第40話:カタルシスⅠ
彼女の身体から出た黒い霧は、段々と人の形を取り始める。
「……まずい。サツキ、もう1度チャージだ!」
オーアはそう言うが、
「……え、あ、ああ……」
俺は動揺を隠せない。
あの、五十嵐がシェルブレイクされるなんて、思ってもみなかったのだ。
……しかも、実のお兄さんに?
彼女の身体からネイチャーが出現するのをただ見守っているその男を、俺はにらみつけた。
が、男はどうということはないというように、ただ腕を組んで立っている。
「サツキ!」
クリムの催促に、俺はようやく頷いて、再び2人とチャージする。
その頃には、それは完全に形を持っていた。
「……!」
思わず、目を疑う。
そのネイチャーは、今までのどのネイチャーよりも、精巧だった。
今まで俺が見てきたネイチャーで、もっとも人の形に近いと思ったのは中等ネイチャーだ。
だが、今目の前にいるそれは、中等ネイチャーとは比べ物にならないほどに、さらに人間らしい。
そう、それこそ普段の五十嵐と、ほとんど差異はない。
差異があるとすれば、多少肌の色が褐色がかって見えることと、時折その身体が陽炎のように揺れることぐらいだ。
『まさかとは思ったが、上等ネイチャーだな。流石はアゲハと言いたいところだが……』
オーアが苦い声でそう呟いた。
上等ネイチャー。
恐らくは、ネイチャーの中でも最高クラスのもの。
五十嵐の顔をしたそのネイチャーは、ようやく口を開いた。
「……あら、瀬川君じゃない」
……え。
「……ちょっと待て。いつも通りの五十嵐だぞ、あれ」
思わず俺がそう呟くと、傍らにいたシアンが
「上等ネイチャーは知能が高い。本人の記憶もほとんど引き継いでるはずだ」
そう言った。それにアージェントが付け加える。
「あとは理性の問題だ。ああ見えてもネイチャーはネイチャー。気を引き締めろ」
そう言われても……。
すごい、やりづらい。
なんだよこの状況は!
俺が戸惑っていると、五十嵐ネイチャーはさらさらと喋りだした。
「相変わらず取り巻きが多いわね、貴方には。たまにだけど妬ましく思うことがあるわ」
……ええと?
「この間、休み時間に小柴君たちとなにやら楽しそうに談笑していたでしょう。私もいい加減、学校で無口を貫くのに疲れてきたわ」
そう、ですか。
「どうして喋っちゃいけないんだったかしら。……ああ、昔父に叱られたことがあったんだったわ。私があまりに辛辣な言葉を幼馴染の男の子に浴びせて泣かせてしまったときに」
へ、え……。
「『女子が男子を泣かせるとは何事か。口には気をつけなさい』って。あまりにこっぴどく叱られたから言う通りにしたけれど、あれはあの子も悪かったのよ? 手当たり次第にクラスの女の子のスカートをめくるんだもの」
……小学校のときの話なのかな、それ。
「だけど女子同士の付き合いも息苦しいから嫌いなのよ。少しすれ違いが生じただけでひどく陰湿な行動に走るでしょう。……なんだか面倒になってきたわ」
……昔からそういうのはよく聞くけど、やっぱり難しいのかな、そういうの。
「下手に面倒ごとを起こさないようにあまり喋らないでいたらいたで、怖いだのと陰口を叩く輩も絶えなかったわね。極めつけはあれだわ。中学のとき、クラスで1番人気があったらしい男子が私に惚れているだとかそんなふざけた噂が流れたときね。よくある話だけど、その子を好きだったらしい女子のリーダー格の子が他の子と結託して集団シカトをしてくれたわ」
……ああ。中学くらいならいるな、そういう酷い奴。
「お陰で実際にその男子に告白されたとき、相当な罵詈雑言をぶちまけてしまった気がするけど、……まあいいのよ。それからは皆私を怖がって近づこうともしなかったから」
そう言ったときの彼女は、ネイチャーながらなぜか少し、寂しそうな顔をしていた気がした。
「……本当に、よかったのか?」
思わず、尋ねてしまった。
すると、彼女は俺を見て
「貴方ならそう言うと思ったわ」
そんなことを言った。
「え?」
どうも、五十嵐ネイチャーの言動は読めない。
すると、彼女は紺色の空を見て言った。
「私は他の人が自分をどう思っていようがかまわないわ。だというのに、周りは私の挙動をいちいち気にしてくるじゃない。正直、鬱陶しいわ」
――それは、違う。
