姉さま!? だったらクリムも床で寝るですよー!」
案の定クリムは食い下がったが
「駄目だ。どうせお前、昨日は外で野宿だったんだろう? 自分でも気付かないうちに疲れてるはずだ。ベッドで寝ろ」
そう言って有無を言わさず俺たちをベッドに押し込めた。
本人はというと、こてっと床に寝転んですぐ、寝息を立て始めた。
ある意味恐ろしいほどの集中力だった。
「…………」
俺とクリムはしばらく黙って顔を見合わせていたが
「……仕方ないですね、省スペースにしてやるですよ」
奴はそう言って、一瞬光ったかと思うと赤茶色系のうさぎのぬいぐるみに変身した。
「……それはありがたいんだけど。それって疲れたりするんじゃなかったのか?」
確かオーアの奴は骨が折れるとかどうのこうの言って夜の間はあのぬいぐるみの姿にはならないのだ。
「確かにこの姿を構成、維持するのに力は使いますけどそんなの今日の戦闘に比べたら微々たるものですよ。なめんなです」
ご機嫌ナナメな様子でぬいぐるみはそう言った後、枕の端に隠れるようにして寝転がった。
――そんなもんなのか?
俺は半ば首を傾げつつも睡魔には勝てず、すぐに横になることにした。
が、しばらくして
「……サツキ」
枕元から、クリムの呟くような声がした。
「許してくれて、……ありがとうです」
とあるビル街の近くに公園があった。
そこは近くの住宅街に住まう子供達のために作られた場所なのだが、遊具の数があまりにも少ないため、昼間にもあまり子供の姿は見かけない。
むしろビル街で働くサラリーマン達が昼休みに弁当を食べたりと、そういった用途で使われていることが多かった。
そんなサラリーマンさえいないであろう深夜。
その公園に人声が響いていた。
声は2つ。
「やー、やっぱお前と俺のコンビは最高だな! 向かうところ敵なしって感じだよ!」
「だろー? 来る前は色々心配してたけどさ、ネイチャーなんて所詮逃げ回るしか取り柄のない奴らなんだよ」
2人の男がベンチに座って缶ビールを手に祝杯を上げている。
男たちの服装は独特で、どこかの礼服のようなものだった。
独特といえば彼らの髪色も一風変わっている。片方の男は空色のような、もう一方は橙色のような髪をしていた。
「しっかし地上界の酒は美味いんだなー。帰るとき土産にこっそり持って帰ろうぜ」
「おいおい、ばれたらリーダーにどやされっぞ?」
2人の男はやけに上機嫌だった。既に酒に酔っていることもあるだろうが、さきほど彼らは1つの仕事を片付けたところなのだ。その達成感が彼らの気分を高揚させているらしい。
片方の男がふと思い出したように切り出した。
「そういや、こっちにきて小耳に挟んだんだけどさ。1番隊の奴らもこっちに降りてきてるんだってさ」
その声にはからかいを含んだ響きがある。
「まじかよ。あんな問題児だらけのチーム、よく降ろしたなあ」
もう一方が返したのも明らかな嘲笑だった。
「聞いて驚いたのはそれだけじゃねえよ。連絡係のフェリエッタ以外、全員降りてきたんだと」
「……は? 全員てことは、ホーテンハーグも来てるのか?」
男は目を丸くした。
「5番隊のデミィが降りてくるのを見たって言ってんだよ。信じらんねえだろ?」
「ティンクチャーの名に泥を塗った奴が、よくものうのうと…………」
男達の会話がどこか刺々しいものになっていく、そんな折。
涼しげにそよいでいた風が、ぱたりと止んだ。
まるで何かに、畏怖するように。
「……なんだ?」
男達もその空気の異変に気付く。
気付いたころには、男達の目の前に、人影がひとつ、立っていた。
「……なんだ、お前」
2人のティンクチャーはすぐさま立ち上がる。
目の前の人影が放つ、異様な空気に身構えざるを得なかったのだ。
が。
「……人間、か?」
橙色の男は思わずそう漏らした。
目の前に立っているのはネイチャーではない。
ちゃんと色を持った、人間だった。
「こんな時間になにを」
してるんだ、と、男が問いかけようとした、その時。
「…………ティンクチャー、見つけた」
それは、恐ろしいほど無垢な笑顔で、そう言った。
(――何者だ!?)
男達は知らず一歩後ずさった。
が、そのときには既に、それは動いていた。
「――絶滅しろ」
その手には、見るもまばゆい黄金の剣が握られている。
かまいたちのような、目に見えぬ速さでその凶器は振り回された。
「っあ!?」
最初の一振りで、空色の男の脚を無力にし。
次の瞬間には
「おい!?」
そう叫んだ、橙色の男の胸から赤いものが噴いていた。
「……ゥああアあぁ!?」
間違いなく、それは惨劇だった。
この場に誰か、一般人が通りかかれば、目を覆う暇もなく失神してしまっただろう。
が、そんな観客すら1人も訪れないまま、その惨劇は続く。
橙色のティンクチャーの息は、既にない。
残されたもう1人のティンクチャーは、動かない脚を必死に引きずりながら、地を這うように後退する。
「っぃ……」
が、逃げ場など既にない。
それはまるで、死神だった。
近づく死の足音が、彼にはしっかりと聞こえている。
「……っぅ、な、んでおまえ、その剣……を」
そのティンクチャーの最期の言葉は、そこで打ち切られた。
男達の亡骸が、静かに横たわっている。
瞬く間に、あたりに黒い影が集っていた。
ネイチャーの集団だ。
「……食べたいなら食べればいい」
黄金の剣を手にする惨劇の主は、蠢く黒い影にそう言い残してその場を後にした。
その言葉通り、影は一気に男達に群がった。
静かな夜の、晩餐が始まる。
――跡は、ひとつも残らなかった。
いきなり最後がブラックなフェードアウトですみません。一応全年齢対象作品なので出来る限り過激な描写は避けたいと思っているのですが(汗)うーん。
よくよく考えてみると本作品は結構シリアスなところが多いので。
シリアスは私の原点ですから!
……とまあ色々言う前にとっとと話を進めろということで執筆まだまだ頑張ります。連載も結構長期戦になりそうです。それはそれで楽しみですが。
めげずにここまで読んでくださっている方々、いつもありがとうござます!