第38話:姉妹
その数字に、彼女は愕然とした。
「……5、年?」
思わず彼女は自らの胸を押さえた。
一体この身体はどれだけのエネルギーを取り込んでしまったのか。
彼の歳はまだ16だ。この国の平均寿命からしてもあと60年は生きられるはず。
それを、たった5年に縮めてしまうほど、この身体は彼から力を貪ったというのか。
いつの間にか、目の前の男に対してよりも、自身に対しての嫌悪感が強まってしまっていた。
世界がぐらぐらと揺れているような感覚を、彼女は覚えた。
少しでも気を抜けば崩れそうな足元を見る。
そこには涙らしきものが、ぽたぽたと零れ落ちていた。
「こちらとしても彼には長生きして欲しいんですよ。……私の言いたいことは分かりますよね?」
男は言った。
――つまり、彼に生命エネルギーを返却しろと。
彼は彼女にそう言っているのだ。
「ああ、5年という数字に偽りはないですよ? そこを偽ってもこちらにメリットはありません。今の無力な貴女をわざわざ殺す必要はありませんからね。ですが彼は別です。彼は非常に優秀なサンプルですから、5年で亡くしてしまうのは惜しいんですよ」
肩を落としたままの彼女に、男は最後に語りかける。
「……君は賢明なティンクチャーです。判断を、誤らぬように」
そう言い残して、男は消えた。
とっぷりと、空も暗くなった頃。
――アージェントの奴、今日も容赦なかったな……。
そんなことを思いながら、なんとか夕飯前に家に辿り着いた俺はへろへろと自室に戻った。
が、部屋には誰もいない。
そっと綾の部屋を覗いてみたが、そこには綾とクリムしかおらず、2人とも遊びつかれたのか床で居眠っていた。
――オーア、どこいったんだろ。
首をかしげながらも、よろよろと部屋着に着替えはじめる。
すると突然、ベランダからエメラとブラックが入ってきた。
「うわっ! いきなり入ってくるなよ!」
俺は脱ぎかけたシャツを慌てて戻す。
するとエメラはまたあの胡散臭い笑みを浮かべた。
「あら失礼。覗くつもりはなかったんだけど」
「……嘘だぁ。今着替えてるみたいだからやめとこうって僕言ったよ?」
ブラックはどこか疲弊した顔でそう言った。
どうやら今日も彼は彼女の街の散策に付き合わされていたらしい。
「……ガキの着替え見て愉しむなよ」
俺はそう漏らしつつも
「なあ、オーア見なかったか? 家にいないみたいなんだけど」
2人にそう尋ねた。すると
「オーア? 見てないけど。でもちょっと前にすぐ近くに気配を感じたから近くを散歩でもしてるんじゃない?」
エメラがそう言ったので俺はその言葉を信じることにした。
「……とりあえず着替えるから出てってくれないか?」
俺がそう言うとブラックはすたすたと部屋を出て行ってくれたのだが、肝心のエメラはというとまたしてもベッドにどかっと座り込んだ。
一体何なんだと思っていたら
「ねえサツキ君? 貴方、オーアのこと好き?」
彼女は突然、そんなことを尋ねてきた。
……は?
「いきなり何の話だよ」
俺が問うと、彼女はにっこりと笑って
「彼女の姿が見えないだけでそんなに心配するなんてって思って」
そんなことを言った。
……そりゃあ、心配だってするだろう。
あいつを1人で歩かせて、もし強力なネイチャーに襲われたりしたらどうするんだ。
そんな旨を俺がこぼすと、彼女は忍び笑いすら漏らし始めた。
「なんだよ」
この人の相手は本当にやりづらい。
どうも手玉に取られている気がする。
「……いえ、なんとなく貴方の気持ちは分かったわ。貴方、アージェントと少し似てるわね」
エメラのその言葉に、俺は盛大に首をかしげた。
「どこが?」
エメラは言う。
「彼女のことが好きすぎて、心配でしょうがないわけよ。でも口じゃ上手く伝えられてないってとこかしら?」
……す、好きすぎてって。
そんな、ことは……。
「あの子鈍いから、口で伝えないと分かってないわよ? アージェントも相当いらいらしてるくらいだから」
彼女はそう言って立ち上がり、部屋を出て行った。
……なんだ、そりゃあ。
俺は呆然と、誰もいない部屋に立ち尽くした。
冷たい夜風が頬にしみる。
涙のあとも、必死に拭った甲斐があったのか、今ではすっかり消えているようだった。
以前、悪魔のほうのブラックと対峙した公園で、オーアはベンチに座り込んでいた。
ともかくも、さきほどのエルダーとのやりとりは自分の胸のうちにだけ留めておくことにしようと、心を落ち着かせていたのだ。
すると、いつの間にか目の前に妹の姿があった。
「……アージェント」
妹、と言ってもただ母体を同じくしただけの話で、『象徴する色』で門名を分けるティンクチャーは、そもそも血の繋がりというものをあまり重視はしない。
が、彼女とは生まれた時間にあまり差がなかった――それこそ人間でいうところの双子のような存在だったからこそ、これまでずっと深く関わってきたのだ。
「何に泣いている」
彼女はそう尋ねてきた。
今は嗚咽もないし、涙のあとは消えたはずだったのだが。
「目が赤い」
