第4話:シェルブレイク
時刻は午後7時半すぎ。
午後ティーが入っている自販機が近くに見当たらなかったので、街中のコンビニを目指して俺達は歩いていた。
のだが。
「あのさあ」
すれ違うたび注がれる通行人の好奇の目に耐えかねて、俺は言葉を発した。
「ん?」
視線を注がれている張本人はというと、そんなものはまったく気にしていないようだ。
「その格好、なんとかならないか? ただでさえあんた目立つのにさ、その格好だと余計目立つんだが」
彼女の衣服は、白いロングコート、にも見えないでもないがやはりどこか特殊だった。
裾が長く、スリットが多いために歩くだけでなびくそれは見ていて綺麗といえばそうなのだが、その格好で街中を歩くと完全に『浮く』、のだ。
「格好? ああ、服のことか。現代の流行衣装についての情報をあまり手に入れてなくてな。私の外見年齢と同じくらいの女性がいれば見本にするんだが……」
彼女はそう言ってあたりを見回した。
そんな時ちょうど、車道をはさんだ向かいの通りに仕事帰りの若いOLの姿が見えた。
「あれなんかどうかな」
彼女はそう言うと、いつぞやのように一瞬強い光を放った。
次の瞬間には、あのOLと全く同じ、黒のスーツを纏っていた。
「……うわあ」
思わずそんな声が漏れた。
次に周りに人がいなかったか確認する。どうやら大丈夫そうだ。
「これでどうだ? 目立たないか?」
彼女は自信ありげにそう尋ねてくる。
だがあえて言おう。
「それ、余計目立つぞ」
俺がそう言うと、彼女は慌てた。
「な、なぜだ? 完璧にコピーしたはずだぞ?」
彼女は分かっていないのだ。自分のスタイルの良さを。
カッチリしたスーツを着込むことによって余計に目立つその胸とか。
黒地のスカートから伸びる、あまりにも白くて長い脚とか。
……そんな色気出しまくりの格好じゃ余計に男共の視線が集中するっつーの!!
なんて恥ずかしくて言いたくなかったので
「……ひとことでいうと愛人の枠を狙う社長秘書だ」
無難に一言にまとめてみた。
その一言で彼女は何かを悟ったらしく
「つまるところ色気を出しすぎたんだな」
見事に俺の意図を汲み取ってくれた。
「じゃあこうしよう」
彼女はしぶしぶ上着を脱いだかと思うと、いつの間にか薄手の長袖Tシャツに、細身のジーンズ姿になった。
恐ろしいほど無難な格好だ。
が、元々のスタイルの良さが引き立って、地味すぎるというわけでもない。絶妙のバランスだ。
「最初からそれにしとけよ」
ついそう漏らすと
「3年前と同じ格好をするのも気が引けただけだ」
彼女はそう言った。
「……あんた前にもこっちに来たことがあったのか? やけに俗物に詳しいじゃないか。レモンティーとかチーズケーキとか」
あとエロ本とか。
「……ああ、言っていなかったか。3年前にも1度……」
と言いかけて、彼女は視線を空に向けた。
先ほどまでのゆるい空気とは打って変わった、切迫した空気。
まるで昨日の夜のような。
「なんだよ?」
空気に気圧されつつも俺は尋ねる。
「……サツキ。悪いがレモンティー、買っておいてくれないか。私は急用を思い出した」
彼女は俺の返事を聞くまもなく走り出す。
「ちょ!?」
言われたとおりにすればいいものを、足は自然と彼女を追いかけていた。
何か、嫌な予感が胸を掠めていた。
彼女の背中を追いかけて数分。なぜか周りの景色は見知ったものだった。
というのも、彼女が走りこんでいったのは俺が通っている塾の建物だったのだ。
「おいオーア!!」
