エピローグ
気がつけば、放課後だった。
ガタガタと席を立つクラスメイト。
それにワンテンポ遅れて、俺ものろのろと荷物をまとめ始める。
「瀬川君」
ふと、後ろから声をかけられた。
五十嵐だ。
「今日もぼうっとしてたけど、学年末考査の勉強、ちゃんとしているの?」
彼女は呆れ顔で俺にそう問いかけてきた。
「……ああ、悪い。心配かけて」
こういうときの彼女は、呆れているのではなく心配してくれているのだということを俺はもう知っている。
俺がそう返すと
「別に、心配してあげてるわけじゃないんだけど……」
彼女があからさまにばつの悪そうな顔をしたので、俺は少し頬をゆるめることが出来た。
季節は冬。
いや、もうひと月もすればめっきり春めくだろう。
約2週間後には今年度最後の考査が控えており、校内の雰囲気はそろそろぴりぴりし始めている。
というのも、うちの学校の学年末考査では、学校が決めた基準点を下回ると春休みにほぼ毎日補習という地獄が待っているのだ。
その事態を避けるため、学年末だけはいかに不真面目な生徒でも躍起になって勉強するというのが風習らしい。
けれど。
俺はまだ、エンジンをかけきれていない。
家の勉強机に座ると、どうしても彼女のことを思い出してしまって、座っていられなくなるのだ。
……あれからもう、3ヶ月も経つっていうのに。
ゆるりとした下り坂を、白い息を吐きながら自転車を押して歩く。
傍らの五十嵐に、俺は思い出したように尋ねた。
「そういえば、お兄さんどうしてる? もう退院したんだよな?」
すると五十嵐は頷いた。
五十嵐のお兄さん――五十嵐紅葉はあの後意識を失ったままだったのでしばらく入院したと聞いた。
シアン曰く、アクティブブレイク状態を長期にわたって維持し続けた後遺症だったらしい。
が、病院側にそんなことが分かるはずもなく、眼が覚めてからも色々な検査を受けさせられたせいで、確か先週くらいにようやく退院できたようだ。
「休学していた大学のほうにまた通い始めたわ。早速研究室に入り浸りよ」
どこか溜め息混じりにそう言った彼女。
「……なんだ、寂しいのか?」
俺がそう尋ねると、五十嵐は俺を睨んだ。
「そんなことないわ。……最近は父が家にいるし」
そういえば、五十嵐のお父さんもつい最近になってようやく退院できたらしい。
3年間寝たきりだったせいでまだ道場は再開できないようだが、毎日鍛錬しているそうだ。
「前に比べると、父も角が丸くなったというか、ね」
そうこぼす五十嵐は、どこか嬉しそうだった。
これもシアンからこっそり聞いた話なのだが、五十嵐はほぼ毎日お父さんの病室にも花を飾っていたらしい。
それを知った五十嵐のお父さんが、彼女に礼を言ったあたりから雰囲気が良くなったのだとか。
「よかったな、五十嵐」
俺がそう言うと、なぜか彼女の表情が少し曇った。
「……?」
俺が怪訝な顔をすると
「……なんでもないわ」
五十嵐はそう言って、
「私、今日は用事があるからここで失礼するわ。あまりぼうっとして事故を起こさないようにね」
逃げるように角を曲がっていった。
その後俺は、アージェントがかつてよく座っていた公園でホットの缶コーヒーを飲んだ。
この、ただぼうっとしているだけの時間を過ごすことが、最近の日課になりつつあった。
ふと、さっきの五十嵐の行動について考える。
……ああ。
もしかして俺、いかにも不幸そうな面構えして『よかったな』なんて言っちまったんだろうか。
……だとすると彼女には悪いことをしてしまった。
俺は溜め息をついた。
――このままじゃ、駄目だ、と。
分かってるんだ。
あいつはあいつなりに考えて、消えていったんだってこと。
俺を生かすために、そう選択したんだってこと。
「……こんな面してたら、あいつに怒られるよな」
俺はそう呟いて、とっくに空になって冷たくなっている缶を、ゴミ箱に投げ捨てた。
家に辿り着く手前で、見知った後姿を見かけた。
子供2人と大人1人。
「おーい」
俺が後ろから声をかけると、3人は一斉に俺を見た。
「あ、お兄ちゃんだ。お帰りー」
綾が手を振ってくる。
その隣にはなにやら無駄に大きな紙袋を抱えているクリムと、2リットルサイズのペットボトルジュースを手に提げているアージェントがいた。
「さ、サツキ、これちょっと持って欲しいです。前が見えないです」
クリムがそう言って紙袋を俺に渡してきた。
鞄をどけて、自転車の籠に移して中身を見ると。
「……どらやき?」
そこには大量のメガどらやきが入っていた。
「セールをしていた。買い時だと思ってな」
アージェントは真面目にそう言っているが
「……でもこれ、ちょっと買いすぎじゃないか?」
俺は一応、そう突っ込んでおいた。