周りがお前を気にするのは……。
俺が言葉を紡ぐ前に、彼女は言い放ってしまった。
「……私は、周りの全てが嫌いよ」
その言葉が鍵だったのか、五十嵐の周りに黒い竜巻のようなものが起こった。
「まずい、下がれッ!」
シアンの声で慌てて逃げる。
が、竜巻の威力は見た目よりも大きく、すぐに風に巻き込まれてしまった。
「ッ!」
身体が宙に浮く。
思わずひやりとしたその時、
「……貴様は丁寧に話を聞きすぎだ」
そう叱咤しつつもアージェントが俺の身体を抱えて、とりあえず安全なところに降ろしてくれた。
しかしなおも、五十嵐は言い続けていた。
「……嫌い。そうね、私が1番嫌いだったのは父だったのかもしれないわ。兄ばかり可愛がって、私のことなんてほとんど見てなかった」
その口調がさらにとげとげしくなる。
「剣道だって女には必要ないだの言って教えてくれなかったし、私には茶道に華道、そんなものばかり。果ては花嫁修業まで押し付けてきたわね」
彼女が怒りを顕にするたび、竜巻はより風を増す。
……このままだと、辺りに倒れている人たちが巻き込まれてしまう。
そんな時、それまで黙って様子を見ていた五十嵐紅葉が口を開いた。
「……ほら見ろ。あんな父親、いなくなったほうがせいせいしたんだろう?」
まるで、それを確認したかったかのような言い草だ。
「……ッ!」
――なんなんだあいつ!
「五十嵐! もうやめろ!!」
俺が叫ぶと、彼女は俺を見た。
ここぞとばかりに声を張り上げる。
「本当にお父さんがいなくなってせいせいしたのか!? お前はそんな奴じゃないだろ!?」
すると、彼女はぴたりと風を止めた。
が。
「……私がそんな奴で幻滅でもした?」
五十嵐はそう言って、黒い刀を手にした。
「!!」
――まずい。
五十嵐の奴、抑えが利かなくなってる。
冷や汗をかいた途端、彼女がこちらに向かってきた。
人間では有り得ない速さだ。
『避けられん! 受けろサツキ!』
オーアの言葉に従って、剣を掲げる。
交わる漆黒の刀と黄金の剣。
だが、威力が違いすぎた。
まるで暴風を纏っているかのような漆黒の刃に、黄金の剣はいとも簡単に弾かれてしまった。
――しまっ、
その勢いで、思わず身体がのけぞる。
そのまま、仰向けに転倒してしまった。
その隙を逃すまいと、五十嵐の形をしたネイチャーが刀を突き立てようと構えている。
『サツキ!』
内の2人が叫んだが、この状況じゃ身もよじれない。
――まずい!!
そう、思った瞬間。
ざくり、という音だけが響いた。
「……!?」
目だけ動かすと、黒い刃は俺の頬のすぐ横、地面に刺さっている。
そんな間に、五十嵐ネイチャーは俺の顔を覗き込むように、しゃがみ込んできた。
「……な、に」
まるで、押し倒されたかのような気分だ。
どこか哀愁を秘めた眼で俺を見下ろし、彼女は言う。
「……私は全てが嫌い。だけど、瀬川君は『特別』」
その細い指が、俺の頬を滑るように伝う。
「貴方は可愛げのない言動をする私を私らしいと言ってくれたじゃない。……だから」
彼女の指は、顎のあたりで止まった。
「幻滅しないで。本当の私を……、」
近づく。
彼女の顔が。
その、唇が。
『さ、サツキ!! どうにかしろッ!!』
『なんなんですかこの状況はーーーー!!』
オーアとクリムの叫び声が響く。
――そんなもん、俺が知りたいわッ!!
心の中で叫んだ、その時。
「――――ッ!!」
何か、言い知れぬ怒りの唸り声が聞こえたかと思うと、俺の目の前にいたはずの五十嵐ネイチャーの姿が消えた。
いや、消えた、と言うより何かに払われて飛び退いた、といった感じだった。
「!?」
何が起こったのかと身体を起こすと、傍らには何かに驚愕する五十嵐ネイチャーの姿が、そして、その前方に彼女と対峙するように立っているのは……
「……勝手に妙な真似、しないでくれるかしら」
この上なく不機嫌そうな、五十嵐、だった。
ひたすらしゃべり倒す五十嵐ネイチャー。
なんだかんだであんまり自分のことを喋らないキャラなのでこれはこれで楽しかったんですけど……。
今回本気で揚羽が勝手に動いてくれたおかげで当初の予定より1話分尺が増えました(笑)。
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます!