第41話:カタルシスⅡ
「え?」
思わず目を疑う。
だが、確かに五十嵐だ。
その手には青白く光る刀が握られている。
見渡すとシアンの姿が消えているので、いつの間にかチャージしたらしい。
「ど、どういうことだ?」
俺は思わずそう呟いた。
すると
『自力で殻を閉じたんだろう。ネイチャーを外に出したまま、のようだが』
オーアがそう言った。
「そんなことできるのか!?」
普通なら、ネイチャーが抜け出た人間はネイチャーが封印されて戻ってくるまで目覚めないはずだ。
『らしいな。私も初めて見た、が……』
オーアの声が曇る。
見ると、五十嵐はどこか苦しげだった。
おぼつかなく見える足元が、なんとかその場に立っているという雰囲気さえ匂わせる。
その様子を見たネイチャーは、どこか不敵な笑みを見せた。
「私は貴女の本質のようなもの、いわば核。そんな外面だけの身体じゃすぐに倒れるわよ?」
その言葉に、五十嵐本人は
「……倒れる前に、貴女を回収するわ」
そう言って、刀を振るった。
途端、青い風が巻き起こる。
それを迎え撃つように、黒い暴風が起こった。
「ぅわッ」
風で身体が吹き飛ばされる。
見ると、2人の周りには風が吹き荒れていた。
それはまるで、他の介入を許さない、2人だけの戦場。
巻き起こる風のせいで、音すらも遮断された。
ネイチャーが揚羽に斬りかかる。
苦い顔をしながらも、その黒い刃を彼女は受け止めた。
「楽になりなさいよ。今更取り繕うなんて無理よ? 私が言ったことは全て貴女の本音なんだから」
ネイチャーのその言葉に、彼女は一層顔をしかめる。
「たとえそうだとしても、表に出していいことと悪いことがあるでしょうッ」
揚羽がネイチャーを押すようにして、一旦離れる2人。
押された側にも関わらず、余裕げにネイチャーは嗤った。
「それが滑稽なのよ。そんなルール、いつ誰が決めたの? そんな曖昧なものに縛られているから貴女はいつまで経っても苛立ちを抱えたままなんだわ」
その言葉に、揚羽はぐっと黙り込んだ。
曖昧なルール、しきたり。
あのネイチャーが言っていることは、彼女にも確かに理解できた。
人間が、いつのまにか形成してきたもの。
それに縛られて、身動きが取れないことがある。
なんて窮屈な世界なんだろうと、そう思ったことも幾度とある。
シェルブレイクした人間は、そのときの記憶を失くしているが、後々そのときのことを振り返ると『言い知れぬ爽快感があった』と思うらしいとシアンから聞いたことがあった。
一時的にしがらみから放たれた解放感というものがあるのかもしれない。
……けど、それでいいのだろうか。
はっきりとは言えないが、何かいけない気がする。
しかしそう思う時点で、自分は既に縛られているのだろうかとも思う。
けれど、今までの自分を否定するつもりは、彼女には毛頭なかった。
確かに本音を隠して生きてきた。
けれど、妥協はしなかったつもりだ。
父親に剣を教えてもらえなかった分は、父親の知り合いの剣道家に頼み込んでこっそり教えを請いに行った。
花と茶は、最初こそ嫌々だったが今ではむしろ好きなほうだ。
毎朝教室に花を飾ることが楽しいのだから。
しかもそれがきっかけで、それまで一度も喋ったことがなかった隣席の男子に話しかけられたとなれば感慨深いとすら思える。
加えて彼は、彼女の毒舌癖すら難なく飲み込んでくれた稀有な存在だ。
――そう、その意味で言えばやはり五十嵐揚羽という少女にとって瀬川五月という少年は『特別』だった。
彼を『特別』だと思えた――そんな感情を抱くことが出来たのは、きっとそれまでの人生があったからこそのこと。
揚羽はゆっくりと顔を上げた。
その眼は真っ直ぐに、自身の分身を見据える。
「――私は逃げたくない」
彼女はそう、こぼした。
