第42話:伝える、夜
先に帰ったであろうオーアたちと一足遅れて自室に戻ると、部屋は真っ暗のままだった。
が、よくよく目を凝らすと、ベランダに続くガラス戸の前に、体操座りをするようにオーアが小さくうずくまっていた。
「……何やってんだお前。電気もつけないで」
俺がそう問うても、彼女は答えない。
先ほど外で言われた彼女の言葉の端は、どこか怒っているようにも聞こえたので、まだそのことを引きずっているのかもしれない。
「……なあ、俺なんかまずいこと言った?」
どうもこのままだと空気が悪いので俺がそう切り出すと
「……別に」
あからさまに不機嫌な声で、オーアはそう呟いた。
「うそつけ」
俺は電気もつけないままどかりとベッドに腰掛けた。
「言いたいことがあったらちゃんと言ってくれないと分からないだろ」
そう言っても、彼女はまだ黙り込んだままだ。
「…………」
しばらく待ってみたが、やはり状況は変わらない。
「意地っ張り」
俺が思わずそんな言葉を吐くと、彼女はぴくりと反応した。
「誰が意地っ張りだ、生意気小僧」
向こうも反射的にか、そんな言葉を返してきた。
「こ、小僧ってお前……」
が、流石に高校生にもなって『小僧』と言われて気を良くする奴はいないだろう。
「ふん。平均よりちびっこいんだから小僧と言われても仕方ないだろ」
オーアのその言い草に少々カチンときた。
身長のことは本当に気にしているのだ。
「身体的特徴のことでいじめる奴のがもっと大人げないっつーの! それでも家庭教師かお前!」
俺が立ち上がって声を荒げると、向こうもすくっと立ち上がって
「悪かったな、こんなのが家庭教師で!」
ふんと、腕を組んでそっぽを向いた。
……なんでこんなことになってるんだ。
別に喧嘩がしたかったわけじゃないのに。
「…………」
それは向こうも同じなのか、時間が経つにつれ彼女はそろりと組んでいた腕を下ろした。
そして
「……すまん。私が大人気なかった」
そうこぼしてベランダのほうへ逃げようとした彼女の腕を、俺は掴んで止めた。
「謝るんならちゃんと説明しろっての」
俺の言葉に、オーアは困った顔で振り返った。
「……いや、その。どうして苛立っているのか自分でもよくわからなくてな」
その言葉に、俺は少し呆気に取られた。
「はあ? そんなんで生意気小僧とか言ってたのかお前」
俺が思わずそう愚痴ると彼女は眉をひそめた。
「うるさいな。お前が生意気なのは事実だろう」
こんな調子じゃまた同じことの繰り返しになるような気がして、俺は反論するのをぐっとこらえた。
「……変な奴」
俺はそうこぼして彼女の腕を放し、もう1度ベッドに座り込んだ。
オーアもまた、その場にしゃがみこんだ。
しばらくすると、彼女がぽつりと呟いた。
「……サツキ。今日のお前、格好良かったぞ」
……。
…………。
そんな単純な褒め言葉を咀嚼するのに随分時間がかかってしまった。
「なッ」
思わず顔から火が出る。
「いきなり何言い出すんだお前!」
俺が慌ててそう返すと、その反応を愉しむように彼女は笑っていた。
けど、どこかその笑みが儚く見える。
そういえば、ネイチャーを倒しに行く前から今日のこいつはどこかおかしかったような……。
「なんだ。私に褒めてもらいたかったんじゃないのか?」
オーアの眼が、こちらを優しく見据える。
先ほどまでとは一転した彼女の大人な雰囲気に、思わずそわそわしてしまう。
「……べ、べつに……その……」
俺がもごもごとどもっていると、オーアはふとぼやいた。
「案外アージェントとお前の相性、良かったのかもしれないな。普通ならたった2日の修行であそこまでは上達しない」
それはどこか寂しげな言葉端。
「……なんだよ、やっぱり妬いてるのか?」
俺が火照る顔の熱を冷ますためにからかいの意味も込めてそう問うと、オーアはふと笑った。
「……かもな」
今回は案外すんなりと認められてしまって、逆に顔が熱くなる。
……やっぱり変だ、今日のこいつ。
ひとり赤くなっている俺を置いてけぼりにするように、オーアはまた呟いた。
「戦いのことだけじゃないぞ? お前がアゲハに言ったこと……まあ確かに口説き文句に聞こえなくもなかったが……いい言葉だった」
膝を抱えて、彼女は言う。