エルダーを倒したあの日。
奴からくらった麻酔弾が相当堪えたのか、どうにもクリムの調子が悪かったようなのでアージェントとクリム、ブラックは一旦境界へと戻っていった。
エメラはしばらく家にいたが、急に境界へ帰ると言って出ていった。
彼女は去り際、オーアが言っていた『境界の改革』を進めるのだと言っていた。
彼女なりに、吹っ切ったのだろう。
それに比べて相も変わらずだらだらとしょげていた俺の尻をはたくように、アージェントとクリムが境界から戻ってきたのがひと月前のことだ。
「皆で食べるんだから平気だよー、ねー?」
綾は無邪気にそう言っているが、この量は流石にきついだろう。
……このセール品って、賞味期限明日だし。
「おいお前」
アージェントが、おもむろに声をかけてきた。
「ん?」
「アゲハから聞いた。大事な試験が近いんだろう? ちゃんと机に向かえよ」
お前のどらやきはそれからだ、と彼女は言ってつかつかと歩いていった。
「…………」
恐らく、彼女なりに心配してくれているんだろう。
――あいつにまでそう言われたら、頑張るしかないな。
俺はそう決意して、帰宅してすぐに自室に上がった。
まずは勉強の計画を立てないと、なんてことを考えながら、部屋のドアを開ける。
すると。
「――遅刻だぞ、サツキ。授業は5時からの約束だろう?」
なぜか、懐かしい声がした。
「……え?」
思わず、手に持っていた鞄を落とす。
沈む直前の、最後の太陽の光を映す部屋に、はっきりとした人影があった。
俺は、目の前の光景が信じられなくて、思わず何度も瞬きする。
「……あまり呆けた顔をするな。……こっちが恥ずかしくなる」
俺の机の前に立っているその人物は、照れを隠すように金の長い髪を軽く手でいじった。
「…………オーア?」
その名を呼ぶと、彼女は顔をほころばせた。
思わず、身体が震える。
俺は高まった涙腺を必死に抑えてすぐさま彼女に近づいた。
そして肩や腕を確かめるように触る。
確かな感触。実体を持つ身体だ。
幽霊なんかじゃない。
夢なんかでも、ない。
「こ、こら、どこを触っとるんだ」
無遠慮に身体を触る俺に彼女は若干頬を赤らめつつそう抗議したが、俺は構わずそのまま彼女を抱きしめた。
「……!」
突然の抱擁に、身体を強張らせて一瞬戸惑いを見せた彼女だったが、すぐに力を抜いてくれた。
間違いなく、彼女だった。
彼女の匂いがする。
全身で感じる喜び。
あまりの歓喜に、身体が痺れて動けない。
いや、きっとこの身体も彼女を離したくないんだろう。
「……少し見ない間に、背、伸びたんじゃないか?」
彼女はそう言いながら、俺の頭を優しく撫でた。
「……知るかよ、馬鹿」
涙で半分掠れてしまった声でそう返すと、彼女は俺の背中を、あやすように軽く叩いた。
どれくらいそうしていたのか分からない。
涙を押さえ込むことができてようやく、俺はそっと身体を離した。
「お前、なんで……」
もっともな俺の問いに、彼女は少々視線を泳がせてから
「話せば長くなるんだがな……。言ってしまうと転生したんだ、人間に」
ずばりと、そんなことを言ってきた。
「……てん、せい?」
俺は相当間抜けな顔をしていたのだろう。彼女はくすりと俺を見て笑って
「私も知らなかったんだがな、ティンクチャーはティンクチャーとしての生を終えた後、人間として生まれ変われるらしいんだ。……死して初めて神の声を聞くことになるとは思わなかった」
彼女はそう言った。
「でも、生まれ変わるって……」
こう、なんというか。
赤ん坊から始まるんじゃないのか、普通は。
俺の言いたいことがわかったのか、彼女はどこか得意げに笑みを浮かべて言う。
「そこで無理を言ってみたんだ。この姿のまま、転生させてくれないかとな」
「……すんなりOK、出たのか?」
彼女はこくりと頷いた。
「まあ考えてみろ、まっさらから生まれ変わったほうが寿命的には長く生きられる。その点から見れば私は20数年損することになるわけでだな、むしろむこうは心配してくれたぞ?」
……確かに、そう言われればそうだ。
彼女は『自由に生きたい』と願っていたはずだ。
それなら、0から人生を始めるという選択肢だってあったはずだ。
いや、そっちのほうが相応しいとも言える。
「……じゃあ、なんで……」
俺が問うと、彼女は若干眉をひそめた。
「……なんでって、お前……」
不機嫌になったかと思えば、急に彼女はしょげるように、視線を落としてこう尋ねてきた。
「……サツキは、私に会いたくなかったのか?」
……。
…………。
俺の質問も馬鹿だったが、こいつだって絶対馬鹿だ。
さっきの抱擁で分からないものだろうか。
……。
……ああ、もう!