「貴女に身を任せれば、確かに楽になるんでしょうね。周りの目をはばかることもない。……けど、そうしたら私は逃げたことになるわ」
彼女の言葉に、今度はネイチャーが顔をしかめた。
「逃げる? 何から逃げると言うの? 自由が手に入るのよ?」
揚羽は首を振る。
「傍若無人に振舞うことを自由とは言わないわ。しがらみがあるからこそ、自由があるんだから」
彼女のその言葉に、ネイチャーはすぐに反論した。
「そんなものは屁理屈よ。また貴女はそうやって周りに縛られて……」
しかしその言葉を揚羽は遮った。
「縛られているのは貴女も同じよ。……貴女、彼に言ったじゃない。『幻滅しないで』って」
その言葉に、ネイチャーは明らかに動揺を見せた。
「……そ、れは……」
追い詰めるように、彼女は続ける。
「嫌われたくないという気持ちが、貴女にだってあるんでしょう? 結局貴女にも、完全な自由なんて存在しない」
ネイチャーはしばしその言葉に聞き入っていたように見えたが、しかし首を振って言い返した。
「……言いくるめようとしても無駄よ。言ったでしょう、彼は『特別』。だから気にしていいの。……他人事みたいに言って、貴女が一番分かっているくせに」
ネイチャーは再び揚羽に刀を向けた。
彼女もそれに応える。
「どうしてさっき、邪魔したの? もう少しでいいところだったのに」
そんなネイチャーの言葉に、揚羽は少々面食らった。
「……はしたないことを言ってくれるわね。ただの色情狂にしか見えないわ」
その言葉にネイチャーは顔をしかめる。
「私は貴女なのよ? 自分を否定するつもり?」
その言葉に、揚羽はふと笑ってしまった。
「……?」
その笑みの意図をはかりかねてネイチャーが怪訝な顔をしたその時、揚羽は相手の刀を押し戻した。
彼女は自身のネイチャーと向き合ったまま、構えていた刀をだらりと下ろす。
その動作は、まるで戦意を喪失したかのようにもとれるものだった。
ますます怪訝な顔をしたネイチャーに向かって、揚羽は言う。
「……いいえ。自分を救えるのは自分だけだもの。自分が自分を否定したらそれこそ全て、終わりなんでしょうね」
それを聞いたネイチャーは、勝ち誇ったように笑う。
「分かっているじゃない。なら、私に全て預けなさい? 貴女の分まで、私が……」
しかし、その言葉を揚羽は遮った。
射抜くような、真っ直ぐな視線を分身に向ける。
「――でも、私にも最低限のプライドがあるのよ」
彼女は再び、刀を構えた。
刃に灯る青白い光が、まるで彼女の心のともし火のように、強く光る。
そして、一気に間合いを詰めた。
対応しようと黒い刀を構えたネイチャーだったが、彼女の持つ刀の瞬間的なまばゆさに、目を閉じずにはいられなかったらしい。
その隙を、彼女は突く。
深々と、刺さる刃。
彼女は容赦なく、自身の顔をしたそのネイチャーの身体に刀を突き刺した。
揚羽はネイチャーの耳元で、そっと囁く。
「――随分前に、決めていたでしょう?」
ファーストキスだけは、心を許した相手からされるのを待つのだと。
するとネイチャーは消え際、微かに笑った。
「……そういえば、そうだったわ、ね……」
ネイチャーの身体は霧に還り、青白い光の玉となって揚羽の中へと戻っていった。
それを見届けた五十嵐紅葉は、
「…………」
つまらなさげに顔をしかめながら、姿を消した。
風のせいで2人の会話が聞こえなくて何がなんだか分からないうちに、決着がついていた。
五十嵐がネイチャーを回収すると、あれだけ吹き荒れていた風がぱたりと止む。
途端、シアンとのチャージを解いた彼女は、その場に崩れるようにしゃがみこんだ。
俺もオーアたちとのチャージを解いて、思わず駆け寄った。
「大丈夫か、五十嵐!」
疲弊したように俯いたままの彼女に声をかけようとしたら、ばっと片手だけ前に掲げられた。
どうやら近づくなと言いたいらしい。