「やっぱり私の見込んだとおり、お前は良い奴だった」
……なんとなくの、違和感。
表現はしにくいんだが、彼女は何かを俺に隠している気がした。
「……なあ、お前夕方からなんか変だぞ。何かあるなら隠さず言えよ」
俺がそう言っても、オーアはただ穏やかな顔をして座ったままだった。
俺は確信してしまった。
こいつがこういう顔をしているときはろくなことがない。
何かを抱え込んでるときの顔だ。
「……そういうの、やめろって言ったのに」
俺がそうこぼすと、微かにオーアの顔が曇った。
けど、俺は続ける。いや、続けないと駄目な気がした。
「また、『言っても仕方のないこと』でも隠してるのか? ……そんなに俺は、頼りないかよ」
そこまで言うと、オーアは口を開いた。
「そういうわけじゃない。……ただ……」
彼女は俯いて、そして何かを決心するように、立ち上がった。
彼女はベッドに座る俺の前に移動して、跪くように片膝を立てて床に座る。
そして、俺を真っ直ぐに見上げた。
色の違う双眸が、俺の眼をしっかりと見据える。
その眼が、真剣さをうかがわせた。
「サツキ。私はお前に命を返す」
彼女は、はっきりとそう言った。
「……なんの、話だ?」
突然のことに、俺の頭がついていかなかった。
――命を返すって……。
「お前に分けてもらった生命エネルギーの件だ。やはり消滅寸前の私の身体の再構成は無理があったらしい。返さなければお前がもうすぐ死んでしまう」
苦笑いのような、悲痛そうな、そんな顔で彼女はそう言った。
「……ちょっと、待てよ。じゃあ、お前はどうなるんだよ」
俺の問いに、彼女は目を伏せる。
……それが答えだと言いたいらしい。
俺は思わず立ち上がった。
「馬鹿言うなよ! 俺のために死ぬっていうのか! そんなのありがた迷惑だ!!」
その言葉にオーアは首を振った。
「違うサツキ。本来なら私はもう死んでるんだ。お前が悔やむ必要はない」
彼女はそう言うが、そんな言葉で納得できるほど俺は出来た人間じゃない。
俺はしゃがみこんで、思わず彼女の肩を掴んだ。
「お前、生きたいって言ったじゃないか! アージェントとだって仲直りできたんだろ!? なんで今更、そんな……」
死ぬだなんて。
自ら死を選ぶだなんてことを、するんだ。
彼女はそっと、俺の手を自らの肩から離すようにして、その手で包んだ。
「……お前を私だけのために死なせるのは惜しい」
彼女は諭すように、言った。
「アゲハもお前のことを『特別』だと言っただろう? クリムも恐らくそうなんだ。正直、あの子があそこまで人間に慣れ親しめるとは思っていなかったからな」
俺はその言葉を必死に遮る。
「……だからなんだよ。死に損ないの自分になんて構うなって言いたいのかよ。俺には未来を生きて欲しい、とか?」
俺のそんな言葉にも、彼女はどこか微笑む。
「……かいつまめばそういうことになる、な」
あっさりとした返答。
それに、知らず奥歯をかみ締める。
俺は彼女を睨んだ。
「最後まで綺麗ごとを並べるんだな、お前」
――綺麗ごと。
その言葉が、彼女を最も傷つけると分かっていながらも、言わずにはいられなかった。
オーアは少し、動揺したように目を見開いた。
「いつもそうやって、綺麗ごとばっか並べて誤魔化して! 俺はお前の本音が聞きたいんだ!」
俺がそう言うと、彼女は微かに苦笑を見せて俯いた。
「……やっぱり、綺麗ごとに聞こえるか」
そんなことをこぼす彼女に、俺は無言で肯定を示した。
すると彼女は立ち上がって、俺から少し距離をとった。
ベランダ越しの夜空を背中に、彼女は俺を見る。
「お前にはどうも、綺麗ごとが通用しないみたいだから、本音を言うぞ」
どこか無邪気さを感じさせる声で、彼女は言った。
「正直なところ、お前が誰にでも優しいのを見るといらいらする」
「……は?」
何を言い出すのかと思えば、いきなり俺に対する罵倒だった。
「散々私に親切にしたくせに、お前は他の奴にも親切だからな。結局私はお前を取り巻く数々の要素の1つに過ぎないんだと思うと、どうにも息苦しい」
……それ、って……。
「お前がアージェントに剣を教わりに行ったのも正直不愉快だった。良い結果を見せ付けられた今でもまだどこか不愉快だ」
だからそれって……、
妬いてるんだろ、と俺が言う前に
