第44話:託された思い
その夜は珍しく、エメラが俺の部屋に居座っていた。
「サツキ君も食べる? よっちゃん」
彼女は上機嫌にうすっぺらいパッケージを1つ俺によこした。
……ていうかそもそも俺が金を出してやったものなんだが。
彼女はどこからか持ってきた日本酒っぽい瓶から、とくとくとお猪口に注いで、ぐいっといった。
「…………はぁー。1日の終わりはやっぱこれよねー」
……オッサンかよと突っ込みたくなったが、あんまりこの人に絡むとろくなことがなさそうなのであえて言葉を呑み込んだ。
代わりに俺はぺりっと赤い袋を開けて、程よい噛み応えのスルメを口に含んだ。
――ん。結構いけるな。
最後に食べたのは小学生の頃だったので味を忘れかけていたのだが、久々に食べると案外旨く感じる。
――昔は酢漬けってあんまり好きじゃなかったんだけどな。
俺も大人になったってことか……なんてしみじみと思っていたら
「ねえサツキ君。今日のことなんだけどー」
エメラもスルメを噛んでいるのかもぐもぐと口を動かしながら話しかけてきた。
「なんだよ今日のことって」
俺が聞き返すと、
「やあねえ、オーアの膝枕のことよ」
いきなりそんなことを彼女は言った。
「なんでそんな話になるんだよ」
俺の突っ込みに彼女は笑みを見せつつ、またお猪口に酒を注ぐ。
「率直に聞くけど、2人、できてるの?」
……。
…………。
「あ、返事に詰まってる。てことはそうなんだー」
エメラはぐいっともう1杯いってから、ことんと床にお猪口を置いた。
「で、できてない! 変なこと言うなよ」
俺はそっぽを向いて、ひらすらスルメを食べる。
「ふうん?」
からかうようなエメラの声色。
思い出したように彼女は続ける。
「あ、別にできてたからって貴方を抹殺しようとか考えてるわけじゃないわよ? 私あの規則にはもともと反対だったから」
違う種が交わるのは世界の秩序に関わる大問題だーなんて偉そうなこと言ってるけどクリムロワの件とか天上界なんてその辺無法地帯じゃないのよねー、などとなぜか俺に同意を求めてくるエメラ。
……一体彼女はいつまでこの話を引っ張るんだろうか。
「だから、そういうんじゃないって」
俺がそう言い放つと、彼女はあからさまにむくれた。
「むー。素直じゃないなあ。お姉さん素直な子のほうが好きだなー」
酒のせいか、エメラのテンションがいつもより高い気がする。
彼女はすすすと床を滑るようにして、ベッドに腰掛けている俺の前にやってきて
「でもサツキ君は好きなのよねえ? 前も言ったかもしれないけど、はたから見てても分かるんだから」
そんなことを言う。
……う。
そんなに、もろにばれるような反応をしただろうか?
「……だ、だったらなんか文句あるかよ」
俺は思わずそう口走ってしまったが、エメラはそれを聞いて、心底嬉しそうに笑った。
いつもの胡散臭い笑みとは全く違う。
これが、彼女の本当の笑顔なんだろうと、直感的に分かってしまった。
「ねえ、オーアのどんなとこが好き? やっぱ顔? それとも性格?」
まるで親しい友人かなにかのように、エメラは俺の横に座ってそんなことを聞いてきた。
……半分酔っているのだろうかと思えるほど、やけに気安い。
が、いつもの彼女より話しやすい気がして、俺もつい気軽に喋ってしまった。
「……どこって言われても……」
そりゃあ、顔は綺麗だし。
性格も、普段はさっぱりしてて話しやすいけどそのわりにたまに子供っぽいところがあって可愛いと思う。
あと、あの妙に強がりなところとか、妙に守ってやりたくなるっていうか……。
「ははぁ、その顔は『全部』って感じでしょ?」
エメラのその言葉に、思わず顔が火照った。
「分かりやすいなあサツキ君は」
ばしばしと俺の背中を叩くエメラ。
……やっぱり酔ってるんじゃないだろうか?
すると
「私もね、オーアのこと好きなのよ」
エメラは突然、そんなことを言った。
――え!?
俺は一瞬ぎくりとした。
が。
「アージェントも、クリムも、ブラックだって。ホントは皆大好きなの」
エメラはどこか懐かしい、遠い目をしながらそうこぼした。
――なんだ、そっちの『好き』か……。
少なからず焦ってしまった自分が怖い。
そんな俺を無視して、エメラは続ける。
「でもさ、私って役立たずだからさ。いつもみんなの役に立てないの」
……心なしか、彼女の声が上ずっている。
「私のティンクチャーとしての能力、防御に特化してるんだけど、自分の身しか守れないようになってるの。……くだらない能力よね? 自分の身だけ守ったって、しょうがないのに」
ぽすんと、そのままエメラは後ろのベッドに倒れこんだ。
「……だからなんか、性格ひねくれちゃったわけ。まともな能力を持った同胞に対する嫉妬とか、ね」
エメラの声音には悲しみが詰まっていた。
以前、彼女は同胞を見殺しにしたことを後悔はしていないと言っていた。
けれど、やはりそんな自分に対する嫌悪が、僅かばかりでもあるんじゃないだろうか。
「本当にね、エルダーの話に乗れば、皆を助けられると思ってた。自由になれると思ってた。けど、結果は最悪。オーアにはほんと、ひどいことしちゃった」
微かに漏れる、嗚咽。
シーツに顔を隠すようにして、彼女は声を押し殺して泣いていた。
道は少し間違っても、彼女は彼女なりに、頑張っていたんだろう。
その結果が裏目に出て、作り物の笑顔しか見せられなくなってしまったのかもしれない。
しばらくして、少し彼女が落ち着いた頃。
「だからお願い、ね?」
エメラの冷たい手が、俺の手をそっと包んだ。
彼女の眼が、俺を捉える。
「君はとっても真っ直ぐだから。ひねくれもので、役立たずの私の代わりに、彼女を守ってあげて」
エメラの、懇願。
……胸にしみるものがあった。
俺がこくりと頷くと、彼女は微笑んで、ぱっと跳ねるように上半身を起こした。
「じゃあ、おやすみなさい。若いからって、あんまり夜更かししちゃ駄目よ?」
彼女はまた、いつもの雰囲気に戻って、そう言い残して部屋を出て行った。
エメラが出て行った後、俺はベッドに寝転がった。
――そういや結局、今日はあいつとまともに話できなかったな。
そんなことを考えていると。
ゆっくりとドアが開く音がして、俺は思わず起き上がった。
が。
…………?
