第43話:突破口
朝。
硬い床の感触を顔面に感じて、俺は唸りながらむくりと身体を起こした。
かかっていたらしいブランケットがずり落ちる。
――こんなのかぶってたっけ。
そんなことを思いながらふと部屋の隅を見ると、オーアが昨日の晩の体勢のまま、膝を抱えて座っていた。
腫れた目のまま、じっとこちらを見ている。
「…………これ、お前がかけてくれたのか?」
ブランケットを軽く持ち上げて尋ねると、彼女は黙ったままこくりと頷いた。
……どうも、まだご機嫌ななめらしい。
昨日の晩、勢いあまって彼女に無理やりキスしてしまってから、彼女は長いこと泣きやまなかった。
完全な拒絶はしなかったくせに、そこまで泣かれると流石に申し訳ないやら自信をなくすやらで俺は何度も謝ったのだが、結局彼女は部屋の隅に座ったまま、寝入ろうともしなかった。
そんな彼女を放ってひとりだけベッドで寝るわけにもいかず、俺も床に座り込んでいるうちに、寝てしまっていたというわけだ。
「……そろそろ準備しないと遅れるぞ」
オーアがぽつりとそうこぼした。
「え」
俺は慌てて時計を見る。
確かに、そんな時間だ。
俺が着替えようと服を準備しはじめると、オーアは立ち上がって部屋を出ようとした。
「……あ」
思わずその背中を呼び止める。
彼女の足も、反射的に止まったようだった。
「……その、昨日はごめん。……ほんとに」
改めて謝罪すると、彼女はちらりとこちらを見て
「……ひきずるな。私ももうひきずらない」
そんな言葉を残して、オーアは部屋を出て行った。
その日は登校中も、授業中も、彼女のことばかり考えていた。
彼女を死なせないですむ方法。
できれば彼女を悲しませないですむ方法。
そんなことを考えていたら、あっという間に全ての授業が終わってしまっていた。
ホームルームを終えてクラスメイトが部活なり掃除なりに散っていく中、突然五十嵐が声をかけてきた。
「……瀬川君。今日1日、やけにぼうっとしていたけどどこか悪いの?」
珍しく、やけに心配そうな顔をして尋ねてきた五十嵐を見て、そんなにぼうっとしていたのかとむしろ驚いた。
「……あ、いや……」
繕うように笑ってみたが、やっぱりひきつっているのが自分でも分かってしまった。
そんな俺を見て五十嵐は呆れたように溜め息をつく。
「……しっかりしなさい。近々あの若作りのエルダーに仕掛けるんでしょう?」
――若作りのエルダー。
彼女のその言葉に、ふと何かを覚えた。
「……あ」
俺は思わずそう漏らして、慌てて鞄に荷物を詰める。
「なに?」
目を丸くする彼女に
「また明日な、五十嵐!」
そう言い残して教室を出ようとすると
「瀬川君、明日は祝日よ!?」
五十嵐のそんな忠告が背中に飛んできた。
――ほんと、ホームルームの先生の話も右から左だったみたいだな。
俺は自分自身の抜けっぷりに苦笑しながらばたばたと校舎を出た。
自転車を必死に漕いで、ある場所を目指す。
先週、アージェントが居座っていた公園を覗き込むと、やっぱり今日も、彼女はそこにいた。
「アージェント!」
自転車を放り出すように降りて声をかけると、彼女はちらりとこちらを伺った。
「……なんだ。騒がしい」
そう言う彼女の手にはたい焼きとミルクティーが握られている。またもお茶の時間を邪魔することになるとは思ったが、それを承知で彼女に尋ねた。
「なあ、あのエルダーって奴、どうやって蘇ったんだ!?」
俺の問いに、アージェントは目を丸くした。
「何の話だ」
すぐに意図が伝わらないのをもどかしく感じながらも、俺は早口にまくしたてる。
「オーアの奴、俺に命を返すって言ったんだ。俺に返してもあいつが死なないで済む方法を探してるんだよ」
アージェントは俺の言葉に目をしばたかせた。
そして、
「……なるほど。エルダーの蘇り方が分かればあいつを助けられると思ったわけか」
彼女はことりとミルクティーを置いた。
「悪いが詳しいことはよく知らん。だがダーザインは確かにあいつを目の前で看取ったと言っていた。奴はなんらかの手段で蘇って、その上若返ったわけだ。確かに、その方法が分かればあいつを助けることも可能かもしれん」
アージェントの言葉に、俺は期待を膨らませた。
「だったら早くあいつを叩こう! 本人から聞き出すしかないんだろ!?」
気持ちがはやる俺を、アージェントはなだめるように叱咤した。
「落ち着け馬鹿者。急いてはことを仕損じると言うだろう」
「善は急げとも言うじゃないか」
俺の言葉に、アージェントは閉口したようだった。
アージェントと共に家に帰ると、俺の部屋にはオーア、クリムのほかにもエメラ、ブラックが居座っていた。
4人は円を作るようにしてじっと床に座っている。
何かを真ん中に置いて、それを覗き込んでいるような格好だ。
「……何やってるんだお前ら」
その、奇妙といえば奇妙な光景に俺がそう漏らすと、
「あらお帰りなさいサツキ君。部屋借りてるわよ」
「今日は早かったですね」
エメラとクリムが俺に気付いて声をかけてきた。
ブラックはアージェントの姿を見て、部屋の隅に逃げた。
オーアとは、目は合ったが向こうもまだ声をかけづらいらしく、言葉を交わせなかった。
「……?」
クリムが怪訝な顔をした気がしたが、それは無視することにした。
「で? 何見てんだよ」
俺がひょいと3人の真ん中に置かれたものを見ると、それは地図だった。
「……市の地図か?」
このあたり一帯を示した地図には、赤いマーカーのようなもので円が描かれていた。
「なんだその円」
尋ねると、エメラが答えた。
「結界の予想領域よ」
……けっかい?