「んなわけ、ないだろ」
俺は少々強引に彼女の肩を引き寄せた。
「!」
彼女が驚いて顔を上げたその隙に、その唇を奪う。
同時に、加速しっぱなしの鼓動を教えるように、彼女の手を俺の胸にもっていった。
触れたところから、溶けそうだった。
これほどの熱を持て余していたのだと、彼女に知って欲しかった。
やがて唇を離すと、俺は彼女の目を見て囁く。
「……会いたかったに、決まってる」
彼女は俺のその言葉に、微かに瞳を潤ませた。
それから、頬を上気させたまま笑う。
その顔が、あまりにも綺麗だったから、思わず見惚れてしまった。
すると、彼女はふと俺の頬に手を添えた。
そして耳元で囁く。
「……じゃあ、今度は私から、だ」
その言葉に、快く速いテンポを刻んでいた心臓が大きく跳ねた。
淡い期待に背筋が震える。
彼女の唇が、徐々に近づいてくるのを、俺は目を細めて待っていた。
……のだが。
「お茶の時間だよーー!」
突然ドアが開いて、綾とクリム、そしてアージェントがどらやきを盛った盆を持って入ってきた。
「「「!?」」」
途端、3人が固まった。
無理もない。
キス直前の、こんなシーンを見てしまったら俺だって固まるだろう。
いや、それ以前に彼女たちはオーアが戻ってきたことを知らないんじゃ……
「う、うう! いきなりチューは駄目です! まだ早いです!」
顔を赤くしたクリムはそう言ってずずずと俺とオーアを引き離した。
「が、ガキをたぶらかすな馬鹿者!」
アージェントも顔を真っ赤にしてオーアに抗議する。
「……そういうカンケイだったんだ……」
綾は顔を赤くしながらも床に呟くようにそうこぼしていた。
……これって、もしかして。
「お前ら、知ってたのか?」
呆気にとられつつも俺が尋ねると、3人は同時に頷いた。
「いつ!?」
「今日に決まっているだろう」
アージェントが鼻を鳴らしてそう言った。
「皆でどらやきを買いに行こうと家を出たら、家の前にオーア姉さまがいたですよ!! クリムは喜びのあまり昇天しそうになりました!」
クリムはそう言ってオーアの腰にしがみつく。
「お前はまだ昇天するには早いぞ」
そんなことを言いながらよしよしとクリムの頭を撫でるオーア。
「せっかくだからお兄ちゃんを驚かそうってことになってね、お兄ちゃんが部屋に上がるまで黙ってたんだ〜」
綾がそう言う。
「…………」
俺がオーアを恨めしげに見ると、彼女は誤魔化すような笑みを浮かべて
「人づてに聞くよりだな、直接会ったほうが嬉しいだろう?」
そんなことを言った。
……。
まあ、そうだけど。
でもなんでこのタイミングで部屋に入ってくるかな、この3人は。
……せっかく、いいところだっ……
「せっかくいいところだったのに、とか思ってるわねその顔は」
俺の心をそのまま言葉に出されて、俺は動揺のあまり一歩退いた。
……ていうか。
「なんで五十嵐までここにいるんだよ!?」
いつの間にか、五十嵐まで俺の部屋の入り口にやって来ていた。
「俺もいるぜ」
その脇からシアンも顔を出して、手をひらひらと振ってくる。
「瀬川君と別れた後、シアンが急に迎えに来て、ホーテンハーグが戻ってきたって言うから様子を見に来たのよ」
と、五十嵐。
「俺はたまたま出先でミリオンハーグに聞いたんだけどな?」
シアンはアージェントに目配せしながらそう言う。
加えて
「やっほー、元気そうじゃないオーア」
「ほんとだー! オーアだ!」
ガラリと背後のガラス戸が開いたかと思うと、境界に帰ったはずのエメラとブラックが遠慮なく部屋に上がりこんできた。
「なんでお前らまで!?」
俺の問いにエメラは肩をすくめる。
「私達はクリムから通信端末で連絡をもらったのよ」
……てことは、俺が最後だったのかよ!