「……ぇ、あ……」
俺が戸惑っていると、五十嵐は俯いたままぼそりと呟いた。
「……聞こえて、なかったわよね?」
「え?」
質問の意図がよく分からず俺が尋ね返すと、彼女は頬を赤くしてこちらを見た。
「だから! さっきの会話!」
なぜか半分泣きそうな顔でそう叫んだ彼女を見て、俺は少々うろたえてしまった。
「ね、ネイチャーとの? 聞こえてない聞こえてない。すごい風の音で……なあ?」
そう言って後ろのオーアたちに同意を求める。
後ろにいた3人はまばらに頷いてくれた。
それを見てなぜかものすごくほっとしたらしい五十嵐は、またへたりと頭を下げて
「……今日のことは忘れて頂戴。……いえ、忘れないと殺すわ」
そう言った。
――え、と。
「忘れろっていうのはその、どの辺り、から?」
思わずそう尋ねると、彼女は真っ赤な顔を上げてまくし立てた。
「全部! 全てよ! あのネイチャーが言ったこともしようとしたことも全部忘れなさい!! お願いだから忘れて!!」
どうやら、怒っているのではなく、羞恥で顔が赤いらしい。
……確かに、本人からすれば恥ずかしかったのかもしれない。
あんな赤裸々にネイチャーに自身のことを喋られてしまうと、俺でも恥ずかしくてやってられないだろう。
が、なぜかそんな彼女が、可愛いらしいと思ってしまった自分もいないわけではない。
普段は絶対に見えない彼女の一面には違いないのだ。
――こんな必死な五十嵐、はじめて見たな。
思わず笑みをこぼしそうになったが、そんなことをすると殺されそうなので俺は必死にこらえた。
が、シアンはこらえきれずに忍び笑いを漏らしてしまったらしく、立ち上がった五十嵐に豪快な蹴りをお見舞いされていた。
ふいっと後ろを向いて逃げるように去ろうとする彼女を
「あ……五十嵐!」
俺は思わず呼び止めた。
彼女はこちらを振り向かなかったが、足は止めてくれた。
彼女に言っておくべきことがあったのだ。
「あのさ、……その、お前、喋っても大丈夫だと思う」
いまひとつ要領を得ない言葉で俺がそう言うと、
「……?」
訝しげに、微かに彼女はこちらを見た。
「学校で、素を出しても大丈夫だって。お前が隠してる性格、案外好かれるみたいだぞ」
俺が改めてそう言うと、彼女は目を少しばかりしばたかせた。
俺はもうひとつ、付け加える。
「あ、あと! お前のことを周りが気にするのって、多分お前に魅力があるからだと思う。……思うっていうか、ある。絶対」
俺がそう言うと、
「!?」
彼女は目に見えて身じろぎした。
もともと赤かった顔がさらに赤くなった気がする。
「……だから、その……」
全部嫌いだなんて、思わないで欲しい、と。
俺がそう言うと、彼女は困惑したように俯いた。
「…………べ、別に」
彼女はぼそりと呟く。
「私は世界の全てに愛想をつかしたわけじゃないわ。……貴方がそう言うのなら……少しは……」
彼女は思いなおしたように言葉をそこで切って
「とにかくこの話は終わりよ! 明日になってもまだ引きずっているようなら、容赦なく蹂躙らすから!」
そう言い放ち、すたすたと去っていった。
へこへことシアンがその後を追うのを見て、やはり俺は笑ってしまった。
帰路、俺はなにやら痛い視線を後ろの3人から向けられていた。
五十嵐の背中を見送った後、俺たちも帰ることにしたのだが、なぜかオーアたちはだんまりと黙り込んで、俺をじっと見てくる。
「……なんだよさっきから。気持ち悪いな」
なんともいえない視線に耐えかねて俺が振り返ると、クリムがようやく口を開いた。
「サツキ。はっきりするですよ」
その言葉に、俺は何のことかと首をかしげる。
それを見てクリムは大げさに溜め息をついた。
「さっきの言葉のことですよ! つ、つまりサツキは……」
最初こそ勢いよく喋りだしたクリムだったが、段々とごにょごにょしだして結局何が言いたいのか分からない。