ドアは微かに開いたのだが、誰も入ってこない。
部屋の外の廊下には窓があるから、しっかりドアが閉まっていないときに勝手に風で押されて開くことがままある。
――風のせい、か。
俺は少々肩を落としながら、ドアを閉めなおそうとベッドを降りてドアノブに手をかけた。
のだが。
「?」
ドアが閉まらない。
まるで誰かが向こう側からドアを閉めさせまいと押しているかのようだ。
わずかな隙間からドアの外を覗く。
すると、金の髪が見えた。
……間違いなく、オーアだ。
「……そんなとこで何やってんだ、お前」
俺は思わずそう漏らした。
入ってくるなら入ってくればいいのに。
……いや、もしかすると昨日のことで警戒されてしまったのだろうか?
俺がひとりうだうだと逡巡していると
「……いや、その。エメラが出て行ったのが見えたから……何をしてたのか気になって、だな」
オーアのそんな小さな呟きが聞こえた。
「…………」
思わず、呆けてしまった。
「……気にするんだ、やっぱり」
俺が少々意地悪げに尋ねると、ドアの向こうのオーアは押し黙ってしまった。
――まったく。
「今日買ってやったよっちゃんイカ、1個くれたんだよ。酒をひとしきり飲んで出て行った」
詳しいことは省いて俺がそう言うと、
「……そう、か」
オーアはそう、息を吐いた。
途端、
「おやすみ」
そんな短い挨拶を残して、彼女はドアから離れるような素振りを見せた。
――て。
「ちょ、ほんとにそれだけを聞きに来たのか!?」
ドア越しに、思わず俺は彼女を呼び止めていた。
……やっぱり余裕なんてものは俺にはないらしい。
「……そうだが?」
オーアは何食わぬ様子でそう言う。
「…………」
今度は俺が押し黙ると、向こうが少々得意げに尋ねてきた。
「何か期待でもしてたのか?」
……う。
期待、と言ってしまえばそうなのかもしれない。
別に、やましいことを期待してたわけじゃない。
ただ、純粋に――
「……部屋に誰かが来てくれるなら、お前が良かったなって思ってただけだよ!」
俺が顔が赤くなるのを覚悟でそう吐露すると、今度は向こうが黙ってしまった。
流れる、沈黙。
今、彼女はどんな顔をして、向こう側にいるのだろう。
……くそ。
なんかもどかしいなこのドア。
……ええい、開けちまおう!
俺は勢いをつけてドアを引いた。
「え」
すると、ドアの唐突な動きについて来れなかったらしいオーアが雪崩れるように部屋に入ってきた。
ここぞとばかりに彼女の腕を引いて、反対側の手でぱたんとドアを閉める。
「……」
閉じ込められた形になった彼女は気まずげに、どこか非難めいた目で俺を見た。
「何か用でもあるのか?」
出来るだけ平静を装おうとしているそんな彼女の問いに、
「……別に。ただ顔が見たかっただけ」
俺もそれだけを言った。
「…………」
オーアはわずかに頬を朱に染めて黙り込んだ。
「……なら、もういいだろう。今日はアヤの部屋で寝ることになってるんだ」
彼女がそっぽを向いてドアノブに手をかける。
「オーア」
俺は彼女の腕を掴んでいた手に力を入れて、それを止めた。
「……昨日のことなんだけど」
俺が喋りだすと、とりあえず彼女は動きを止めてくれた。
「お前が俺に命を返さないで済む方法、もしかしたらエルダーが知ってるかもしれない」
俺の言葉に、オーアはこちらを振り返った。
「だが、それは……」
「あいつを倒して、直接聞くしかないから。お前の力を貸してくれ」
彼女は俯いた。
「……今の私ではただの剣だぞ? ……不本意だが、エルダーを相手にするならアージェントとチャージしたほうが効率がいいと思う」
彼女の口から、そんな弱音が漏れた。
それが少し、寂しい。
「……らしくないこと言うなよ。俺の隣にいたいって言ったのは、お前だろ?」
俺の言葉に、オーアは恐る恐る顔を上げた。
「……いいのか?」
そんなこと、改めて聞かれなくても、答えは決まってるっていうのに。
「俺には、お前が必要だ」
夜空に、黄金の光を見出したときから。
戦うときは、いつだって彼女と一緒だった。
荒れた時だって、彼女は俺を包んでくれた。
俺には、オーアが必要で。
これからも、彼女と共にいたい。
……今願うのは、ただそれだけ。
俺が戦う理由なんて、もう他には考えられない。
――最初から俺は、彼女のために剣を取ったんだから。
「…………」
すると、オーアがそっと俺の背中に腕を回した。
耳元で、彼女は囁く。
「……ありがとう、サツキ。出逢えたのがお前で、本当に良かった」
安らかな、安堵の声。
穏やかで、温かくて、優しい抱擁だった。