さすがに息が限界になって、建物の入り口で叫ぶ。
すると彼女はやっとこちらに気付いたようで
「サツキ!? どうしてついてきたんだ」
半ば叱咤するように返してきた。
「どうしてもなにも、お前なんでこんなとこに……。ここ、俺が通ってる塾だぞ」
息を切らしながらそう言うと
「塾……? 学生が集団で学問を学ぶ場所か……。なるほど」
彼女はただただ冷ややかな表情でそう呟く。
「なにが……」
なるほどなんだ、そう問おうとして俺は自分の目を疑った。
入り口を入って数メートル先にある事務のカウンター。
そこでいつも学生を迎え入れてくれる職員の女性が机に突っ伏している。
「え……?」
それだけじゃない。その奥にある職員の机の前にも数人、講師らしき人達が倒れていた。
「なんだよ、これ……」
俺が呆然としている間に彼女はさらに奥へと駆けて言った。奥には教室がある。
おぼつかない足取りでついていくと。
「……ここもか。少し遅かったようだ」
そう呟く彼女の後ろから見えたものは、折り重なるように倒れる生徒達だった。
「……うそ、だろ……」
――なんだ、これは。
そう思った瞬間、頭をよぎったのは今朝の担任の話。
原因不明の流行り病。
外傷はないのに意識不明の状態が延々と続く謎の病気。
「きゅ、救急車、呼ばないと!」
彼女の肩をゆすった途端広がった視界に、俺は見たくないものを見てしまった。
小柴が、倒れている。
夕方、言葉を交わしたばかりの友人が。
「小柴……小柴!」
慌てて駆け寄って、彼の身体をゆすってみたが、まったく反応がない。
まるで眠っているだけのようなのに、死んでしまっているかのよう。
「なんだよこれ!?」
行き場のない感情をむき出しにして、俺はそこに立つ彼女に尋ねた。
彼女はただ、冷静に
「……シェルブレイクされたようだ」
そう言った。
「シェル、ブレイク……?」
昨日もそんな言葉を聞いた。
それが何なのかを問おうとしたとき、
「! サツキ、離れろ!」
血相を変えた彼女が俺の身体を横に突き飛ばした。
「!?」
突然だったので床に転ぶ。
次の瞬間、俺は信じられない光景を見た。
生徒達から少しばかり離れた場所に倒れていた男性講師の身体から、黒い、煙のようなものが噴き始めた。
そして
「――はハハっ……」
気味の悪い笑い声が教室に響く。
「抜ケ殻がイッパイだ!」
煙はいつしか立体的な形を持って、真っ黒な、人型の化け物になった。
「な……な、あれ、昨日の……! 人の身体から出てくるのか!?」
俺の喉は半ば悲鳴に近い声を上げていた。
「アれ? まだシェルブレイクしてナイ人間ガいるジャなイか」
影がこちらに向き直った。
足が動かなかった。
昨日よりも重い恐怖感。
目の前で人が何人も倒れていることと、ソレが見知った講師の身体から出てきたという事実が、俺の身体を硬直させる。
「仲間ニなれヨ、楽ニなれルゼ」
影がゆっくりとこちらに歩み寄る。が
「サツキ!」
オーアがそれを横から思い切り殴り飛ばした。
不意打ちだったのか影は派手な音を立てて壁に激突する。
「ここから出るぞ!」
彼女はそう言って俺の腕を引っ張りあげたが、それをもってしても俺の腰には力が入らなかった。
「また腰を抜かしたのか!?」
「う、うるさい!! こんな状況で立てるかよ!!」
知らず涙がこぼれていた。
情けなさと悔しさと、世界の不条理さに対する涙だ。
なんだってこんなことになったんだ。
なんであんなもんが人の身体から出てくるんだ。
もしかして小柴もこんなことになったのか?
こんなことならあいつの誘い、断らなきゃ良かった。
俺のせいでこんなことに……
「馬鹿! 泣いてる場合か!」
彼女が俺の頬をはたく。
その乾いた音で目が覚めた。
「逃げるぞ!」
思い切りはたかれたせいか、身体が少し言うことを聞くようになった気がした。
彼女に手を引かれてともかくもその教室から出る。
「な、なあ、逃げてどうするんだよ! あれ、何とかならないのか?」
走りながら彼女に問う。
「残念だが私の力だけでは無理だ! 剣で切れば元に戻せるだろうが……」
彼女がそう言っている間に後ろから影の耳障りな笑い声が聞こえてきた。
追ってきているようだ。
「なあ! 何とかしないのか!?」
俺がもう1度問うと、彼女が振り返った。
「サツキ、伏せろ!」
今度は後頭部を半ば殴られる感じで床に叩きつけられる。
正直痛かったが、その痛みより床に伏せた瞬間頭の上を掠めていった何かの感触に恐怖を覚えた。
そして。
「あ……」
視界の端に入ったのは、赤い滴。
俺をかばったせいで避けるのが遅れたのか、彼女は右腕から血を流していた。
「掠り傷だ、心配はいらん」
彼女はそう言って前方にいる影を見据えた。
奴はというとこちらには興味をなくしたように、ガラス張りの窓から熱心に外を眺めて
「人間! 人間! 外ニモいっぱイいるじゃナイか!!」
そんなことを言っている。
「……生まれたばかりのくせになかなかに乱暴なネイチャーだな。放っておくと成長する可能性がある」
あの黒いやつのことを彼女はネイチャーと呼んでいるらしい。
「だ、だったら! 昨日みたいに出来ないのか!?」
俺がそう切り出すと、彼女は険しい表情を見せた。
いや、険しい、というよりも切ない、のほうが近いかもしれない。なぜか悲しげな表情を彼女は浮かべた。
「昨日は私とお前の身を守る手段が他になかったからお前の力を借りただけだ。今、あいつの興味は外に移っている。不本意だが今奴を見逃せばお前の身は一応安全だ」
彼女はそんなことを言った。
そうしている間にも奴は窓を開けるか突き破るかして外に出てしまいそうなのだ。
「……嫌だ」
反射的に、そんな言葉が漏れた。
「え?」
掠れたような小さな声だったので、聞き取れなかったのかもしれない。俺はもう1度、はっきりと言う。
「嫌だ。それは駄目だ」
彼女は目を微かに見開いた。
「正気か? 手が震えているぞ?」
試すような、彼女の言葉。
彼女の言うとおり、手がガタガタ震えている。
手だけじゃない。足だって、身体全体が震えている。
心臓だって痛いくらいだ。
けど。
このまま自分だけ逃げたら、きっと後悔する。
今あれを逃せばあの講師はいつ目覚めるか分からない。
今ならまだ間に合う。
俺が、勇気を出せば、まだ間に合う。
「頼む。後悔したくないんだ」
みっともなく震えたままの手で、彼女の手を掴む。
「…………」
彼女はそんな俺の眼を、見定めるようにじっと見据えた。
そして。
「……了解した。お前は臆病だが、我が剣を握るに相応しい勇気を持っているようだ」
彼女は微笑と共にそう告げて、俺の首筋を優しく噛んだ。
次の瞬間、手にはあの剣が現れていた。
「……?」
心なしか、昨日よりも軽く感じる。
『2度目のチャージだ、お前の身体が慣れ始めたのかもしれん。僥倖だ、行くぞ!』
オーアの掛け声と共に俺は走り出した。
少し軽くなったとはいえ、やはり重いものは重い。
満足に走れない。
あの影との距離がもどかしい。
「……っ!」
俺は剣の柄を脇に挟んで、左手で刃を下支えした。
それはまるで槍を抱えて走るような格好で、傍から見れば無様だろうが、走る分にはこれが1番速いと思えた。
が、もう少しで刃が届きそうなところに迫った瞬間、影がこちらに気付いてしまった。
「ハハッ! 刃物遊ビか?」
影はその腕をまるで刃のように変形させて、こちらの剣を受け止める。
「っ!」
そのまま押し戻されて、床に転んでしまった。
『サツキ、立て! 次が来る!』
その警告と同時に影は次なる攻撃を仕掛けてきた。
黒く鋭い針のようなものが飛んでくる。
「ぅわ!?」
床に針が刺さる。反射的に身を翻してどうにか1撃目は避けられたが
「ヒャヒャっ」
2撃目は軽く頬を掠った。
『馬鹿! 早く立てと言っているだろう! これでは動かぬ的だ!』
内なる怒声にせかされてなんとか跳ね起きる。
「くっそ、なんだよあれ!」
切れた頬がじりじりする。
正直、あれは怖い。
『今の我々では奴の動きを止めない限り勝ち目はないぞ!』
オーアはそう言うが
「どうやって!?」
その術がさっぱり思いつかない。
剣を持ったままじゃ速く走れないし、あいつは飛び道具まで使ってくる。動きを止めるどころか近寄ることすらままならない。
しかも、昨日より軽く感じるとはいえ、俺にはまだこの剣を振ることは出来そうにない。
それこそ昨日のように、至近距離で狙ったように刺せる状況を作らないと駄目だ。
『仕方ない、1度チャージを解く。2人がかりなら奴を押さえ込めるかもしれん』
オーアがそんなことを言った。
「な!? 仮に押さえ込めたとしてその後どうするんだよ!?」
俺が喚くと彼女も負けじと喚いた。
『それぐらい頭を使え! いいかよく聞け、私はお前の血を少量口に含めばすぐチャージ状態になれる。チャージ状態のはじめには必ずお前の右手に剣は現れる。これで分かったか!?』
……なんとなくだが彼女のプランが分かった気がした。
『行くぞサツキ!』
彼女がそう言った途端、手から剣が消えた。
「!?」
突然チャージを解いたことに影のほうが驚いている様子だった。奴がひるんだ隙にオーアが飛び掛かる。
が、影の動きは俊敏で、あともう少しのところで逃げられた。
「ちっ」
彼女の舌打ちをあざ笑うかのように影は身を翻し、俺のほうを向いた。
「忘レテタ、お前を仲間ニするンだっタ!!」
影が真っ直ぐこちらに向かってくる。
――なんか昨日のデジャブを感じるんですけど!?
「サツキ!」
彼女の声が聞こえる。
こんなところで俺までシェルブレイクさせられたら今度は彼女が危ない。
そんな状況にだけはしたくない。
影がすぐそこに迫る。
奴の顔を直視するのが怖くて、反射的に目を閉じてしまった。
が。
「――っ!!」
無我夢中で、俺は腕を前に出した。
昨日の奴も猪突猛進する奴だった。
だったら、腕を前に出すだけで……
「ゥッ!?」
軽い呻き声と共に、確かな衝撃を手のひらに感じる。
目を開くと、すぐそこに影が止まっていて。
俺の手は奴の胸部を見事に押さえていた。いや、めり込んでいた、と言ったほうが正しいかもしれない。
影が慌てて後ずさろうとした瞬間、
「ナイスだ、サツキ」
影の背後から彼女の声。
それこそがしりと奴の後頭部を掴んだ彼女は、容赦なくそれを後ろに倒す。
「うわっ」
勿論俺の身体も自然に前に倒れた。
これで見事に奴を押し倒す格好になったわけだ。
「サツキ、右手!」
急かされて、俺は奴の身体の上で拳を握る。
そして。
「――上出来だ」
耳元で囁かれる艶やかな声。
彼女の舌が、俺の頬の傷を軽くなぞる。
「!」
妙な背筋の震えと共に、再び右手に現れたのは黄金の剣。
出現と同時に、その刃は影の身体を貫いていた。
街の光に照らされた赤い夜空に、無数の黒い影が浮かんでいた。
不気味なまでに蠢くそれらを喩えるならば。
「……まるで烏の群れのよう」
とあるマンションの屋上から、少女は涼しげな瞳でそれを見つめる。
風になびく長い髪、青いリボン。
セーラー服姿の少女の手には、その可憐な姿には少々不釣合いとも言える物騒な得物が握られていた。
――日本刀だ。
その刃にはうっすらとだが、青白い光が宿っていた。
炎のように、揺れる白刃。
それは、始まりの合図。
「……行くわよシアン。ひとつ残らず、蹂躙しましょう」
お盆に失礼しますあべかわです。
週1更新のつもりがあまりの読者数の伸びなささに慄きを感じ(笑)亀でもちょっと小走りの亀になったつもりで更新します。
いや、今なんかちょっと執筆が乗ってきたので今のうちに、と……。
ちょっとはバトルものらしくなってきたかなーとか思いつつも「こんなのバトルじゃないよ!」って思われてそうで怖いです。
あとプロローグで言い忘れてたんですが「蹂躙す」と書いて「けちらす」と読ませているのはわざとです。
女の子が物騒な言葉使うのなんか好きなので(←)。
ではではここまで読んでくださった貴重な読者の皆さん、出来れば次もどうぞよろしくお願いします(汗)。