「さっきの言葉って、どの言葉だよ」
そう問い返すと、クリムは微かに唸りながらももう1度口を開いた。
「だ、だからですね。アゲハには魅力があるとかなんとか口説き文句みたいなこと言ってたじゃないですか」
それを聞いて、俺は思わず固まった。
確かに言ったが……改めてそう言われると、確かに口説き文句に聞こえないでもない。
「い、いやそれはその、一般的に見ての話で、主観的な話じゃ……」
ない、というわけでもないということに気がついて俺は目線を泳がせた。
が、その態度はさらに余計な誤解を招くと思って俺はやっきになって説明する。
「別に口説き文句とかじゃないんだぞ! その、五十嵐は自分を卑下しすぎてると思うんだ! そんなことないって言ってやりたかっただけで、深い意味は……」
すると、それまでじっと黙っていたオーアが突然呟いた。
「……サツキ。それ、アゲハの前で言うなよ」
彼女はそれだけ言って、つかつかと先を歩いていってしまった。
「……?」
その背中を怪訝な顔で見送っていると、クリムがぎゅむりと俺の足を踏みつけた。
「ちょッ!? なんなんだよ!?」
反射的に俺が喚いても、クリムは何か複雑な顔をしたまま俺を睨んで
「……なんとなく踏みたくなったです!」
そんな理不尽なことを言ってぱたぱたとオーアの後を追いかけていった。
「なんとなくって……」
ますかす怪訝な顔をしていると、ふと俺の横をアージェントが通り過ぎる。
「……お前も面倒な男だな」
彼女はぽつりとそんな言葉を置いて、歩いていった。
俺は1人取り残される。
……なんなんだよ、一体。
人気のない深夜の公園。
五十嵐紅葉が無表情にベンチに座っていると、いつの間にか隣に白い男が現れていた。
「どうしました? 機嫌が悪そうですね」
客観的に見ればいつもと大して変わらない表情の彼を見て、エルダーはそう言った。
紅葉は鼻を微かに鳴らして足を組む。
「……あいつは分かっていない。殻を閉じるということは自らの可能性を消すということだ」
彼にしては珍しい、そんな愚痴めいた言葉にエルダーは思わず目を細めた。
「君も妹君のことになると気が乱れますねえ。生憎私には兄妹がいないもので、分かりかねる感情ですが」
エルダーのその言葉に、さらに機嫌を損ねた紅葉は無駄のない動きで立ち上がった。
「そんなことより徹はどうだ? 使えそうか?」
背中を向けたまま紅葉はエルダーに尋ねる。
「ええ、なんとか。結界領域内で私がチャージすれば、例え操り人形だとしても力は以前の比ではないでしょう」
愉しむような、ねっとりとした笑みでエルダーは答える。
「……お前が0番隊を始末してしまうから戦力不足だ。結果に関しての心配はしていないつもりだが、準備には万全を期すのが俺の性なのを知っているだろう」
紅葉の溜め息交じりの言葉に、なおもエルダーはくすりと笑う。
「平気ですよ。向こうに【金属色】が2人いたとしても、【金属色】同士のマーシャリングは出来ません。となるとあちらも自然と戦力が分散します。私たちがそれを個々に迎え撃てばいいことでしょう?」
エルダーの言葉に、紅葉はふと物思いに夜空を見上げそうになって、やめた。
が、エルダーはその動きをすぐに察し、彼に近づいた。
「……取り込んでしまいなさい、妹君を。君は正しいのだから、思いに耽る必要などありません」
そう耳元で囁かれた紅葉は
「言われるまでもない」
そう言い放って、寝床にしている場所へと足を向けた。
……揚羽さん、意外と乙女(笑)。
ところで少し間が開いてしまいましたが、水面下での執筆がとりあえず完了しました! まだちょっと見直したいところがあるのですぐに全部は出せませんが2話連続投稿とかをやっていきたいと思います。
最後までお付き合いいただければ幸いです。