色々言いたいことはあったのだが、誰にこの不満をぶつけたらいいのか分からない。
そうこうしていたら
「人がいっぱいだね! 早くお茶会始めようよー」
綾がそう言って、アージェントが大量のメガどらやきを皆に配り始めた。
どうやらこうなることを予想してあの量を買っていたらしい。
「綾ちゃーん、お兄さんの膝の上においでぐへッ!?」
ブラックが変態的発言をしかけたところにクリムが回し蹴りを食らわせた。
「変態は変態の国へ帰れです!!」
しかしブラックは床にへばりながらも幸せそうに呟く。
「……相変わらず、ツンデレ……。そういうとこ、好きだよ……」
まだ懲りてないらしい。
「ロリコンが」
アージェントのその言葉にエメラが茶々を入れる。
「アージェントはシスコンだけどね」
「うるさい!!」
オーアは皆に囲まれて楽しそうに笑っていた。
俺が見たかった、あの笑顔で。
あいつと出逢って、戦って、結局何を得られたかと聞かれたら、答えるのは難しい。
彼女が今こうして、戻ってきてくれたのは俺の力とは全く関係がないわけで。
……やっぱり、俺はまだまだ頼りない奴なんだと思う。
ただ、それでも。
流されるままに生きてきた俺にも、必死に守りたいと思えるものが出来て。
行動に移すことが出来たんだ。
そんな自分を、少しだけ好きになれた気がする。
「そういえば、サツキ」
どらやきを頬張りながら、オーアが俺の傍らに座り込んできた。
「テスト近いんだろう? 今日から早速スパルタ開始だぞ」
彼女の言葉に、俺はむしろ笑みを浮かべる。
「望むところだ」
一瞬オーアはぽかんとして
「なんだ、いつになくやる気だな」
そんなことを言う。
俺はこれみよがしに言ってみた。
「真面目に勉強して、いい大学行って、いいところに就職して、早くお前を嫁にもらいたいからな」
すると、オーアは顔を真っ赤にした。
言った俺ですら顔を赤くしてしまうほどに。
すると、聞こえていたのか周りの奴らまで顔を赤くし始めた。
その後俺とオーアが散々皆にいじられたのは言うまでもない、が。
「……楽しみにしてるぞ」
こっそり、耳元でそう囁いてきた彼女があまりに嬉しそうで、胸がいっぱいになった。
こんな笑顔を、ずっと見ていたいと思う。
実際、数年先がどんな未来になっているかなんて、まだ想像出来ないけど。
きっと、この気持ちは忘れていないだろう。
「……さて。そろそろ取り掛かるか」
まずは目の前のことからコツコツと、頑張るとしよう。
……3ケ月に渡り連載してきました本作も、ようやく完結を迎えることが出来ました(しみじみ)。
リハビリのつもりがどうして今までで一番長くなったんだろうと今でも思いますが、キャラの数が多いとどうしても長くなるんでしょうねという結論に行き着きました(笑)。
そういう点では色んなキャラを通してこの1年で新たに思ったことや前から思っていたことなどを色々と詰め込めた気がしています。
まあ、課題を挙げろと言われるとものすごい数が挙がりそうなんですが(汗)、少しでも楽しんで読んでいただけていたなら本当に幸いです。
色々作品について語りたいことはあるのですが、ここだとちょっと申し訳ない気がするのでまたPCサイトのほうに特設ページでも設けたいと思っています。
そのうちアフターエピソードも用意するつもりなので、興味がある方は気が向いたときにでも覗いていただければと思います(アフターエピソードは携帯サイトにも掲載します)。
最後になりましたが、完結までこぎつけられたのはくじけず最後まで読んでくださった読者の皆様のおかげだと本当に思っています。
本当に、ありがとうございました!
またどこかでお会いできることを祈りつつ。