「エルダーの術式か?」
アージェントが尋ねると、エメラは頷いた。
「前から何か準備してるとは思ってたのよ。昨日一昨日と町を歩いていて分かったのよね。エルダーはこの町に大規模な結界を張って儀式を行うつもりよ」
「儀式……?」
何か、得体の知れない言葉に胸が騒ぐ。
「エルダーの目的はそもそもアクティブブレイク因子を持つ人間を発見すること。結界内で見境なくシェルブレイクを起こさせて、適性のある人間を寄り集めるつもりよ」
……な。
「結界が発動すれば外部からの干渉は一切受けない。仮に結界の境で、内側にいる人間がばたばた倒れても、外側の人間は誰も不思議には思わないわけ」
エメラはそんな、恐ろしいことをさらっと言ってのけた。
「その、結界が張られるのはいつなんだよ!」
俺が問うと
「……そうねえ。正直言うと、いつ発動してもおかしくないわ。厄介なのはエルダーの術は彼自身にしか解けないってこと。つまり彼を倒さない限り、結界は解けない」
エメラは真面目な顔でそう言った。
……やっぱり、あいつをどうにかしないと駄目なんだ。
「エメラ、エルダーの居場所は分からないのか」
オーアがエメラにそう尋ねたが、彼女は苦笑した。
「私、こっちで彼と直接会ったことないもの。場所が分かってたらすぐに教えてるわよ」
「……役立たず」
アージェントがぼそりとそう呟いた。
その言葉にぴくりと反応したエメラは、あの超胡散臭い笑顔を全開にして言う。
「私が役立たずなのは昔からじゃない。やあねえアージェントったら」
……笑ってるけど明らかに怒ってるぞこれ。
「そうだったな。お前はいつも他の奴らが仕事をしている間、のうのうと酒に溺れていたな」
アージェントも相変わらず手厳しい。
エメラの顔が少々ひきつった。指摘されたことはどうやら事実らしい。
が、エメラはただでは起きない奴だった。
「ふふ、お酒といえば思い出すわねえ。仕事が終わった後アージェントをねぎらってあげようと思って1杯いかせたら……」
アージェントの顔が殺気立つ。
というより、赤面している?
「ば! 貴様、それ以上あのときのことを言ったら殺すぞ!!」
その、素直な反応を見てさらにエメラは笑みを深めた。
……悪魔だよほんとこの人、と思いつつも何があったのか少し気になってしまう俺がいた。
そんな俺の心境を汲んでくれたのかそれとも自分が愉しむためなのか、エメラは続ける。
「アージェントったら子供のころに戻ったみたいになっちゃって」
「黙れと言うに!」
アージェントが必死にエメラの口を押さえようとしているが、エメラは防御壁を張ってまで続けた。
「『ねえさーん』ってオーアの膝で眠りこけちゃって」
最後にエメラは、オーアの膝にこてんと転がった。
……へえ。そ、そうなんだ。
……つーかエメラまでオーアの膝に転がる必要はないと思うんだけどな。
「〜〜エメラァッ!! そこに直れ!! 串刺しにしてくれるッ!!」
案の定、アージェントが切れた。
槍を取り出そうとする彼女にクリムが必死に取りすがる。
「アージェント! こんな狭い部屋で暴れたら滅茶苦茶になるですよッ! けが人も出るです!!」
クリムの言うことはもっともだ。
というかさっきのアージェントの怒声にビビッて既に気絶してる男が1名いるんだがな。
「落ち着けアージェント! エメラもいつまで転がってるんだ!」
流石にオーアも慌てだしたが、エメラはまだ彼女の膝の上にいる。
それだけでも羨ま……厄介だというのに、あろうことか彼女はふとその膝に手を置いて上体を起こし、
「だってー、オーアの膝、あったかくて気持ちいいし、良い匂いするんだもん。……食べちゃいたいなあ」
オーアの耳朶を、かぷりと噛んだ。
「!」
オーアの肩がかすかに震える。
エメラはその反応を愉しむかのように、揉むような甘噛みを続けた。
「んぁ……、やっ……!」
オーアの唇から、微かな嬌声が漏れた瞬間。
「「「!!」」」
その場にいた全員(気絶したブラックを除く)が、エメラを一斉に敵視した。
「この変態ミドリムシ! クリムの姉さまから離れるですッ! それに姉さまの膝に乗っていいのは年齢的にもクリムだけですッ!!」
というのはクリムの抗議。確かに筋は通っている。
「み、耳を噛むなケダモノ!! あとお前もやらしい声出すなッ!!」
アージェントが早口にまくしたてる。
……変な声を出したオーアに対しても怒っているらしい。
アージェントも複雑だな。
「…………」
そういう俺は、じろりとエメラを睨むしかなかった。
エメラはひとしきり俺たちの反応を愉しんだ後
「相変わらずもてるわねえ」
オーアの肩を軽く叩いてから、離れた。
が、俺たちの非難めいた視線がまだ止まないのを見ると
「もー。だったらあなたたちも膝にダイブすればいいじゃないの。ほら、今なら空いてるわよ」
エメラはそう言ってオーアの膝を手で示した。
「エ、エメラ! 人を公園の遊具みたいに言うな!」
オーアが少々顔を赤らめて抗議すると
「なによぉ、私だけ悪者扱いして。じゃあオーアが選んだら?」
エメラは懲りずにこんなことを提案した。
「誰を膝に乗せたい? それとも、噛んでほしいの?」
悪戯な笑みを浮かべるエメラ。
そんな提案、馬鹿げていると誰もが思っているのだろうが、自然と、クリム、アージェントの視線はオーアに注がれていた。
……勿論、俺の視線も。
「え……、いや、」
そう来るとは思っていなかったのか、オーアは明らかに動揺した風に視線を泳がせた。
「ほらほら早く。じゃないとまた私がやっちゃうわよ」
真の悪魔、エメラは実に楽しそうな笑みを浮かべてオーアを急かす。
「…………うぅ」
オーアは呻きながらも、落としていた視線を上げる。
――ふと、俺と目が合った。
「……!」
彼女はとっさに視線を逸らした。
俺も慌てて俯く。
「ああもう! こんな話はどうでもいいんだ! 作戦会議はどうなったんだ! ブラック起きろ!!」
紛らわすように、オーアは急に立ち上がって、部屋の隅のブラックを揺さぶりだした。
「……エメラ。今日はおやつ分けてあげないですから」
クリムがエメラに冷たくそう言い放つと、彼女の顔がかなりひきつった。
「ちょ、ちょっと待って! わ、私が悪かったわ! 謝るからよっちゃんイカだけは! よっちゃんだけは!! あれがないと私生きてけないのよおお!」
いい大人が子供にすがりつく。
……そんなにあの赤いイカが好きなのか。
「ふん。自業自得だ」
アージェントはこれみよがしに勝ち誇った笑みを見せる。
……そういえば、アージェントはいつも何かしらおやつを持ってるけど、そのお金はどうしてるんだろうか。
それを尋ねると。
「貨幣? ああ、道を歩いていると声をかけてくる下種共に少し灸をすえてやると、奴ら、へこへこと差し出してくるぞ」
……とんでもない答えが返ってきた。
それを聞いたエメラが
「その手があったか!」
盲点だったと言わんばかりにぱちんと指を鳴らして部屋を出て行こうとする。
「待てこら! つかまるからやめてくれ!」
俺は彼女の服の袖を引っ張って、必死に止めることになり。
……結局、コンビニでよっちゃんイカを箱買いさせられた。
昨日2話ずつ出すっていったんですけどもう今日と明日で4話ずつ出して完結を迎えようと思います。
ここからは最後まで喋らないつもりで頑張ります(笑)。
いつもありがとうございます。