「単純な嫉妬だな。これはさっきも認めただろう」
オーアはさらりとそう言った。
が、もうひとこと、彼女は付け加えた。
「……結局、だ。私は誰よりお前の隣にいたかったんだ」
その言葉に、思わず心臓が跳ねた。
胸が、じわりと熱くなる。
彼女は照れを隠すように視線を逸らしつつも
「その……よく分からないんだが、こういうのを独占欲とか言うんだろうな。……お前が悪いんだぞ。お前は必要以上に私に優しくしすぎたんだ」
そんなことを言った。
……なんだ、それは。
惚けた俺を見て、彼女は笑みをこぼす。
それはもう、綺麗な笑顔で、彼女は言う。
「どうもこのままだと自堕落になりそうだから、私は潔く消える。お願いだから、最期くらいは綺麗に死なせてくれ」
それは、彼女の最後のプライドなのだろう。
それまで『黄金』として生きてきた誇り。
誰よりも公平で、正しくあるべき存在として、努力してきた自分を裏切らないための。
――……なんだよ、さっぱりした顔しやがって。
「……そんなの、許さない」
俺は、まるで聞き分けのない子供みたいにそう言い捨てた。
「綺麗になんて死なせてやらない! 俺がお前とチャージしたのだって、アージェントに剣を教えてもらいにいったのだって、全部、お前のためだったんだぞ!? お前を死なせたくなかったから、……俺は……」
気がつけば、素直に言えなかった気持ちを全部吐き出していた。
俺の言葉に、今度はオーアが惚けたような顔をする。
そして。
「……そうか。……そうだったのか」
照れるような顔をして、彼女はそう反芻した。
「それを聞けただけで私は満足だ。……ありがとうな、サツキ」
それでも彼女は、そう言って笑った。
思わず、拳を握る。
「……俺は、そんな言葉を貰うために頑張ってたわけじゃない……!」
自然と、声が震えていた。
「……サツキ……」
困惑したような、それでもどこか、俺をなだめるような彼女の声。
そんな彼女が、どうしようもなく憎い。
憎くて憎くてたまらない。
最初から死ぬつもりなら、俺なんかの前に現れないで欲しかった。
慰めたりなんかしないで欲しかった。
笑顔なんか見せないで欲しかった。
……本音を言えば。
ずっと【黄金】の地位と威厳を必死になって守ってきた彼女が、俺には眩しかった。
俺は中途半端な覚悟しか持てない奴で、いつもふわふわしてるから、辛いことを必死になってやり切れる彼女を尊敬したし、憧れもしたし、嫉妬だってした。
だからその分、素の彼女が愛おしかった。
羽根を捥がれても生にしがみつく彼女はこれっぽっちも醜くなんてない。
皆にいい顔をして、内心は迷ってばかりいることだって、そんなに恥じることじゃない。
むしろ、それが普通なんだと安心できた。
そうあるべきだと思った。
だから、彼女には幸せになってほしかった。
懸命に強がり続けた彼女には、俺なんかより、ずっとその権利があるはずで。
自由に、目一杯、生きて欲しかった。
彼女が『生きたい』と、望んだとおりに。
……だから、守りたかったのに。
こいつのことさえ知らなければ、俺は誰かを死んでも守りたいなんて気持ちを、抱くことはなかっただろう。
ただふわふわした生活を、流れるように送るだけだったはずだ。
痛い思いも、苦しい思いも、しないで済んだはずだ。
俺の人生を狂わせたのは彼女。
今更、そんな綺麗な顔をしてさよならだなんて言われたって、納得なんてできない。
できるわけが、ない。
俺は彼女にずかずかと近づいた。
彼女の腕をつかんで、その目を見て言う。
「……俺は、お前が好きだ」
その言葉に、オーアは微かに怯えるように、目を見開いた。
「だから、お前を死なせる気なんてさらさらない」
ガラス戸に手をついて、彼女の逃げ場を無くす。
オーアの肩が、わずかに揺れた。
「お前は自分が生きることだけ考えてればいい」
視線をも逃がさぬよう、じっと彼女の目を見て逸らさない。
こちらの気概が分かっているのか、彼女のほうも視線を逸らしたくても逸らせないようだった。
「……それは、駄目だ……」
オーアは小さな声で、必死に否定する。
「私だってお前を死なせたくないんだ! お前が死ぬところなんて見たくない。……分かるだろう?」
苦しみを押し殺したような、懸命な声音。