そう指摘されて、しまったという風にオーアは俯いた。
「……別に、お前には関係のないことだ」
出来るだけ平静を装って、オーアは声を絞り出した。
が、アージェントは動かない。
話を聞くまでは動かないつもりらしい。
しかしオーアも黙りこんだままの状態を貫いた。
そう、彼女に言っても仕方のないことだ。
これは自分の問題。
自分の判断だけで、ことは済む。
だったら、他の人を巻き込む必要など……。
そう思った矢先、アージェントがすぐ目の前に、槍の矛先を突きつけてきた。
「!」
突然だったので流石のオーアも息を呑む。
対するアージェントは厳しい眼で彼女をじっと見ていた。
「……貴様、また1人で何か背負い込んだだろう」
アージェントの口が開く。
「……」
否定はしない。
だが。
「言っただろう。お前には関係ないんだ」
もう1度、オーアはそう言った。
すると。
「…………」
アージェントは槍を仕舞い込んだ。
そのまま去るのかと思いきや。
乾いた音、と言うには荒々しすぎる、そんな音が公園に響いた。
「……ッ、なにを」
平手か拳か、その中間のような手の形で頬を思い切り殴られたオーアは、その痛みに思わず抗議しかけた、が。
「…………ッ」
目の前で、必死に涙をこらえているアージェントの姿を見て、そんな気はすっかり失せてしまった。
「……なんなんだよお前はッ! 散々頼りにしていると言ったくせに、1度も私を頼りにしないじゃないか……!!」
上ずった声で、アージェントはそう叫んだ。
そんな彼女を見ていると、まるで幼い日に戻ったかのような錯覚に陥った。
アージェントは、今でこそ武人然としているが、昔はよく泣く子供だったのだ。
誰にも構ってもらえず、1人でいるのが寂しいくせに、そううまく伝えられずにただ泣く妹。
そんな彼女を、オーアはいつも連れて回っていた。
そんな彼女が順々と強くなっていく様を、間近で見ていたのもオーアだ。
いつしか、両者共に完全にティンクチャーの任を負えるようになったときには、すでにそんな昔のことは忘れてしまっていたのかもしれない。
あまりに、彼女が立派に成長したものだから。
「……アージェント」
オーアが自然と立ち上がると、アージェントは顔を隠すようにそっぽを向いた。
「……悪魔なんぞの手を借りなくても、同じ母体から生まれた私ならお前に力を分けるくらいのことは出来たんだ!」
溜め込んでいた感情を、アージェントはぶちまける。
「こっちが少し喋らなくなったらお前まで喋らなくなった! 私が怒っていたのは、お前が私を頼らなかったことに対してだけだったのに……!」
それだけの理由で、3年間。
それまでの年月、ずっと共にあった2人が、3年間という長い間、一言も口を利かなかったのだ。
「死んで欲しいなんて、思ったことはなかったのに……、真に受けたような顔をするから……。お前なんか、大嫌いだッ!」
アージェントがそう言い切ったとき、オーアは彼女を抱きしめた。
「……私は、今も昔も、お前のことが大好きだぞ」
オーアはなだめるように、そう言った。
アージェントは、抵抗せずにただその言葉を聞いている。
「……すまなかったな。お前には迷惑をかけたくなかったんだ。お前の命を分けてもらってまで、生き延びるつもりはなかった」
銀糸の髪を優しく撫でる。
どこか、懐かしい感触だった。
「お前が私を本気で殺そうと思っているなんて、私も思ってはいなかったぞ? お前は私の、妹だからな」
そう言うと、アージェントは恨めしげな声で言った。
「……ペアの件もそうだ。お前、地上界に降りるとき、わざと私とルディアスノームを組ませただろう。自分から引き離すつもりで」
オーアは苦笑する。
「……お前たちに私の最期を見せるのが忍びなかっただけだ。……あまり意味はなかったが」
そう言って、身体を離す。
オーアは目を伏せて、アージェントにこう尋ねた。
「……私が、知らない間に消えるのは嫌か?」
その問いに、アージェントは頷いた。
「当然だ。お前は分かっていないようだが、急に消えるのは周りの奴に対して失礼だ」
アージェントはこうも付け加えた。
「ルディアスノームも同じ意見のはずだ。地上に降りたときあいつと別れたのは、あいつに好きな道を選ばせるつもりだったからだ。……あいつはお前を探した。お前を死なせないために、だ」
アージェントの言葉に、オーアは微かに笑みを浮かべる。
その笑みに、どこか儚さが篭っていることにアージェントはすぐに気がついた。
「……何が、あった?」
オーアは一息ついてから、決心した。
「……私はもうすぐ消える。いや、消えようと思う」
なぜか作者は無駄にアージェントに感情移入してしまう(笑)。
私も一応妹なんですよ(どうでもいい個人情報垂れ流すな)。
『姉妹』を小説で書いたのは実は初めて、なので仲直りが描けてよかったです。
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます!
最近ちょっと秋らしくなって部屋の温度が下がってきたので執筆ももうちょっとで終わる……かな?