加えて彼女の切ない眼が、どうしようもなく胸を疼かせる。
「……なんで、俺が死ぬのを見たくないんだ?」
俺の問いに、オーアは顔を赤くして微かに俯く。
「……い、言いたくない」
今にも泣きそうな顔で、彼女はそう呟いた。
「言いたくない理由は?」
「…………知らない」
オーアはさらに深く俯くと共に、しぼむようにずるずるとしゃがみ始めた。
「知らないことはないだろ」
下がっていく彼女を視線で追いながら、畳み込むように俺は尋ねる。
「…………分からないんだ」
また彼女の頭が下がる。この時にはもうすっかり床にうずくまる形になっていた。
「自分のことなのに?」
「…………っ」
意地の悪い問答に、オーアはついに顔を上げた。
涙目の、真っ赤な顔で俺を見上げる。
「……い、意地悪なサツキは嫌いだ!」
……。
…………。
…………やっぱり駄目だ、俺。
頭がそう判断した瞬間に、俺は自然とその場にしゃがみこんでいた。
再び拗ねるように俯いた彼女の顎に指を添えて、引き上げるようにこちらを向かせる。
次の瞬間には、俺は自分の唇で彼女のそれを塞いでいた。
「――……!」
ただ押し当てただけのキス。
ただ合わせただけの唇。
だというのに、妙に熱くて、痺れそうになった。
「……っ!」
彼女の片方の手が俺の胸を押して、あっけなく唇は離れた。
彼女は反射的に後ろに下がろうとしたようだったが、すぐに背中がガラス戸にぶつかって叶わなかった。
「……ば、何を……!」
もともと赤かった顔をさらに赤くして抗議する彼女。
確かに、不躾だったかもしれない。
けど。
「…………無理」
俺はそう呟くしか出来なかった。
オーアは俺の言葉が理解できずに困惑しているようだった。
「な、何が無理なんだ!」
……何がって。
「あんな顔で『嫌い』とか言われたら、……抑えるの、無理」
俺が胸の疼きを言葉に表すと、オーアは言葉を失ったように黙り込んでしまった。
1回きりじゃ物足りなくなって。
もっと長く触れていたくて、彼女の肩に手を伸ばすと、その肩が震えたのが分かった。
彼女の肩を掴んで、再びゆっくりと顔を近づける。
「……だ、駄目だ、サツキ」
するとそんな、か細い声が漏れた。
「……なんで?」
真っ白になりそうな頭で、さっきの問答を思い起こしながら、俺はそう尋ねた。
「……駄目なものは駄目なんだ……!」
オーアは拒絶するように俺の胸に手を置いたが、その手に強い力が篭る様子はない。
……そんな小さな力で、小さな声で、『駄目だ』と言われても、収まるわけがない。
『駄目』だけじゃ、本音は伝わらない。
「嫌なら嫌って、ちゃんと言ってくれ。……殴り飛ばしてくれても、いいから」
俺はそう言って、一気に彼女の身体を引き寄せた。
「! ま、」
何か言おうとした彼女の唇を、強引に塞ぐ。
「ん……!」
微かに漏れた彼女の吐息があまりに熱くて、どうにかなってしまいそうだった。
このまま狂ってしまいそうで、それを抑えようとして葛藤するうちに、自然と彼女を引き寄せる手に力が篭る。
それでもまだ、押し戻そうと思えば戻せる強さのつもりだった。
そもそも彼女の腕力は俺より強いはずなのだ。
けれど、彼女は俺の胸に手を当ててこそいるが、その手に強い力は入っていない。
息が続かなくなって唇を離すと、彼女はうわごとのように言葉を漏らした。
「……ッ、だめ、だ、サツキ。こんなことを、したら……せっかく、……」
――せっかくの決心が、台無しになる、と。
ぽたぽたと、床に零れる涙の音。
彼女は嗚咽交じりにそう言って、震えていた。
「…………」
……本当にこいつは、散々俺を振り回してくれる。
苛立たしいくらいの筋金入りの見栄っ張りで、本当に憎い。
でもそれが、やっぱり愛おしいと思う。
腕の中で震える彼女の身体を、俺は一層強く抱きしめた。
「……キスぐらいで揺らぐ決心なら、最初からするなっての」
俺が耳元でそう言うと、いよいよ彼女は泣き出してしまった。
……いつもこの手の話はさらーっと書けるんですけど(←)今回に関してはものすごい悩みました(汗)。
五月は意外と攻めだな。
あとはノーコメントで!
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。